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15/2/24

お金もないのに憧れのウェディングドレスを貸してくれたハツコエンドウ

Image by Olia Gozha



持ち金数万円。
そんな私たちが、創業110年、皇室の挙式も手がけた歴史と格式あるハツコエンドウのウェディングドレスとタキシードを纏って、仙台で結婚パーティーを開いてもらうことが出来ました。
近年では市川海老蔵さん麻央さんの婚礼衣装とヘアメイクなども手がけた一流のブランド。


普通ならあり得ないことだらけ。奇跡的と言えることの連続でした。

なぜそんなことになったのか。
ハツコエンドウがなぜ協力してくれたのか。どのように協力してくれたのか。
それをお話したいと思います。





お金が無くなっていったわけ

そもそもなぜお金がそんなに無い状況になっていったのか。
私は一部上場企業ってやつに勤めていました。が、以前のパートナーの入院・治療費やその後の後始末など、多額の借金もありました。
人を看取るという経験の後、生気無くただただ日々を過ごすという生き方をやめ、悔いなく生きようと決意。何かのお役に立ちたい思いでボランティア活動など初めました。
2011年の東日本大震災の後には、地元仙台の企業や女性を応援するためにさまざまなイベントを行っていた会社を応援するため、資金を提供したり頼まれた事務作業などをお手伝いするようになりました。

そして2011年12月末に勤めていた会社も辞め、そのお手伝いにますます力を注いでいきました。


そんな時出会ったのが今の主人でした。
いつしか2人でカフェに行くようになり、食事をするようになり。
あまり人と長時間いることが得意ではなかった私たちでしたが、気がつけば4,5時間経ってたなんてザラでした。



一緒にいても疲れない。話さない時間も気にならない。
それでも初めは互いに恋愛感情に気づいてませんでした。
そんなある日、2人共が師と仰ぐ方から電話をもらいました。そして、へっ?と思うことを言われます。

「人はお互いが自分のなすべきことに向かうとお互いを補い合う関係ですよ。」

意識したのか、その後交際するようになるまでそんなに時間はかかりませんでした。


そして2012年9月末、私たちは一緒に住み始めたんです。
しかしセミナーやイベント開催費用や準備費を提供したり、イベント準備のため出張したりするうちに、生活資金もままならなくなっていきました。
それでもお米をいただいたり、果物をいただいたり。
そんな心遣いくださる方もいらっしゃったりして、イベント開催で喜んでいただけてる様子を見ると嬉しくて、そのイベントが大きな広がりを遂げられるようにと活動を続けていました。





ハツコエンドウとの出会い

そんな時、東京に来て手伝って欲しいとの声がかかり、私だけ東京に行くことになります。

2013年6月のことでした。なるべく安いホテルに泊まりながら、友人を手伝っていましたが、金銭的にもかなり厳しい状況。彼は仙台。初の遠距離。

1週間もするとかなり焦燥感にかられていました。何を見ても何をしても楽しくない。。



2013年6月28日。
夜、丸ノ内のパレスホテルに呼ばれました。
地下鉄大手町駅で降り、地下通路を歩いてパレスホテルへ。
初めての場所だったので、キョロキョロしながら歩いて行き地下のショップ街に入り歩いて行くと、
一番奥の正面になにやらすてきな雰囲気を醸し出すお店が。


そのウィンドウにディスプレイされていたものを目にした瞬間、思わずハッとして足を止めて両手で口を覆ってしまった私。息が止まるかと思うほど。


ディスプレイされていたのは、ウェディングドレス。

一歩、また一歩とそれに近づいていくと、ショーウィンドウにはHATSUKO ENDOの文字。



近い将来彼と結婚できたらいいなと思い、仙台で模擬披露宴などのイベントに2人で出かけたり、雑誌もいろいろ見ていたのです。でもあまりピンと来るドレスに会えず、こんなものかな〜なんて思ってたのです。



それが!出会ってしまった!!!

