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15/2/11

【世界一可愛いおばあちゃんになったる宣言!】Baby Angel ♡ 赤ちゃん天使がくれた贈り物

Image by Olia Gozha

【世界一可愛いおばあちゃんになったる!】


だだ〜ん!

発表します!


もうすぐ、私に孫が生まれます!!!


=私、おばあちゃんになるんだあ!


娘はドイツ系白人とのハーフ(ダブル!)で

娘の子どものお父ちゃんはイギリス系だから

孫は日本人の血、1/4

私の孫には見えないだろうなあ。


娘の時でさえ、ベビーシッターみたいだったから

孫、抱いていたら、少数民族のベビーシッターだな!


なんて呼ばせようかな。

グランマなんておもしろくないし、

バーバもなあ。

ナーナにしようかな。


なんてね・・・



でもね、今は笑って言えるけど

ここまでスムーズに

歓びいっぱいできたわけじゃない☆


そこには葛藤と涙と祈りがあった。


怖れも怒りもいっぱい出てきた。



そんなすべてが

赤ちゃん天使からの贈り物だって

心から想えるまでの物語を綴ろう。



あなたが生まれて来ることへの感謝を込めて・・・





【娘がみた夢】


人生って

想いもしないことがおきるもの。


そんな予期していなかった事態がおきた時

どう反応するか、で人生が変わる。



それは突然目の前に何本もの川の流れができて

どの流れに飛び込むかで

行き着く先が違って来る、そんな感じ。


でも一旦、どの流れに飛び込むか決めたら、

あとは、その流れに身を委ねるしかない。




去年の夏のある日、娘から電話があった。



「変な夢みちゃった!Jにそっくりな男の子の赤ちゃんを産む夢。ママと赤ちゃん抱いて、自然食スーパーで買い物してさ、すごくリアルな夢。だけど、避妊してたから、そんなのあり得ないけどね。でもさ、夢の中で、ママったら赤ちゃんのためにあたふたしちゃってさ。おかしかったよ♡」



そして、二人で笑った。


それは今の時点では、あり得ないことであって欲しい話だ。


娘はその彼とは別れたばかりだったから。


その頃、娘は体調を崩して不調を訴えていた。

医者によると甲状腺の異常が観られるとのことで

その治療が必要だと言われたとのことだった。


しかし、その後、だんだん彼女の症状は重くなっていった。



「友達が、それって つわり じゃないの? っていうから まあ、あり得ないけど、安心するために一応テストしてみるね」




そんな気楽な声で娘から電話がきた。



しかし・・・


その後かかってきた電話の娘の声は

重く沈み、泣き声だった。


2回テストをしたけど、2回とも陽性。

つまりそれは妊娠している、ということ。



私も声がなかった。


頭が真っ白になった。




「お願い!堕ろせって言わないで!」




私の心をよぎった想いを読み取ったのだろうか。


それを断ち切るように、娘が叫んだ。



【悪夢】


その時、私の記憶のスクリーンには

走馬灯のように自分の若いころのことが蘇っていた。


私は、23歳だった。

スウェーデンに留学中だった。


美術学校が終わり、ストックホルム大学でスウェーデン語を学んでいた。


その頃の私は、ヒッピー時代の生き残りのような仲間たちとつるんでいた。





LOVE&PEACE

みんな愛でつながっていこう!


芸術を愛し

自然を愛し

自由を愛し

人種も宗教も超えて

平和な世界を創っていこう!


ジョン・レノンのイマジンは、テーマソング。


私はドラッグやマリワナは好きではなかったし、興味が無かった。

なにも無い状態でも、幽体離脱、幻覚などで悩まされている状態だったから。

それ以上のものは欲しくなかった。

夢のセラピーも受けていたくらいだったから。


しかし、私の彼も私の周りの友達も、ハイ状態でいる奴らが多かった。

明日の生活を考えるより、今日を楽しむ。


私の彼もそんな一人だった。

彼はチリから家族と共に、政治(経済)亡命してきた若者だった。

情熱的でロマンチックで、家族が集まり、友達が集まれば、

すぐに音楽をかなで歌い、踊り、人生を味わうってこういうことなんだ、という生活。


真面目な性格の人間が多いスウェーデン人と違って、

いい加減、だけど、人間味があるロマンチックな彼に惹かれていた。


でもね、ある日、彼のお母さんに言われた。


彼のママ「私はナナのことがとても可愛い。大好きだからあえて言うわね。うちの長男は真面目な性格で、彼のワイフだけを愛しているけど、ペペ(私の彼)は、遊び人だから、ナナがきっと泣くことになる。息子がもっと真面目な男だったらナナと一緒になってもらいたい。でもね、あの子はだめ。いつか卒業するかもしれないけど、当分はだめよ。こんなこと、母親の私が言いたくないけど、あの子とは早く別れた方がナナのためよ。」




