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15/3/25

【第二話】『最初の宝物』〜死に場所を探して11日間歩き続けたら、どんなものよりも大切な宝物を見付けた話〜

Image by Olia Gozha


僕が失ったモノ…


2013年8月26日。


最愛の彼女と別れることになった。


悪い夢を見ているようだった。


彼女のために、

就職をし、

会社でトップの成績を残し、

プロポーズをし、

同棲をした。


その結果が、

適応障害になり、

会社を休職し、

彼女に別れを告げられ、

そして、うつ病になった。


今まで自分が良かれと思って一生懸命やってきたことが、最悪の結果になった。


僕は申し訳ない気持ちでいっぱいだった。


この時彼女は、30歳になっていた。


ものすごく結婚したがってたのを知っている。


僕は、そんな彼女の夢を自分が叶えられることが嬉しかった。


しかし僕は、夢を叶えるどころか、

奪い取り、深く深く傷付けてしまった。



僕は、20代というのは、とても大切なかけがえのない時間だと思っている。

25歳から30歳は特に、人生を左右する最も大切な時間だ。


彼女は、やっと幸せになれると思っていただろう。

結婚をし、夢を叶え、親孝行をし、幸せを掴めると思っていただろう。



そんな思いを、僕は踏みにじってしまった。

3年という長い年月をかけて、踏みにじってしまったのだ。



そんな彼女に僕が、最後に言えた言葉は、


「幸せになって下さい。」


だった。


何とも無責任な言葉だろう。


でも、今の僕が彼女を幸せに出来る最後の言葉だった。


僕という苦しみから、彼女を解放させてあげるのが、

僕が彼女に出来る最後の愛情表現だった。



僕は、自分自身を恨んだ。

今の自分。

今までの自分。

自分の選択。

自分の行動。

自分の非力さ。

自分の無責任さ。

自分の存在を恨んだ。



本当は、誰よりも幸せにしてあげたいのに、

実際は、誰よりも傷付けてしまった。



僕は、人を不幸にする。


僕が、選択をすること、決断をすること、行動をすることは、人を不幸にする。


「僕には、誰も幸せにすることが出来ないんだ…。」




僕は、彼女と向き合うことから逃げ出したんだ。

自分自身から逃げ出したんだ。




仕事を休職した時も、僕は逃げたしたんだ。

仕事から、お客さんから、上司から、先輩から、後輩から。

言いたいことだけ言って、実際は何も解決させずに、逃げ出したんだ。


思い返せば、今までずっとそうだった。


子どもの頃の習い事も、部活も、趣味も、勉強も、仕事も、

嫌になったら辞め、何も長続きしない。


そのおかげでたくさんの経験が出来たのは事実だが、

僕には、何一つやり遂げたことがなかった。


新しい選択肢を見付けては逃げ、

また逃げ、逃げて、逃げて、

逃げ続けてきた人生だった。



「僕は、これまでの26年間、何をしてきたんだ?」

「一体、何を得たんだ?」

「今、何が出来るんだ?」


僕には思い付かなかった。


いや、答えは出ていた。



「僕には、何も出来ない…」



最愛の人を失い、

仕事の出来ない身体になり、

収入は無くなり、

夢や希望、気力、

そして自分を信じる力を完全に失ってしまった。




僕に残されたモノ…



しかし、そんな僕にも僅かに残されたモノがあった。


それは、「友達」だった。


絶対に結婚すると思っていたため、

僕は友達に「9月に結婚するわ!」と話していた。


その中でも、5歳年上のはじさんと、1歳年上の健ちゃんは、特別だった。

彼らの奥さん達、子ども、僕の彼女を含め、家族ぐるみの付き合いだった。


つい3週間前に仙台に行ったのも、4月から転勤になった健ちゃん家に遊びいくためで、

そのとき、たまたまaikoのライブが仙台であったはじさんファミリーと合流し、

牛タンを一緒に食べた。



この2人には、プロポーズのタイミング、婚約指輪や結婚指輪、結婚式場、

住む家、家具や家電、生活費や人生設計など、

人生の先輩の彼らから、数え切れないことを教えてもらった。

律儀にも、同棲を開始したら、新居祝いをくれ、僕の結婚を祝福してくれていた。

