米国の人種差別
マルティン ルター キング牧師等の公民権運動の成果もあり、バスに乗った時、白人が前の席、黒人は後の席に座ると言った時代はずれの条例は廃止された。
レストランのカウンター等も、白人のみ座れると言った条例は廃止され、白人も黒人も先着順に座れるようになった。
白人のみが許されていた水飲み場と言った条例も今はない。
でも、人種差別の根は深く、米国社会の奥に蔓延しているのが現状だ。
Richard Rothstein氏は、書籍「法律上の色分け」(Color of Law)の著作者で偶然、ユーチューブで彼の講演会に耳を傾けた。
合計45年以上米国に住み、20年ほど前には米国籍まで取ったので、米国が抱えている問題は私の問題でもあると、遅まきながら気がつき、米国社会を客観的に学び直したいと考えている。
この本の副題は、「米国政府がいかに分離政策を推進したか」である。
1945年に第二次世界大戦が終了、大勢の若い退役軍人が海外から帰国、至急差し迫る住宅問題を解決するため、郊外に中産階級用の新興住宅街を建設する必要があった。
平和が回復、若い元兵士は家族を作り始め、住む家が必要であったのだ。
1945年から1950年、1955年と郊外に政府の補助金を注ぎ込み、急ピッチで新興住宅街が出来上ったが、白人のみがその新しい住宅を購入できた。
連邦政府の方針で、アフリカ系アメリカ人は除外されたのだ。
1960年代、米国内は公民権運動の嵐が吹き荒れた。 その結果、前述のような、バス乗車、レストラン、水飲み場などでの、多くの社会的差別は撤回された。
ただ、米国の大都市郊外の住宅街は、白人と黒人の棲み分けがはっきり分かれていた。
これは、連邦政府の法律、条例等で決まったと言うよりは、米国市民は「自然の成り行きでたまたま別々の場所に住むようになった。」と、ご都合主義で信じようとした。
米国中を旅して回ると、素人の目にも、 「ああ、ここは白人の住宅街だ。 そしてそちら側はアフリカ系アメリカ人の住区だ。」と、分かるほど、綺麗に分離されている。
「理屈と膏薬は何処にでも付く」と言われているが、 厳然とした国の人種隔離政策である居住区の差別を、誰でも自由に、「お金さえ出せばどの地域の住宅を買っても良い。」と、言った建前論はあるが、住宅購入時の詳しい契約書には、白人にのみ売買可能とかの記述がある場合が多い。
著者はある事例を出している。 たまたま、白人とアフリカ系アメリカ人が友人になり、黒人のため自宅以外にもう一軒購入した上、 白人住区にあるその家を知人のアフリカ系アメリカ人に売却した。
そのアフリカ系アメリカ人は喜んで、家族共々その家に引っ越したが、近隣の人々が、自分達の住宅街にアフリカ系アメリカ人家族が住む事に抗議した。
警察官が出るほどの大騒動に進展、黒人の友人である白人が逮捕され懲役刑を受けてしまった。 地域の平安を乱した罪で罰せられたのだ。
住む所を分離すると、学校教育にも直接影響をあたえてしまう。 地域の固定資産税をもとに、 公立学校の教育費を捻出しているので、 高級住宅街の税収入は当然多く、教育にかけるお金もふんだんにある。
白人の住民達は、アフリカ系アメリカ人が引っ越してくる事で、 住宅の価値が落ちる事を懸念するのだ。
南アフリカの人種隔離政策は有名だ。 マンデラ氏が長い投獄生活から解放され、 新生南アフリカの大統領になり、 黒人のため小学校の校舎を建設することから、 今までの長い不平等を解消する動きが始まった。
日本に住んでいた若い頃は、アメリカは自由平等の国と単純に信じていたが、 日本にも建前と本音があるように、アメリカにも立派な建前論と本音があることを遅まきながら学んでいる。