そしてその通りだった。


彼にとっては、出逢う女の子、すべてが恋人になってしまう。

たとえ一晩だけでもね。



ある日、半分一緒に暮らしていたような彼のアパートのドアを開けたとき

奥の寝室から女の子のうわずる声が聴こえてきた。



それが彼との関係の終わりだった。



予期していなかったわけではない。


それでも、それが現実になったときには、

まるで青天の霹靂のごとくに感じるものだ。


自分の描いていた夢物語が

音をたてて崩れて行く。


あるいは、自分をごまかすために張っていた靄が晴れてしまった、

ということかもしれない。


臭いものには蓋をして
見たくないものには目をつぶっていても
その現実が消えるわけではない。


いつかは目を開き、そのことを直視し
その蓋をあけ、中を掃除しないといけなくなる時がくる。


それが来てしまったということだった。




そしてそのあと、すぐだった。



ある朝、急に気分が悪くなり、洗面所で吐いた。


手ですくった水で口をすすぎ、鏡に映った自分をみた。



うそ・・・でしょ・・・



血の気が引いて行く。

手と足の先が急に冷たくなっていった。



まるでドラマの中の一場面の中にいるかのような自分。




運命の流れの中で、私は決断を迫られた。


もうすぐビザがなくなる国で一人。

頼る人もいなかった。


お腹の中の命に、泣いて、泣いて、泣いて、泣いて、謝った。


「ごめんね。ごめんね。今はあなたを迎えることはできないの。だけど、いつかきっとあなたを迎え入れるから。その時まで待っていてね。ごめんね、本当にごめんなさい。」




こんなにも涙は溢れてくるものなんだろうか、と想うほど泣いた。


私は「孤独」という病に侵された。


その時私は、孤独と罪悪感から

どれだけの涙を自分の胸に落とし込んだことだろう。



そして私はその日を迎えた。


その時、私はまたしても大きなショックを受けた。


スウェーデンは福祉国家であるため、国民ならずとも、ビザがあれば無料/ほとんど無料で受けられる医療サービスがたくさんある。

堕胎手術に対してもそうだ。

そんなことはよくあることで、ごく当たり前、といったような手続きの簡単さ。

心の痛手をおっている状態の私には、そのことがかえってつらかった。


医者もそうとう慣れているのだろう。

局部麻酔だから、医者と助手の会話が聴こえる。

たとえ何週間目かの小さな命であったとしても

人の体からひとつの命を取り出すという、大変なことをしている間、

彼らはなんと笑いながら、これから行くバケーションの話をしていた。


医者「今度の休み、フランスにいこうかな」

看護婦「あ、いいわよね。美術館巡りとか」

医者「パリより南フランスの方へ行こうと思ってさ」



なんでそんな話を手術中にするわけ?

あなたたちにとって私はなんなの?

私に注意を払ってくれているの??



彼らにとっては、機械的作業で、私はただの「物体」でしかない。


そんなふうにしか感じられなかった。


私は徹底的に打ちのめされ、自分の存在価値がなくなったように想えた。


病院からの帰り道のことを私は記憶していない。

魂が抜けた亡霊のごとく、漂うように歩いていたような氣がする。



私を責める人は誰もいなかった。

むしろ誰かに責められたら、自分の感情をぶちまけられたかもしれない。


しかし、私を責める人も慰める人もなかった。

私を責めていたのは私だけだった。




ひとり戻った部屋の中で、私は呆然としていたが

ふとスケッチブックを手にした。


私は絵を描き始めた。


命が巡り、再び、戻ってきてくれることを祈りながら。


それは私にとって、懺悔であり、レクイエムであり、癒しであった。



肉体的、精神的にもぼろぼろになっていた

その時の私にできることは、それしかなかった。


何度も涙をぬぐいながら、私は描いた。




きっとこの命は、私のもとに戻って来てくれる。


大丈夫。大丈夫。


こみ上げて来る罪悪感を涙で流しながら、自分に言い聞かせた。


描いているうちに、次第に心が透明になっていった。


大丈夫。大丈夫。


またいつかきっと・・・




それからの私は、恋人より家族が欲しいという想いにかられるようになった。


そしてそれは実現し、実際に二人の可愛い子どもに恵まれた。





その可愛い娘が、今、若かりし頃の私と同じ立場にある。


違いは、彼女は自分の国にいて、支えてくれる家族や友人があること。

それは大きな違いかもしれない。


しかし、宿った命をどうするのか、という問題の大きさにかわりはない。


私にとっては、自分の身に降りかかってきた時より辛かった。

自分の辛さであれば自分がコントロールできる。

しかし、娘の辛さは私のものでない以上、私にはどうすることもできない。

娘に自分の過去を話すことは正直、怖かったし辛かったが、シェアした。

それが私の娘に対して出来るせめてものことだった。



時に赤ちゃん天使は、お母さんになる女性に、

自分をもっと大切にして!

