父は、かつてある日中合弁会社を一気に黒字に転換させ、
それは「上海の奇跡」と呼ばれました。
その奇跡の裏にはなにがあったのか・・・
歳をとった父がしてくれた話です。
こんな話をすると、自慢話のように聞こえるかもしれんが、
まあ、人生の経験として話そう・・・
父が、あるテフロンのフライパンを作る日中合弁会社の社長を頼まれていた時の事。
部下の一人の人が、こう言ったそうです。
父の部下「社長は本物の経営者ですね。」
父「私はプロの技術屋ではあるけれども、経営者としてはどうかな。君はなんでそう思うんだい?」
父の部下「社長は自分でお気づきじゃないんですか。従業員は、みんな自然に社長を尊敬するようになるんですよ。」
父の部下がそう言った理由には、こんなエピソードがあったのです。
* * * * * * *
ある日、父の元に緊急の電話がかかってきた。
「チーちゃんがトラックに跳ねられた!!」
チーちゃんというのは、父の会社で事務をしていた従業員の女の子だった。
その子がトラックに跳ねられ、病院に運ばれたという知らせだった。
父は即、彼女が運ばれた病院に急いだ。
父が到着すると、チーちゃんは重傷を負っていたにも関わらず、
応急処置だけで、冷たい病院の床に毛布一枚ひいた上に寝かされていた。
医者が足りず手術ができない、ということで、彼女はほっぽらかしにされていたのだ。
このままでは危ない!
父はすぐさま、上海で一番設備が整った外国人の医者がいるカトリック系の病院を手配した。
しかし、その搬送には救急車は出ない。
父は会社のトラックと医務室の看護婦を呼び、マットレスをひいて、
苦しんでいるチーちゃんを乗せた。
そして、なんとか、チーちゃんを無事入院させた・・・はずだった。
ところが、その翌日の朝。
父の住んでいたマンションの管理人から電話がきた。
管理人「公安警察がきています。」
父「公安警察?私にいったい何の用だ?まあ、いい。今、下に降りて行く。」
父が下に降りて行くと、中国の公安警察官が二人待っていた。
公安警察「あなたを逮捕する。」
いきなりだった。
父「逮捕する?なんの容疑だ?」
公安警察「あなたは刑法○○条を犯し、中国人を外国人専用の病院に入院させた。」
父がチーちゃんを入院させたのは、外国人専用の病院だったのだ。
その当時、中国では、外国人用の通貨と中国人用の通貨に分かれ、
外国人が泊まれる場所、買い物ができる場所などは、中国人とは区別されていた。
それで、その病院でも、中国人はそこで治療を受けることはできない規則だった。
父「よかろう。逮捕するがいい。ただし!チーは退院させん。続けて治療を続けさせろ。」
公安警察「それはできん。彼女にはすぐに退院してもらう。」
父「費用は私が持つと言っているではないか!」
しかし、向うも、費用の問題ではない、規則は規則だから、との一点張り。
とにかく、父を逮捕すると。
すぐに父の日本人の部下にも連絡がいった。
社長が逮捕されたりしたら、会社にも影響がある。
それだけは避けなければ!
彼はすぐに工場長に電話をし、その工場長は会社の守衛に連絡を取った。
守衛は、中国の元憲兵隊隊長を勤めた男だった。
その守衛が、父のところへぶっ飛んで来た。
それは元憲兵隊隊長だけのことはある。
公安警察官と話をつけてくれた。
公安警察「今回だけは見逃してやる。ただし、彼女は三日以内に退院させること。」
そこで父は急遽、会社の医務室の一部をチーちゃんの病室として用意し、
専門の看護婦を雇い、毎日、医者に来てもらうよう手配をし、彼女の治療に当ってもらった。
彼女はそこで何週間か治療を受け、回復した。
中国人の社会では、そんなことは考えられないことだった。
チーちゃんの家族にしてみれば、それは奇跡のようなことだったろう。
彼女が全快した時、彼女の両親は父に感謝を示すために、父を招待したい、と言ってきた。
父は少し考えた末、逆に全快祝いとして、チーちゃんと彼女の両親を招待することにした。
それには訳があった。
父は彼らに「特別な贈り物」を用意したかったのだ。
招待を喜んで受けて来たチーちゃんのご両親に父は言った。
父「チーちゃん、全快、おめでとう。ご両親も安心なさったことでしょう。」
彼女の両親は、父に言葉では言い尽くせない感謝を全身全霊をもって示した。
父は続けた。
父「でもね、チーちゃんが回復して一番嬉しいのは、ご両親でも、私でもない。誰だと思いますか?」
チーちゃんと両親は、ぽかんとしていた。
父の言っている意味がわからないようだった。
父「それはね、チーちゃんをはねてしまったトラックの運転手じゃないでしょうか。」
チーちゃんの両親は驚いた。
チーちゃんママ「そんなことはありえません!あいつは、娘の方が悪かったんだと言い張ったんですよ!」
