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15/4/20

鈴木さんちの出来後(2)

Image by Olia Gozha

 記憶というのはいい加減なもので、「その話」が持ち上がったのが、いつのことだかよく思い出せません。

その話というのは、店舗兼住居の「建て替え」のことでした。ちょうどバブル期でしたので、それで特定も可能なんですが、思い出すのがイヤだからなのかもしれません。ただ、ぼく自身は大学卒業を、末の弟(弟2)が高校卒業を控え、進路のことで駆け引きが合った頃だということは確かなようです。

その建て替えが、なぜそのタイミングだったのか、父亡き今となってはわからないのですが、おそらくは借地権の更新と重なっていたことが引き金だったのだと思います。その計画も、二転三転するたびに膨れあがって、結局土地を買い上げて、それを担保に建て替えの資金を借り受けることになったものと記憶しています。

四子を、それぞれ私立の高校に進学させていたので、あまり貯金はなかったものと思うのですが、どういうわけか、金融機関の責任者が次々に頭を下げに来て「ウチで融資を受けてください」と言ってきていたようです。最終的には、1億!くらい借り入れることになったようですが、それを愚かにも、長年商売を地道にやっていると、こんなにも信頼されるものなのかと、誇らしく思ったことも確かです。

ぼくは結局、大学院への進学をしたいという主張を曲げることができず、一時期自宅を離れて、大学の近くに部屋を借りることにもなったので、あまりこの経過に関わることをしませんでした。また、父の後を誰が継ぐのかということも、兄弟げんかのタネになっていた時期でもありました。

結果としては、次男(弟1)と三男(弟2)が店に立つことになったのですが、この、「建て替え」の経緯に積極的に関わらなかったことは、大きな誤りだったのかもしれません。

融資先や施工業者、設計などが二転三転し、その度に計画は大げさになり、ネコの額ほどの土地に、5階立ての「雑居ビル」を立てることになったのです。

もちろん、このあとにバブルが崩壊して不況が長引くということは「予想」できたものではないのですが、もう少し冷静に、現実的な計画を立てられなかったものかとは、今でも思うことではあります。

ともあれ、1Fがそば屋、2Fに不動産屋、3Fが学習塾、4F、5Fが住居という「ビル」となって完成をみました。

改築当初こそ、景気もよかったので皆が喜んでいたものの、2F・3Fの契約更新の頃には、早くも雲行きが怪しくなっていました。ここでのハンドルの切り方が、さらに首を絞めることになったのですが、それについては、回を改めて書いてみようと思います。

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Image by Jukka Aalho

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