というメッセージをくれるために、一時的にお腹に宿ることもある。


今はそう理解できる。


しかし、私の娘の決断を、私がするわけにはいかない。


彼女は、どうしても宿った命を殺すことなどできない、と。

私としても、堕ろすことを勧めたいわけではない。


それがどんなに肉体的、精神的に辛いか、ということは

私が身をもって知っていることだから。


しかし、妊娠前からの娘の体調と、将来のことなど

いろいろ考えると、何が一番いい選択なのだろう、と想わざるを得なかった。


私にとっては、娘が幸せでいてくれることが、一番だから。


それは母親なら誰でも願うことだろう。


でも・・・



親が願う子どもの幸せ ってなんなんだろう?



こうあって欲しい、と願うのは、それは親の都合だ。


もちろん、多くの親は人生の経験から、

「こうしたほうが絶対にいい!」という自分なりの価値観がある。


でも親の私たちが自覚しなければならないのは、

その自分の価値観を、子どもに押し付けることはできないのだ、ということ。



自分の価値観を押しつけて、人をしあわせにすることはできない。


私たちは、自分の信念を人に押し付けることなく、自分の信念に従い、

相手がその人自身の信念に従うことを受け入れるしかない。


それはたとえその相手が、自分の子どもであっても同じだ。


私たち、親ができるのは、子どもの氣持ちを尊重し、寄り添うことだ。


たとえ、それが私たちの価値観とは違っていたとしても。



私も答えが出ないまま、怖れに震える娘の氣持ちに寄り添うしかなかった。




娘は彼に妊娠したことを告げた。


すると、お前とは寄りをもどすつもりなどないし、

おろせ!さもなくば、養子に出せ!と怒鳴られたという。


とにかく、電話をしても、テキストでも、言葉の暴力状態。


娘は、

宿った命を殺す事はできない。

でも経済的にもひとりで育てられない。

養子に出すしか無い。

と言い始めた。


私は、

養子に出すなんて、そんなことはあり得ない。

その子は私の孫でもあるんだから!

自分で育てる氣持ちがないなら、産まないで!

準備ができたら、また戻って来てくれるから!

と言ってしまった。


二人で泣いた。


大丈夫、産んだら一緒に育てよう!と言ってあげたかった。

でもね、正直、手放しでは言えなかった。


私の彼からのプレッシャーもあった。

彼にも私を失ってしまうという怖れがあった。

私が娘と孫にかかりっきりになってしまえば、彼の居場所はなくなる。

彼がそう想ったのも無理は無い。

そうなる可能性を私自身、否定することは出来なかったから。



私は自分をひどい母親だと想った。


でも、私も自分の幸せが崩れるのは怖かった。


私の彼は子どもを育てた事が無い。

他のことにはとても理解のある人だけれど

子育てになるとまるで理解がない。


そうなるなら、僕たちの関係は終わりになるだろう、と言われた。


その時、ああ、この人が子ども好きの人だったら

どんなに良かったろう、

正直、そう想ってしまった。




こういう時、人間というのはなんともろいものか、と想う。


「こうだったら」


「あの時、ああしていたら」


ないものねだりのオンパレードになり、現実逃避をはじめる。


私の中には、不安と怖れが渦巻いていた。



ああ、私、犠牲者意識に陥ろうとしているな・・・



そう気づいた私は、独り言を言いながら、ひとり、家の近所を歩きまわった。




「ココのことは絶対に見捨てられない。ココが出産するのであれば、私は彼女をひきとることになるだろう。だとしたら、彼は出て行くのだろうか。」



「ココはまだ22歳なのにシングルマザーになっちゃうの?」



「赤ちゃん天使さん、一度、お空に戻ってココの準備が出来たら来てくれない?」



「お願い!ココを助けてあげて!私も助けて!」



頭がぐるぐるして来た。



運命の川の流れが

目の前で何本も分かれている。


この流れを選べばこうなるんじゃないか・・・

あの流れを選べばこうなるんじゃないか・・・


現実ではない想像を元に、どう転んでも大変な状況しか見えてこない。




その時、夕焼けの光が射して来て

セドナのレッドロックを輝かせた。





雄大なサンダーマウンテンが私を包んでくれた。


悠然とした大きな自然は、

そこに私という存在がいてもいなくても

ただそこにあるだけだった。


そして宇宙は巡り

日は沈み

そして明日になれば、また日は昇る。



歓びも悲しみも
そこにとどまることはない。


すべては一過性のものなのだ。


Change is only constant in Life.


