札束で叩けばいいと思えば大間違いなんだぜ
さて今回は第3回
介護福祉の流れを考えながら
金で解決出来ない問題をぶった切って行く
前回よりディープなお話しになるので
覚悟して聞いていただきたい。
俺は誰にも不幸になって欲しくないから声をあげているのだ
偽善?傲慢?
好きに言えばいいと思っている。
だけど前途ある若者が
情報弱者ゆえに犠牲になる社会であってはならないと思っているし
働き盛りの方が
介護にあわてふためいて貧困層となり生活に困窮し
高齢者が
金食い虫の屑の食い物になってはならないと考えている。
介護の変遷と問題を語りながら
今を考えていただければ幸いである。
今回は歴史を紐解きながら
問題を時系列化して行く為に
様々な面で軽視な発言もある
その点は平にご容赦願いたい。
介護は古来嫁や娘の役目であった。
自宅内での家族の自助努力
そこで嫁や娘が親を見る
このような考えは普通であり
このような考え方に異を唱えるようなことがあれば
家に彼女たちの居場所はなかった。
その当時は
男が仕事
女が家の仕事
これが一般的であり
そもそも女性に社会参加と、収入を得る仕事がなかったのも大きい
そのような場合彼女たちの貢献場所は
家庭内にしかなかった
当時の生活水準は今と比べて貧しかったが
それは物価の面でも同じであり
それ故に金銭的な面では
華美な生活を望まない限り
低所得であっても男性の稼ぎのみで事足りた。
そして国民生活の中で女性は
子供を生み育てることを求められ
子供の数は多く
その結果家庭内での介護力(人手)は
かなり潤っていました。
高齢者にも定年はないので
動ける限りは働く上
終末期医療が稚拙だったため
その結果
介護が必要になってから生きる寿命は
今と思えばだいぶ短く
寿命と健康寿命(元気な時間のこと)がほぼ同義
下手すれば
朝起こしにいったら
まぁ…死んでる。
このような
家政婦は見たのような
朝見に行ったら死んでいたのような
ピンピンコロリな死に方も多く
認知症や精神疾患などは恥とされ
家中から出さず
家を座敷牢のようにして過ごしている。
これが普通でした
その結果
問題があるものの表面化しませんでした。
合理化は裕福であるが人に厳しい社会を生み出した。
時代が移り変わり近代化と欧米化の波がきた日本はというと
高度経済成長が起こり
高度化により生活は一気に豊かになりました
欧米化の波に乗り女性の社気的地位は格段に上昇してゆきます。
家族のスタイルが変わり
多数から少数精鋭に変わり
合理化により一人一人が
工業製品のパーツのように一通りのことが従順にできる
人間性が尊ばれるようになります。
労働条件もよくなり
賃金も上がりましたが
生活様式も物価も上がりました。
キャリアウーマンの活動により
男は働ける場を奪われてゆき
男に隷属しなければ生きて行けなかった女性にとって
結婚=幸せと言う図式は
必ずしも成り立たなくなってゆきます。
企業にとって
男女雇用均等法は追い風となりました。
女性でも
男性に負けじと働く気骨のある方は多く
法律・ライフスタイルの関係上
マニュアル化された仕事ならば
女性に任せたほうが、定期的な退職により
コストカットができたからです。
合理化の波は
家族にも現れます。
核家族と言うダウンサイジングです。
教育により
高学歴で高収入の仕事につくことはステータスとされ
子供にはそれが求められました。
かさむ教育費を一人に注ぐ
生活様式は大きく変化することになります。
また祖父母と生活しないと言うことは
子供たちから祖父母の存在に溝を作ることになります。
老いていく姿を見ないことから
老人介護の問題は遠くなり
自分たちの親を見るときに慌てふためく姿も目立つようになりました。
介護力が大きく下がったことから
措置制度を経て介護の考え方が生まれていきます。
またこの頃は病院は算術として
入院患者を受け入れていました。
取りはぐれない財力の家や
政府からの生活保護の医療費助成
それを狙い
生きる屍(リビングデット)はどんどん増えていきます。
良かれと思いやったこと
しかしそれは重篤な介護が必要な高齢者を増やす結果となりました。
延命治療は格段に進歩し
人をとりあえず生かすことが可能となった当時は
