願う事…
「健康な身体」
色々な過去。
泣いて、笑って。
怒って。また笑う…
そんな平凡な毎日が変わったあの日。
絶望と言う暗闇に入ってしまった日。
紛れも無い私の過去。
ずっと勤めてたスーパーを辞め。
派遣で事務に入り。
新しい仕事・友達。
毎日バタバタ過ぎてたある日。
グワングワンと、揺れる船に乗っている感覚で目が覚めた。
吐き気。
立てないほど揺れている感覚の身体。
トイレへ駆け込みたくても、立てない…
足にチカラが入らない。
壁にへばり付きながら、とりあえず座り会社へ連絡。
上手く話せない。
言葉が出てこない…
出てくるのは、突然の理解不能なコノ身体への不安の涙。
何処の病院へ行けば良いのかも分からない。
ちがう。
考えるチカラが出てこない。
仕方なく、ダメ元でずっとお世話になってるリウマチ科の主治医に連絡。
すぐ来る様に言われ。
姿を見せるとスグに「入院」になった。
検査の日々が始まる。
何度かのMRIをし、家族を交えての検査結果。
小さな会議室には、沢山の写真。
その写真は、脳・脊髄…
ほとんどが白く写っていた。
意味が分からなかった。
ただ、淡々と説明を頭にとどめて。
黒く写るハズの脳や脊髄の写真を眺めてた。
「多発性硬化症」
それが病名だった。
原因は不明。
治療法も不明。
いわゆる「難病」ってヤツだ。
ベッドに戻り。
母達も帰り。
すぐに点滴を持って看護師とリウマチの主治医がカーテンを開けた。
笑顔でいなきゃ。
きっと何かの間違えなんだ。
だから、リウマチの見慣れた主治医が来たんだ。
そう微量の期待をした瞬間。
後ろにさっき説明してた先生が見えた。
リウマチの主治医から言われた言葉。
「リウマチと平行して診て行きますが、まずはMS(多発性硬化症)の状態を確認しましょう」
初めての点滴の針を刺されながら、また頭が真っ白になっていく。
やっぱり夢とかじゃなく、私は治療法のない病気になってしまったんだ…
その日のうちに「脳神経内科」に移され。
改めて、MSという病気の話をされる。
原因不明で、神経を固まらせる病気。
固まった場所がMRI等で「白く写る」。
治す方法がなく、再発を繰り返してしまう病気。
再発する場所も不明で、神経がある場所ならどこにでも再発する。
静かに「はい。はい…」と、頷き。
こぼれそうな涙をこらえた…
「暗闇」の入り口に足を入れてしまった。
歩けない足。
トイレに行く度に、看護師さんを呼び。
終わったらまた呼ぶ。
シャワーも同様。
脳も白く写ってた為、幼稚園の子が見る様な絵本で、知能検査をし。
車椅子で覚えきれない程の検査室をまわる。
それでも泣かずに耐えた。
置かれてる状況を信じたくない一心だった。
友達が見舞いに来てくれた時も、泣かずに頑張った。
友達も私には笑顔でいてくれた。
友達の涙目の笑顔がまた涙を誘う…
なかなか病気を受け入れられない私に、色々調べて、難病指定の案内などを手配してくれたのも、遠くへ引っ越してしまった友達だった。
その好意すら、目を閉ざしてた。
でも、理性だけは保とうと必死だった。
その翌日。
ついに心が崩壊した。
何と無く調べてもらった「婦人科」。
「卵巣に9㎝ほどの腫瘍があります。」
「切除しないと破裂する恐れがあります。」
ずっと溜め込んだ気持ちが一気に弾けた。
ただただ泣き。
病院と言うこの場所から逃げたかった。
MSと、卵巣摘出。
全てを失った気分になった。
病室まで耐える事も出来ない。
人は絶望を感じると全てのチカラが抜けるんだと、初めて知った。
泣き崩れる私を車椅子で、看護師さんがベッドの前まで運ぶ。
カラダのチカラが抜けた私は、車椅子からベッドに移動する前にずり落ち。
そのまま座り込み、ただただ泣いた。
人目も気にせず。
小さな子供が迷子になった様に…
ひたすら泣いた。
翌日、主治医にワガママを言い。
1日だけ家に帰らせてもらった。
片方で杖をつき。
片方を母親に支えられながら。
家につき。
本来なら、数日前に流すハズだった涙を流し。
何日かぶりのタバコに火をつけた。
その日をきっかけに、私は変わった。
暗闇の中から必死に歩く光を探した。
友達が調べてくれた病気の事にも目を向けた。
お腹の腫瘍についても調べた。
退院までの時間は調べモノに費やした。
なかなか闇から抜ける光は見つけられないまま…