人生において唯一不変なことは、変化していく、ということ。



そうだ。

私たちは常に変化していくプロセスにあるだけなのだ。


絶対的なものなどない。


なにも決まってはいないんだ。




なんだか、悩んでいる自分が

ばかばかしくなってきた。



「なんでみんなが苦しむ現実を創らなきゃならないんだ??みんなが幸せになる現実を創ればいいんじゃん!」




みんな、まとめて、大丈夫!


そうだ、運命の流れの方向は、自分で変えればいいんだ!




現実を変えることはできない。


しかし、現実に対する自分の考え方を変えることはできる。


それだけで流れは変わる。



こうなってしまうのではないか、という

最悪の状態を想像するのはやめた。


こうあってほしい、という状態をイメージしよう!


娘も赤ちゃんも大丈夫。

私も彼も大丈夫。


みんなまとめて幸せになれる!



そう決めた。


新たな運命の流れを創り出すんだ!




【赤ちゃん天使との「たいわ」】


これもね、偶然ではなく、赤ちゃん天使の配慮だと想うのだけど、

ちょうどそんな時、元は私のツアーのお客様だったけれども

今は魂でつながっている友人となったKちゃんがセドナを訪ねてきていた。


彼女は、セドナでのんびりする時間を持ちたくて、読書する本を何冊か持って来ていた。

別に理由があったわけではなく、ただなんとなく選んだ、というその本がなんと、

『ママがいいよって言ってくれたから、生まれてこれたんだよ』


という胎内記憶のある子ども達の本だった。


こんな偶然ってあるだろうか?


Kちゃんは、これはナナに渡すためだったんだね、と言ってその本をくださった。


これはもう偶然なんかじゃない!


必然だったんだ!


Kちゃんも私も、運命を感じた。


そこには「赤ちゃん天使」との「たいわ」が綴られていた。


それは、胎内記憶、或はそれ以前の記憶をもつ子どもたちからのメッセージだとか、

お腹の赤ちゃん、お空に昇ってしまった命たちとの会話を

著者の南山みどりさんは「たいわ」と称し、ご自身、「たいわ士」として活躍されている。


Kちゃんもお孫さんが、片方の耳がない状態で生まれてきて

生まれたばかりからの赤ちゃんとの「たいわ」からメッセージをもらったという。



私も「赤ちゃん天使」と「たいわ」をしてみることにした。


はっきりと言葉で聴こえるわけじゃないんだけどね、

そう言われている、っていう感覚。


娘の夢に現れたのは男の子。

だから男の子だと確信した。

(私の子ども達も、妊娠がわかる前と妊娠中に夢に現れて教えてくれた)






