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15/2/7

自閉症スペクトラムの私が生きる世界(2)

Image by Olia Gozha


私が、パニックになるのは、自分の思っていることが、うまく伝えられないからです。

そのことで、大切な人に、嫌われるかもしれないと思うからです。

なにか、悪いことをしてしまったような気になるからです。

押し寄せる不安と恐怖に押しつぶされるように感じるからです。

疲れてしまった時も、自分の身体の状態や、疲れたことがわからず、パニックになります。






いつも、出かけるときは大変でした。


まず、靴をはくことが苦痛でした。


なぜなら、左右対称のものがそこにあるからです。


そして、その左右対称のものに、1つずつ足を入れて履かないといけないからです。


それは、自分の中で、何かが壊れることでした。


美しい左右対称の絵を壊すことでもありました。


その絵を壊さないように、一緒に、同時に足を入れたかったのです。


でも、そんなことできませんでした。


どうしても、片足ずつ、靴に足を入れることしかできないのです。


途端に、泣き叫ぶことになります。



そんな私でしたが・・・


ある日、玄関にあった小さな箱の上に座って靴を履いた時に、


偶然にも、両足を同時に靴に入れることができました。


その時は、全然モヤモヤしなかったし、苦しくありませんでした。


泣き叫ぶことなく、靴を履いた私を観ていた母は、


私には、小さな椅子に座って靴を履くことが必要だと思ったそうです。


母の気付きのおかげで、私は、パニックの1つを乗り越えることができました。





この靴のことや、出かける時のパニックは、

自閉傾向の子どもたちの多くが持っている感覚かもしれません。


私が出会った何人もの、自閉症の子どものお母さんが、出かける時のパニックに悩んでいました。


靴へのこだわりは、いろんなものがあると思います。


出かけるときのパニックがある子どもには、どうか靴のことを聴いたり、配慮してあげてください。







また、同じものに、必要以上にこだわることがあります。


そのせいで、パニックになります。


部屋の中の何かが、動いていると、気になってしかたありません。


いつものところに、いつものものがないと不安でしかたなくなるからです。


その中でも、窓際にあった植物のことが気になってしかたありませんでした。


私の中では、お日様の当たる、一番いい場所があって、


母が掃除をして、その植物が動いていたら、納得できず泣いていました。


パニックになるくらい、私の中では、大事なことでした。


何故、泣いているのかわからない母は、ほとほと困っていたそうですが、


ある日、床に植物の植木鉢の後がマジックで書いてあったそうです(笑)。


それで、この場所が動くことを、私が嫌がっているのだとわかったそうです。


このマジック事件は、さすがに大変だったろうと思います。



植物に対する思いも、こだわりも、とても強いものがあり、


家から学校にもっていった花が枯れたり、落ちたりすると


悲しくて、悲しくて、泣き続けたそうです。


そのために、何度か、母に迎えに来てもらっています。


その記憶があるからか、今でも、切り花が、少し苦手です。








同じものを食べたがる私もいました。


それは、いろんな匂いや、食感にも、敏感でしたが、


料理をつくる母の感情を、母がつくった料理の中に感じてしまって、


食べるのが辛いことがあったからです。


そのために、人工的というか、同じように機械で作られた、


市販のパンを好んで食べるような時期がありました。


来る日も、来る日も、菓子パンしか食べない私。


パンじゃないと、パニックになる。


食事のたびに、パニックを起こす私。


母は、とても苦しかったと思います。




この同じものを好む感覚は、すべてのものに反映していて、


毎日使う、コップやお皿、スプーンや箸まで、


いつものものでないといけませんでした。


だから、外食が大嫌いでした。苦痛でしかありませんでした。





一番困ったことは、学校にもっていく筆箱でした。


鉛筆を並べる順番があって、消しゴムもちゃんと同じところにないと、納得できませんでした。


私が、悲しかったのは、鉛筆が削るたびに、小さくなっていくことでした。


母から、鉛筆は、使うと短くなっていくのだということ、短くなっていくことは、


たくさん勉強しているから、いいことだということを聞いて、やっと納得できたと思います。




私の中には、こだわりがあって、こうでないといけないのだと、


いろんなものやことに対して思っていたように感じます。


なので、私の頭の中のことを、書き換えるように、だれかに、今まではこうだったけど、


もうこうなったんだよと言ってもらうことが、大事だったように思います。





また、短くなった鉛筆を、鉛筆の長さ順に並べないと嫌でした。


何度も、筆箱の蓋を開け閉めして、鉛筆の並んでいる順番を確認するのですが、


筆箱の蓋を閉めると、そのことをすぐに忘れてしまいます。


このコトがあるので、学校に行っても、何度も筆箱を開け閉めして、


