あれ?夜やのに明るいで?
−僕が小2の時のとある日の夜22時頃−
(サイレン音)
ウ〜ウ〜カランカランカラン!
ウ〜ウ〜カランカランカラン!
「火事や!!!!!逃げろ!!!!!」
すごく大きな大きな声が
家の外から聞こえてきました。
物が焼ける鼻にツンとくる臭い。
慌てふためく家族。
ベランダから見える赤い炎。
その時の僕は小2でしたが、
小2の僕には何がなんだか
良くわからなかったのが正直の感想です。
”家の近所で火事がありました。”
〜〜〜〜〜〜〜〜
人は、運命を避けようとしてとった道で、
しばしば運命に出逢う。
ジャン・ド・ラ・フォンテーヌ
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−火事の日の昼間−
何もない、いつも通りの良い日でした。
僕の家は
古い一軒家で、
広さは一丁前に広いながらも、
風呂にはシャワーも無い、
2階で人が動き回ると
1階にヒシヒシと音が響き渡るような
そんな家です。
住まいは
おじいちゃんおばあちゃん
父母妹、犬の
6人と1匹の家族です。
みんな元気が良くて、
夕飯時はみんな笑顔でワイワイしているような
そんな明るい家庭です。
そんな
僕の家族のお仕事は、
”かまぼこ屋”です。
自営業です。
家族みんなで経営しています。
意外にも、
地元では結構有名で、
「◯◯さんの店のとこの子やんね!?」
としばしば声をかけられることもありました。
絶頂期にはかまぼこ屋さんの店舗にも関わらず
1日に100万円を
売り上げたこともあったそうです。
店舗も商店街に1つ、
ショッピングモールにも1つと、
2店舗をしっかり経営していて、
商店街で、◯百万円ぐらいはするであろう
かまぼこを作る
大きな大きな機械も全て揃えていて、
”自分たちで作って、自分たちで売る。”
そんな凄い家庭でした。
そして僕は
火事の日の昼間も、
後継ぎである父の店で、
商店街の店の中で、
チャレンジ2年生をしたり、
従兄弟とボール遊びをしたり、
遊戯王カードでカードバトルをしながら、
お客さんと母が楽しそうに
喋っている姿を見ていました。
「いつも美味しい”かまぼこ”をありがとう!」
そう言ってもらえた時の喜びは
たまらなかったのではないでしょうか。
そして、
今日も、
いつもの通り、
余り物の美味しいかまぼこを食べ、
店仕舞いをし、
商店街から3分ぐらいのところにある家に
帰ったのでした。
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悲しみが来るときは、
単騎ではやって来ない。
必ず軍団で引き寄せる。
シェイクスピア
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−火事の翌日の朝−
僕はというと、
近くの施設に一晩寝泊まりしていました。
家が燃える可能性があったからです。
なんと新聞に載るほどの
大火事にまでなっていました。
広い範囲の部分が全焼していました。
(ちなみに僕の家は燃えずに助かりました。)
起きた時、
「これは現実なのだろうか。」
そんな風に思いました。
避難しながら、
目の前に火の粉が飛んでくる。
灰が飛んでくる。
今までに無い臭いと大きな炎。
気がつけば、
家族のみんなが
魂が抜けた抜け殻のようになっていました。
「何があったんやろう?」
小2の僕には全てがクエスチョンでした。
ちなみに、
家族のみんなが、
家の近くの商店街で
火事があったことが悲しくて
抜け殻だったわけでは無いです。
どういうことか。
僕たちの家庭は自営業です。
2店舗経営です。
片方の店舗では、
◯百万円ほどはするであろう
機械を使って製造もしている。
その製造もしている店舗とはどこにあったか。
そう、
僕の家の近くの”商店街”
です。
そして、
火事があった場所はどこだったか。
そう、
僕の家の近くの”商店街”
です。
”かまぼこ屋が全焼しました。”
〜〜〜〜〜〜〜
人は常に前へだけは進めない。
引き潮があり、差し潮がある。
ニーチェ
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小2の僕、ひらめきました!
