top of page

15/3/27

だらし無く甘えた自分から新しい自分への第一歩

Image by Olia Gozha

21歳冬、大学生の僕はビジネスの世界に飛び込んだ。


それも、自分の生き方や性格、情けない自分に嫌気がさして、「このままじゃタダの屑だ、変わらないと」と心に思ったから。


そもそも僕の家は、

母は戦国時代の紀伊国(今で言う和歌山)太田城城主、太田左近宗正の家系で

父は学生時代地元では知らない人はいないというほどの有名な不良だった。

そんな家庭に生まれ、何不自由なく甘えて過ごしてきた。

その甘えた生活をずっと続けていた為、これまでで僕の身に染み付いたスキルといえば、

やらなければならない事をなんでも後回しにしてしまうスキル

怠け癖スキル

時間にルーズスキル

と、だらし無い奴代表みたいなスキルが備わっていた。

そして、その培ってきたスキルが通っている大学でも遺憾なく発揮、

課題後回しで決局課題提出忘れ、授業遅刻、その毎日の積み重ねで挙句の果てには3回(2014年)のときに大学留年。

実のところその年の夏の成績交付前までの自分の勤勉態度を考えたら既にわかっていて覚悟はしていた。だが、実際に夏の成績交付の時、目の前で留年確定申告をされた時

『これまで育ててくれたのも親、大学の学費を払ってくれているのも親、自分で頑張った事なんで無いに等しい。自分の人生親に生かされているような物。』

「何やってんだよ...自分」

その考えが頭を過った、改めて自分の情けなさ、ちっぽけさに気がついた。

と同時に「このままじゃタダの屑だ、変わらないと」と心に思った。

留年すると分かった夏過ぎから必死に周りに追いつこう、同期のヤツにドヤ顔で自慢できるようなことを成し遂げてやろうと考えていた。

だが、何をどうすればいいのか分からなかった。


ネットなどを使って色々模索する日々を送っているうちに数カ月が経ったそんな時、ある事に出会った

それは...

【インターネットビジネス、起業】

父が自営業で電気屋を営んでいてそれに影響されたということもあり、自分でビジネスを運営していくという考えに出会った時、

「これしかない!」

そう思った。

だが、そう思ったは良いがその時その分野にまるで無知な自分にはインターネットビジネスって何?まず、何から手を付ければいいの?

皆目わからなかった。

これはもうそのビジネスのことに詳しい、現役で運営しているビジネスマンをメンターとして習うしか方法がないと思い、そこからSNSを通じいろんな人のお話を聞いたりしてようやく同年の冬、一人のメンターに出会い、さらにその数ヶ月後もう一人のメンターを付け、2名の方に教わりながら自力をつけて現在も日々奮闘中です

同期よりも上に立つ、周りよりも上に立って、胸を張って人生を有意義に過ごせることを目標に、新しい自分を夢見て、ビジネス始めたばかりのこの時期を大切にこれからも日々精進していこうとおもっています。

←前の物語
つづきの物語→

PODCAST

​あなたも物語を
話してみませんか?

Image by Jukka Aalho

フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」

情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般...

大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。

今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ...

受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1

僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で...

あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。

「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と...

あのとき、伝えられなかったけど。

受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分...

ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話

爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと...

bottom of page