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15/5/21

強豪チームで平凡選手がベンチ外からスタメンになった話

Image by Olia Gozha

一流のアスリートの方々がどのようにして活躍したかという書籍は多く出ています。

その道でご飯を食べていく、プロを目指す方にとってバイブルとなりますが、それ以外の人にとっては『やっぱ一流は凄いな』と違う世界に感じてしまうのではないでしょうか?


至って普通なんだけど、ただただ学校の部活で試合に出たい!活躍したい!

普通の人はそう考えますよね?

朗報です!


平凡な私は大学で未経験のままラクロス部に入部。

大所帯の強豪チームにて、4年生でベンチ外から短期間でスタメンになり、チームに貢献することを経験しました。

体力と走力はチーム内では下の下。それにも関わらずスタメンで活躍することが出来たのです。


なぜそんなことができたのか?

実体験と共にお伝えします!

そもそも入部の理由はユニホームを着た先輩方がとても可愛く、

かつプレーがとてもキラキラしていてかっこ良かったからという単純なものでした。

スコート履いてグランド駆けて、クロス持ってキャンパス歩くなんて青春!!

と憧れて入部したわけです(笑)


しかし入部してからすぐに想像と違う現実に向き合わされることになるのです…。


関東学生ラクロスの女子チームは2004年当時全校で61校。1部リーグから4部リーグまであり、入学した大学は頂点である1部リーグから1度も落ちたことのない古豪と呼ばれる強いチームだったのです。

もちろん練習はキツイし先輩は厳しい。

試合に出場出来る選手は精鋭のみ。

仲良く皆で試合に出て楽しむ…という夢は消えて無くなりました。


練習は朝6時半から週4~5回で、家が遠かった私は朝4時半起きで通いました。チーム内の人数は1年生から4年生まで総勢60名程で、ラクロスの場合スタメンは12名、ベンチは8名までです。残りの40名は応援席で応援となります。


1つ上の学年は皆上手く、1人は日本代表、5人は22歳以下の日本代表に選ばれる程でしたので、他大学よりも試合に出るのが難しいのではないかと感じていました。しかも同学年では高校で陸上部やソフトボール部出身者も多数いて、私は帰宅部という厳しい状況でした。


自分「どんなに強豪チームでも早起きをして遠方から通い、辛い練習をして4年間試合に出られないなんて、そんなの絶対ヤダ!」

そう、せっかく大事な4年間をラクロスに費やすのであれば、

しっかりと結果を出したいと思いますよね?

意地でも試合に出てやると入部当時心に決めました。

そしてひたすらにラクロスに明け暮れました。

6時半からの朝練に出てから授業を受け、夜はアルバイトをして

…また朝は4時半に起きてという生活です。

良くやったなと今では当時の自分を尊敬します(笑)

1.2年生は体力も技術もないので基礎練習と球拾い、先輩方のフォローが主な内容です。

センスのある子はこの時点で試合メンバーに引き抜かれたりしますが、

私は全くお声は掛からずのまま。そしてあっという間に上級生の3年生になってしまいました。


チームの練習は実力順にA.B.Cと3つに分けており、Aチーム20名がベンチ入りとスタメンです。毎月幹部がミーティングで決めたメンバーがメールで発表されるシステムでした。

3年生になって初めて、私はAとBを行ったり来たりしながら点数を決めるアタックのサブとしてようやく起用され始めました。


しかし、調子も良くもう少しでベンチ入り安泰になる…と思った矢先に怪我をしてしまったのです。

左膝内側側副靭帯の損傷で全治3ヶ月でした。3年の9月、リーグ戦の真っ只中だったのです。

そこで3年生のシーズンは終わってしまいました。


現実って厳しいですね…。

やっとAチームに呼ばれるようになって、ここからって時に限ってですから。


それでもまだ3年生の後半ですから、なんとか4年生で試合に出なきゃ!とリハビリに通い、他のメンバーが練習している時間は筋トレをしながら上手い選手のプレーを頭に入れたり、色々なプレーを見ては自分ならこうするとイメージをたくさんしました。チームのプレーを客観視することはとても勉強になります。


しかし自分と同じくらいだった子達が練習出来ない自分の目の前でどんどん成長し、試合に出ている姿を見ると悔しくて悔しくて。

なんで自分だけこうなるの…とショゲている時も多々ありました。

ただこの経験はとても大事なことだったのです!