「ねえ、どうして今、ココちゃんのところへきたの?」


「ママが僕を呼んだんだよ。僕はママを助けてあげたいんだ。」



そう言えば、ココは結婚もしたくないし、子どもも欲しくないと言っていたのに

春くらいから急に、今はまだ早いけど、時がきたら結婚して子どもがほしい、と

初めて私に言ったことを思い出した。


そしてその頃に、吸っていた煙草を完全にやめるセラピーに通い始めた。




彼女は、私が離婚したあたりから、どうやらタバコを吸い始めていたようだった。



私は娘が12歳のとき、離婚し、家を出た。

私も元夫もそれぞれ新しいパートナーができた。

私は新しい彼のいる日本とセドナを行ったり来たりの生活になる。


娘は父親のところにいた。

多感な時期に寄り添って一緒にいてあがられなかった。

娘と一緒にいるのは、セドナに戻って来る1〜2ヶ月。

そしてまた日本へ。

そしてまたセドナへ戻り、一緒に過ごす。

そんな生活が始まった。


しかし、元夫の妻と子どもの相性は最悪だった。

家庭環境は悪くなっていくばかりだった。


思春期の娘につらい想いをさせてしまった。

今もその頃を想うと、本当に胸が痛む。


やり直せるなら、やり直したい。

何度、そう想ったことだろう・・・


結局、子ども達に対する父親の新しいワイフによる継子いじめがエスカレートし

私はセドナに戻り、娘を引き取ることにした。


それから元夫との親権と養育費をめぐる裁判になってしまったために、

アメリカを出られない状態になり、日本にいる彼との生活はできなくなった。


そして、それは私の想像を遥かに超える泥沼の裁判になっていくのだが・・・

そのことにはここでは触れないでおこう。



そんな状況で娘はとても傷ついていたのだと想う。

しかし、それでも、タバコはまだしも、娘は徐々にドラッグにも手を出しはじめていた。


私は自分がそんなものには全く興味を持たなかったので、

娘のそんな状態にすら気づいてやれなかった。


同じように育てているつもりでも、一人一人子どもは違う。


息子は私が引き取れなくて、高校の先生が息子を引き取ってくださった。

その先生も、若い頃、同じような状況から引き取ってくださった方がいた。

その時、その人に言われたそうだ。


「私に対して恩返しをしようとしなくていい。

 君が大人になって、同じように困っている青年がいたら助けてあげなさい」


だからその約束を果たすだけだから、氣にしなくて良い、と先生はおっしゃってくださった。

そして息子にも同じことを約束させて、高校を卒業するまで下宿させてくださったのだ。

ある意味、息子にはもっと苦労をかけたが、息子はお酒やたばこ、ドラッグなど一切手を出さず、

むしろ、そういうことをしている友達を助けていた。


だから、娘がそんなことをしているなど、夢にも想わなかったのだ。


親というのは、あの時、ああしていれば、こうしていれば

あの子は、こうなっていたんじゃないか、など

いろいろ後悔するものだ。


そのことを知った時、泣いて娘に謝った。


なんてひどい母親なんだ、と自分を責めた。


その時、娘は私にこう言った。


「それは私の責任だから、ママは自分を責めないで。ママが自分を責めたら、私はもっとつらいから。」




親になるマニュアルがあるわけではない。


親だって初体験なのだから、その時、わからないことはたくさんある。


ああしていれば、というのは、

経験したからこそ、後になってわかることなのだ。


だから、もし子育てで悩んでいる方がいたら言いたい。



自分にもっと優しくしてあげて。


親というのは始めから親であるわけではない。
その子に親として育てられるもの。


その子にとっての親は、どうあってもあなたしかいない。


あなたが後悔したら、子どもはもっと惨めになる。


後悔する氣持ちがあったら、それを信頼する氣持ちに変えて!


子どもに謝ったら、自分を許して、そしてもうそれを手放して。


その後は、子どもを信頼し、親としての自分を信じてあげて。


ただあるがままのその子を、そのままに抱きしめてあげて。


その子にとって、

あなたは世界一のお母さん/お父さんなんだから。



しかし、このことも言いたい。


親が子どもを心配するのは当たり前のこと。

でもそれを子どもに振りかざすのは、あなたのエゴ。


「あなたのために、こんなに心配しているのに!」


それは禁句!


はっきり言います。

親であっても、それは余計なお世話。


もっとがんばれ!あなたならできる!

と励ますのはいいが、期待のかけすぎも、プレッシャーになりかねない。




子どもが求めているのは、

心配や期待をかけられる励ましより


その子がどんな状態であれ

その子がその子であることをそのままに受け入れて


その子の氣持ちに寄り添ってもらえること。


でもね、プレッシャーをかけられてつぶれる子もいれば、

それをバネにがんばる子もいる。


全部、経験してみないとわからない。


兄弟姉妹でも違うし、自分自身と我が子を比較することすらできないのだから。


私だってそうだ。


今だからそう言える。


その当時、出来なかったからこそ、今子育てしている方にそう言いたい!



