キング牧師 (4)
「博士号取得のため、ボストン大学(1951年 ー 1955年)で勉学に励んだ。 大学では哲学と神学を学んだ。」
「学問の勉強は順調に進み、 自分の中で社会に対する哲学が徐々に明確化していった。」
「非暴力の抵抗運動こそが、最も効果的活動である事を確信するに至った。」
「ただ、まだこの段階では、頭の中での知識に過ぎなかった。 実際の社会で、どのような組織を具体的に作るべきかに関しては、まだはっきりした具体案は無かったのだ。」
「ボストン時代、歌手を目指してニューイングランド音楽学校で勉学中のコレッタと言う女性に会い、意気投合、後に彼女が私の妻になった。」
「1953年の6月に、我々は結婚した。 そして二人の結婚生活はボストンで始まった。」
「妻のコレッタ スコットは南部のアラバマ州出身だ。 オハイオ州の大学に進学した。 その後、コンサート歌手になるため、奨学金でボストンにある有名な音楽学校に通い始めたのだ。」
「バプティスト教会の牧師のもとに嫁いだ結果、歌手の道は閉ざされたが、 生涯常に妻は私を多くの分野で支持してくれていた。」
1954年から1955年
「博士号取得に必要な科目は全て終了、後は、博士号論文提出だけが残っていた。」
「そろそろ、その状態で仕事につく事を考え始めた。 東部にあるニューヨーク州とマサチューセッツ州の教会が、牧師としてくるよう勧めてくれた。 また、3つの大学が講師の地位を提供してくれた。」
「仕事の可能性について考慮中、 手紙を受け取った。 アラバマ州モントゴメリーにあるバプティスト教会が、牧師を必要としているという知らせだった。機会が有れば、その教会で説教をして欲しいと言う要望だった。」
「アトランタのキング牧師の父親から、 キング牧師. Jr. の事を聞いたようだ。」
「クリスマスにはアトランタの両親の家に行く予定なので、その時アラバマ州まで出向いて、そちらの教会で喜んで、1月のある日曜日に説教をします。」と、手紙でキング牧師は返信した。
「アラバマ州にあるデクスター バプティスト教会は歴史のある教会だった。 過去にも有名な牧師達が説教をした教会だった。」
「大変素晴らしい教会で、可能性が高い教会であった。1954年の1月に、ジョージア州アトランタからアラバマ州モントゴメリーに向かって車を走らせた。」
「よく晴れた寒い冬の日で、太陽が辺りを明るく照らしていた。」
「知人が土曜日に、煉瓦造りのどっしりとした由緒ある教会に案内してくれた。 翌日の日曜日説教をする事になっていたのだ。」
「教会の近くに四角い公園があり、その公園の一角にある白塗りの州庁舎が目に入った。」
「この州庁舎の前で、1861年1月、アラバマは合衆国から離脱する事を決定した。 その年の2月18日、ジェファソン デイビスが南部連邦の大統領になる誓いを立てたのだ。」
「その結果、アラバマは南部連邦の発祥の地として知られている。」
キング牧師は、幸運な事に西洋思想、哲学などを博士号取得を目的に学んだ。
結果的に、白人の知識階級の人々と、同等の立場で議論ができた。
少数民族はしばしば、白人より知的レベルが低いと誤解される場合が多い現状で、白人と同等の教育を受け、同等に理論的にも議論できる能力の保持者は、 アフリカ系アメリカ人にとっても、貴重な存在だったのだ。
参考文献 自伝 マルティン ルター キング, Jr.
(Martin Luther King., Jr. )
編集者 クレイボーン カーソン
(Clayborne Carson)’