僕は結婚をして、やっとこの2人の仲間入りが出来ると嬉しくて仕方がなかった。



しかし、僕の結婚は消えてなくなった。



僕は、自分の親よりも最初に彼らに連絡をした。




「結婚ダメになったわ…」




■はじさんと健ちゃんとの出逢い…



はじさんと、健ちゃんとの出逢いは、高校2年、16歳のとき。

僕は、バスケ部を辞め、1年の3学期の始めから、軽音部に入った。

その軽音部の一つ先輩だったのが健ちゃんだった。


※軽音部に入るまでのいきさつは…

【番外編】『僕が軽音部に入るまで…』へ。



僕は初め、健ちゃんが嫌いだった。


1年の初めの頃の球技大会で、一悶着あったからだ。


僕のクラスと健ちゃんのクラスは、バレーボールで対戦をした。

そのとき、僕のクラスの友達が、健ちゃんのクラスの人に暴言を吐いた。

それにキレたのが、健ちゃんだった。

明らかにこっちが悪いのだが、怒りを露にしてきた健ちゃんにムカついた。


軽音部に入り、顔を合わせることが少し気まずかったが、

健ちゃんの方から話しかけてきた。



健ちゃん「「俺、○○(暴言を吐いた友達)にムカついてるだけだから!」「君のことは嫌ってないから!」」



と言った。


僕は、


「よくもハッキリと直接こんなことが言えるな…。」


と思った。


変な人だと思った。

でも、悪い人ではなさそうだった。


それが健ちゃんとの出逢いだった。


それから、部活や、体育祭の応援団、恋の相談などを通して、

僕らは、親睦を深めて行った。



しかし、親睦を深められた一番の要因は、はじさんとの出逢いだ。



軽音部に入り3ヶ月、高2になった4月のこと、

長年軽音部を支えてきた顧問の先生の離任式があった。


僕はあまりよく知らなかったが、

この先生のおかげで、軽音部は自由な活動が出来ていた。


その先生のお別れ会を、現役生はもちろんのこと、

軽音部歴代のOB、OGの方々が集まり、恒例の焼き肉屋じゃんぼで行った。


焼き肉屋を出て、軽音部御一行は近くの公園にいた。


時間も遅くなり、解散することになった。


それぞれ帰路につくのだが、

車で来ている先輩達が、家の近くまで後輩達を送ってくれた。


帰りの方向が同じ人たちが集まり、


「○○方面乗っけてくよー!」


なんて言って、解散した。


そこで僕を車に乗っけてくれたのが、はじさんだった。


この時、僕と同じく、はじさんカーに乗せてもらったのが、

同級生の女の子と、当時健ちゃんと付き合っていた先輩だった。


当時21歳のはじさんは、16歳の僕にとって、もの凄く大人に見えた。


まだ4月の肌寒い時期にも関わらず、派手な花柄の薄いシャツを着て、

ルームランプがピンク色のやけにいやらしい車で、

タバコを吸いながら運転している姿は、とても遠い存在に思えた。


聞けば、はじさんは高校生のバンドの大会で、

初代グランプリを受賞したバンドのボーカルだった。

カリスマ的な存在の人だった。


僕も名前を聞いたことのあるバンドだった。

はじさんのバンドのドラムのサポートをしていたのが、

僕の姉ちゃんの元彼氏だったのだ。

僕が中学でバンドを始めたキッカケは、

その姉ちゃんの彼氏のライブを見に行ったことだった。



「世の中どこで繋がっているか分からないな…。」



そう思った。



後々分かることだが、

はじさんの彼女、今の奥さんと僕は同じ中学で、

僕の姉ちゃんとは高校も同じだった。

しかも、素行が悪かったせいか、姉ちゃんの存在を知っていた。



そして不思議なことに、

はじさんは、学年が被っていないのに、なぜか健ちゃんのことを知っていた。

はじさんが、部活の機材を借りにきた時に、健ちゃんに出逢ったらしい。

はじさんも、健ちゃんのことを、

変な…、いや、面白い子だと思ったらしい。

そのとき2人は連絡先を交換していた。

今まで全く連絡を取っていなかったようだが…。



機材を借りに、たまたま行った部活で健ちゃんと出逢い、

なぜだか連絡先を交換した変な後輩の彼女が

今、車に乗っている女の子だと知り、車内の会話は盛り上がった。



はじさん「「今度遊びに行こうよ?」」




はじさんが言った。



「「是非!是非!」」




先輩が言う。



はじさん「「今度、健ちゃんのケータイに連絡するわ!」」