あなたに自分の意志があるように
子どもにだってその子の意志がある。



当たり前のことだけど、親はそれを常に自覚していなければならない。


母親というものは、自分のお腹に子どもが育ってくると、

自分の体の中に自分とは全く違う命がある、という不思議な感覚を味わう。


チベットでは、子どもは神様の預かりものだ、と観て、

預からせているだけなのだから、尊い別の人格として扱うべきなのだ、

という話を最初の子を妊娠している時に読んで、なるほどなあ、と想った。


母親というのは、自分の中にいた時の記憶があるものだから、

頭ではわかっていても、子どもと自分を切り離すことが難しくなることがままある。


それでもやはり、子どもといえども、別の人間なのだ。


親はそのことを自覚しなくてはならない。


私もそのことを思い知った。





娘は中毒から徐々には抜け出していたようだが、完全にやめるのは難しかったようだ。

ドラッグは抜け出していたが、タバコは難しいようだった。

しかし、春ころからすべて綺麗にやめる決心をしてくれたのだ。



もしかしたら、それも赤ちゃん天使がココを助けるために、

天からエネルギーを注いでくれたのかもしれない。


彼を迎えるための準備をさせてくれたのかもしれない。



本気でそう想えた。


私は赤ちゃん天使さんにお願いした。



「あなたが生まれて来るのを、みんなで喜んで迎えたいから、どうかあなたのママとパパを助けてあげてね。」



たとえ、娘がシングルマザーになったとしても、

父親になる青年と娘がいがみ合っている状態は、子どもにとって悲しいことだ。


だから少なくとも、彼が子どもを可愛がってくれるようであってほしい。



私は普段、サイキックにお伺いをたてることはほとんどないが

友人にサイキックが何人もいるため、この時は私も混乱していたこともあり、

何人ものサイキックの友人たちに、父親になる彼についてきいてみた。


すると全員から、びっくりするくらい、同じ答えが返ってきた。


彼は娘と子どもにとって害がある存在。

関わらない方がいい。

だけど、赤ちゃんは娘にとって、娘を助ける存在となるだろう、と。



私は正直、この答えに納得がいかなかった。(だったら聴くなよ!って話だけどね。笑)


この子は、娘と彼が、彼の故郷であるコロラドに遊びに行った時にできた子だった。

その時、娘はとても楽しかったと言っていた。

もし彼とうまくいったら、コロラドに引っ越すかも、などとも言っていたほどだった。

しかし、その直後くらいから、彼は鬱ぎみになり、関係が破綻していった。


私には、この子が娘と彼を助け、将来、二人をコロラドに導いてくれるのではないか、と感じた。


だから、サイキックの友人達が、異口同音に言ったことと

自分が感じていたことの食い違いを感じた。



そして、結局、自分の感覚を信じることにした。



「並行世界」という理論を聴いた事があるだろうか。

いわゆる パラレルワールド だ。


それは、いくつもの世界が同時に存在している、という考え方だ。


「バタフライ・エフェクト」という映画のように

一瞬、一瞬の選択がその先の現実世界を変えて行く。


だとしたら、私はサイキックたちが観た現実ではなく

私が観た現実を選びたい。



今は彼の精神的状態は良くないかもしれない。

でもそれは、彼の本来の姿ではない。



私たちはみな、究極的には「愛」を体現している存在だ。


彼も愛の存在だ。

ただ、今は、怖れに支配されているだけなのだ。



私は、正直言って、ぶん殴ってやりたい、と想った相手の青年のことを想った。


彼の暴言は、彼の怖れから来ている。


だから、まず彼を想い、彼のハイヤーセルフに語りかけるイメージをした。



「あなたの怖れは心からよくわかる。私だって怖いもの。でもね、怖れをベースにして現実から逃れようとしてもいつかは自分に戻って来てしまう。あなたは一人じゃない。大丈夫。あなたは自分の責任を果たすことであなたは自分にもっと自信が持てるようになる。赤ちゃん天使は、それを助けに来てくれている。だから大丈夫。あなたが自分らしく輝いて幸せでいてくれることに感謝します。あなたがあなたでいてくれて、ありがとう。」



相手がこう変わりますように、と願うのは自分の都合でしかない。


その人がその人らしく輝くことで、すべての結果は良い方に流れて行くから

それ以上のことを望む必要もない。



私は、彼の笑顔を思い浮べて、彼が幸せでいる状態を思い描いた。





【祈りの力】


朝一番の光は波長が長い。

夕方もそうだ。


だからお寺や寺院は朝と夕に鐘を鳴らす。

祈りが遠くまで届くように・・・


そんな話も思い出した。



その翌朝から私はご来光瞑想することを決意した。



それから私のお百度参りとも言える

ご来光瞑想が始まった。



生前、私を可愛がってくださったチェロキー族の長老がおっしゃった言葉がある。


『祈りというのは、神への感謝だ。

なにか願い事があるなら、神への100%の信頼が必要だ。


それは人参の種を蒔くようなものだ。
君は人参の種を蒔いたら、それが人参になることを信じて水をやるだろう。
そして一いちいち、芽が出たか、根が出たかといって、ほじくりかえしたりしないだろう。
一度蒔いた人参の種は、それが人参になることを信じて、
自分がやるべきことをしていれば、絶対に収穫できるのだ』


100%の神への信頼・・・

それでは、神とはなんなのだろう。



神というのは、自分の外にある存在ではない。

自分の内なる神聖な部分、自分の真の力なのだ。


私はそう信じている。


鏡(かがみ)をみたとき、そこに何が見えるだろう?


