高校生のときに受けた大学入試センター試験の英語は、得点率六割を下回った。卒業後に受けていた模擬試験の英語は六〜七割ほどの得点率。再度受けた大学入試センター試験の英語では過去最高得点を記録し、国立大学に進学した。
さしてレベルの高い国立大学という訳でもなかったが、英語はついていけていなかったと記憶している。とりあえず、「日本語喋んな!」とひたすら授業中に学生たちに注意するネイティブアメリカンの講師とも面と向かって授業中も日本語で会話していたし、相手の英語はわからなかったので、近くの学生に通訳してもらっていた。その講師もおそらく私には諦めていたと思う。英語を話せない学生に全部英語を強要しても無茶だ。
そんな大学一回生を過ごしていた私は、とにかくテレビを見るのが好きだった。休日は当然一日中テレビを見ていたし、大学の講義が無い時間もテレビを見ていた。前年が受験でテレビを見れなかったので、どんなにテレビで時間を無駄に過ごそうが、私には許される時間の過ごし方だと思っていた。
二回生の時も変わらずそんな感じだった。学生時代、よく母親に資格を取るようにいわれていた。何となく手始めに英語に取り組んでみようと考え、英語の大学入試センター試験の過去問を開いてみた。
そっと閉じた。
そして、三回生。ここでとりあえず、僕は残りの教養や専門の単位を英語で埋めることにした。それと同時に、週一回で英語を学びたい人向けの大学開講講座に参加し始めた。担当講師は、一回生のときもお世話になっていたアメリカ出身の講師。英語はできないけどとりあえずなんとか辞書などを使いながら参加した。肝心の単位がかかってくる講義の方もひどい点数を毎週とりながら必死に課題を提出した。
三回生の前期が終わったが、夏休みもかなり忙しかった。そんな中、自分のさぼりもあって北海道と青森に旅行に行けた。北海道の富良野から帯広に向かう途中、もの凄い美しい外国人に出会った。
これが、僕の英語を上達させたきっかけだったに違いない。
富良野から帯広までは、確か電車で三時間ぐらいだった気がする。その間、彼女はずっと僕と向かい合わせに座っていた。当然、そのまま時間が過ぎるだけなのだが、私は自然と話しかけたい気持ちになった。緊張でちょっと腹痛になりながらもいろいろ考えた上、「まぁどうせ出会わんやろうし。」ということで話しかけることにした。気まずくなるのを恐れた私は、降りる駅の少し前ぐらいで話しかけて、「降りる駅ついたわー。ばいばーい。」という流れでおわかれする計画をたてた。そして、手元の紙に、話す内容を少しメモした。
ものは勢いということで、意を決して話しかけてみた。
上月彬「こんにちはー。どこ行くの?」
ニコール「××(忘れた)!!あなたはどこ行くの?」
上月彬「帯広!旅行中!何しにいくん?」
ニコール「友達に会いにいくの!」
上月彬「名前なんて言うん?」
ニコール「ニコール!あなたは?」
上月彬「彬!何歳?」
ニコール「あてていいよ。」
上月彬「うーん。19才!」
ニコール「25才だよー。」
上月彬「うっそー!3才年上!?名前どうやって書くの?」
ニコール「こう!(メモメモ)」
上月彬「ありがとう!FB申請していい?」
ニコール「うん、いいよー。」
上月彬「一緒に写真とってくれませんか?」
ニコール「いいよー。」
上月彬「(ぱしゃぱしゃ)じゃ、駅ついたから行くねー。後で申請しとくから〜。ばいばーい。」
ニコール「ばい〜。」
そこから、毎週のようにメッセージのやり取りがあった。最初は数行のメッセージだったものが、最も長いときはWORD三ページに及ぶメッセージがくることもあった。彼女はとにかくまじめで私の質問に非常に丁寧に答えてくれた。後々知ったのだが、彼女はカナダでもとても有名な大学の学生だった。大学でのわずか数行で構成される課題でさえ辟易としていた私だが、彼女のメッセージは懇切丁寧に読んだ。わからない単語も一生懸命調べた。ここでいくつもの単語を覚え、大学でも少しづつ使いながら、語彙を増やしていった。
こうなってくると少しずつ英語も話せるようになって来て、大学ではスピーキングに特化した講義ばかりを受講して、加速度的に英語の能力が伸びていった。
大学にいる留学生とも英語でコミュニケーションをとったり、街中で道に迷っている外国人に声をかけたり。
とにかく、彼女と出会ってから私の英語力は本当に伸びたと感じている。今は大学を卒業し、在学時と比べ英語を話す機会は激減したことが非常に惜しいが、英語はまだまだやめること無くのばしていこうと考えている。次は、オランダ語も日常会話ができる程度までのばせたらいいなと思っている。
先日、IELTSという英語の試験を受けてきたが、手応えとしては目標スコアにはまだまだという感じ。再度受験する予定だが、うーん。やる気が。
外国語を習得するためにはその言語の国の恋人を作ればよいというが、まめに連絡するような友達がいれば良いということを身をもって体験した話。