このドレスを見た瞬間から、目がまったく離せなくなりました。
呼ばれて来ているので行かなければならないのですが、足が動きません。



「ぅわ~~~。なんて、なんてすてきなんだろう♡♡♡」



こんなに目を奪われるウェディングドレスがあるなんて。
こんな風に出会えるなんて。
ものすごい感動でした。



後ろ髪を引かれる思いで待ち合わせの場所へ急ぎ行くと、予定の仕事がキャンセルになったと。
そのまま友人と食事に行くことにしました。
彼女にもこの感動を伝えたい!もう誰かに言いたくて仕方なかった私は、彼女を連れて再びドレスのあるフロアへ。

写真をいっぱい撮りました。


彼女は目を輝かせてドレスに魅入る私を見て、私がそのドレスを着ているのを想像したと言って涙を流していました。


わたし「気が早いよ~」

友人「だって嬉しくてー(涙)」




式を挙げることが出来るかどうかわからないけど、試着とか出来るのかな。。。


彼女と別れホテルに戻り、早速パソコンでハツコエンドウを検索。
明治からもう110年続く老舗で、一流のお店だということがわかりました。
利用される方も上流階級の方が多いようです。

「はぁ~~、ハツコエンドウのドレスで式を挙げるなんて無理かな~。レンタルもしてるみたい。着られたら嬉しいな~」


彼にも早速写真を送ってみました。(なんてゆーかな)
「いいね〜」と返信あり♪

一緒に見に行けたらいいな~。





それから一週間後。
彼も東京に呼ばれて来ることになりました。
やった~~!!。


一緒に仕事をする中で、パレスホテルに行くと、
なんとディスプレイのドレスはもう別のドレスに変わってしまっていました。


がーん!!!
じゃあ銀座のサロンに行ってみようか、というわけで
すぐに銀座のハツコエンドウウェディングスを訪れました。



初めて入るウェディングサロン。
案外堂々としている彼に勇気をもらいドアを開けます。


いらっしゃいませの温かい笑顔。
品よく、美しく展示されているウェディングの小物。
スマートな身のこなしのスタッフの方々。
1階奥のテーブルに通され、カタログを見せていただき、事情をお話しました。


すると・・
「ディスプレイは定期的に変更しておりまして・・・」
「パレスホテルか、どちらかのホテルでご婚礼のご予約はお取りになっていらっしゃいますか?」
「そちらのドレスでしたら確かに当店のドレスですが、今こちらにはございません。」


などなどお話いただきました。
どうやら、ディスプレイされていたのは確かに銀座のサロン所有のドレスのようですが、
式の予定がなければ試着も難しいということでした。


式の予定は無い私たち。
試着することも、生のドレスを彼に見てもらうことも叶わず、お店を後にしたのです。




それからさらに1週間後、私と彼は2人で仙台に戻ることになりました。
仙台に戻ってからも「ハツコエンドウ」で検索して情報を探したり、図書館に行ったり本屋さんに行ったり、ウェブで検索してみたりするうちに、私の中でどんどんハツコエンドウが魅力的に思えていきました。
現在の常務取締役兼スタイリングプロデューサーで、四代目遠藤波津子さんのお孫さんである遠藤晶子さんのことも知り、そのご活躍の様子を拝見する中でどんどん憧れ感が強まっていきました。



しかしその後もいろいろなことがあり、お金にもすっかり余裕がなくなり、
結婚式はおろか仙台に住み続けることも難しくなり、2013年7月31日仙台を離れ2人の地元である八戸に戻りました。
そんなこんなでいつ入籍するかとか結婚するかとかは話に出ることもなくなっていきました。
まずは頑張りますかね♪





入籍しちゃえ!

八戸は地元。当然実家もあります。

でも私の両親は80代半ば。兄が病気になり心配しすぎて体調を崩している彼らにこれ以上心配の材料になる情報は入れられない。彼と一緒に頑張ろうと決めたし離れるのは考えられない。
そんなわけで結局、私の親には言わずに彼のご実家に行くことにしたのです。
彼のご両親はひとまず受け入れてくれました。


その後、彼のご実家の近くにアパートを借り2人で住むことに。
彼は依頼のあった仕事をこなしたり、学びながら。私は相談を受けたりお話をしたり、文章を書いたりしながら、過ごしていました。