父「でもね、それは彼に罪悪感があり、怖れていたからですよ。」
チーちゃんの両親はそれでも怒りが収まらないようだった。
父「実は、ここにその運転手を呼んであるんです。会ってやってくれませんか?」
驚くチーちゃん一家の前に、父はその運転手を呼んだ。
トラック運転手「すみませんでした!!本当にすみませんでした!!チーちゃんが回復してくれて本当に、本当に、嬉しいです。ごめんなさい。どうか、許してください!」
彼は自分の非を認め、心から謝った。
チーちゃんの両親は彼の肩を抱き、謝ってくれたトラックの運転手を許した。
父「これでお互いに気が楽になったでしょう。これが本当の全快祝いじゃないですか?」
それが父の「全快祝いの贈り物」だった。
その後、その話がちーちゃんの口から他の従業員へと伝わっていった。
中国人従業員の中に、父への信頼と尊敬の念が生まれていったのは当然だったろう。
それから後に、そのトラックの運転手は、父の会社のトラックの運転手になった。
その当時、中国では、運転手による品物の横流しなどがあって、多くの会社が困っていたが、
彼は父に忠誠をつくしてれ、父の会社ではそういうこともなくなった。
父の経営方針は、徹底的な従業員へのサービスだった。
父の理念は、従業員が満足すれば、会社は自然と上手く行く、というものだった。
その工場で働いたのは、ほとんどが高等教育を受けていない、貧しい労働者階級の人々だった。
その当時、中国の労働者のランチというのは、せいぜい、ご飯と白菜の炒め物くらいのものだったが、父は一流のコックを有名飯店から引き抜き、毎日、8品くらい用意させた。
それは当時の中国ではあり得ないことだった。
しかも、残ったものは、お弁当箱に詰めたものを用意し、従業員が順番で持ち帰えるようにした。
それから、図書館と娯楽室も創った。医務室も完備した。
その評判はすぐに近辺に伝わり、そんなことをされると困る、と他の工場から父にクレームがきた。
しかし、父は動じなかった。
「うちは従業員の優遇をやめたりしませんよ。お宅でもやったらどうです?」
そういうと、相手はそれ以上、突っ込めなかった。
ここで働いて幸せだと感じれば、自然と生産性もあがる。
ひいては会社の利益になるのだ、と信じた。
しかし、創業開始から3ヶ月間は悲惨だったという。
不良品が25〜30%も出たのだ。これでは採算が合わない。
そこで父が取った対策は・・・
まず、不良品を出した従業員の名前と数を壁に張り出させた。
そして、従業員の話し合いの場を設けさせた。
その時、父は部下に、とびきり美味しいお菓子とお茶を用意するよう、頼んだ。
従業員の緊張を取り、和める雰囲気創りのためだ。
集まった従業員たちに、父はこう言った。
父「不良品を出した人を責めてはいけない。どうしてその人が不良品を出してしまうのか、原因を話し合いなさい。たとえば、それが単なる不注意であったのか、それとも、そんな単純な作業をするのは嫌だ、ということで、やる気が出せないのか、とかね。もし、不注意であるなら、どうすればよいか、考えなさい。もし、仕事に不満があるなら、配置換えをする。もっと複雑な仕事に携わりたい者がいたら、言いなさい。向き不向きというものがあるから、皆が自分に向いた仕事ができるようにしなさい。ただし、君たちに言っておく。利益が上がれば、その分、君たちの給料もあげよう。しかし、不良品が出続ければ、その分、君たちの給料に響く。3ヶ月は待とう。その間に改善してほしい。」
そして、日本本社から派遣されている部下に父は言った。
父「彼らのほとんどは、高校も出ていない。だから、品質管理の云々を言っても無駄だ。彼らに解決させるんだ。」
父は従業員たちに、それ以上なにも指図しなかった。
しかし、その後、なんとたった2週間で、不良品は激減した。
そして、1ヶ月後には、不良品は全体の0.1% 千個に1個ほどになった。
これは、日本本社の品質管理を上回るものだった。
そして、黒字まで持って行くのに3年はかかると言われていた経営は、
なんと1年で100万ドルの利益をあげた。
それは、「上海の奇跡」と言われ、マスコミにも取り上げられるほどになった。
父はまた、従業員たちとの交流もはかった。
父は会社の食堂の従業員たちと同じ場所で食べていた。
すると、すぐに社長専用の特別席を作られてしまった。
父「私はみんなと一緒に食べたいのだが・・・」
従業員「それは困ります。社長への敬意を表してのことなので。」
そこで、父は、毎日一人ずつ、社長のテーブルに従業員を招くことにした。
父が最初に呼んだのは、16歳の女工さんだった。
彼女はとても緊張していたので、父が中国語でジョークを言ったらゲラゲラ笑い出した。
冗談がおかしかったのではなく、父の発音がおかしかったから。
