虚人戦争

学生編。
主人公の希は大学で理工系のゼミに入った。コンピューターの技術を学んで研究してたいと
思っていた。すでに、ハードディスクで幾つか発明や発見をしていたゼミの扉を叩いた。希
の配属を希望した哲教授のゼミでは電池、ハードディスク、メモリ、配線を研究していた。
最初に希に与えらえたテーマは配線材料の担当だった。
後にライバルになる勝はハードディスク担当だった。
ここで、簡単にコンピュータを説明すると、人間の脳の仕組みを真似して作られた電気演算
素子の集まりだ。人間の脳には、短期記憶を司る部分と長期記憶を司る部分がある。それに
はコンピュータは短期メモリとハードディスクと呼ばれる長期記録素子で対応していた。そ
れらを繋ぐ配線には、銅線が使われていた。これは、脳内の シナプスとよばれる神経細胞
が対応していると思われた。当初の希は自分のテーマである配線の重要性に気づいていなか
った。
希は、1年間、配線の微細化を研究をした。配線につかう素材は、めっきを応用していた。少
しずつ銅のめっきが成長していく過程に注目して観察していた。めっき薬品に塩素成分と魚
由来成分を加えていた。希は、成長を促進する塩素と成長を整える魚成分がバランスをとる
ことを発見した。銅は電子を受け渡ししながら成長するように積み重なっていきめっきとな
った。銅のめっきを詳しく見るために、哲教授は、高速めっき法を用いた銅めっきに注目し
ていた。高速にめっきを成長させることで、微細なめっきの動きやメカニズムを拡大して観
察できることを予知していたのだ。
日本国内では、配線用銅めっきはコンピュータ部品の学会で発表された。
アメリカでは発表する哲教授のデータの選び方は、ひと味変えていた。電気化学という分野
で脳の研究をするためにコンピューターの部品を脳の部品の性質に喩えながら研究していた
。哲教授は日本ではコンピューター部品の研究者だが、アメリカでは脳のメカニズムに関す
る研究をしていた。
脳の配線であるシナプスの電子の受け渡しに塩素と魚成分がどのように働くかを説明するこ
とで哲教授は絶賛されて、後にアメリカの電気化学学会の会長になった。
脳のシナプスの電子は塩素がプラスのアクセル触媒として働いていた。それに対して魚成分
は脳内に微量成分として入り込んで、塩素のアクセル触媒を抑えて、過剰な電流が一カ所に
偏って流れることを防いでいた。この魚成分の働きによって脳内の暴走的な働きが抑えられ
、妄想や幻覚を防いでいるという説明をした。
研究者編。
配線の研究でめざましい成果を挙げた希は、次なるコンピューター部品である短期記憶素子
を担当した。長期記録素子の勝がライバルとなり研究していた分野と対をなす記憶・記録の
仕組みである。
ライバル勝は、ハードディスクの研究をしていたが、同じようにめっき法によってディスク
を作っていた。そのめっき薬品に魚成分をあえて入れないことで記憶能力を大幅に高めたハ
ードディスクを開発した。この発明は、従来考えられていた長期記録の限界を破る画期的な
発明であった。哲教授は、パリでHDDの記録能力を高めた記録素子を発表する。そのときは、
魚成分は極力混入しないように記録素子を作る技術として大変注目された。
そのとき、フランスの電気化学会では、大量の記録を脳内に蓄積するために魚成分を混入さ
せないことが指針とされ、フランスの脳栄養研究者たちは肉料理や農作物を中心とした西洋
食生活への自信を深めていた。
哲教授は次に短期記憶素子を研究を進めた。短期記録素子は、めっきのような成長ではなく
、すでに形成された素子がどのように活性化するかに注目して研究した。研究初期に異常素
子は、形成のきわめて初期にわずかな違いがあり、それが、ストレスによって拡大していく
様子を観察されていた。
現状の記録素子は、非常に記録が弱くて壊れやすく、脳の忘れやすい特徴と一致していた。
鉛を含む記録素子が、記録力が強く、長い間記録をとどめていることが発見されていた。し
かし、疲労によって徐々に記録をなくしていくことが課題だった。さらに鉛は脳の毒として
知られていたため、研究は限定的だった。コンピュータの記憶がなくなるのは、忘れやすい
