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15/4/8

大学入試前日にヒキオタニートの兄からもらったクリアファイルが宝物になった話

Image by Olia Gozha

「ヒキオタニート」になって戻ってきた兄

私には3つ年の離れた兄がいる。


現在26歳、地元で不動産関係の小さな事務所で毎日遅くまで働いているが、

つい2年程前までは兄はいわゆる「ヒキオタニート」であった。

高校卒業後、東京の有名私立大学に進学し一人暮らしを始めた兄は、

勉強やサークル活動もそこそこに誰にも邪魔されない自分の城でオンラインゲームにハマるようになった。

ずっと家に引きこもっているものだから、大学内での友人も作れなかったようで、

授業に出なくても単位の取れる要領のいいリア充大学生とは違い、勿論次年に進むことはできなかった。

1年目の留年は両親もどうにか許せたようだったが

また次の年も、、、となった時に遂に両親の堪忍袋の緒が切れ、

大学は中退、強制的に実家に引き戻された。

実家に戻ってきてからも、食事以外は部屋に引きこもって早朝までオンラインゲームやらチャットやらにうちこんでいた。

当時高校3年生の私はそんな兄のことを「かっこ悪い」としか思えず、

友人に「お兄ちゃんどんな人なん?」と聞かれても、

「ふつうの人だよ。」と適当に言って、「かっこ悪いお兄ちゃん」を隠すのに必死だった。


もちろん兄と会話などなく、あるとすれば、隣の部屋から聞こえる大音量のBGM(アニメ系?)に、

「うるさい!」と部屋越しに文句を言うぐらいのもので、お世辞にも兄妹間の関係は良好とはいえなか

った。


父とは対照的だった兄の応援の仕方

私の父は厳格で、兄の時と同じように、私に東京の有名大学に進学してほしいようだった。

「Izumiは頭がいいから○○大学は余裕だな!」と

私の未来を期待する両親を横目に、兄はいつも黙ったまま、静かに食事をしていた。


いよいよ受験勉強に本腰が入る季節になると、

あれだけうるさかった兄のアニメ系BGMはいつのまにか控えめな音量になり、

兄なりに私を気遣っているようだった。

父は兄がいるもいないもお構いなしに私を激励し、

「Izumiはこうなっちゃダメだぞ」

と兄をちらりと一瞥し、冗談交じりに言ったりもした。

兄は相変わらず黙ったまま、静かに食事をしていた。


今思えば、この時期の兄が一番無口で、部屋に引きこもる時間が長かったかもしれない。

ただ、耳に入ってくる父のイヤミな言葉に耐え、

自分では実現できなかった「大学生活」に夢を膨らませる私に、

「部屋のBGMの音量をできるだけ下げる」ことで、静かに私を応援していたのである。

ハードな受験勉強と父からの激励によるプレッシャーでフラストレーションがたまっていた私は、

ただ静かにしてくれる兄の態度が、正直ありがたかった。


兄がぶっきらぼうに渡してきたモノ


センター試験で思うように結果がでなかった私は、2次試験にかけることとなった。

試験の前日は、家族みんながソワソワしていた。

母は夕飯に、ベタにも「トンカツ」を作ってくれたものの、

お腹の弱い私は少ししか食べることができず、ちょっとションボリしていた。

父は私を自室に呼び、なぜか正座で、激励なのか説教なのかよくわからない話を30分も続けた。


やっと父から解放された私は部屋に戻り、明日の為にとベッドに寝ころびながら、

ボンヤリと単語カードを眺めていた。

すると、コンコン、と控えめにドアがノックされ、

滅多に私の部屋に足を踏み入れない兄が、ビニール袋を片手にのそりと部屋に入ってきた。


「・・・・ん。」


兄は無表情のまま、持っていたビニール袋を私のほうに差し出してきた。

私が、「何?」と言いながら受け取るも、兄はその質問には答えずにドアの方へ向かった。

ただ、ドアを閉める間際にボソリと、


「・・明日、頑張れよ」


とだけ言った。

私はなんだろうと思いビニール袋をのぞくと、お菓子と、真っ赤なクリアファイルが入っていた。

どうやらコンビニでこのお菓子を買うと、キャンペーンでクリアファイルが貰えるというものらしかった。

そのクリアファイルには、12か月分のカレンダーが小さく並んでおり、側に可愛らしい動物の絵と、

格言のようなものが書いてあった。

「おだててくれてありがとう、あなたがおだててくれるから木にも登れる」

「磨けば光るってこと、私はちゃんと知ってるよ」

など、優しくも心にじわりと入ってくるような言葉たちだった。


いいファイルじゃんなんて思いながらぺらっともう片面を見ると、

かわいらしいトラと、力強い文字が、目に飛び込んできた。


「今すぐ挑戦してきなさい。あきらめるのはいつだって遅くない。」


社会人になった今でも

私は今、東京で生活している。

1年前に無事東京の有名大学を卒業し、地元には帰らず、

誰でも知っているようなブランドを抱える大手企業に就職した。


大学受験はもちろん、難関と言われる資格試験を受ける時も、就活の時も、

兄から貰ったクリアファイルを持ち歩いて、自分を奮い立たせた。

ダサかろうか、「カレンダーの年古くない?」と言われようが、

大事な時には必ずこのファイルをカバンに入れていた。


そして、私はまた新しい「挑戦」の時期にさしかかっている。


「本当にこの会社で働くことが私の人生の喜びなんだろうか?」

「私が心から幸せと感じられる仕事/働き方とはどんなものなんだろうか?」

と自問自答し続けた結果、体調を崩し、休職することとなった。


なんとなく、もう自分の中で答えは出ている。

たぶん、新卒で入ったあの会社には、もう戻ることはないんだと思う。

もちろん、この選択をすることが正しいのかは分からないし、

今、心に思い描いているものは、ただの夢物語なんじゃないかって日々不安に飲み込まれそうになる。

「石の上にも3年だよ」なんて言われてしまうと、やっぱりそうなんじゃないかとも思う。


でも、もし、自分に挑戦できるチャンスを、神様が与えてくれているとしたら。

それは「今やれ!」ってことなんだって私は思う。


23歳、まだまだこれから。

諦めるのは、いつだって遅くないよね。

いつかじゃない、今、挑戦しなきゃ。


真っ赤なクリアファイルをカバンに入れて、

私はまた、新しい挑戦の道を踏み出した。








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