そんな中、東京に住む彼の妹さんが八戸で結婚式を挙げることになりました。

その結婚式に私も出席するよう彼のご両親に言っていただいたんです。受付を彼と一緒に務めて欲しいと。それだけでなく結婚式当日には、ご親戚のみなさんにご挨拶もさせていただきました。
なんだか受け入れていただいていことを感じ、とてもありがたかったです。



思い立って入籍を決めたのは2014年7月。
八戸で暮らして1年が経った頃でした。
所持金は2人合わせても1万円あるか・・・という、相変わらずの状況。


もちろん胸を張って絶対大丈夫~とは言えない状況だとは思います。
でもこれから先の人生2人で生きていくんだな~と確信を深めていましたし、この辺で気持ちを引き締めようと思い、私から彼に話してみたんです。


入籍するのは無料だし♪籍入れちゃう?みたいな軽い感じで言うと、
彼もウンウンと言ってくれ、決定~~~!
こんなにお金がない時に決めるっていうのも、ちょっと面白いかなと。
結婚式も披露宴もやらないということで。



ホンネを言えば、結婚式はしたかったー。
ウェディングドレス、着たかったんです。
あのウェディングドレスだったら最高だけど、そうじゃなくても着たかった。
ウェディングドレスとタキシードで、皆の前で結婚を誓いたかった。


でもまぁお金もないし、両親も疲れやすくなってるし食事も時間がかかるし。
なにもしないのが親にとっても負担にならずいいと思いました。
ただ写真だけはなんとか撮って、親に見せられたらいいなと、そう思っていました。


双方の実家に行ってそのことを報告すると、両家の両親ともに同意してくれました。

娘の結納の時に・・・と床の間を作ったりしていた父は少し残念そうで、
でも自分の体力などを考えるとやっぱり無理だと思えるようで。申し訳なさそうでしたが、「そうしてくれるか」と言ってくれました。
その気持がありがたく、なるべく身体の負担にならないように整えようと思いました。



両家の顔合わせは2014年9月11日に決定。

入籍は私の誕生日の9月25日になりました。
入籍することが決まるとなんだか嬉しくなってきて、顔合わせの会場を決めたり、お料理などは両親のために量は少なく柔らかく小さめにカットしてもらえるよう会場のホテルと打合せをするのもまったく負担に思えませんでした。むしろ楽しい!

ちょーワクワクでした。




結婚パーティーをしよう!

ちょうどこの用事があって東京で働く友人に連絡を取りました。


数ヶ月ぶりの連絡だったので、また数ヶ月連絡することはないだろうな~と思い、入籍することを伝えたんです。9月11日までは伏せておくことをお願いして。


すると彼女。ものっすごく喜んでくれてまた泣いちゃって。
私たちも引いちゃうくらいのハイテンション。

式も披露宴もしないことを伝えると、こんな提案をしてくれました。


友人「結婚をお祝いしたいっていう人達が集まって準備して、2人には来てもらうだけって感じでお祝いパーティーやりたい!それは嬉しい?やってもいい?」


私たちとしても嬉しくありがたく、彼女がとても楽しそうだったので、その申し出を受けることにしました。結婚パーティーは11月23日に決まりました。




結婚パーティーに参加しますと言ってくれる人達が、楽しいと思ってくれるようなパーティーにしたい。それが一番に思ったことでした。
パーティーの内容は考えてもらえることになり、ありがたく甘えてお任せすることにしたのですが、それでも自分たちが着る服のことや、お礼なども少しばかりでもしたいと考え始めました。


ちょうどこの夏、着たいと思うものを着よう!と決めて虹色レースを使ったノースリーブのロングワンピースを購入していました。
11月下旬の仙台は寒いかもしれないけど、このワンピースを着よう。
彼のほうもカジュアルにちょっとジャケットでも羽織る感じで・・・。


お礼の品は喜んでもらえるものにしたい。喜んでもらえそうなものと言えば、私の場合やっぱりスイーツ系だよね。というわけで仙台で購入できるおすすめのスイーツをいくつか考えていました。


