・手順が複雑なモノ
・トレーニングが大量に必要なモノ
・何かするのにテキストが大量のモノ
・目指す結果が現実とかけ離れているモノ
「捨てる」というと「捨てる物」をイメージしがちですが
実際は本気で 9割「捨てる」そして人生をなないろに「開運」することを
実現しようと思ったら やみくもに「物」を捨てるのではなく
自分の「思考」という 実は「捨てる」一番の敵の
「考え方」の基本となる部分軸をしっかりするために
では、「捨てる」考え方を明確にしないとならないはず
本来なら捨てるモノでも放置し増殖した考え方の要因は
・手順が複雑でも手を出したコト
・トレーニングが大量でもやってしまったコト
・何かするのにテキストが大量でも購入してしまったコト
・目指す結果が現実とかけ離れているのに夢を見てしまったコト
そういう対象はそもそも「継続ができない」根っこの要因であるもの
つまりそういう大小問わずコトを
できてしまった蓄積が
「コト」による「モノ」の集落現象で
つまり「片を付けない」とは「片づけない」「片づけできない」ということ
そして、いつしか片をつけてこなかった9割に
人生、家、人、情報などに支配され
「複雑化」「情報化」と一緒に暮らしている今の私(たち)ライフスタイルに
気が整いすっきり道が通り 開運したなないろに輝く ライフスタイルとは
どんどんとほど遠くなり
どこかで「片をつけ」必要以外の9割を「捨てる」ことで
いったん人生を「リセット」し「0」に「真ん中」に戻す
しかし、9割捨てるというテーマがあることは
9割貯めてしまった「自分」がそこにいるから ということでもあり
「自分」をまず知り「自分」を整えないと
「捨てる」という簡単そうで難しい行為は実現できないということを
私は、整理収納の学校に通い、そして整理整頓の家庭教師をつけて
まるで受験勉強思わせるセンター試験に向けての勉強のごとく
学校の勉強の延長のように考えて、「捨てる」をやってみしまたが
挫折し、もう考えるのは辞めてしまい、そういうことは考えない日常で
全く違う観点から「人間分析学」という
「人間の素性を知り活かす」という全く片づけや「捨てる」とは違う分野を
学ぶことになり・・・
それを学んでいたら、もしかして 自分に「片をつける」とは
こういうこと?と・・・
「捨てる」を科学的に考えるきっかけになり、なおかつ
「性格タイプ」「特性」「素質」等色々な角度から学びづ付けていると
「捨てる」ことは
「性格タイプ」など人間の「素」という持って生まれた特性に基づき、
それぞれの特徴の善い部分と善くない部分の
「善い部分」に着目し、続かない時には「善くない部分」を知り
「善い部分」にどうシフトできるか
性格特性分析と9割「捨てる」をサクサクできる「何か」のロジックが
相関関係があると仮説を立てて検証、分析をしてみることにしました。
これがまた楽しく面白くはまってしまい・・・