当然、自分自身の姿が見える。

しかし、そこに映っているのは、表面的な自分だ。


かがみ の真ん中に 「が」(我=エゴ)がある。


その 「が」 を取りさったところに在るのが 「か み」=真我の姿。



肉体の目で見えるのは、肉体のその人でしかない。

しかし、心の目で観た時、そこには宇宙から頂いている命としての純粋な愛の存在がある。


それを100%信じる。

自分のものであっても、人のものであっても。


私は相手の青年の愛の部分、真の姿(かみ)を信じた。


そして、彼への怒りを感謝に変えて、送りつづけることにした。



そんなことをして意味があるのか?と想われるかもしれない。



彼の態度が変わるかどうかなど、なんの保証もないが、

少なくとも私の心を楽にしてくれるという意味において価値があるし、

私は「祈りの力」を信じている。


別に私が祈ることで誰かが迷惑するわけでもないし、

損得があるわけでもない。


失うものなどないのだから、やってみる価値はあるだろう。



現実はその人の想念=イメージが創るもの。


目に見えないからといって、電波が存在していないわけではない。


私たちは、電話線もない携帯電話を当たり前に使っている。

それは携帯電話という物質が、目に見えない電波をキャッチしていることを疑いもせず、

受け入れているからだろう。


小さな携帯で私たちは、世界の裏側にいる人たちとも、顔を観ながら話ができる時代にいる。


100年前の人に言ったら、とうてい、信じられないことだろう。


100年前に信じられなかったことでも、今は常識になっている。


だから、信じられないからと言って、それが存在していない、とは言えないのだ。





私たちが放つ想念も、携帯の電波のごとく、目には見えないが、存在している。



そして、想念が凝縮されてくると、現実になるのだ。



想念が現実になるというのは、

気体➡液体➡固体 のプロセスに似ている。


想念の段階では、気体のようで目に見えない。


しかし気体が凝縮してくると液体になって、私たちは手に触れて感じられるようになり、

その存在を信じ始める。


そしてそれがもっと凝縮されると固体になり手に持つ事ができるようになる。


その段階で私たちは現実として認識するのだ。


だから、想念と現実の違いは
密度の問題、と言ってもいいかもしれない。




相手にポシティブな想念を送ることは、

自分の携帯電話から相手の携帯電話に

ポシティブなメッセージをテキストで送るようなもの。


相手が気がつかなくても、そのメッセージは届いているのだ。

(まあ、たまに受信拒否というケースもあるかもしれないが。笑)


遠隔ヒーリングなども、相手が知らなくても効果がある、ということもある。


それは、人の想念というものが、集合意識としてつながっている、ということなのだ。



祈りは確実に届く。


そして、その祈りが密になっていったとき、それは現実の事象として現れて来る。



私はそういう信念の元、ご来光瞑想を続けた。




そしてご来光瞑想を始めて2〜3週間たったころ、娘から電話があった。




「彼の態度が変わってきたの。今度一緒に超音波検診に行ってくれるって。」



彼とよりを戻したわけではないが、誠意を見せてくれはじめたのだ。

そして、彼は、娘にも私にも、自分のとった態度を謝ってきた。


娘は彼が、付き合い始めたころの明るい彼に戻り始めた、と言った。



ミラクルが起きはじめた!


赤ちゃん天使、ありがとう♡




YES!!!



私は心の中でガッツポーズをとっていた!笑


人生の流れは、みんなの幸せにむかっていく。


そう確信した。



それ以来、熱が出ても雨が降っても、ずっと毎朝、ご来光瞑想を続けている。


これからも、私はご来光瞑想を続けて行く。


朝の光を浴びて瞑想する氣持ち良さ。


それも私が受け取った

赤ちゃん天使からの贈り物のひとつだ。



そして検診の日。


彼は娘のお腹の中に芽生え始めた命と対面し、すべてが変わった。


        



彼の娘に対する態度も一変した。

なるべく彼女にストレスをかけないように、と気配りもしてくれるようになった。


小さな命の奇跡が、
彼の心の中でも
小さな命として育ちはじめたのだ。


彼は毎回、娘の検診に一緒について来てくれるようになった。


そして、4ヶ月目の超音波検診で、男の子だと判明。





きっと赤ちゃん天使の働きかけにちがいない!


はじめは、別々に暮らすけれども、子どもは認知する、という態度であった彼だったが、

一緒に出産のためのクラスにも参加してくれるようにまでになった。



そして、つい先日、彼は娘のアパートへ引っ越してきた。


家族になるのだ!