父「それじゃあ、君が私に正しい発音を教えてくれるかね?」
彼女は自分が社長に何か教えられた、というのでとても嬉しかったらしく、
その話も伝わり、だんだん積極的に父とランチを一緒にしたいという従業員が増え、
一人づつが二人になり、三人になり、そして結局、みんなでいっしょに食べるようになった。
「私が偉いわけでもなんでもない。ただ君たちより歳を取っているから、経験がある、というにすぎないんだ。君たちだって、私なんかを超える大きな可能性をもってるんだよ。」
父は若い従業員たちとランチをしながら、たびたびそんな話をした。
***********
部下「そういうことをしているから、従業員から尊敬されるんですよ。だから、社長は経営者として本物だというんです。」
部下にそう言われた時、父はこう答えたそうです。
父「そりゃ、勘違いしないで欲しいな。経営者というのは、あくまで、どれだけ利益をあげることができるか、ということを追求しているのであって、私はそういったことを経営者としてやっているわけじゃないよ。それは一人の人間としてやっていることなんだ。」
父は若い頃、極貧の中で、人として平等に扱ってもらえず、とてもつらい思いをした。
だから、平等に扱ってもらいたい、と自分が思ったことを彼らにしているだけなんだ、と。
しかし、こういうことは言えると思う、と父は言いました。
人としての信頼と尊敬というものを従業員が感じてくれれば、
結局、経営が楽になる。
今の目標はこれこれなんだが、どうやったらできるか、みんなで考えてほしい、
と言うだけですべてが動き出す。
だから、3ヶ月どころか、本当は半年はかかると思われていたことが、
たった2週間で動き出したのだ。
そういうことが起きる。
「上海の奇跡」はこうして生まれた。
人にしたことは、必ず、自分に戻って来る。
『情けは人のためならず』
ということなんだ、と。
そしてこの「上海の奇跡」には後日談がある。
『上海の奇跡』後日談
父が日中合弁の会社を任されたのは、日本の本社が赤字で、その建て直しを図るためだった。
父は、それまでの日本の封建的な経営方針とは全く違った方向で、
1年で予想をはるかに上回る、すごい額の黒字にして見事に会社を立て直した。
しかし、そうなると、本社の中に父を妬む者が現れ始めた。
まさにテレビドラマのような展開だ。
頭の固い日本本社経営陣は、父のやり方に難色を示し、
中国人労働者を優遇する父を、中国側も目の上のたんこぶとして見始めた。
父は、黒字になったのだから、それに見合う給料を全員に支払うべきだとし、
従業員全員の給料を上げ、労働者保険を与え、
前述の通り、人材向上のため、図書館を設置し、村人にもこれを開放し、
従業員が社長と同じものを食べられるような食堂を作った。
労働者を搾取していた中国側は、そんなことをされては、他の工場との差がでて困る、とし、
日本の経営陣も父の経営方針は論外だとし、日中双方で
「鈴木は会社を乗っ取ろうとしている」
との怪文書が飛び交い、父を解雇することを決定したのだ。
そのとき、一番悲しんだのは、従業員たちだった。
社員「社長、これは私たちの氣持ちです。」
それは、その当時、最高級のローレックスの腕時計だった。
事務で働いていた社員が、少しずつお金を出しあい、父に贈ったのだった。
会社がやったのではなく、従業員たちが自らそうしてくれたのだ。
そして、交通事故にあったチーちゃんからは、
父の新しい人生の船出が「順風満帆」であるようにと、帆船の模型が贈られた。
そして、別れの日。
従業員全員が工場の前に整列し、その家族、村人までもが、父を見送ってくれた。
その後、その会社がどういう運命をたどったか…
多分、想像がつくのではないだろうか。
父が辞めて、たった1年半で倒産したのだった。
人々の信頼というものが、いかに大きな力となりうるか。
大切にされたという感謝が、どんなに人を向上させるのか。
利益だけを追求する当時の会社経営陣の方々には見えなかったのでしょう。
現在でも、 多くの日本企業が海外で安い労働力を使っていると思います。
100円ショップのようなものがどのようになりたっているのかよくわかりませんが、
そういうものが成り立つような労働環境にいる人々がいる、ということなのではないでしょうか…
海外の安い労働力を利用している企業が、自分たちの利益だけでなく、
地域の環境、現地で働く人々にも配慮した経営をなさってくださることを祈ります。
本当に豊かな社会とはどういうものなのか…
経済発展という幻想の向こうに、答えがあるような気がしてなりません。
「情けは人のためならず」
奇跡 は 人が人としての
心の豊かさを取り戻した時に起きる。
それは、時代や国を超え、
人として私たちが忘れてはならない
心の在り方なのではないでしょうか。