序章

「そんなんじゃ一生結婚なんてできないよ。さよなら」
和樹はまたそのメールをながめていた。利恵からの別れのメールだった。眺めているとどうしょうもなく、さみしさがつのる。思い出すのは彼女とのきまぐれデートと濃密なセックスの魔力だった。和樹はまたメールを送ろうか迷っていた。二度も振られたのだから、これ以上、しつこくしてもダメだろうと諦めようとしていた。
第1章 再会
「元気?ひさしぶり。」
利恵からのメールだった。新年がまだあけてまもない、1月3日の昼ぐらいだった。
和樹は目を疑った。3年前に半年ぐらい付き合っていた人生で最良の彼女から、思いがけず、3年ぶりのメールだったからだ。
「元気です。久しぶりにお茶うしませんか」
祈るように、メールの返信を出した。
まだメールを疑っていた。どうして3年前に振られたかもよく分からなかったが、確かに振られたのだ。
3年前の思い出はデートをしてもたのしくなさそうな利恵の顔だった。喫茶店でお茶していても笑顔が寂しげだった。
まだ学生だった利恵のレポートを代筆したときも、感謝してくれるとおもっていたのに、なんだか、レポートを奪うように帰ってしまった利恵。和樹は尽くすことが愛だと思っていた。
その後、利恵からの連絡が途絶えていたが、和樹はなおもメールをたまに送っては、機嫌をとりなおせばいいと思っていた。
「今度、面白い映画みつけたんだ。いっしょに行きたいね」
「オシャレなカフェを見つけました。デートしたいなあ。」
とのんきにデートの誘いメールを続けていた。
が、利恵から一方的にメールで
「今、付き合ってる人がいます。これからメールはしないでください」
といわれて、ようやく自分が迷惑だったと気付くような鈍い和樹だった。
第2章 診察
「今週は、どんな一週間でしたか?」
「特に困ったことはありませんでした。職場では、仕事はできてます。」
「休みの日はどうしてますか?」
「土曜日はデイケアにいってました。日曜とかは美術館に行ったり、図書館に行ったりしてました。」
「いつも一人なの?彼女はいないの?」
「いません。」
「そうか。彼女みつかるといいんだけどね。」
主治医とは10年来の付き合いで診察も、ずいぶんフランクな話になっていた。和樹は精神科を受診していた。その精神科では診察の他にデイケアというリハビリも行っていた。そのデイケアに通うのが土曜日の日課だった。
精神科のデイケアは和樹のような軽度の統合失調症(精神分裂病)の患者をはじめ、鬱病や躁うつ病、てんかんの患者などが通っていた。
第3章 デイケア
「君、はじめて見るね。スタッフ?」
「はじめまして。井上といいます。大学三年生でボランティアに来てます。よろしくお願いします。」
「よろしく。俺は酒井和樹。デイケアは長いよ。今は、公務員みたいな仕事を週5日してる。デイケアのことならなんでも聞いて。毎週来るの?」
「はい、毎週木曜日にきます。」
「へええ、俺は仕事があるから、木曜日はあまりこないんだけどね。今日はたまたま休みをもらってデイケアに来たんだ。」
そのときは利恵は和樹にとって数多くいるスタッフやボランティアの女性のひとりだった。精神科は病気が特殊なだけでなく、デイケアという特殊なリハビリ施設がある。昔は、病院に入院したら一生でてこれない病気だった。それがクスリの発達で治るようなったのが、つい10年ほどまえからだった。リスパダールという新薬が1997年ぐらいに発売されてからのことだ。その前のクスリではなかなか治療が進まず、入院せざるを得ない病気だった。また社会的入院といって、家族が退院を望まなかったり、退院後の面倒をみる人がいない、仕事が見つからないなどの理由での入院継続もかなりの数に上っていた。
「利恵さんは趣味はなんなの?」
「私は映画が好き」
「奇遇だなあ。俺も映画大好き。今、見たい映画がダヴィンチコードって映画なんだけどなんか面白そうだよね。一緒に見たいね」