この時僕は、


「5個も歳上の先輩が、こんなガキを誘って遊びに行くはずがない。」


と、もちろん社交辞令だと思っていた。



しかし、そう思っていたのは僕だけだった…。




数日後…。



健ちゃん「「はじさんから連絡来たぞー!」「バンナイも行くでしょ?」」


と言われた。



「おお、まじか…」



歳上の人と遊んだことなんて一度もない僕にとって、

未知との遭遇並みに不安だった。


しかし、ノリだけは良かった僕は、


「健ちゃんもいるし、大丈夫っしょ!」


ってな感じで、


「「行くーーーー!」」


と返事をした。




それから、はじさんと、健ちゃんとの付き合いが始まった。



はじさんは、いつも色んなところに連れて行ってくれた。

色んな経験をさせてくれた。


車でのドライブ、夜景スポット、BBQ、スーパー銭湯、サーフィンにスノボ…

僕が車の免許を取って、女の子とドライブデートをしたところは、

はじさんに連れて行ってもらったところばかりだ。


彼女との記念日の過ごし方、プレゼント、彼女を大切にする気持ち、

本当にたくさんのことを教えてくれた。


僕の話もたくさん聞いてくれた。

少し大人の視点から、色々とアドバイスをしてくれた。


5個も年下なのに、ため口を利く、

クソ生意気な僕なんかと仲良くしてくれる器の大きさに、

いつまで経っても頭が上がらない。



健ちゃんは、いつも僕を引っ張っていってくれた。


はじさんとの遊びに始まり、自分の世界に留まっていた僕を、


「バンナイ、行こーよー!」

「バンナイ、やろーよー!」


と、いつも引っ張り上げてくれた。


健ちゃんはいつも気持ちに正直だった。

楽しい時は、心から楽しみ、

納得のいかない時は、直接ぶつかり、

感動した時は、すぐに泣く、

それが、自分のこと、人のこと、関係なく。


どんなに親しくても、礼儀を大切にし、

友達を大切にする。


そんな健ちゃんから、人との関わり方を多く学んだ。



自分の気持ちに正直な健ちゃんに感化されたのか、

僕も、健ちゃんには、ハッキリものを言えるようになった。

そしていつしか、何でも言い合える仲になっていた。




現在、はじさんは32歳、健ちゃんは28歳、

2人とも結婚し、一児の父となっている。



一度だけの付き合いだと思っていたのに、

10年以上経った今、僕にとってかけがえのない存在になっている。

きっとこれからも続いていくだろう。


人生とは不思議なものだ。


大切な人に、いつ、どこで出逢うか分からない。


そしてそこに、年齢なんてものは関係ない。


そんなことを教えてくれたのが、この2人だった。




■最初の宝物…



この2人には、プロポーズのタイミング、婚約指輪や結婚指輪、結婚式場、

住む家、家具や家電、生活費や人生設計など、

人生の先輩の彼らから、数え切れないことを教えてもらった。

律儀にも、同棲を開始したら、新居祝いをくれ、僕の結婚を祝福してくれていた。

僕は結婚をして、やっとこの2人の仲間入りが出来ると嬉しくて仕方がなかった。


しかし、僕の結婚は消えてなくなった。


僕は、自分の親よりも最初に彼らに連絡をした。




「結婚ダメになったわ…」





2人とも、ソッコーで連絡をくれた。



「えっ、なんで?」

「えっ、なんで?」




ひとまず、事情を説明した。



「ありえない…」


「辛いときこそ支えてあげるのが夫婦じゃないの?」



僕は、



「自分が病気になったのが悪いんだ…」



と言った。



すると2人は揃ってこう言った。



「納得出来ない!」



仙台に住む、健ちゃんから電話が来た。


健ちゃんは怒っていた。



健ちゃん「「ありえないでしょ!」「みーたんもありえないって言ってるよ!」」



みーたんとは、健ちゃんの奥さんで、

僕が適応障害と診断されてから、ずっと心配してくれていた。



健ちゃん「「ついこの間仙台に来たのはなんだったの?」「別れるのに、あんなに楽しそうにしてたの?」」



僕もその点は不思議で仕方なかったが、


きっとどこかで、ずっと不満に思っていたのが、

休職をしたことが引き金になり、

制御していたものがプツンと切れてしまったのだろうと思った。



