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15/4/13

アメフトで首を骨折し、四肢麻痺になった青年がヘッドコーチとしてチームに復帰した話。パート12

Image by Olia Gozha

春の柔らかさが包み込んでくれるような5月中旬のとある日曜日。

行楽シーズンまっただ中の日曜日の高速道路はどこも混んでいた。


チームメイト「「日曜日に公式戦があるから見に来ない?」」


チームメイトから試合観戦の誘いを受けた僕ら家族は、試合会場のある大阪府吹田市の万博公園へ車で向かっていた。しかし、会場の目と鼻の先で渋滞に巻き込まれ、車の流れは完全に止まっている。

もしかしたら間に合わないかもと思いかけたころ、ようやく車が流れ始めた。


渋滞から開放され急いで会場に到着したとき、試合開始直前で気持ちを高めていた各チームの選手の姿が目に入った。




試合開始まで残り数分だった。

時計の秒針と競うように急いでスタンドへ向かおうとしたとき、ベンチにいるチームメイトが僕に気付き声をかけた。


チームメイト「「スタンドじゃなくてフィールドへ降りてこいよ」」


突然のことに戸惑ったが「(サイドラインの方が近くから見ることができるしいいっか)」とラッキーに思いベンチへ降りた。フェンスを開けフィールドに入ると太陽に温められた人工芝の香りがとても懐かしい。

実に2年振りのフィールドだった。


フィールドでは試合前のコイントスを行うために両チームの選手とスタッフがサイドラインに整列し、試合が始まるのを今か今かと待っている。僕もその列に並ぼうと思ったとき、チームメイト数名が突然僕の方へ向かってきた。

そして、彼の手元には紫色のユニフォームを持っている。

彼らはそのユニフォームを僕に有無を言わさずほぼ強引に着せ始めた。アメリカンフットボールのユニフォームは相手選手に掴まれないようにかなりタイトな形をしているため、非常に着脱が難しい。

そして、もがきながら、ユニフォームを着終わるやいな

チームメイトが「じゃあ一緒に行こうか」という言葉とともに車いすを押し始めた。


目まぐるしく変化する状況を理解できないまま、チームメイトは歩を進め、フィールドの中央に向かっていた。

「試合前でコイントスが始まるのにいいのかな」と心の中で思った。


アメリカンフットボールの試合はコイントスで始まる。両チームの代表者、そして審判たちがフィールドの中央に集まり、最初にどっちが攻撃するかを決める。先攻後攻をレフリーがコインを投げて決めるため、このような名称で呼ばれる。


フィールドの中央に向かう中、正面からは相手チームの代表者4名が迫力ある面持ちで向かってくる。なんとも言えない緊張感の中、ごくりと生唾を飲む。そしてフィールドの真ん中に到着した。


次の瞬間、身震いするような出来事が起きた。

突然、天理大学のチームメイト、相手チーム、運営の関係者、そして会場にいたすべての人から拍手と歓声が沸き起こり、会場中が歓喜の声に包まれた。

そしてフィールド中に響く中、審判の方が僕に握手を求めこう言った。



審判「「おかえりなさい、よく帰ってきたね。」」



実はこの日、監督の糸賀さんとチームメイトが僕がチームの一員として試合に参加できるように、そしてその瞬間を祝うためにこのコイントスの場を運営の関係者と一緒に準備してくれていたのだ。


(実際の写真)


また選手名簿を見ると僕の名前が入っていた。糸賀さんは2007年の事故後も僕がいつかチームに戻って来た時のために選手登録をしてくれていたそうだ。コイントスは選手しか参加できないため、選手登録をしてくれたおかげでこの瞬間があった。


観客席からも祝福の声が聴こえる。多くの人が僕の復帰を心待ちにしてくれ、そしてその想いに突き上げてくるような喜びが心に響き渡る。また嬉し涙が目の内側に滲んでくるのを感じずにはいられなかった。



そして顔に喜色を浮かべる中、試合が始まった。

車いすの僕はプレーをすることはもちろんできないし、マネージャーやトレーナーのようにチームをサポートすることはできない。つまりベンチにいることしかできないが、それでもチームメイトと一緒に一喜一憂しながら試合の時間を共有できたことは何事にも変えられない尊いものだった。


2007年の事故後、入院中に天井を見つめることしかできなかったときは、まさかもう一度こうやって仲間とともにフィールドで同じ時間を過ごせるとは考えることもできなかった。でもあの頃夢物語として思っていたことが今こうやって現実になっている。

心が折れそうな出来事により、何度も倒れても自分自身と明日を信じて、前進することを辞めなければ希望の光はかならず見つかる。チームメイトのプレーする姿を見守りながらそう思った。


仲間と1つも目標を目指すこの時間を二度と手放したくない。

そして、燃えるような熱い想いとともに、もう一度このフィールドに戻りたいという気持ちが芽生え始めた。





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