退院してからの日々は、これまた苦痛だった。
薬のせいでパンパンな顔。
俗に言う「ムーンフェイス」。
杖をつきながら買い物をする私は見世物だった。
それでも、なるべく笑顔を心がけた。
杖の姿で、会社へ謝罪にも行った。
恥ずかしいなら、慣れてしまおう!と、思ったから。
卵巣摘出までの2ヶ月間。
自分じゃ無いカラダを動かしてる気分な毎日だった。
後遺症で足がふらつく。
とにかく疲れる。
そんな状態のまま、腫瘍摘出の為の入院の日がきた。
年明けすぐの金曜日。
バタバタと説明を聞き、病室へ案内され。
ベッドに横たわる。
疲れからか、すぐに睡魔に襲われた。
目を開けると、ソコに立っていたのは。
婦人科の主治医じゃ無く、MSの主治医。
そう。
再発してしまったのだ。
腫瘍摘出は延期され、また脳神経内科に移され。
点滴による治療が始まった。
再発してしまった為、内服薬が変更され。
婦人科も腫瘍摘出までは、内服薬で排卵を止める治療法に変更になった。
破裂…
その恐怖がまた続く…
一度は泣き崩れるほどの絶望のきっかけだった腫瘍。
無くなれば、一つ進める様な気分になっていたのに…
「子供が欲しい」と言う希望にも、やっと蓋を閉めれたのに…
そんな心が病んでる状態な私は、繕った自分で生活をしてた。
あまり記憶が無いほどに、とにかくミンナが心配しない様に…
同情されない様に…
と…
そんな心が疲れた状態で婦人科へ行った日の事。
頼んでもいないのに。
言われた言葉。
「今後、妊娠は望めませんね。」
卵巣が今あることで、小さな期待をしていた気持ちを見透かされた気分になった。
あぁ。
またおちていく…
でも、泣いちゃダメだ。
ちゃんと受け止めなきゃ。
今度はちゃんと諦めなきゃ…
しばらくの間、気持ちと葛藤し。
気持ちが固まる様にと、友達に電話をした。
話し始める前から涙が出てきた。
「私。子供は諦めるよ。もう望みもしない!!」
それだけ言って、電話をきった。
翌日、婦人科外来。
腫瘍摘出までの日程を話し合う日。
もう、後悔しない。
スパッと摘出してもらおう。
そんな覚悟で先生の前に座った。
お腹の中がどんな状態なのかを確認する為と、癌検診の為に内診台に座った。
次の瞬間。
どよめきが起こった。
婦人科の主治医が悲鳴に近い声を上げている。
???
なんだろう?
内診台からエコー台に移動され。
不安から、希望に変わった。
排卵を止める薬で月経はこない。
薬の副作用で常に胃はムカムカ。
そう。
気付いて無かった。
私のお腹に小さな命がある事に…
すでに、22w。
もし、もっと早くに気付いてしまったら中絶にされかねない大量の内服薬。
でも、22wだと中絶は不可能。
そこからは慌て主治医同士が色々しらべ、内服薬による子供への負担の心配は、続くモノだけど。
出産許可。
前置胎盤の為、帝王切開を条件に。
もし、年明けの手術の時に再発していなかったら。
あり得ない命。
その命が私のお腹にいる。
1年前と同じ病院で、気分は雲泥の差。
不安と絶望しかなかった1年前。
でも、今は希望と期待。
元気な子供を産もう。
闇に居たら、産めなくなる。
光を見つけた。
病気に勝てる様な希望が出てきた。
帰り道、前日電話した友達にまた泣きながら電話。
今日は、涙から笑いに変わった電話。
泣き笑いしながら、たくさん話した。
臨月間近で、出血をし。
緊急入院をし、予定より早くに出産。
お腹で、成長が止まってしまっていたらしく。
とても小さな小さな赤ちゃん。
スグに機械の中に入れられちゃったけど。
呼吸器つけながらも必死で生きようとしてる私の赤ちゃん。
その小さな小さな手に。
私は闇から希望をもらった。
友達・家族から愛をたくさんもらった。
何より、この激動の1年を支えてくれた主人からの愛。
ミンナから愛を、希望をもらった。
1年で色々な感情に支配され。
でも、たくさんの愛と希望を噛み締めた1年だった。
そんな我が子の名前。
「愛希(あき)」
今では騒がしく元気な悪ガキ。
病気はずっと続く。
でも、またこの小さな手に希望をもらい。
前を向いて歩けるだろう。
そして。
闇の中さまよった私の心は、すでに過去になり。
泣いて、笑って…
怒って、また笑う。
そんな一部になる…
でも、もし願っても良いのならば。
この愛して止まない小さな手を守れる「健康な身体」を…