健ちゃん「「俺から、連絡していい?」「本当納得いかないわ!!!」」



僕は、これ以上彼女を苦しめたくなかった。

このままでは、彼女が病気になってしまうと思っていた。


だから、


「連絡しないで…。」


「仕方ないことだから。」


と断った。



はじさんは、


はじさん「「詳しく話を聞かせて!」」


と連絡をくれた。



「今から家に行っていい?」



僕は、自分で別れを選択したものの、

その選択が本当に正しいのかどうかは、

正直言って分からなかった。


自分の選択を後押しして欲しかったのか、

否定して欲しかったのかは分からないが、


とにかく頼れる人に話がしたかった。



はじさん「「いいよ!」」




僕は、家を飛び出した。



僕のうちから、はじさん家は自転車で10分くらいのところにあり、


今の家に決めたのは、はじさん家が近いから、という理由で決めた部分も大きかった。



赤ちゃんがいるので、夜分に申し訳ないと思ったが、

誰にも話せぬまま、この家で一夜を越すのは耐えられなかった。



はじさん家に着いた。



はじさんの隣には、奥さんのまみさん、2人と対面にイスに腰をかけた。



僕は、詳しい事情を話した。



はじさん「「納得出来ない!」」




はじさんも少し怒っているようだった。

そんなはじさんを見るのは10年以上の付き合いで初めてだった。


「まみさんはどう思う?」


僕らは所詮男の考え、女性の立場、妻の立場から、

この状況をどう思うのかを聞いてみた。


まみさん「「辛いときこそ支えてあげるのが妻の役目だと思う。」「そういう時を支えられるのが、妻の喜びでもあるし。」」



なんと出来た奥さんだ!

つくづくはじさんは、いい人と結婚したなと思った。



まみさん「「私から彼女に言ってあげようか?」「女同士の方が理解出来ると思うし…」」



感動した。


正直、このときまでまみさんははじさんの奥さんという感じで接していた。

まみさんも、僕のことを旦那の後輩くらいにしか思っていないだろうと思っていた。


しかし、その後輩のために、こんな面倒くさいことをやってくれるという…。


こんなにありがたいことがあるだろうか。


素直に嬉しかった。



でも、まみさんから連絡が来て、彼女はどう思うだろうか?


彼女もきっと、辛い時こそ支えてあげなきゃと思っていたに違いない。


でも、その思いが強過ぎて、自分を苦しめてしまったのだろう。


そこで、夫婦の先輩である人に、

「辛い時こそ支えてあげるものだよ」と言われたら、

それが出来なかった自分をもっと責めることになるだろう。

僕がいなくなれば解決する問題を、自分が原因だとずっと思い続けてしまう。



もう彼女を苦しめたくなかった。


すべて僕が原因で、すべて僕が悪い。

それで終わらせてあげたかった。

解放してあげたかった。



今思うと、当時の僕は相当病んでいたんだと思う。


はじさんや、健ちゃんのように納得出来ないのが当たり前だ。

しかし僕は、すべて自分が悪いと、

彼女を傷つけた罰を、自ら勝って出たのだ。



結局、僕は自分の選択を変えようとはしなかった。


「彼女と別れる」


この結果は変わらない。



でも、すごく嬉しかった。



今まで僕は、独りで生きていると思っていた。

彼女だけは唯一の理解者だったが、

そんな彼女も僕の前から去って行く。

僕は完全に独りぼっちだと思っていた。


でも違った。



僕のために怒ってくれる人がいる。

僕のために行動してくれる人がいる。

僕を認めてくれる人がいる。

僕を応援してくれる人がいる。

僕の幸せを願ってくれる人がいる。


こんなこと当たり前かもしれないが、


僕はこのとき初めて実感した。



僕は独りじゃないんだ!


と思わせてくれた出来事であり、


僕を絶対に独りにさせない人たちだということに、このときやっと気が付いた。



心から感謝した。


彼らは、僕に居場所を与えてくれた。

僕が存在する許可を与えてくれた。



「僕にはかけがえのない友達がいる!」



うつ病になって見付けた最初の宝物だった。



つづく…


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