「うん、その映画、私も友達とみる約束してあるんですよ。面白そうですよね。」
「そうだよね。そうか。友達と見に行くのか。じゃあ、もう一本。嫌われ松子の一生って知ってる?」
「知ってます。それもすごく見たいと思ってた映画です。なんか風俗で働いたり、刑務所入ったりするんですよね」
「そうそう。なんか映画の趣味あうねえ。」
「そうですね。」
そのあと、和樹はいつもの患者同士で話したり、前からいるスタッフの女性とおしゃべりして元気そうだった。
和樹は仕事をしている精神障害者で、まだそのデイケアのなかでは珍しい存在だった。統合失調症で入院歴があるような患者はたいてい作業所という福祉的な就労しかしていない時代だった。障害者がボランティアの方と一緒に軽作業をして日常のリズムを整えるだけで、賃金はもらえないし、むしろ施設利用料を支払って作業させてもらう作業所に通う精神障害者がほとんどだったのだ。
第4章 病気
和樹は、早稲田大学の大学院を修了したエリートだった。勉強のしすぎで発狂したタイプだ。大学で精神科に入院することはそれほどめずらしくない。精神の病気は思春期から発病することがおおいのだ。和樹の場合は理系の難しいテーマを与えられ悩んでいたときに、交通事故や就職活動などが重なって、発狂した。最初はそんなに発狂が目立たなかった。夏休みに実家に帰ったときに妙にテンションが高くて元気な息子を両親は心配そうに見ていたが、発狂したとは信じられなくてそのまま東京へ送り出したのだ。
しかし、その後東京で一人暮らしの和樹は難しい研究テーマと、成果を上げたいという真面目な性格でますます行き詰っていた。
和樹は将来、学者になる気でいた。が、恩師である指導教官は博士課程には推薦してくれなかった。博士課程の先輩や助手たちは与えられたテーマで着実に実績を積み重ねて、学生の指導もしていた。英語の会話も流暢にできる先輩ばかりだった。
和樹はテーマが難しいだけでなく、人間関係にも悩んでいた。マスター一年のときに一緒に卒論テーマを研究した4年生から
「和樹さんってほんとに変わってますね」
とか
「マッドサイエンティストって感じですね」
とからかわれて黙って笑うしかできない和樹だった。
次第に研究室に通わずに自宅に引きこもっている日は増えた。ますます実験も研究も進まない悪循環だった。
「卒論、どうしようか、困ってるんです。助けてください、和樹さん」
と後輩に亡きつかれてももはや、指導する力も残っていない和樹はまた自宅に引きこもってしまった。
卒論発表では、実験データの羅列とデータと結論がちぐはぐな発表になっていた。彼と和樹と指導助手の考えがまとまらず、4年生の彼も困りきっていたのだ。
「おい、酒井。なんだ。あの発表は!!ひどい出来じゃないか。もっと真面目に学校来い。」
と同級生にしかられてさらにうつむくだけだった。
第5章 出会い
「コレ、あとで読んでください。」
「あれ、コレ。メールアドレスじゃん。ええ!!」
「言わないでね」
「ええ!!分かった。うん。またね。」
「じゃあ、また」
和樹は戸惑っていた。女性からメールアドレスをもらうことが初めてだっただけでなく、スタッフとメンバーという壁がデイケアには大きく立ちはだかっていて決して越えられない一線だったからだ。
精神科の患者でデイケアに通うひとをメンバーとよび、臨床心理士や精神保健福祉士PSWや看護士をスタッフと呼んでいた。
メンバーはスタッフとなかよくなると、電話番号を聞いたりメール交換しようという男がたまにいた。
しかし、メンバーとスタッフはプライベートでは会ってはいけないというルールがあって、それはちょうど風俗店で風俗嬢とお客がプライベートでは会わないのと同じようなルールだ。風俗嬢はルールを守らないこともあるが、精神科のデイケアのスタッフでルールを破った人は、和樹の知る限りでは利恵が初めてだった。
