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15/2/28

過敏性腸症候群 3回目

Image by Olia Gozha

2011年から




 S県から帰ってきた私は荒れていました。


 そして翌年の2011年3月。私は電車の中にいました。


 母は職場にいながら、私のことを心配していました。


 テレビは連日、東北の状況を放送していました。


 どうしてこの時、東北に行かなかったのか。


 母に、「私の子供なら行ってほしかった」としみじみ言われて


 内心「お腹のことが心配過ぎて無理なんだ」と思ってました。



 



 そして同年10月、母はクモ膜下出血で急逝しました。


 48時間も持つことなく、そのまま逝ってしまいました。


 母の口癖は、私が子供のころから「疲れた」「もう休みたい」


 だったので、



 良かった、と、思っています。



 私が母の寿命を縮めたことは間違いありません。


 元気明るさや、思いやりとはかけ離れたところにいつもいて


 何もしてあげられないまま母を送ってしまった。



 今は、父の寿命を縮めないように、勤められている気がしないので、


 何かしたい。



 話は戻りますが、


 母の告別式の日。


 兄が隣にずっといました。



 私は、こんな時ですら、



 自分のお腹のことばかり考えていました。


 




 その時兄がいいました。



 「お前が考えてるほど、臭くない。気のせいだ、気のせいだ」



 




 父母に何百回も言われ続けた言葉なのに、なぜ。


 その一言が、大きな変化をもたらしました。


 またその後、防衛大学の胃腸科の先生にも「異常はない」と言われ


 さらに追い風になりました。





 思春期時代、ずっと我慢してました。


 友達と遊びに行きたい。


 普通に学校に通いたい。


 恋がしたい。


 親戚の人たちと普通に会って、近況を色々教えてほしい。


 家族を心配させることなく、


 普通にまともに、優しく、思いやりのある…




 でも、この病気? もうわかりませんが、このお腹のせいで出来なかった。



 これまで、すべての乗り物に乗れず、(おならが勝手に出て後ろや周りの人を不快にさせてしまったら)



 人込みの中を歩くこともできず、(トイレの場所がわからない事が恐ろしい、

                歩きながらおならが出てしまったら)



 外食することも出来なかった。(座った瞬間おならが勝手に出て後ろの席の人を不快にさせたら)



 実際に、あったことなので、嘘じゃありません。


 冗談だったら、どんなに良かったか。




 でも、



 2012年は自動車の免許を取り、


 2013年は生まれて初めてバイトをし、


 2014年は父と母と旅行へ行きました。


 2015年は、海外の語学学校へ行きました。





 でも、結論は治ったわけではありません。


 語学学校の時ですが


 通じが悪くなり、


 おならが本当に勝手に出てしまって、


 後ろの席の人や、同じ部屋の人たちに


 嫌な思いをさせてしまったから。




 暑い中、外のテラスで


 マンツーマン授業をして頂くようお願いしました。


 風向きを気にして、なるべく角や端っこの席を選びました。


 端の席に座っていなかった時、後ろの席を振り返って見たら、


 5mくらい離れたところにあったり、そこに座っていた生徒と先生たちは


 席を外して別の場所へ行ってしまったりしました。



 悲しいですが、あれが当然の反応だから、仕方がない事。





 ですが、ただの思い込みだったのかもしれない!


 過敏に自分の弱点ばかり気にするのはもうやめよう、


 そう思います。


 もう、お腹のことばかり考えるのは嫌です。


 なぜなら、一番考えなくてはいけない人のことを蔑ろにして、


 死なせてしまうのは、もう。







 




 



 




 

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