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15/3/16

Bride of Japan 2014 ファイナリスト 小西麗 コンテスト当日

Image by Olia Gozha

Bride of Japan コンテスト当日、会場の六本木へ向かった。1分ほどの、自己PRのスピーチを頭の中でぐるぐるぐるぐると繰り返しながら電車に揺られた。今日で終わりだ。数ヶ月のこの活動も今日で終わるのか、と思うと長かったのか短かったのか、よくわからなくなった。




振り返って思えば、今まで「小西麗」として注目されることが苦手だったかもしれない。普通のオーディションは、いかに役にハマるか、企画に合うかという点においてを注視されるけれど、ミスコンの面接は小西麗という一人の人間を見据えている。そう思うと、すごく緊張した。




自己PRの練習で言葉に詰まる度、自分の考えをしっかりと示すことができるひとになりたいと強く思った。考えは持っているだけでは伝わらないから。




プロダクトデザイナーの佐藤オオキさんが、自分が120%出さないと相手に100%なんて伝わらない。と、何かでお話ししていたことが、とても印象に残っているのだけど、Bride of Japanでファイナリストとして活動していたあの頃は、その言葉がヒリヒリと、ひどく身に染みた。




会場に着いて、ウォーキングやスピーチを見てくださった先生に、スピーチを聞いてもらった。ゆっくりと、数日間ずっと頭の中で繰り返されていた台詞を、大きな声で言葉にした時、自分の中で覚悟が固まった感覚があった。




私はこれから、たくさんの人の前に出るのだ。




服を見せる生きたマネキンとしてではなく、小西麗という生身の人間として。




美しいジュエリーで飾り、輝かしいウェディングドレスに身を包み、優雅な色打掛を棚引かせて歩くけれど、1番に見せないといけないのは衣装でもアクセサリーでもなく、自分自身だ。




そう覚悟を決めてから臨んだリハーサルでは、もう緊張で脚が震えることはなかった。綺麗に着付けてもらって、ばっちりヘアメイクを決めてもらう。もう私は大丈夫だ、人前に立つ準備はできている。ふぅっと力が抜けて、それからのことはあまり記憶にない。





やりきった、という感触はあった。むしろ、翌日の脱力感から、数ヶ月の力みに気がついた。



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