怪我をして練習出来ない選手悔しさは、怪我をしていない選手にはわかりません!


試合中どんな苦しい状況に追い込まれても、練習出来ない悔しさに比べたら大したことないと思えるのです!

これは本当に感じました!試合中苦しい時にこの時期を思い出すだけで力出ます!マジで!


しかしながらまだまだ最悪な状況は続きます。

怪我は治っても技術面も体力面も周りとの差は大きく開き、埋めるのに時間が掛かることに気付きました。4年生になる寸前の3年生の2月のことです。

新しくコーチを迎え、そのコーチに言われた言葉は当たり前だけど、とても辛いものでした


コーチ「もし同じような実力であれば俺は下級生を出す。その方が将来の大学の為になるだろ?最上級生は信頼されていて使えるヤツしか出さない。」

もう戦力外通告をされたようなものでした。

頑張ったけどもう自分には無理かもしれない…


3月の春合宿最終夜、コーチの部屋に相談に行きました。

選手を引退し、スタッフになるという決意を固めていたのです。

するとコーチは驚き、こう言ったのです!

コーチ「今のポジションではダメだけど、ディフェンスに移ったらいいんじゃないか?」


正に目から鱗。

私の中では点数を決めるアタックというポジション以外にやるなんて考えてもいませんでした。

しかし状況は選手を引退するという究極の選択まで来てしまったのですから、

もうやれるものならやってみようと思ったわけです!


自分「試合に出られるのであればどこでもやってみよう!確かにアタックに比べたらディフェンスの方がポジション争いは激しく無いじゃん!」

アタックとしての変なプライドはさっさと捨てて、

ディフェンスにポジションチェンジをするという選択をしました。

これが自分にとっての大きな分岐点となったのです。



春合宿最終日、実力順にA.B.Cとチーム分けをして紅白戦をすることになりました。

私はCのディフェンスとして最後に名前を呼ばれました。

つまり1番下の実力という評価です。

ここでコーチとの勝負だと思い、全てを賭けようと思いました。


もう失うものは何もありません。

1番下なのですから暴れるだけ暴れてやるという気持ちだけでした。

すると不思議なことに大活躍することが出来たのです。


始めは他のメンバーさえ、私がポジションを変えていることに気付いていませんでした。

しかし試合が進むにつれ、Aチームの攻撃をことごとく防ぎ、カウンター攻撃でCチームが点数を決めていて、その中心に私がいるということにメンバーが気付いていくのでした。


なぜ成功したのでしょうか?

答えは簡単です。

マイナスなことを何も考えず、気持ちを空っぽの状態にさせてプレーをすることだったのです!


普段は『失敗したらどうしよう』というマイナスな気持ちが常に自分の中にありました。

その考えを…


自分「失敗して当たり前!強い気持ちでチャレンジしよう!」

に変化させたことにより上手くいったのです。



この気持ちの持ち方によって誰よりも大胆にボールを奪いに行くことができ、誰にも負ける気がしませんでした。


紅白戦を何試合も行い、春合宿終了の総括を踏まえて、コーチが新チームの発表をしました。

そこで大逆転が起こりました。

なんと私がAチームのディフェンスに入ることが出来たのです。

他のメンバーも驚いていましたが、私が1番驚きました。


怪我から復帰し、アタックでは使い物にならないと言われ、つい昨日選手を引退しようと考えていたのですから、途轍もない大逆転が起こったのです。

しかしその位の覚悟があったからこそ、ここ一番という状況で力が出せたのです。


試合に出たいのであれば、自分のポジションを勝手に決めつけずに、選手層の薄いポジションを狙うことが秘訣です。



私がAチームに入れた理由は3つあります。

ひとつは前述した気持ちの持ち方です。

2つ目はポジションを変えたこと

そしてもう一つは自分の強みがアピール出来たことでした。


自分には強みなんてないと思っていましたが、紅白戦中に実はあるということに気付くことができました。そうなんです!どんなに下手くそでも3年間頑張っていれば他の人と違う良さが出てくるのです。

ただそれを見つけることで道は開けます!