利恵は照れたように笑いながらメールアドレスをくれるとスタッフルームに帰っていきそれきり出てこなかった。
デイケアの時間は3時半までだ。そのあとメンバーは各自帰っていく。渡されたメモを見ると、メールアドレスとメッセージが書いてあった。
「今度の土曜日にたらそという喫茶店でジャズを聞きに行きませんか?」
というメッセージだ。和樹はうれしくてたまらなかった。これまでスタッフで気が合う人はいたけれどもそれは、スタッフが治療のために患者に話を合わせていてくれるだけで、決して心のうちを明かさないのがスタッフだとそれまでの数年のデイケア生活で信じきっていた。そんなときにボランティアとはいえスタッフのほうからデートに誘われてただなんて、天にも昇る気持ちだった。
それを他のメンバーに行っても信じてもらえなそうだし、他のメンバーの羨望からやっかみに変わって、デイケアにこれなくと困るという計算はできた。とりあえずデイケアメンバーにはだれにも相談できない恋だった。
自宅に戻って改めて小さな紙切れを見た。利恵からのメッセージを眺めていた。
「今度の土曜日に…かあ。もうすぐじゃん、今日、木曜日だから。あさってか。」
すぐに携帯からメールを送った。
「酒井です。井上さんですか?メールアドレスありがとうございます。届いてますか?」
そんなメールを送った。するとすぐに返事が来た。
「とどいてますよ。突然、ジャズに誘って迷惑じゃなかったですか?土曜日に会いましょう。」
「迷惑じゃないです。ぜひ会いたいです。土曜日、たらそってどこの喫茶店ですか?」
「場所は三河湾の見える海の方です。電車は私がしらべておきます。金山で待ち合わせしましょう。」
「わかりました。金山でお昼ごはんを一緒にたべましょうか。」
「いいですよ。金山に12時待ち合わせでよろしく。」
そんなメールがスムーズに交換できたことがまだ、信じられない和樹だった。まだ、利恵の本心が分からずにいた。自分が精神病患者と知っているのに誘ってくる訳がない。きっとなんかの都合でたまたま男友達が必要な事情でもあったんじゃないか?一人でジャズを聞きに行くのが怖くて、一緒にいく人がいないからしょうがなく今回だけ、特別に誘っただけだ、と思っていた。自分がデートに誘われているとは素直に信じられない和樹だった。
その夜
「和樹さんは寂しいときどうしてますか?」
「だいたいは愛犬をなでたりしてますね。」
「愛犬いいですね。私はものすごく寂しいと我慢できなくなっちゃいます。いけない女です」
「寂しいときは、誰にでもありますよ。いけないことじゃないですよ」
「さみしいと、慰めたりしちゃうんです」
「それも誰でもあることですよ。私も手淫したりしてますよ。」
「慰めるっていうだけで分かっちゃうんですね。えへへ。もう寝ます。」
ええ!!デートに誘って、一人エッチの告白かよ。どんな女の子じゃ!!と驚きを隠せない和樹だった。
第6章 再会デート
「久しぶりね。」
「おお、久しぶり、相変わらず、かわいいね。」「いやだ。またそんな。」
「いや、ほんとだよ。」
「今日は忙しいの。このあと、6時から友達と約束してて。」
「ええええええ、今もう5時前じゃん。あと一時間かよ。久しぶりなんだからもっと語り明かそうぜ。」
「そうね。でも約束してるし。」
「わかった。相変わらずだな」
利恵のわがままぶりが相変わらずだった。その日の利恵の服装は黄色に帽子に紫のコートに花柄のスカートという奇抜な格好だった。
これから別の友達とあうとは思えないような、思えるような不思議な服に思えた。
「じゃあ喫茶店にいこう。名鉄百貨店のなかにキハチカフェがあったはず。」
「いいわね。キハチ行ってみたい。」
キハチの前の順番を並んでいるときから和樹は楽しくてしょうがなかった。彼女と再会できてデートできるなんて今年は正月から最高の運勢だなあと浮かれていた。
「その後、彼氏とは別れたの?」
