暇の有効利用と銘打って、日本旅行中なれど、英語力維持の努力目標の一つとして、また、長年米国に住みながら、十分時間を割いて学ぼうとしなかった、アフリカ系アメリカ人の「人種差別撤廃のための非暴力運動」について、少し勉強してみたい。
キング牧師 (1)
「英国から独立を獲得するため、非暴力運動を展開した、インドのガンディーの強い影響を受けた、米国のマーテイン ルーサー キング ジュニア牧師(Martin Luther King Jr. )の自伝(とはいえ、実際は編集者がキング牧師の過去の演説や雑誌や新聞などに掲載した記事や、長年の間に大勢の人々に送った手紙等を参考にまとめた本だ。)の朗読を、ゆっくり噛み締めて聞いている。」
「キング牧師はノーベル賞受賞者でもある。 スタンフォード大学の歴史学のクレイボーン カーソン教授(Clayborne Carson)に、キング牧師が暗殺された後のある日、コレット キング夫人から電話があり、キング牧師の自伝編集の仕事を依頼、その教授は引き受けた。」
「キング牧師は生前三冊の本を執筆し、エッセイも数多く雑誌その他に書いていた。 キング牧師の意見を反映しているそのような資料をもとに、まとめ上げた本なのだ。」
「米国がまさに大恐慌に突入寸前の、1920年代の後半にキング牧師は生まれた。 南部の玄関口と言われている、ジョージア州のアトランタでキング牧師は産声をあげた。」
「キング牧師が子供時代から属していたエボニーズバプテイスト教会の近くに、家族は長年住んでいた。」
「その教会員達の中には、大金持ちは皆無だった。いわゆるアフリカ系アメリカ人の平均的収入の庶民が住んでいる地域であった。 と言うことは、極端に貧しい人々もいなかった。」
「その地域では犯罪も少なかった。 その近隣は、とても宗教心の深い人々が住んでいたからだ。」
「父親と母親の揃った幸せな家庭で育った。 キング牧師が育った家族は仲が良く、 ほとんど家庭内での争いはなかった。」
「愛が中心であるような家庭で育ったお陰で、 容易に神の愛を信じることができた。」
「その結果、人間界全般に関しても、どちらかというと楽観的な考え方を持つようになった。」
「当時としては珍しく、大学を卒業した上、信心深い母親に育てられたキング牧師。」
「その母親は自尊心の大切さを、子供達にしっかり教えた。」
「全てのアフリカ系アメリカ人の両親が子育てで特に苦労したのは、アメリカ社会に厳然と存在する人種差別に対して、「幼子達に自尊心を保持する事の大切さをどのように教えるか。」で、悩み抜いた。」
「母親は家庭内で、米国史の汚点でもある奴隷制度についても説明した。 南北戦争が起き、その結果、奴隷制度が廃止になったが、 米国の南部では「別々であるが平等」(separate but equal)
と言う掛け声で、白人と黒人の明らかな差別が続いていた。」
「バスに乗れば前方は白人、後方は黒人と言った具合だ。 水飲み場もトイレも白人用と黒人用に分かれていた。」
「「学校も白人の学校と黒人の学校が別々に存在していた。 劇場も住む場所も白人と黒人は分け隔てられていた。」
母親はそのような社会制度に完全に反対している事を子供達に伝え続けた。 「あなたは誰にも負けないほど素晴らしいのよ。」と、話した。
「白人社会に対しても、勇敢で恐れを知らない、99キロもある父親のキング シニアーは公民権運動に深く関わっていたエボニー バプテイスト教会の牧師であった。 」
「息子のキング牧師にとって、教会は常に第二の家庭であった。覚えている限り、日曜毎に欠かさず教会の集会に参加した。」
「1番の親友は教会の日曜学校の級友だった。」
「また、キング牧師が子供時代、3歳から6歳迄、自宅の直ぐ近くにあったお店の所有主が白人で、その子供が丁度同じ年頃で、いつも一緒に遊んでいた。」
ところが、6歳になり白人のその子は白人用の小学校に入学、キング牧師は黒人用の小学校に入学した。
店主の親は白人のその子に、「もう、黒人の子(キング牧師)と遊ぶな。」と、命じた。
「この出来事をきっかけに、6歳のキング牧師はアメリカが抱えている人種問題に気がつき、その時以来、 全ての白人を嫌悪するようになった。」
年を重ねるにつれ、 白人に対する憎しみが増加していった。
親達は、口を酸っぱくして、「白人を嫌ってはなりません。 キリスト教信者なのですから、白人を愛するのです。」と、教え諭した。
「南部では隔離政策が堂々と罷り通っていた。 プールも然り。 公園も白人用と指定されていて、黒人の子供はその公園で遊べなかった。」
「勿論学校も白人用と黒人用に分かれていた。コヒーを飲んだり、ハンバーガーを食べる場合でさえ、白人用カウンターに、黒人は着席出来なかった。」
「映画館でさえ黒人は入れない場合が多かった。 数は少ないが黒人専用の映画館のみ、黒人が利用できたが、 上映する映画は、数年前の古い映画のみだった。」
「アトランタでは唯一の黒人用高校があり、川向こうの遠方なので、バスに乗り通学しなければならなかった。」
「バスの中でさえ、白人客と黒人客では座れる場所まで、分離されていた。 白人はバスの前方に黒人はバスの後ろにと言った具合だった。」
このような社会的差別が堂々とまかり通っていたアメリカ社会で、長年の努力を重ね、社会組織の不合理さを取り除くため、渾身を込めて努力に努力を重ねたキング牧師について、もう少し学び続けてみたい。
ここまで聴いただけでも、人が他者を差別するのは、皮膚の違いだけではなく、もちろん皮膚の色の違いだけで差別するのはもっての外であるが、貧富の差、容姿の差、両親が揃っているか片親かの差、学歴の差、職業の差、男女の差、年齢差別その他数え上げたらきりがないほど多い。
人種問題は他国の問題と気楽に手放せ無い。 日本の歴史を少し振り返っても、都市人が田舎の人を差別、古いところでは穢多非人の問題、アイヌ人の問題、現代も存在する在日韓国人、在日朝鮮人、在日中国人、その他がある。
第二次世界大戦中、日本人はアジアの国々の人を自国の人に比べ低く見るような差別があった。
勿論、日本だけでは無いが、社会的男女の差別はまだ世界中で厳然と存在している。
また、人種問題は米国だけの問題では無い、南アフリカ、カナダ、オーストラリア等でも、人種差別は厳然と歴史的に残念ながら存在していた。
どの人間の心の奥にも、差別感は存在するのだろう。どの国においても、何らかの差別が存在しても、「仕方がない」と、諦めるのも人間の特性であるが、 一見不可能と見えた米国の人種差別問題を徐々に時間をかけて、しかも非暴力を掲げて現に改革していった牧師の業績から、学べる事が多いような気がする。
参考文献
自伝 マーティン ルーサー キングJr.
編集者 Clayborne Carson (クレイボーン カーソン)


