top of page

15/3/14

クソ人生~幸せ~

Image by Olia Gozha

初めてまして。8割ノンフィクションです。まず、私の幼少時代からになります。ぶっちゃけ、死ぬ前に書いてます。更新がなくなったら死んだ思ってください。

「おはよう。隆志」そう言ってキスされた。私の一番古い母の記憶だ。

今から約30年前、私は静岡の片田舎の本家の長男つまり跡取として私は産まれた。祖父母、両親、姉、私の6人家族。目を閉じれば浮かぶ幸せな日々。

それなりに裕福だったと思う。親父は自営でダンプに乗り奇しくも、その頃はバブル、母もパートに内職、祖父母は農家。夜には、ご馳走が並び日曜は親子で出掛けた記憶もある。躾は厳しかったがみんなが大好きだった。いい家族であった記憶がある。そういい家族だった。

忘れもしない5歳の春、両親が口喧嘩しているのを初めて見た。私の目の前で、言い争い。内容はさっぱり覚えていない。しかし、その日は寝れなくて母が寝るまで起きていた。少しして親父も来て。私を挟み話しをしている。また口喧嘩だ。と思ったら、私のうえを万券の束が飛んで行った。父が投げたのだ。その直後、電気がつき私を跨ぎ取っ組み合いの喧嘩が始まったのだ。今でも覚えている。私は寝ている上での取っ組み合いを。寝たままで「やめてよー。やめてよー。」と泣きながら叫んだ。そこから記憶が飛び、覚えているのは、祖父母と父親が居間で話していたが母親はいない。私は祖父母の部屋で寝る事になった、姉は祖母と寝る事が多く夫婦喧嘩も知らず寝ていた。この後10数年間姉に会えなくなるとは思わなかった。姉に張り付き声を出さず泣きながら寝た。

翌朝、起きると姉はいなかった。姉以外の家族は皆いた。しかし、母親は皆とはいないで忙しく動き回っていた。私の幼稚園の準備をしながら大きな袋に色々詰めていた。何もわからず幼稚園の準備をさせられた。いつもなら明るい母親も何も話さない。

気がつけば、母親の姉夫婦が家に来ていた。何かを言われた記憶があるが私は遊びに来たぐらいにしか思わずにいた。母親が、姉夫婦の車に乗ったので何処かに一緒に出掛けるんだ。と手を振った。これが母親との別れだった。悲しさはなかった。無かった言うより何がなんだかわからなかった。何がどうなっているのか。

この後約4年間、祖父母、親父、私の生活が始まる。

家族が潰れるとか離れるなんて考えもしないし、ピンとこない。所詮5才児。そこまでは考えていない。

←前の物語
つづきの物語→

PODCAST

​あなたも物語を
話してみませんか?

Image by Jukka Aalho

高校進学を言葉がさっぱりわからない国でしてみたら思ってたよりも遥かに波乱万丈な3年間になった話【その0:プロローグ】

2009年末、当時中学3年生。受験シーズンも真っ只中に差し掛かったというとき、私は父の母国であるスペインに旅立つことを決意しました。理由は語...

paperboy&co.創業記 VOL.1: ペパボ創業からバイアウトまで

12年前、22歳の時に福岡の片田舎で、ペパボことpaperboy&co.を立ち上げた。その時は別に会社を大きくしたいとか全く考えてな...

社長が逮捕されて上場廃止になっても会社はつぶれず、意志は継続するという話(1)

※諸説、色々あると思いますが、1平社員の目から見たお話として御覧ください。(2014/8/20 宝島社より書籍化されました!ありがとうござい...

【バカヤン】もし元とび職の不良が世界の名門大学に入学したら・・・こうなった。カルフォルニア大学バークレー校、通称UCバークレーでの「ぼくのやったこと」

初めて警察に捕まったのは13歳の時だった。神奈川県川崎市の宮前警察署に連行され、やたら長い調書をとった。「朝起きたところから捕まるまでの過程...

ハイスクール・ドロップアウト・トラベリング 高校さぼって旅にでた。

旅、前日なんでもない日常のなんでもないある日。寝る前、明日の朝に旅立つことを決めた。高校2年生の梅雨の季節。明日、突然いなくなる。親も先生も...

急に旦那が死ぬことになった!その時の私の心情と行動のまとめ1(発生事実・前編)

暗い話ですいません。最初に謝っておきます。暗い話です。嫌な話です。ですが死は誰にでも訪れ、それはどのタイミングでやってくるのかわかりません。...

bottom of page