「うん。終わったの。ごめんね。急にメールして。私、ことし25歳になるんだけど、彼と別れてから占いに行ったの。そしたら今年中に結婚すると幸せになるっていわれたの。どう思う?」
「ふうん、占いなんて信じてるの?まあ、その占いなら信じてもいい気がするけど」
「でね、なんとなく和樹のことを思い出したから久しぶりにメールしたんだ。たしか、ブログやってたよね?なんてブログだった??」
「思い出してくれたのはうれしいよ。けど昔の男に興味持ってないなあ。ブログもぜんぜんちぇっくしてなかったのか。」
「しょうがないじゃん、ねえ。教えて」
「分かったよ。井上陽水と私ってブログだよ。」
「ああ、思い出した。そうだったね。今、iPhoneで検索してみるね。ああ、出てきた。ええ、なにこのあざみって?ペンネーム??」
「そうだよ、井上陽水の名曲「少年時代」の中に出てくる
なーつがすーぎいーかーぜーあーざみのあざみだよ」
「やだ、歌わないで、ははは。相変わらず面白いね。」
「そうか、面白いかな。」
「うん、絶対面白いよ。だって、なんとかっていうお笑いの人に顔も似てるし。」
「だれだよ??イケメン??」
「それそれ、それが面白いんだよ。テレビのCMで顔洗ってたら、不細工な人がキムタクになるってCMしらない。」
「なんだとおお、その不細工のほうに似てるかあ、弱ったなあ。俺も顔洗わなきゃな。」
「やっぱり、和樹面白い」
第7章 診察・体験談
「さあ、この一週間はどんな一週間でしたか??」
「仕事は出来てます。休みは友達と喫茶店に行ったりしました。」
「そうですか。そのほかデイケアはどうですか?」
「楽しく行ってます。」
「楽しくだけじゃなくて、君の働いてる体験をもっとみんなに聞かせてやってくれよ。」
「はい、わかりました。」
「じゃあ、クスリだしとくよ。次は一週間後の日曜日はどうですか?」
「日曜日より土曜日がいいです。」
「そうか、じゃああ、土曜日の午前11時でどうかな」
「はい、おねがいします」
「じゃあ、また頑張ってねね。」
「失礼します。」
第8章 体験談を書く
「今度、デイケアで体験談プログラムっていうのをやるんだ。酒井さんも話してみてくれませんか?」
「はい、なにを話せばいいんですか?」
「みんな、仕事を探してるだけどなかなか見つからない人が多いのよ。それに諦めてデイケアで寝てるだけの人もいるし。そんな人にアルバイトから始めて今の事務の仕事が続いてるって事を話して欲しいの。お願いできる?」
「はい、だいたい分かりました。でもうまく話せるかなああ。」
「メンタルセンターの中村さんに相談に乗ってもらったら?」
「中村さんが相談に乗ってくれるなら有難いです。じゃあ、ちょっと原稿かいてきます。」
和樹は体験談を語るのは余りなかったが、学生時代の卒論発表でプレゼンテーションの時の原稿作りの大事さを強烈に覚えていた。
その後、帰宅してから原稿を書いたがたくさんの出来事がうまく説明できないまま頭に浮かんできてなかなか原稿ができなかった。
ようやく出来たのは、ぎっしり字の詰まった原稿だったが、一読しては分からない文章だった。
その原稿をもって、メンタルセンターの中村さんに会いに行ったのは確か、去年の3月だった。中村さんが真剣に読んで、
「ふうう、分かりました。このパン屋のアルバイトで自信をつけたっていうのがポイントになりそうですね。もうすこし、的を絞ってすっきり書いてみてくだだい。」
などと添削されて大まかな原稿ができた。
それは、
「 今は、週30時間勤務の事務職です。事務職はいろいろと職場を異動しながら7年目です。デイケアにも月に3回ぐらい通う生活です。