何度も鉛筆を出したり入れたりして確認し、授業は全く聞いてなかったようです(笑)。








そして、私は、とても疲れやすかったと思います。


また、力を100%出し切るタイプの子どもでした。


幼稚園の時も、小学校の時も、何かの行事の前の練習の時期は、特に


とても疲れてしまって、夕食の前に寝てしまうこともあったようです。




行事の前でなくても、梅雨の時期もそうでした。


そんな時の、特に寝る前の時間がとても大変で、


私の中では、キーンという耳鳴りがしたり、


空間が歪んで気持ち悪くてどうしようもなくなったり、


足がだるくてだるくて、どこかへ引っ張られそうになったりしました。


この感覚は、日中に、やってくることもありました。


こんな時、私は、自分ではどうしようもなくなって、泣き叫ぶかしかありませんでした。


大人になったいまでも、この感覚がよみがえる時があります。




疲れやすいというのは、障がいをもった子どもの特徴でもあると感じています。


そして、それを本人は気づくことができません。


いろんな行事の前後や、そうでなくても、


何かストレスを感じるようなことがある日には、どうぞ、気をつけてあげてください。


そして、食事をさせて、お風呂にいれて、休ませると考えるより、


なにをおいても、すぐに休ませてあげてください。


寝る場所も、いつもの場所でないと、寝れないことがあると思います。


いつもの時間、いつもの場所でないと不安なのです。


このことにも、工夫が必要かと思います。




疲れている時は、すぐに寝たほうがいいといっても、なかなか寝ることができないのも事実です。


特に、寝る時間じゃない時に、寝ることは自分の中の決まりにはないので、


寝ることができないのです。


そういう時は、


「いつもは8時にねるんだけど、今日はつかれているから、6時にねることになったよ」


と言われると、少し安心すると思います。


多くのことは、自分で作ったルールや、決められたように感じている細かなことで、


がんじがらめになっています。


そのことが、「今」変わったんだよ、だから、大丈夫だよといってあげることが大事だと思います。


そして、それが、また変わるときには、私の頭の中の変更された決まりを、


更に変更することが必要になります。









光や音が気になって眠れない時もあります。


冷蔵庫の振動は、特にダメでした。


私が寝る部屋は、冷蔵庫から一番遠い部屋でした。


でも、実際は、どんなに遠くても、聴こえてしまうのです。


なので、倒れるような状態になって寝るのが理想的でしたが、


この倒れるような状態の時は、疲れた時です。


この時は、パニックを引き起こす状態でもあるので、


普通の状態の時は、常に、冷蔵庫の音に苦しんでいたことになります。








音は、その他に、テレビの音・声が、とても恐かったのを覚えています。


人の声が、なぜあんなふうになって聴こえてくるのかは、恐怖でしかありませんでした。


また、しゃべっている口と声がずれているのも、気持ち悪くてたまりませんでした。


その気持ち悪さが、忘れられなかったり、蘇ったりして、本当に吐き気がしてきて、


もどしたこともありました。


私は、今でも、テレビが苦手です(笑)。





また、光にも、とても敏感です。


自然光は、大丈夫ですが、月の光には、とても敏感でした。


子どものころ、窓のカーテンを何度も確認して、寝れない日がありましたが、


今考えると、満月の夜だったのかもしれません(笑)。


また、部屋の中にいても、蛍光灯の光が、きつくて嫌でした。


そのために、日が暮れて暗くなっても、部屋の電気をつけず、


暗くなった部屋にいることもありました。


朝、部屋の電気をつけることを、極端に嫌がりました。


少しでも、太陽の光がある時は、部屋の電気をつけることが苦しかったのです。




こうやって、自分の子どものころのことを思い返してみると、自閉傾向満載の子供時代でした。


これに、加えて、いろんな感覚が鋭敏だった私は、


常に不安と底知れない恐怖におののいて生きていました。


自閉傾向のある子どもたちが、パニックになる時は、いつもとちがったり、


自分の思いとちがったりして、不安だったり、なにかが変わることへの恐怖や、


わからないことへの恐怖、どうやって伝えたらいいのいかわからない恐怖、


つたえられない苛立ちの中で生きていると思います。




パニックになったとき、まず、つかれていないかを感じてあげること、


何か伝えたいことやわかってほしいことがあるんじゃないかと聞いてあげること、


そして、何かにとらわれていないか、自分の思いを変更することに苦しんでいないか、


その変更することで両親に見捨てられるように思っていないかを、聞いてあげてください。


その繰り返しで、お互いが少しずつ、楽になれるような気がします。




次回は、恐怖の日々の中でも、楽しかったこと、嬉しかったことについて書いてみようと思います。



最初の連載ストーリー「天と地の間に生きて*現実とスピリチュアルというふたつの世界を生きていく苦しみと喜び」(全5回)はこちらから。











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