何も準備の心配をしなくていいとは言え、自分の希望もあるしやっぱり考えちゃう。

結婚パーティーらしく、頭に花かんむりくらいは飾りたいな・・・。
彼にもブートニアを付けたら主役2人っぽくなるかな・・・。


どこまで準備出来るかわからないけど、ここまではしたいなと思うところまでいろいろと考えていました。




すると数日経ったある日、企画してくれている彼女から連絡が入りました。

友人「サトさんが、佳ちゃんが憧れてたドレスをなんとか着せてあげたいって言ってるの。借りられるように動いてみたいけどいい?」



え!!!!
ありがたいやら嬉しいやら。だったんですが、実はハツコエンドウのことを知るにつけ、難しいだろうなと思っていたのです。

ハツコエンドウでは新郎新婦がその時一番美しく輝くように全力で準備し対応するという、仕事に対する深い情熱があります。
提携しているホテルでもないし、まして仙台にドレスだけ貸すなんてことがあるだろうかと思えたんです。逆に失礼かなと。


でも、着せてあげたい。動いてみたい。という気持ちは本当にありがたく、何もする前から無理だと決めつけず、その思いを受けようと思ったのでした。



一端はそう思いお願いしていたのですが、日が経つにつれ不安がいろいろ浮かんできました。
例えばドレスだけ借りられたとして、ウェディングドレスなんて着たことが無い私。
必要な下着や靴、そしてなにより新郎のタキシードなどはどうしたらいいのだろう。


考え始めたらどんどん不安になり、自分たちで準備なんてできないし。。と気分が暗くなってきて、
そして企画してくれている彼女にメールを出すのです。


「必要な下着はどんなものかわからないし小物の準備も充分にできないと思う。
 結婚パーティーだから私だけドレスを着ても、新郎はどうするの?って思っちゃって。。
 だから借りられなければそれはそれでいいよ。」


前向きに楽しく準備を進めてくれている人に水を刺すようなメール。
この時の私は、考えると不安が募ってきて気分が暗くなり、嬉しいはずの結婚パーティーなのにその結婚パーティーの準備で気が重くなるようになっていました。
正直、自分たちで着ようと思っていたワンピースとジャケットでいいよと、投げ出したい気持ちにさえなっていました。


なぜこんな気持ちになったかと言えば、その原因は私にあります。

パーティーに来てくれた人たちに、みっともない中途半端な姿は見せられない。ドレスなら相手の衣装もドレスに合うものじゃなくちゃいけない。小物なども最低限は整っていないと。それが無理なら思い切りカジュアルで揃え、みなさんにもラフなスタイルで参加してもらえるよう連絡しないといけない。


この思いは自分がどうみられるかという思いから出ているもの。準備したいと言ってくれた人にまったく任せていない言動です。

実際には自分で全て考えチェックしたものよりも、喜んでやってくれる方に任せたほうが断然良いものが出来上がるものなのです。


このメールは案の定準備を進めている仲間のやる気を削ぎ、彼らの動きをストップさせてしまいました。



ハツコエンドウが協力してくれるって!

結婚パーティーまであと2週間ほどになった頃、準備をしてくれている彼女と話をしました。ホンネをちゃんと伝えた感じ。


すると彼女は聞いてくれて私の不安要素を補えるよう動いてくれることになり、そしてハツコエンドウへ手紙を書いてくれました。



内容は、
「震災復興のためのイベントや企画などのために多額の出資をしてくれている女性が、結婚することになりました。彼女が憧れていたのがハツコエンドウのドレスです。なんとかそのドレスを着せてあげたいと思うのですが、お支払いできるものがありません。」
というようなもの。
便箋5枚の大作だったそうです。
その手紙を銀座のハツコエンドウのサロンに飛び込みで持って行き、社長に手渡してきたというのです。


すごい行動力に、あっけに取られるばかりでした。
ぶちぶちと不安を漏らすばかりの私が恥ずかしく感じられました。



彼女が手紙を渡してきたと言っていたその翌日。
再び彼女から連絡が。
「貸してくれるって!!!」




ええええええええええーーー!!!!!
本当に難しいだろうと思っていたので、天地もひっくり返るほどの驚きでした。
なんで?なんで貸してくれるの?