11年前は、入院して、引きこもり。少し仕事してもも続かない状態でした。その後、デイケアに来てどんなひとでも仕事はできる、と励まされました。デイケアメンバーの体験談(パン工場勤務)を聞いて、自分にもできそうと思いました。パン工場でアルバイトを、週2,3日始めました。1日8時間で普通のひとと全く同じ仕事です。毎日、違う作業でした。パン工場を1年半続けて体力がついた自信がつきました。それ以外にテストの採点のバイトすこしやってみて、事務仕事の楽しさがわかってきました。そのとき、新聞広告で自治体が事務大量募集していていました。筆記試験と面接でしたが、2回目の試験で補欠採用でした。その後は、デイケアにたまに通いながら事務仕事を続けられました。パン工場での自信がもとになって続けられたのだと思います。小さなステップで成功体験を積んで自信をつけることが大事だと思っています。」
という内容だった。
第9章 体験談の会の発足
喫茶店で和樹は友人の躁鬱病の女性とお茶しながら話していた。
「なんかデイケアが最近、つまらないっていうか、物足りないっていうか、なんか違うって思うんだ。ハルさんは、そんなことない?」
「私は別にないよ。デイはご飯と昼寝だけだから。カズさんみたいにスケベ心はないし、ははは。」
と明るく笑った。今日は調子がいい日らしい。
「でも、デイケアって将来危ないって言うか、あんまり明るい未来はないらしいよね。」
「そうそう、私も聞いた。あんまり補助金っていうか、点数が減らされて、経営できなくなるようになるって。」
「なんでかな?」
「そりゃあ、食って寝るだけの人が多いからじゃないのぉ?」
「ううう、そりゃあ、確かに税金使って、食って寝るだけじゃななあ。そういやあ、最近実習生も少ないし、ボランティアの人もいないなあ。」
「時代なのかな。」
「でも、居場所って必要じゃない?」
「ここがあるじゃん」
ココとは喫茶店で、デイケアとクリニックと経営者が同じ精神科医で、精神病患者の作業所として作った喫茶店だった。その喫茶店でレジやケーキ作りを覚えて、仕事に慣れることで外の一般就労に結び付けて、卒業させるのが精神科医の狙いだった。それはある程度成功していた。だが、精神病患者やデイケアメンバーの居場所としてはすこしずれていた。
店員は全員、メンバーかスタッフで知ってる顔ばかりだが、一般のお客様にはあくまで普通の喫茶店として接客していたので、知ってるメンバーと店員とは自由に会話できなかった。居座るにしても、あまり大声で病気のことを話すのは気が引けた。座って2、3人でお茶するのがせいぜいの喫茶店だった。
「俺は、居場所がほしいんだよ。」
「居場所っていっても一人だったらどこでもいいじゃん。」
「そうじゃなくて、メンバー同士が話し合える場所、っていうか会を作りたいんだよ。」
「会??ってサークルみたいな?なにやるの?」
「そう、サークルみたいな。何やろうかな。人が集まること。おしゃべりでいいんだけどな。」
「そんなんじゃ誰もあつまらないよ。」
「そうか、じゃあ、働いてデイケアにこれないメンバーがあつまる会」
「ええっ!!!働いてる人限定なの??そりゃあ、狭くない??」
「そうか、じゃあ、これから働く人でもいい。」
「で、何をはなすの?」
「そりゃあ、苦労話とか、愚痴とか。」
「ああ、やだやだ、愚痴大会かあ。出たくないわ。」
「それ以外にも、働こうって人に体験談を話したり、そうだ、中村さんに話してもらたったり」
「へええ、それなら良さそうね。」
「だろう。よし、決まった。働く精神障害者の体験談の会だ。ハルさんも出る?」
「ふうん、よかったね。私は出ないけどね」
「なんだよ、つまんねえな」
「悪いけどそんなに暇じゃないの」
「ええ、なんだよお。でもさ、体験談は聞きたいな。ハルさんは働いてるし、いっぱい体験談もってそうじゃん。」
「そうね、話ぐらいならしてもいいわよ。」
「そうだ体験談をまとめて本にしよう。一冊本を作るってかっこよくねえ??」
「まあ、元気ねえ。まあ、気長にね。院長に相談したら?多分、こりゃあ、症状が悪いな、クスリ増やしますって言われるとおもうけ土ね。ははははは。」
ハルの毒舌は快調だった。
それでも気分よく自分の思い付きをまとめられた和樹は帰りの電車で、手帳に早速メモしていた。
