えらい医者「ああ、お母さん。××のお化けを産んじゃったんですね。」
母「...」
1991年春。お化けと呼ばれた僕はこの世に生を受けた。
幸か不幸か、僕には「人にはあるべきでないもの」を持って生まれてきた。
それは才能でもジャニーズ的見た目でもない。
僕の名前は井上裕樹。社会不適合者だ。
今は独立して仕事をして比較的楽だけど、
今までは地獄だった。
僕は生まれながらにして「あるもの」を授かった。
先に言っておくが、僕には障害はない。
五体満足だし、見た目も悪くない。(と思っている)
しかし、人にはなかなか理解してもらえない、
かつ、一件大変そうに見られない「あるもの」をもっている。
おそらく、この「あるもの」は現代日本において、
不覚にももってしまった人は多いだろう。
そして、それで人生をやり直したいと本気で考えている人も多い。
でもね、なかなか言えないんだよね。
僕にはなにもできないんだけど、
僕の経験をここに書き記すことによって、
あなたの周りにもしそういう人がいたらどう思っているか理解してあげてほしい。
そして、その「あるもの」に苦しんでいるあなたは、
その苦しみを自分だけで抱えないでほしい。
なーんだ、そんなことか!と思われる話かもしれないけど、
多くの方が傷ついてたりすることも事実なんだよね。
だから、街中でもし「そういう人」を見かけても、好奇の目で見ないで。
もしあなたの会社に「そういう人」がいたら、そっと声をかけてあげてほしい。
それだけでも、すごく楽になれるから。
前置きが長くなったね。本題に入ろう。
僕は生まれながらにして、お化けと呼ばれた。
正しくは生まれて少したって、お化けだということが明らかになった。
そんなこという医者いるの?って思うけど、たぶんそういうしかなかったんだと思う。
僕はなんのお化けだったのだろう?
それは...
お医者さん「ああ、お母さん。アレルギーのお化けを産んじゃったんですね。」
だ。
え。別に普通じゃん。
と思われるかもしれないけど、程度ってのがある。
ふつうに花粉症で...とかそんなレベルではなかったんだ。
Ige指数って知ってる?
これはね、簡単にいうとその人のアレルギー体質レベルがどれくらいなのか?
っていう数値。普通はそんなに高くないんだ。
でも、僕は常人の1万倍だったんだ。
これってどんなレベルかっていうと、極端に言えば
普通の人が花粉1粒粘膜に触れたら一発くしゃみするなら、僕は1万回。
普通の人が1種類のアレルゲンに反応するとしたら、僕は1万種類。
簡単にいうと、世の中のありとあらゆるものにアレルギー反応を起こし、
そのアレルギー反応具合は普通の人のそれを圧倒する。
そんな感じ。
そして僕はそれが「皮膚」に出た。
そう。アトピー性皮膚炎だったんだ。
もはや、普通の方の皮膚なんて僕には夢物語。今でも。
なーんだ、アトピーか!
別に目が見えないとか、四肢がないとかそんなんじゃないんだ。
大したことないじゃん!笑 って思うかもしれない。
けど、もう少しだけ聞いてほしい。
命にも、私生活にも根本的に支障がないって「思われている」病気だからこそ、
このアトピーを患っている誰もが経験することを。
世の中のお父さん、お母さん、そしてアトピーっ子をコミュニティに持つあなた。
普段強がって平気そうにしてるかもしれないけど、
その子は本気で辛い思いに耐えているかもしれません。
僕自身、なんども生まれ変わりたい。そう思っていました。
今でこそある程度克服して、ポジティブに生きているけど、
やはり普通の人よりかはハンディキャップを感じます。
でも障害ではないから、誰も気がついてくれないんです。
このSTORYは、アトピーを中心にした心の物語。
僕個人のではない。おそらくアトピーを持つ人が誰もが感じている心の叫び。
それを僕の実体験としてここに記すことによって、この病気への理解が深まり、
少しだけでも同じ境遇の人が生きやすくなれば、嬉しいです。
そして、アトピーを患う仲間である誰かが、少しでも前向きになれたら。
そう思って、綴っていきます。
続く。