手紙を渡した翌朝の会議でさっそく議題に取り上げて下さり、その手紙の内容から、そういうことならと受諾してくださったというのです。
ウェディングドレス、タキシードの他に必要な小物類すべて貸してくださると。


「そういうことなら」という所以は、ハツコエンドウの歴史にありました。
ハツコエンドウは銀座に明治38年創業の老舗。
大正12年の関東大震災や昭和の第二次世界大戦などでたびたび営業不能に陥りながらも、その度に復興し銀座の発展に寄与してきたという歴史があります。
東日本大震災からの復興に貢献している人のためならば、という思いで決定してくださったのです。



私本人としてみればそこまでのことはしていないし、過大な評価で申し訳なくも思うのですが、そのように受け取ってくださったハツコエンドウの役員のみなさま、そして手紙を書いて持って行ってくれた友人に感謝の思いは溢れるばかりでした。





ハツコエンドウの心遣い


ハツコエンドウの心遣いは、ひとつひとつが感動の連続でした。

まずは「フィッティングに着ていただけますか?」と連絡をいただきます。
そして2人の身体のサイズを聞かれました。
身長、体重、BWH、足のサイズなどなど。


そしてヴェールやアクセサリーも準備していますとのこと。


2014年11月17日。
高速バス片道10時間あまり。
身体はきつかったですが、心はワクワクで銀座のハツコエンドウェディングスを訪れました。


相変わらずの温かい笑顔で向かえてくださるスタッフの方々。
結婚パーティーを企画してくれている彼女とその旦那様と一緒に4人で伺いました。


店内には私たちの他にもフィッティングに訪れているお客様が数組いらっしゃいました。



上階のフィッティングルームに案内されると、そこにはあの憧れていたウェディングドレスが!
なんか嬉しいような信じられないような、でも現実で。。。
初めて見るものばかりで視線も定まらず、ふわふわするような不思議な気分でした。



以前読んだ雑誌の記事で、ハツコエンドウのウェディングドレスは新婦の体型に合わせて針を入れる
ことはせず、体型に合っていなければ気に入っても着ることができないと読んだことがありました。
また憧れていたドレスを着こなせるか・・・という問題も。。。


憧れていたドレスはGIOというイタリアのブランドのドレスだそうで、エンパイアラインのもの。
ディスプレイされていたものは華奢な印象の方に似合いそうな雰囲気。。
私は中肉中背。。。



エンパイアラインのドレスは他のドレスと違って特にコルセットのような下着は不要とのことで、
ドレスに縫い付けることができる下着と合わせて試着しました。


すると・・・
なんとぴったり!!!!!

スタッフ「まるで着ることが決まってたみたいですね」

やっぱりぃ~~~??と言いたい気持ちを抑え、うふふ♪と微笑んで見せる私。
かなりの嬉しさにニヤニヤしてたと思います。




途中で遠藤晶子さんも前のお仕事を終えられてフィッティングに顔を出してくださいました。そして当日の髪型から、ヴェールの長さ、グローブの長さ、アクセサリーなど、私の雰囲気を見ながら次々に提案してくださいました。

もう嬉しいのなんの!


レストランでのパーティーということでヴェールは短いもの。
ドレスがふんわりした印象のドレスなので、グローブもレースで短いもの。
アクセサリーはイヤリングのみ、ヘアアクセは短めのビジューコーム。


いくつか付け替えたりして決定しました。晶子さんの提案くださったものはどれもこれもより私も好きな感じ。

ドレスの着心地も良く、ずっと着ていたいほどです。


パンプスもヒールの高さが2種類用意されていました。
新郎とのバランスを考え選びましたが、ドレスが美しく見えるようにと高いヒールを選ぶ方も多いのだそうです。


新郎もグレーとブラックの2種類のタキシードが用意されていて、シャツやタイ、靴、
ポケットチーフなどすべてコーディネートしてくださいました。



男性スタッフ1名、女性スタッフ3名と遠藤晶子さんの総勢5名で対応していただきました。
みなさん緊張ぎみな私たちをリラックスさせてくださるような、笑顔と声とお話で、充分にその空間を楽しむことができたんです。



驚いたのは身のこなし。
フィッティング中は、カーテンを引くのですが、そのカーテンからのスタッフさんの出入りの際、一切外が見えないように出入りなさいます。
当たり前のようなことですけど、これはなかなか出来ることではありません。
ついついその行動の目的に意識がいってしまって、カーテンがバタバタしがち。
ハツコエンドウのみなさんには一切そういうことがなかったんです。