(よーし。これから体験談の会を作って、本を作るかあ。なんか楽しそうだなあ。)
と考えながら、メンバーやスタッフの顔を思い出していた。
第10章 小悪魔
金山に待ち合わせしてからは、三河湾の見える駅まで電車であっという間だった。スタッフとメンバーの普通の会話のような友達どうしのような様子だった。
「利恵さん、どうしてジャズなの??」
「私、ジャズピアノ習ってて、その先生が今日弾くの。でも一人で行くと先生が変に思うかなあって思って。和樹くんはジャズ聞くの?」
「ジャズかあ、あんまり知らないなあ。枯葉とか??」
「そうそう」
そんな会話でどうやら利恵さんは先生に惚れてるらしいというのが薄々分かってきた。
駅からタクシーだった。
「たらそっていう喫茶店までお願いします。」
「はい」
無愛想でちょっと品の悪い感じのおじさんの運転手だった。
「お宅ら、ホテルに泊まってのかい?」
「いえ、泊まりません。喫茶店だけです」
「いまは、そういっても後で泊まることになるかもしれないからなあ。また呼んでよ、ははっは」
下品なオヤジに腹が立つやら恥ずかしいやら、
急に目と目を合わせられなくなった。
「はい、着いたよ」
「じゃあ、また帰りに電話します」
タクシーを降りてから何事もなかったようにまた友達モードの二人になったが、ちょっと遠くまで二人でデートしてるのが傍からみるとやっぱりカップルに見えるんだなあ。と思ったりしていた。
「ねえ、和樹。あれが、先生。どう、かっこいいでしょ。」
「へえええ。別に俺とたいして変わらないっていうか、ピアノさえなければ俺の勝ちだな。」
「ははは、面白いねえ。」
「こんにちは、先生」
「こんにちは。」
「和樹もちょっと挨拶して」
「はじめまして。井上がいつもお世話になっています。酒井っていいます。よろしく。」
「和樹ったら、なにをよろしくなのよ、ははっは。」
「よろしく。じゃあ、これで」
「ねえ、和樹。先生ったらなんか冷たいでしょ??」
「別に普通じゃん」
「そうかなあ。」
そのあと、ジャズを聞いてコーヒーと軽食を食べて夜、タクシーでホテルに向かわずに駅に着いてしまった。内心、ちょっと期待していたが、まだはじめてデートだし、利恵は先生が好きなのかなって諦めがちな和樹だった。
「ねえ。私、帰りたくない。」
「えええ。どういう意味だよ。俺のこと好きなの??」
「先生は、私も見てくれないの。和樹は先生に似てるし、優しいから。」
「じゃあ、さっきタクシーで言えばよかったのに。」
「ううん、恥ずかしいじゃん。」
「でも、もう終電近いし」
終電近い駅のホームはまだ人がいた。が、利恵は恥ずかしそうにだが、きっぱりと止まって、キスを求めてきた。求めるだけじゃなく、和樹のほっぺたにキスしてきた。だんだん唇に近くなるにつれて和樹も、これはキスしなくっちゃと思ったらしく、利恵の唇を求めた。利恵ははじめて和樹とするキスだが、すごく情熱的なキスをし始めた。目をとじて舌を絡ませて吐息を漏らしながら激しく、吸ってきた。久しぶりのキスで年下の利恵からそんなキスをされて照れながら必死に答えようとする和樹は、頭の鈍いピュアな精神病患者の一人だった。
「やっぱり帰らなきゃ。」
「うん、わかった。じゃあ、またね。」
第11章 ペッティング
次のデートはレストランだった。今度のデートは彼女とエッチできると思いこんでる和樹はいつも以上に目を輝かせて話しかけていた。だが、利恵はなんだか浮かない顔。
「そろそろ帰らなきゃ。」
「もう少しいいだろ。まだキスもしてないよ。」
「あれは、あれ。」
「なんだよお、気まぐれかよ」
「うふふ」
「じゃあ散歩しよう。」
「そうね。歩きましょうか」
歩きながら和樹は次第に人の少ない公園に近づいた。そこで今度は和樹の方からキスを求めると
「いや、そんなつもりじゃ。」
「なんだよ。」
「私、好きな人がいるの。」
「先生だろう。けど見向きもされてないじゃんか。」
