キング牧師 (3)
「結果的に、今までの白人に対する恨みつらみの気持ちが幾分緩み、協力体制を取ろうと言う気持ちに傾いた。」
「社会の問題点や政治に目覚め、法律的障壁を取り除いてゆく努力に、自分も参画しようと言う決心を高めた。」
「でも、当時まだ牧師になる決心はつかなかった。 両親の影響を受け、社会改革に自分も参画する気ではあったが、弁護士や医者になることでも、社会を良い方向に持って行けると信じていた。」
「でも、縁あって、牧師である父の元で、6ヶ月間副牧師の役割を担った事はあった。」
「大学の教養学部の2年間は、色々な疑いが頭の中に生まれた時期でもあった。」
「教会の日曜学校で学んだ事と、大学の授業で学ぶ内容に大きな溝がある事に気づいた。」
「勉強するにつれ、懐疑心が頭をもたげた。 また同時に、黒人の教会が足を踏み鳴らし、 大声で叫ぶ傾向等、感情に走りやすい事にも、抵抗するようになった。」
「大学の4年生になり、神学の勉強に力を注ぎ始め、高校時代は半信半疑であったにも関わらず、新たな決心をして聖職者になった。」
「1948年、僕はペンシルベニア州にある神学校へ入学した。 社会の悪を無くすために、社会学や倫理学の勉強に力を注いだ。」
「プラトン、アリストテレス、ルソー、ベンサム、ミル等と言った西洋の哲学者の理論を学んだ。」
「また、社会の思想家達の書物も多数読み耽った。 ある会合でジョンソン氏の講演を聞いた。それはインドのガンディーについての印象的な話であった。」
「名前は聞いた事があったが、詳しく勉強した事がなかったので、 本屋でガンディーの書物を数冊買い求めて読み始めた。」
「読むにつれ、ガンディーの非暴力の抵抗運動に深く心を動かされた。」
「真実の力、愛の力」といったガンディーの運動方式に特に心を惹かれた。
「ガンディーの思想に深く入るにつれ、彼の考え方の有効性を確信する事ができた。」
「イエス キリストの倫理は、一人一人の関係性にのみ有効であると信じていた。 人種対人種の闘争や、国と国との闘争の場合は、もっと現実的な手法が必要であるとそれまで信じていたが、ガンディーの書物を読み進むにつれ、自分の今までの考え方が間違っていたことに気づいた。」
「イエスキリストの教えを、 単なる個人対個人の教えとしてではなく、多分初めて、広く社会変革の力として有効に使ったのがガンディーである事を悟った。」
ガンディーは、 「愛こそが、社会の悪をも取り除く有効な手段である。」と、身を持って指し示した人物だ。
「愛は、グループ全体を良い方向に変え得る力も有している事を証明したのがガンディーだ。」
ガンディーが、愛と非暴力運動を全面的に展開したことで、 キング牧師は「社会改革も愛と非暴力運動で可能だ。」と、確信したのだ。
少数民族の指導者は、権力を長年握り続けている白人達とまともに戦えば、金力、軍備力において、今の段階では完全に負けてしまう可能性が無限に高い。
大英帝国の植民地政策と戦うために、ガンディーが採用した非暴力運動こそが正しい戦術であったのだろう。
しかも、イギリスのインドに対する植民地政策は見事に消滅したが、 しばらくは内戦が続き、バンガラディシュとパキスタンに、インド国内在住であった回教徒達が別れ住む事で、インド大陸並びにその周辺地域に、平和をある程度達成させる事ができた。
参考文献
自伝 Martin Luther King, Jr. (マルティン ルター キング、Jr.
編集者、 Clayborne Carson (クレイボーン カーソン)