新婦と新郎のバランスから、タキシードはグレーになりました。
彼にはブラックもとても似合っていたのですが、
「新婦のドレスが柔らかいイメージのものなので、新郎はグレーのほうが新婦が目立つんです」
というアドバイスをいただいたと後で彼から聞きました。



私たちの希望を聞きながらも新郎新婦のバランスまで考えてコーディネートしてくださる。
その心遣いからか、とても気持ちよく楽しく、ますます大好きになりました。




そしてパーティー前日。
私たちが泊まるホテルにドレス、タキシード、小物類がすべて届けられました。
開封して中を確認すると、返送する際の伝票がすでに記入されているだけではなく、こちらの負担が無いような配慮がしてありました。


ウェディングドレスはハンガーにかかりビニールカバーが書けられた状態で。
タキシードと小物は皺にならないようケースに入りダンボールで。
2口で届いていました。
ドレスってこんな風に送るんだ・・・とこれまた新発見でした。





結婚パーティー当日

結婚パーティーはたくさんの方にご協力していただき開催することができました。


朝、新郎の恩師で敬愛する美容師さんに髪をセットしていただきました。
その後、タキシードを着るのをお手伝いいただき、ドレスを着たあとの髪も手直ししていただきました。


写真は親交のあるプロカメラマンの方が撮ってくださいました。


始めてのCD制作のお手伝いをさせていただいたシンガーソングライターさんは2曲も作って披露してくださいました。


ヘアアクセをお借りすることになったので、花かんむりじゃなくブーケとブートニアを準備できました。プレゼントは私が仙台で一番おいしいと思っているマフィンを準備することができました。


会場のレストランではウェルカムボードやウェディングケーキ、名前入りのグラス、当日の写真を使った記念の写真立てなど、準備してくださっていました。


企画してくれた2人は、人前結婚式と披露宴を合わせて簡素化したようなプログラムにしてくれていました。



私たちはハツコエンドウのウェディングドレスとタキシード、そしてアクセサリーを身に付け、終始笑顔溢れる中、感動の涙溢れる中、皆さんの前に結婚を誓うことが出来ました。
ものすごい幸せで、パーティーの後2ヶ月はずっとそのしあわせに浸りきっていたほどです。
今でも、結婚パーティーの写真を使って作ったスライドショーを見ると、しあわせ感が蘇ってきます。



このような素敵な結婚パーティーが出来たのも、企画してくれた2人、協力してくれた友人たち。
そしてハツコエンドウの協力があってこそです。




ドレスを送っていただいて自分たちで着てみて感じたことがあります。
ハツコエンドウはチームを組んで結婚式や披露宴のサポートをなさるわけですが、やっぱりそれぞれのドレスの一番美しい形を知っているし、ドレスへの愛情や新郎新婦に対する熱い想いがあるのだなと感じたんです。

自分たちで着ると、やっぱり一番美しい形には出来ないなと。。
レースの形を出すやり方も教えていただいたのですが、やっぱりうまく出来ませんでした。




最近私は、自分の結婚パーティーも終わったのに、以前より頻繁にウェディング系の雑誌をよく見ています。見てると癒やされる~という感じもあるからですが、一番はハツコエンドウのドレスや遠藤晶子さんの記事などがよく載っているからです。
続々と新しいドレスが発表されたり、ウェディング会場も新しい場所が紹介されるたびに素敵だな~と見惚れています。



ハツコエンドウではウェディングドレスの他に和装ウェディングも多数扱っています。
ドレス同様晶子さんがデザインに参加したりもなさっているようです。
結婚式の他に、成人式や謝恩会、結婚記念日などいろいろパーティーにも対応なさっている様子。



Hatsuko endoグループにはウェディングのレンタル、セールスの他、美容室、エステ、着付教室など、いろいろあるようです。機会がありましたらそのサービスを受けてみていただけるといいなと思います。
私もいつか、またいろいろ利用させていただきたいと思っています。



Hatsuko endoグループ
http://www.hatsuko-endo.co.jp/shoplist/shop_all.html




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