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15/5/6

偏差値37の工業高校でビリだったボクが、社会人を3年やりながら夜は予備校で勉強し、学費を250万貯めて国立大学に合格した話

Image by Olia Gozha

18歳からの受験。会社が終わると、ボクは小学生と一緒にbe動詞を勉強していた。



某ギャルの受験記が反響をうけているので、GWの時間を使って、ボクも受験記を世に発信しようと思って書いた。


どこから書こうか。まず、大学受験は2009年のお話であることを断っておこう。それでは、2004年に卒業をした中学時代から書こう。ボクの家は母子家庭で、アニキはニートで、ボクは反抗期だった。最悪な状況だった。だけども、母親は病気になりながら、身を粉にして働いて、ご飯代を稼いできてくれた。


どんだけ貧しかったかというと、中学校3年生の時にバイトしなければ生活することが困難なぐらいだった。当時のボクは学校が終わったあとに、焼肉屋でバイトをしていたのだ。遊ぶ金というよりも、明日食う為にだ。


中学を卒業し、地元の工業高校に進学をした。ずっとバイトしていた記憶しかないが、就職に直結する職能を身につけることができた。そんなこんなで、地元の零細企業に就職することができたのだった。


就職してからは平凡に業務に従事していた。しかし、大学に進学した友人の姿や話を聞いて、ボクが大学進学していたらどんな人生を送っていたのだろうと思う日が多くなっていた。


そして、色んな経験をさせていただいた後、ひとつの転機が訪れた。アメリカのIT資格を受け、新人であるボクが見事合格したのだった。合格してからは周囲の評価も変わった。努力できる奴という評価をもらったときにはとてもうれしかった。


勉強することで、こんなに評価されるなら、もっと勉強してみよう。そう思ったボクは他にもITの資格を受けて次々と合格したのだった。「いまのボクならいけるかもしれない」。そう思い、高校時代の「夢」であった大学進学へ向けて動きはじめたのだ。


しかし、前途多難であった。高校は工業科であったため、進学のためのカリキュラムは無かったからだ。当時のボクは、センター試験って何?という状態であった。このときほど、普通の家庭が羨ましいと思ったことは無かった。なぜなら、普通にしていたら普通の大学に進学できるからだ。世に出てる受験記は、あまり参考にならなかった。ボクは、もっと前の時点でつまずいていたからだ。


泣き言は言ってられない。目標を決めたのなら、やらなければならない。その一心で片っ端から受験指導してもらえる学校・塾に連絡をした。だけど、大手の予備校は、ボクの受け入れに消極的だった。基礎学力が無い状態で、授業に出ても、実にならないという話だったからだ。その通りだった。


「お金さえ払えば学力は身について、良い大学に行ける」。そう思い込んでいたボクは、入校を思い留まるよう説得されたとき、目の前が真っ暗になった。当時、普通科に行っておけば良かったと後悔した。なぜなら、母校は工業科であるから、進路指導=就職相談になり、進学相談としては機能しないからだ。普通科であれば、進路相談の実績がある人の話を聞くことができ、ボクの進路に明かりをともしてくれると思ったからだ。


無いものねだりだと悟り、地道に受け入れ先を探した。そうすると、ひとつの塾が受け入れてくれると返事があった。藁にもすがる思いで、塾まで赴き、塾長に相談をした。そして、ボクの志を応援してくださるとの返事をもらい、受験勉強がスタートした。


サブタイトルのくだりはここで現実になる。入塾に際して、試験があった。英語の試験であった。ボクの得点は最低だった。結果、1から勉強し直しという判断になり、be動詞の勉強からはじめることになった。


あの時は恥ずかしかった。ボクと同い年の先生に英語を教えてもらいながら小学生と一緒に英語の授業を受けていたからだ。塾に入る前に必ずタイムカードを押すシステムだが、順番待ちをしていると、小学校の男の子に「うわぁ。おっきいお兄ちゃんがいる!」と言われたあと、「何の科目のクラスを持つのかな?」という話し声が聞こえたのをいまでも憶えている。その子は、ボクがまさか生徒だとは思ってもいなかったのだろう。翌日から、少しでも若く見えるよう、服を着替えて授業を受けるようにした。


授業が始まってからは、焦りと不安の連続だった。小学生や中学生が勉強している単元よりも遅くスタートしているし、小学生が正解している問題をボクが間違えると、恥ずかしくて何度も塾を辞めようかと思った。「もっと早く勉強すれば良かった」。見た目を変えることができても、中身はすぐに変えることができない。よくオジサマたちがおっしゃっている言葉だが、当時ほど痛感したことはない。


国立大学合格まで残り2年



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