私はディフェンスをほとんど経験したことがないので守りに関してはAチームのディフェンスの誰にも勝てない状況でした。

しかしディフェンスとは守るだけでは無かったのです。

ディフェンスとは…ただただ攻めて来る相手にゴールを決めさせないこと!

そう勘違いしていたのでした。

しかしディフェンスとは

転がっているどちらのボールでもないボールを拾う、

また相手が攻めて来る途中のパスをカットする

ということも仕事だったのです。

この相手のパスをカットするインターセプトという技を、私は紅白戦の時に何度も成功したのです。


めてインターセプトをして味方のアタックにパスをした瞬間、自分のストロングポイントだと自ずと理解出来たのです。


そもそも平凡な私が、なぜインターセプトを他のディフェンスよりもが出来るのかというと、

これは今まで3年間アタックをしてきたことが功を奏しました。

アタックで様々な攻めの戦術やボールの展開が頭に入っているので、ボールが次に行く場所を予測出来るのでした。

3年間アタックをしていて意味がなかったわけでは無く、逆に活かされているのです!


そして何よりもこのプレースタイルはこのチームでは誰とも被らず、個性的だったのです。


自分でもストロングポイントだと理解出来ましたし、コーチや他のメンバーにも強烈な印象を与えることが出来たのです。



自身のストロングポイントを理解出来たところまでいったら、

次はそれだけをアピールし続けました。


私の場合は如何に相手ボールを奪うかを徹底的に考え、研究しました。


下級生が毎回撮ってくれている練習のビデオを見るのはもちろん、

サッカーの試合も観に行ったりテレビで見て球技特有の攻撃のイメージを頭に叩き込みました。

あとはどのタイミングで飛び出せば奪えるかを調整していきました。


慣れてくるとわざと自分のマークする相手を離しておいて、気付いてないふりをします。

そして騙されたとも知らない相手チームがそのマーク相手にパスを出し、そこでインターセプトをするようになりました。


チームの中で私=インターセプトという刷り込みに成功しました。


まずは練習試合でベンチの時、コーチの横で彼が何を必要としているかを聞きながら、

試合を客観的に見ました。

コーチの近くでウォーミングアップをして、すぐに交代できることをアピールします。

ただ試合を見て応援するなんて時間は私にはありませんでした。


交代して託されたほんの少しの時間を、自分のストロングポイントのために使って見せ付けるのです。

スタメンになるためのことしか考えませんでした。

しかしスポーツとはそういうものだと割り切っていました。

相手を抜くためには遠慮はしてはいけません。

時間のない私には、スタメンになるまでしたたかであり続けなければ、チームにいる存在価値がなかったのです。


したたかにアピールをしたお陰で、ついにスタメンの発表で呼ばれるようになったのです。

ただここで安心したらすぐにダメになると思っていましたから、練習や試合の時は常にスイッチを入れていました。

集中し、隙を見せないよう心掛けました。


そして自分のストロングポイントだったインターセプトがチームのストロングポイントになりつつありました。

私がボールを奪ったタイミングでカウンター攻撃をし、相手のディフェンスが崩れている状況で点数を決めるようになったのです。


こうなると私がインターセプトをする為にチームメイトが協力してくれるようになりました。


ディフェンスである私が前がかりになるので、若干リスクを伴います。

そこで中盤の選手がその分下がり気味になり、私を思いっきり前に行かせてくれるのです。

最初は声を掛け合ってインターセプトをしていました。しかし、慣れてくるとアイコンタクトで出来るようになりました。

ここまでくるともう感動ものです!


いかがでしょうか?


平凡な選手が怪我をしてうまいこといかなくなり、

選手を引退しようとしていたのに

ポジションチェンジをして、

もう怖いものは無いと気持ちの持ち方を変え

自分の強みを発見し、アピールしたことにより、

強豪チームでベンチ外からスタメンになれたのです!


自分が平凡だと思っていて試合に出たい人に

是非諦めないで活躍して欲しい!!

頑張ってください!!





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