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15/5/21

波乱万丈らしい私の人生 第五回

Image by Olia Gozha

成せばなったのかなぁ


問題点は分かった。


で対応策。

1.役員の係の仕事内容を把握し、必要人数などを考える必要がある。新しい係が必要になる場合もあるし、要らない係もあるかも知れない。

2.把握をした上でマニュアルを作る。引継ぎが出来ない場合があっても、マニュアルがあれば作業が可能。役員は本来、仕事ではなく、お手伝い。仕事の場合はマニュアルだけでは駄目だけど、そうじゃないので、少しでも効率的に進められるようにして、負担を少なくする。

3.お互いの意思疎通を図る為に、園側にも会議に出席してもらう。役員は保護者代表なのだから、会議で保護者の意見も聞けることになる。

3.園と保護者会などの関係性、行事の意味、各行事の主催などをはっきりさせる。そして、それを毎年の総会で、保護者に説明する。毎年新しい人が入ってくるので、その人達への周知を図る。他の人達にも改めて確認してもらう。

4.役員は数人、2年間引き受けてもらうほうがいい。その年の話が次年度に伝わらなければ、継続性がなくなってしまう。理想は、半分を入れ替える方法。

5.赤字の財政の建て直し。銀行の通帳がそのまま帳簿になっていて、どうして赤字気味なのかが分からない。それぞれの予算項目に対しての残高が分かるような帳簿を作成する。

 →これは私が会計の時に作成した。会費も少しだけ値上げしたり、古紙回収をしたりで、赤字から脱却しつつある。


そして次の年、私は会長となった。会計をしていたおかげで、全ての係と関わった経験からのことだった。まぁ、予想はしてたので、仕方が無い。

まずしたことは、三役会議。会長、副会長(会計)、書記2名で一年間の動き、総会へ向けての資料作りが主な仕事だった。まずは、総会を乗り切らないといけない。

係は今回は前年度のままでいくことにした。一年かけて、組み替えることになる。

園の方からも、保護者会担当の職員を2名出してくれた。

行事のことは、園長先生から話を伺った。ようやく謎が解けた気がした。


その一年は忙しかった。でも充実していた。

なるべく全ての役員と話しをした。意見を聞いて、作業も手伝った。

みんなにはそれぞれの仕事のマニュアルを作るというおまけがあって、大変だったろうと思う。

夏祭りに関しては、担当者がおらず、私がマニュアルを作ることになった。それまでどんなゲームなどをしたのかの履歴も残すようにした。

その一年で、人と話すことがいかに大切かを学んだ気がする。意見を聞かないと、何も分からない。みんなそれぞれ思いがあって、役員をやってくれてるんだと感じた。


一年後、係の振り分けも決まった。

まずは三役。会長、副会長(会計)、書記1名。

次に図書係など、3つの係を作り、それぞれ3名ずつ配置。内1人は班長(係長)となってもらう。3役は3つの係を担当して、とどのつまり4名で話し合いが出来ることとした。連絡網もその関係で回すことにした。

それで一年間動いてもらい、それでもやりにくい場合は、また修正してもらうことになった。

大きく変わった点は他にもある。それは予算の立て方。

それまでは、年度初めにその年の予算を組んでいた。それを一年の最後に、次年度予算を立てることにした。次の一年は、その予算案で進めてもらい、次年度予算を決めて終了ってことになる。新しい役員が、何も分からないまま予算を組むのには無理があったんだな。

これで、私達の役目は終わった。

本当に長い一年間が終わった。

次の会長さんは、その年の副会長がなってくれた。そして、改革をもう少し進めてくれた。

3年間に渡って、改造をした結果、役員はとても動きやすくなって、大変な仕事ではなくなったらしい。

それをまた次の年の役員から聞いた。どこが大変だったのかが分からないくらいになったそうだ。


そしてまたまた次の年、私にとって最後の総会の時、最後まで残っていた仕事をした。

それは、「役員会議でお茶を出す為の予算をつける」ことを提案することだった。小学校のPTAでは当たり前らしいんだけど、その保育園ではそうなっていなかった。しんどい思いをしても、お茶も出なかったんだわ。役員から、お茶を提案するわけにもいかず、ただの保護者になってから、提案させてもらった。みんなびっくりしてたけど、私の次の会長も、大賛成してくれて、多分そうなったんじゃないかなぁ。

かくして、私の保育園での保護者会への仕事は終わりを告げた。

しかし、世の中、そんなに甘くはなかった。上には上がいたのだ…。それは小学校のPTAというモンスターだった…。

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Image by Jukka Aalho

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