税金による補填を求めて病院が医療介護の現場となり
死は家庭から病院へとシフトしていきます。
また看護師を補助する看護助手がこの頃活躍し
これが介護福祉の本格的な始まりとなるわけです。
看護助手は3Kと呼ばれる仕事をこなしてはいましたが
特段専門性が与えられていたわけではありませんでした。
また元は家でみることが普通
激務でありながらも
薄給かつ軽率に軽んじられる仕事でありました。
しかし時代の流れにより
人口ピラミッドのバランスが崩れて
金銭と人手のWでの需要多寡
病院だけでは対応できなくなってきます。
また病院に異常な経費が流れていくことを危惧し
政府は様々な政策を打ち出します。
病院の次なる受け皿として
介護施設はそのような流れを踏んで生まれてきたのです。
人に優しくなんてお題目は自分に余裕があって成立する。
さて
現代に目を向けていきましょう。
経済が低迷した昨今
高齢者は大きく変わっていきます。
生にしがみついて死ねない高齢者
人のエゴで死なせてもらえない高齢者
家族のために死ぬわけにはいかない高齢者
どれもこれも直面すれば悲劇以外の何者でもありません。
中高年の働き盛りは
夢のある生活が忘れられません。
希望、夢、輝き…
栄光がそこにはありました。
また合理化の波により
過酷な競争
そして社会に捨てられリストラされていくもの
介護休暇もろくに取れないため
親を捨てられない結果
査定が下がり
会社に捨てられていきます。
チルチルとミチルのように
青い鳥を探すその姿は
見つからないと落胆する姿も
見つけるんだと意気込む姿も
まるでトラジコメディのようで
苦笑するしかありません。
若者の生活スタイルも大きく変わりました。
生活苦から
かなわぬ夢を見ることをやめ
その日暮らしの毎日
夢を見ることの辛さからの逃避が
無気力、無表情、無感動につながります。
有り余るエネルギーをぶつける先を求めて
刹那的に生きたり、
型にはまることを共用された歪みが
歪んだ思想を生み
弱さに漬け込まれた人が闇へ落ちてゆきます。
若者の○○離れなんて言葉はよく聞きますが
生活に困窮し
いろんな意味で余裕がないだけ。
食い荒らされた夢の残りで生きる仇花
これが若者の現実
どの人にも余裕がない。
過度な合理化は
人の生き様すら整理していった結果がこれです。
お金様に支配された人間が起こした悲劇
資本主義は
お金の力、財力がすべてです。
お金に賞味期限があれば
食材のようにおすそ分けが出来ます。
ですが
お金は経済価値が破壊されない限り
価値はなくならずその結果
不安でお金を手放すことが出来ません。
その結果お金を持った人間が
強者として弱者を支配するヒエラルキーが出来ました。
そして世の中には
お金で解決できないこともたくさんあります。
ある介護施設で160人中130人が拘束されて生活する
ふざけた介護施設がありました。
資金難による人員不足でこのような勤務
センセーショナルなニュースでした
ですがこれ
お金で人員増やせば解決したのでしょうか?
答えはNO
何故なら、彼らには能力がない
もっというと
そうゆう環境をおかしいと思えないほど
感覚が麻痺したから
人間朱に交わればなんとやらで
教育を受けず、業務に慣れると
あの異常なことが適切に思えてしまうわけです。
人がいない
人が育たない
施設ができない
これは
お金で解決出来ない問題です。
何でも買える
けど何も代えられない。
これがお金の限界
お金が悪いわけではない
が、お金の悪い部分がモロに出ている。
人の心をつなぎとめられるだけのお金が
介護分野に回ってくることはありません。
賢い労働者は蜘蛛の子散らしたように逃げていきました。
今介護をしている人間は3タイプに分けられます
無知がゆえに愛と希望と奉仕の心にあふれた愛すべき馬鹿
現状を知り諦めた誇りを失った負け犬
人間の屑
その人種に
臭い物に蓋をすればいい、金出してやるから俺に従え
そういう考えを持った政府
介護に入る補助金目当てに参入した人の皮をかぶった悪魔のような経営者
介護業界はこの人たちによって支えられています。
次回は
超成長産業であるはずの医療介護が成長できないわけについて記します。