−火事から数ヶ月後−
家族の雰囲気が変わりました。
無言。
怒鳴り声。
泣き声。
明らかに変わってしまいました。
小2ながら
家族の闇を感じました。
数ヶ月前の、
笑い声。
明るさ。
楽しさ。
それが信じられないほど
感じられませんでした。
なんと、
かまぼこ屋の後継のはずの父が、
突然、
某引っ越し会社で働き出したのです。
小2の僕には理解できませんでした。
火事が原因です。
店舗全焼。
製造の機械も全焼。
もちろん製造ができない。
売り上げも上がらない。
そりゃあ、もちろん赤字に繋がります。
僕の父は家族を養っています。
僕たち家族を養うためには
製造もできないかまぼこ屋1店舗では
足りるはずがなかったのでしょう。
後を継いだはずの店を
急に辞めたってことです。
今考えると、
後継ぎでその行動は
親戚からの信頼を削ぐ行為ですが、
仕方なかったとさえ思えるような行為です。
むしろ父にもプライドもあるはずなのに、
そのプライドを捨ててまで、
親戚の信頼を捨ててまで、
その行動をとったわけです。
今となっては尊敬に値する行動です。
そんなある日、
「どういうことやねん!!!!!!!」
1階から怒鳴り声が聞こえてきました。
父と親族がケンカをしているようでした。
またある日には
母が夜中泣いていました。
またまたある日には
新人が雑に扱われる引っ越し屋で
一生懸命働いて帰って来る
疲れた父を見ました。
ちょっと前までは楽しかった。
母とストーブで温まりながら餅を食べたり、
遊戯王したり、従兄弟とボール遊びしたり、
隣の饅頭屋のおばちゃんとお喋りしたり、
売れ残りのおいしいかまぼこを食べたり、、、
そんな思い出の場所が、
ただの、石だらけの、
何も無いサラ地になっている姿を見ました。
「なんなんこれ。。。」
「もう昔みたいにはならんのかな。」
すっごく寂しくなってきてしまいました。
みんなでもっと笑いたい。
みんなでもっと喋りたい。
仲良くしようや。
みんな暗いって。
そんなときに思ったことがあります。
”みんなを喜ばせたい!!!!!!”
〜〜〜〜〜〜〜
予想外の人生になっても、
そのとき幸せだったらいいんじゃないかな。
松岡修造
〜〜〜〜〜〜〜
試練。
”みんなを喜ばしたい!!!!!!”
そう思った日から、
何かと試行錯誤しました。
「なんか頑張ったら喜んでくれるかな?」
そう思った僕は、
ヘタクソながら野球を始めました。
小1から連続で取っていた
マラソン大会1位を死守し続けました。
みんなが並ぶ晩飯の席で、
一生懸命笑わそうとしました。
でも、
”それでも何かが足りない。”
そもそも、
小2の僕には難しくてわかるはずもなかった。
なんで家族の雰囲気が暗いのか。
なんで父がかまぼこ屋を辞めたのか。
なんで怒鳴り声が聞こえて、
なんで母が泣いているのか。
そりゃあ、
喜ばす方法なんて、
思いつくはずがなかったんですよね。
そして、
僕は、
喜ばし方がわからないまま、
何かが足りないもどかしさを感じたまま、
毎日悩み、モヤモヤしたまま
毎日を過ごすこととなりました。。。。。
〜〜〜〜〜〜〜
幸せは経験するものではなくて、
あとで思い出して気づくものだ。
オスカーレバント
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−2015年4月−
僕は今、
現役、某私立大学4回生でありながら、
ベンチャー企業で働いています。
収入もあり、本当の意味で
人を喜ばせられるようにもなりました。
そうです。
今の今でも、
”人を喜ばせたい”
その想いは変わっていません。
そして、さらなる欲望として、
”世界中の人たちを喜ばせたい。”
そんな想いが湧くほどにまでなりました。
しかし、
そんな簡単にここまでは来れませんでした。
まず大学在学中に「働きたい!」と思ってしまうなんて、
普通ありえないし、アホだな、と自分でも思います。
だって
大勢の同世代が毎日集まって
飲んで
遊んで
女の子ともキャピキャピできるのは
間違いなく今しかないのですから。
でも、
そんな生活を捨ててもいいと思えるほど
僕の想いが強くなることがたくさんありました。
僕にとってしんどいことばかりが
僕に降りかかってきたのです。
”喜ばしたい”
僕の人生のキーワードでもあるようなこの想いが
消え去ったことすらありました。
僕がここに来るまでには
本当に壁ばかりでした。
むしろ、
小2のもどかしい想いが始まったその日から