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13/3/10

東京で感じた3.11

Image by Olia Gozha

2011年3月11日、私は吉祥寺のスターバックスでGMATの勉強をしていました。答えを本に書いていた時、テーブルが揺れだしたのを覚えています。最初、そんなに揺れは気にしていませんでした。日本に来てからというもの、何度も起こる地震には慣れていたからです。そして周りの人々にも特に反応はなかったので、またいつもの地震か、くらいにしか思っていませんでした。

 しかし、すぐにスターバックスの看板が窓にぶつかって大きく揺れている事に気づきました。ついには、周りの人々はパニックになって、外に出ようと階段の方に押し寄せて行く人々が見えました。どうしたらいいかわからず、彼らについていきました。地球が揺れていて、そして人々は道に溢れかえっていたのです。看板を見上げて、それが建物から取れて人に落ちてくる事がないようにと祈っていました。

 その地震は、私が感じた中で一番長く大きいものでした。胸が苦しくなるくらいの恐怖で、アメリカにいる家族の事を思わせる程でした。私は、家族がどれほど心配しているかわかっていました。

揺れがついに終わったときには、悪夢から目覚めたような気分でした。周りの人々が、やけに落ち着いている事にはとても驚きました。ほとんどの人が元いた場所に戻って、何もなかったかのようにやっていた事に取りかかっていました。私も同じように、元いた場所でやっていた事に取りかかりました。その地震がどれだけ深刻だったかは、知りもしなかったのです。

 約2時間後に家に帰ろうとしたとき、電車は全く動いていませんでした。その時やっと、その地震が自分の想像よりもどれだけ深刻だったのか本当にわかった瞬間でした。結局、家には歩いて帰る事になってしまったのです。

 歩いて家に帰った後で、津波の事をニュースで知りました。起こった事の全ては、依然として悪い夢としか思えませんでした。あんなに酷い惨害が起きたことは、信じられませんでした。

物事はどんどん悪くなっているようでした。ニュースでは、全員が放射線ことを話していました。そして、一番の問題はそれぞれのニュースが違う事を言っている事でした。日本政府が全てはしっかり管理されていると言う中、フランス大使館は出来るだけ早く日本を出ろと促していました。全てが混乱に満ちていたのです。

 余震が何日か続いていたのを覚えています。ニュースでは、放射線は予測できないと報道していましたし、スーパーには何もありませんでした。母は、コンスタントに私に電話をして来て、日本を離れろと懇願してきました。JPモルガンの同期からメッセージをもらうまでは、どうしたらいいか全くわかりませんでした。彼女は私が東京にいる事を知っていて、神戸の彼女の家にこないかと誘ってくれたのです。日本を離れるべきかどうかは確かではありませんでしたが、東京を離れるのがいい考えであるのは確かでした。その時彼女がしてくれた事には、とても感謝しています。

 神戸に着いた時、その平穏さがとても不気味なものに感じました。まるで何もなかったような状況で、そして、かつて深刻な地震の被害があった神戸に東京から逃げてきたことは、皮肉にも感じました。彼女の家族は、私に家族のように接してくれました。寝る場所も、食べ物もあって、私は本当に幸せ者だと思いました。

 2、3日後、私はしばらくアメリカに戻ろうと決意しました。全てが落ち着くのかどうか不確かだったし、家族が日本を離れないかぎりずっと連絡してくるのをやめないだろうと思ったからです。6月まで仕事が始まらない事もあって、その決断をする余裕があったのです。

 2011年の3月は、まるで夢のようでした。夢のようであったと同時に、人生で一生忘れる事のない出来事でもあったのです

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Image by Jukka Aalho

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