彼のご家族も応援してくれている。

お母さんは赤ちゃんにブランケットを創ってくれ、

お姉さんには、1歳半の男の子がいるため、使わなくなった服を大量にくれた。


みんなで赤ちゃんの誕生を喜んで迎えられるようになったのだ!!!


しかも、娘は妊娠前にあった甲状腺の異常も治っていた。



問題の種だった赤ちゃん天使は、みんなの幸せの種になった。



【赤ちゃん天使からの贈り物】


赤ちゃん天使は、私にいろいろなことを想い出させてくれた。



人生が想い通りにいかない時でも


いや、想い通りにいかない時こそ


私たちは運命を変えて行く力を


自分の中に見いだしていかれる。



始めから終わりまで、さしたることもなにもなく

ただ幸せ、というテレビドラマがあったとしよう。


そんなドラマ、観ていて面白いだろうか?


喜怒哀楽、いろんな感情を魅せてくれるから、ドラマは面白いんじゃないだろうか。



私たちはそんなドラマを体験しに来ているのだ。




お空の世界は幸せに満ちているけれど、ちょっと退屈。


それで冒険したくなったとき


赤ちゃんはママとパパを選んでくる。



私たちの論理的なマインドで理解できなくても、

パーフェクトなタイミングで・・・


そして


わたしも あなたも 

間違いなく

お父さんとお母さんを選んで来たのだ。


もしも、あなたが親からトラウマを受けている、と感じていたら

思い出して欲しい。



あなたも赤ちゃん天使だったということを!


子は親を選べないというけれど、私は逆だと想う。


選んでいるのは子どもの方なのだ。


だから、あなたがもしも、お母さんやお父さんを許せない、

或は もしお母さんやお父さんがこうだったら、私はこうだったんじゃないか、など

親から受けた傷をもっているとしたら、思い出して欲しい。


その親を選んだのは、あなた なのだということを!


もう一度、雲の上で地上を観ている自分を想像してみてほしい。


あなたはなんで、自分のお母さん、お父さんを選んだのだろう?


二人を選ぶことで、あなたは何を学ぼうと想ったのだろう?


どんな人生のドラマを体験したいと想ったんだろう?



もしかしたら、お父さんやお母さんは、自分の価値観を押し付けてきたかもしれない。


過剰の期待をかけられて、それがあなたにとってプレッシャーになったかもしれない。


でもそれによって、あなたはそこから何かを学んだはずだ。


そういう親をもったからこそ、

本当の自分をより深く見い出したい、と願うようになったかもしれない。


そういう親だったからこそ、

自分らしく生きることの大切さを学べたかもしれない。


だいたいにおいて、親は「反面教師」だと想った方がいい。笑



でもね、本当は

お父さんやお母さんから何かを受け取るよりも

お父さんやお母さんに何かを与えるために

あなたは二人を選んだはず。


そう。


愛 という贈り物。


ずばり、あなたは、お母さんに、そして、お父さんに


あなたという愛の贈り物を与えにきたのです。


あなたのお母さんもお父さんも、ただの人間。


自分が知っている方法でしか、あなたを育てることができなかった。


それが正しいとか間違っている、ということではなくてね。


だから、許してあげてほしい。


それがあなたの両親にとって、精一杯のやり方だったということを。



そして今、あなたが生きている、ということは

お母さんがあなたをお腹の中で育ててくれたから。


あなたを産むことを決意してくれたから。


だからあなたはここにいる。


それだけで、感謝でしょ?


だから、お母さん、お父さんに「ありがとう」を伝えてほしい。




あなたが生まれた時、


あなたのお母さんは


小さな小さな命である あなたを胸に抱いて


大きな大きな歓びに包まれた。



あなたが生まれてきた、というだけで


あなたは愛という大きな贈り物を与えた。




あなたはそんな素晴らしいことを


生まれてきた


というだけで成し遂げたすごい存在なのです♡


だから自分を誇りにおもって。



あなたはどうあっても愛されている。



あなたそのものが 「愛」なのだから。



命は奇跡!


命は愛♡


命は希望☆


生まれたその瞬間から

人生の冒険は向うからやってくる。


それにどう向かうかが人生なんだ。


Baby Angel♡





あなたの命 そのものが贈り物♡



人生の冒険という贈り物を


あ り が と う♡



人生に 乾杯!



赤ちゃん天使ちゃん☆

あなたとの冒険の物語はこれから始まる!

あなたとの出逢いを楽しみにしています☆

世界一可愛いバーバより(笑)



*最後まで読んでくださった皆様、ありがとう❤














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