性質として、何度も繰り返し記録する方式で補われていた。鉛素子によって同じように繰り
返し記録すると疲労が問題となるのだった。この素子は放射線よて壊れやすいことが知られ
ていた。従来のコンピューターは核攻撃や宇宙での使用ができないのは、短期記録素子の弱
さに原因があった。そのため、軍事目的で研究が盛んであった。
哲教授は、鉛と電子軌道の似ているY元素に注目して研究を進めていた。
Y元素は、短期記録が疲労では壊れない。しかしストレスで壊れやすい性質をしていた。そ
のなかで、ストレスの強さをコントロールすることでY元素の短期記録素子を完成させた。
しかし、その記録量は極めて少なかった。たくさんの情報を詰め込もうとすると記録が壊れ
るリスクが急激に高まる性質があったからだ。
この研究は、学会で発表される前にアメリカ軍が、研究の重大さに気づき偵察にきた。
希はまだ、研究の意味が分からず、査察に来たアメリカ軍にコンピューター部品としても脳
部品としても説明できなかった。それをみたアメリカは日本の研究はアメリカの20年以上
遅れており、まったく危険はないと判断した。しかし、脳の短期記憶がストレスと疲労によ
って消えるという説明をした哲教授も、これが世界の数千億円の脳調整薬剤への応用へされ
る危惧と、放射線に強いコンピューターの開発が核戦争を導く可能性に気づいた。希の研究
から手を引く決心をした。その秘密の口封じに希の脳は、ストレスによって短期記憶がとば
された。
廃人編。
飲んだくれた希は風俗に遊び狂っていた。
勝は自衛隊の通信部門に入隊し、アメリカとコンピュータネットワークで闘う日々を送った
。東京と地方をつなぐネットワークを首でつなぐモデルを立てて、NECK研究行おうとしてい
た。しかし、NECK部にあたる埼玉副都心で重大なネットワーク事故が生じて
日本の首都機能が止まるという大事故がアメリカ軍の攻撃で発生した。それは2000年問題の
再現を未来時計で演習していた矢先の事故だった。NECK研究では、放射能による影響に勝て
なかった。NECK研究を中心とした日本は、最後には放射能に強い短期記憶素子を作ることが
できず、それが弱点となり2000年に2回目の敗戦をした。
希は寒いときに、暑さを求めて風俗で遊んでいた。その暑さが短期記録を救うポイントだっ
た。その風俗嬢は、厳密に管理されて、名前と相手を決められていた。哲教授は、風俗を研
究現場とする脳と遺伝子の研究プログラムを進めていた。国民の特徴と気分や状態を観察し
た上で脳と精子を分析する研究所が設立していた。しかし、放射能に強い精子は見つからず
核攻撃を背景としてアメリカが勝利宣言をした。しかし、日本は核攻撃に強い卵子を見つけ
ることで安全宣言をした。
復活編
哲教授の最後の研究成果をもとに放射能の汚染をはねのける卵子が捜されていた。その卵子
の特徴は未確定だったが、精子に異常があっても子孫を残す強い卵子は見つけだされた。そ
うして生まれた日本の子の脳が正常かどうかが焦点になった。そうした研究の進むなかアメ
リカによる放射能作戦が決行された。放射能に強い卵子の安全性を確かめるための作戦だっ
た。日本では放射能による脳、精子、子孫への影響が研究されはじめたばかりだった。子孫
への影響が避けられないことが判明しつつあった。第二世代は脳の機能不全を引き起こし、
コミュニケーションに異常が見られた。アメリカは、さらに放射能を広げる作戦をすすめた
。日本は京都で発見された再生細胞iPSで解決しようとするが、脳自体はiPSでは作れ
なかった。
勝利編。
希は、短期記憶素子が消えやすいという脳の記憶の仕組みを解明することは、記録と記憶を
シナプスで結び合わせた配線を高度化することで脳を再生する可能性に気づいた。完全に放
射能やドラッグから守る方法は発見できなかったが、残された脳を配線によって修復する技
術だ。その鍵は、やはり魚成分であった。魚の皮に含まれる魚臭さ成分に、脳配線を修復す
る働きを発見したのだ。こうした脳の研究が核戦争を1945年から2015年にかけて進
んでいたのだった。