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15/3/9

小学校6年生12歳、大文字駅伝と俺。

Image by Olia Gozha

京都市で生まれ育った人は

「大文字駅伝」

という駅伝大会をよく知っているだろう。

大文字駅伝とは2月に京都市の小学校から予選を勝ち抜いてきた小学校で争われる駅伝大会である。

子供はもちろんだが、保護者や教職員、学校関係者がこぞって参加したいと願う、京都市の一大イベントなのである。


僕が12歳、小学校6年生の春、当時の担任の先生に

「テレビに映れるかもしれないよ。」

と誘われて、陸上部に入部した。


しかし、我が母校の駅伝大会の成績はひどいもので、予選ですら最下位争いをしていた弱小チームだった。


そして入部した連中も、サッカー部の落ちこぼれだったり、僕と同じく甘い戯言に惑わされて入部した、

いわば予選突破できなさそうな連中であった。


しかし監督は僕らに期待していたようだ。

まずチームワークが良かった。

小学校のクラスは4クラスあったのだが、陸上部は全て同じクラスの同士だった。

遊ぶときも練習もずっと一緒にいた。

怒られるときも一緒だった。

楽しいグループだ。


正直、僕は大文字駅伝に出られるとは思ってはいなかった。

僕は目立たない生徒だったから、目立ちたいという思いが根底にあった。

自分を変えたい一心だったのかもしれない。

その方法が陸上部だったのだ。


夏を越したあたりから、急激にチームの力があがった。

チームワークのおかげであったと思う。

監督は「大文字駅伝」に出られるかもしれない、と色気を出してきた。

練習は過酷を極めていた。


我が母校には、マラソン大会という行事がある。

毎年やっているので、当然なのだが。


運の悪いことに、予選会とマラソン大会の日程が重なってしまった。

一大事だ。

小学生なので、マラソン大会は絶対参加しなければならない。

しかしマラソン大会で体力を使えば、予選突破など夢のまた夢。

今年もダメなのかと思っていた。


天気が味方をした。

前日まで雨が降り、予選会は中止順延となった。

当日は晴れたのでマラソン大会は行われることになった。

これで、マラソン大会だけ頑張ろうと思った。

だがしかし、、、、




マラソン大会当日、監督が

「マラソン大会上位の児童を予選会に出す、上位に入らなければ陸上部でも出さない」

という衝撃的な発言をした。


今まで一生懸命陸上部として練習した児童を出さずに、陸上部ではない児童を出す。


大人になった今なら理解できる。


しかしあの頃は理解できなかった。

僕は大泣きして抗議した。

暑い夏も、一生懸命走ったのに。


僕は結果を出すしかなかった。

あの辛い練習を乗り越えたなら頑張れるはずだ。

その通り、僕は5位入賞した。

陸上部は上位を独占した。

監督流の発破の掛け方だったのか。


後から聞いた話では、保護者や関係者から、陸上部より速い選手をなぜ予選会に出さないと言われていたらしい。


監督も大手を振って予選会に参加できることとなった。


予選会当日は曇りだった。

僕は絶好調だった。

上位4チームが本大会に進める。


僕は4区だった。

97年有馬記念前日だった。

メジロブライトが好きだった僕は有馬記念に出ないメジロブライトの分まで頑張ろうと決めていた。


母親は応援に、父親や兄や祖母は家で待っていてくれた。


号砲が鳴る。

1区はエースである。

しかし出遅れて、9位で帰ってきた。


2区は女子のエース。

なんと6人抜き。

一気に3位に浮上し本番出場が近づいた。


3区も3位で帰ってきた。僕は大きなプレッシャーを感じていた。

でも、あの練習を思い出せ!何も怖くない!


4区の僕はスタートした。

足が軽かった。前の背中が見えた。後ろの息遣いなど聞こえない。

母親のがんばれ!も聞こえた。

メジロブライトも遠くで応援していてくれた。

僕は前を抜いた。

2位で帰ってきた。


「ベストを尽くした、あとはみんなを応援しよう」


心地よい冬の風を全身に浴びた。


最後の選手が2人に抜かされたが、4位で帰ってきた。

弱小チームが大文字駅伝に出場できたのだ。


僕は大泣きした。

監督も大泣きした。

みんな大泣きした。

願いは叶うんだ。


その日から夢見心地だった。

校長先生、関係者、親戚

たくさん褒められた。

フワフワしていた。


大文字駅伝本選は結果は出なかった。

あの予選会で、僕たちの大文字駅伝は終わっていたのかもしれない。

ただ初出場という後輩たちに大きな夢を与えられたことは事実だ。


あれから、母校は何度も大文字駅伝に出ている。

僕たちがパイオニアになったのなら嬉しい限りだ。







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