「そうだけど。」
「じゃあ、ホテル行きたい」
「え!!、なあに??」
と強引にホテルへ向かって手を引いて歩き出すと、利恵は口では素振りも見せないがなんだか楽しそうに一緒に付いてきたのだ。
「私、初めてなの」
「ふうん、じゃ、任せろ」
「うん」
と、服を脱がし、胸を揉み始める。
「ふふふふ、やめて、くすぐったい。」
「ええっ??ダメなの?」
「やだ、くすぐったい。」
「下手なのかなあ?」
「ワカンナイ」
「じゃあ、コレは??」
「いや、そこは触らないで」
「触るなって。そりゃ、無理だろう。」
「だってイヤなんだもん。」
「じゃあ」
と勃起した股間を利恵の性器へこするつけはじめた。しだいに反復運動が始まる。だが、挿入はしない。前戯らしい前戯がまるでないのだから仕方がない。それでも次第に興奮してきた利恵は
「やめないで」
と興奮しながらささやいた。
ようやく利恵が感じてるんだと気付いた和樹は、そうだ挿入しなくちゃ、と思いついた。
コンドームをつけようとしたが、なぜさっきまであんなに大きくなっていた男根はふにゃふにゃとしてコンドームもかぶせられない。ようやくつけても挿入できない。利恵の性器の前でふにゅふにゃしているだけだ。
「もう、いい。男の人ってそういうことアルらしいよ。気にしないで。」
と処女の利恵のはずが、妙に耳年増らしい口で慰めてくれた。
その晩、そのまま帰って体制を立て直そうと思った和樹だった。しかし、その次はなかった。
第12章 体験談の会、こもれび
体験談を語る会に参加したときの世話人の大沼さんに和樹はメールを書いていた。
「先日は体験談を語る会、お疲れ様でした。今度、体験談を語る会の会を作ろうと思います。体験談を本にまとめたりしたいと思ってるです。どうかお力を貸してください。電話ください。」
「よーし、これでいいな。」
「あ、返信が来た来た。なになに、体験談を語る会お疲れ様でした。聞いた人の評判も良かったです。あとで喫茶店で話しましょう。
例の作業所の喫茶店だ。
「ああ、こんにちは。お疲れさま。メールみたよ。体験談を語る会の会を作るんだって??どういうこと?」
「それは、メンバーで働いている人とか卒業した人で働いてる人がこれから働こうって人に体験を語るって会で、それをまとめて本にするんです。」
「ふうん、なんかよくわかないけど、体験談を話すはいいことだと院長も言ってる。私もそう思う。どうだ。会の名前でも考えようか?」
「そうですね。花とか木の名前なんかよくありますよね。ひまわりとかどんぐりとか」
「そうだなあ、木じゃ平凡かなあ。」
「木の陰で木陰の会は??」
「こかげかああ。こもれびならどうだ?」
「いただき。こもれびの会にします。」
「よし、こもれびの会だ。会長は酒井さんで。」
「会長かあ、まだだれも会員いませんよ。」
「いや、体験談を聞いた人全員が会員だよ。」
第13章
「また君に恋してる」って歌あるだろ。この前の紅白で坂本なんとかって演歌歌手が歌ってた。あれだよ、おれの気持ちは。それか、ファンキーモンキーベイベーズの大好きだ大好きだ大好きだって言葉をもっと上手に伝えたくてえええ。ってヤツだよ」
「ふふふ、歌わないで。」
3年ぶりにあって二回目のデートでもう夢中で口説いてるつもりの和樹だったが、利恵はあんがい冷静だった。
「わたし、お見合いして、すごく好きになった人がいたの。それが三菱の人で。私は好きになったのに、その人は断ってきて。それで和樹を思い出したの。なんか似てるんだよね。」
「そうか、じゃあ、その三菱に感謝しとかないとな」
「ははは、面白いね」
「じゃあ、映画でも行くか」
「うん。」
と映画館の横を黙ってとおりすぎてホテルへ手を握って連れて行こうとする和樹。
「えええ、映画は?」
「映画はまた今度。」
「わかった。じゃあ、ホテル行こっ」
部屋に入ると利恵は最初からそのつもりだったように楽しそうだった。