浅田真央が泣いて、そして笑った。歓声の渦の中で、私は声を上げて泣いた。周りのロシア人は、びっくりして苦笑いして、そして、私を慰めてくれた。あの時、あの場所に確かに私はいた。あの瞬間を形作る要素の一部として、存在していたのだ。
資金なし・コネなしで、ソチオリンピックに行ってきた。
「は??」
…となるのも仕方ありません。私は無茶をしてきたのです。無茶を承知で、無茶をしてきたのです。
2013年9月『私をソチにつれてって』という企画を、Facebookの個人タイムライン上ではじめました。内容はこうです。
私は今、お金がないのでチケットや航空券が買えません。有力なコネもないので、チケットを取るのも難しいでしょう。だけど、どうしてもソチオリンピックに行って現地観戦をしたいのです。
あなたがこんな私をどう思ったかはわかりません。
「バカか?」「大人でしょ?」「じゃぁ、夜の仕事でもして、金稼げよ」
至極真っ当な反応だと思われます。こんな投稿をFacebookにする前は、めちゃくちゃ悩みましたから。こんな言葉を浴びるんじゃないかと、自分勝手だと思われるのではと、不安でドキドキしていました。でも、勇気を出して、言ってみるべきだと思ったのです。
まるで、運命に突き動かされているようでした。「やれ」「やれ」「やれ」と。
その声はいつまでたっても止まることなく、私はきっとやらないと後悔するのだという確信だけがなぜかありました。この声を信じてみようと、決めたのです。
結果、ロシアでテレビ取材を受けた。
そうなんです。とんでもないご縁が繋がって、私はロシアでテレビ取材をして頂きました。

しかし、ここまでの道のりは決して甘いものではありませんでした。
私はこの2013年9月から約半年、とんでもない感情のアップダウンとプレッシャー、たくさんの人との素晴らしいご縁や、数々の奇跡に出会うことになります。
これから、『私をソチにつれてって』という企画をはじめた『真意』。そして、どのようにして資金なし・コネなしから、ソチオリンピックで『ある目的』を果たしたのかというお話をしたいと思います。
まずは私が一介のOLで、転職を繰り返した末にたどりついた、年収300万円にも満たない・貯金もない中小企業のしがない事務職員であったということを先にお伝えし、少し自分の生い立ちについて、お話させて頂きます。
ひとりぼっちの子供
私はちょっと浮いた子供でした。いつもどこか、自分を客観視しているような。ひとりぼっちの自分を、どこか遠くから眺めているような、そんな子供でした。子供の頃を思い出そうとすると、目に浮かぶのは、鳥のようになぜか上からの景色。
周りの友達は何が楽しいのかも、いまいちピンときてなくて、仲良く出来ている感じがしない。きょとんとして、一人で周りを見ているような。だけど冷めているわけでもなく、孤独を感じながら生きていました。幼稚園の先生は「周りよりも少し成長が早いのかも」と言っていたそうです。
小学校に入っても、私はやっぱりどこか孤独でした。活発な子供たちに馴染めないのです。いつのまにやら、私は「優等生」であることが、自分のアイデンティティーになっていました。運動が苦手で、それよりは勉強がちょっとだけ出来て、授業中に机にきちんと行儀よく座れていただけです。
「優等生だから。一人でも平気だし、先生も褒めてくれる。仲の良い友達がいなくても、優等生はそういうものだから、大丈夫。」
それは、私を支えてくれているものでした。昼休み、誰もいない教室で、ポツンとひとりぼっちになっても。
私を支えてくれていた、キラキラした時間
学校が終わったら、まっすぐに帰り、ワイドショーで皇室特集を見ること。少女漫画を読んで、自分でも漫画を書くこと。それが私にとって、至福の時間でした。
当時はまっていたのは、フィギュアスケートの漫画。それをきっかけに、フィギュアスケートを見るようになりました。しかし、その頃フィギュアスケートはテレビ放送がほとんどなく。1本のビデオを擦り切れる程に見ていたものです。そして、ノートにフィギュアスケートの漫画を描いていました(笑)。
また、まだインターネットというものも普及しておらず、「パソコン通信」に夢中になりました。ここに行けば、フィギュアが大好きな大人たちと楽しく話が出来るのです。本当に楽しくて、仕方なかった!もちろん、自分の周りにこのマイナースポーツを話題に出来る人なんて、いませんでしたから…。
習い事はピアノと新体操。初めて行ったミュージカル『アニー』にドハマリし、親に頼み込んで児童劇団にいれてもらったのも、この頃です。ひきこもりなんだか、目立ちたがりなんだか、よくわからない子供ですね。
つまり学校という場所に、そのままの自分を表現出来る場所がなかったのだと思います。だからこそ「外に外に」、今いる環境とは違う場所や繋がりを求めたのでしょう。「孤独でみじめな私」を知っている人がいない、どこか。
そして、自分と一緒に過ごす時間。
「ありのまま」は封じ込められる
ずっと1人だった私ですが、人生が華やいだ瞬間というのもありました。小学校も高学年になった頃に。あるタレントさんを好きになって、友達が出来たのです。転校生の女の子が声をかけてくれたことが、きっかけでした。
人に認められるということ、「孤独ではない」ということは、大きなパワーを私にもたらしてくれました。自分の中に押さえつけていたものが、学校という場所で花開くようになったのです。学級委員になったり、生徒会のメンバーになったり、イベントごとがあればリーダー的な存在になっていきました。
それは、はじめて自分らしく生きられるような毎日でした。自分に素直に、自分がやりたいこと、自分が好きなことを発信しているだけで、みんなが笑って認めてくれる。友達がたくさん集まってくる。なんて幸せなことでしょうか。こんなに人に囲まれる経験をしたことがなかったのです。
しかし、それも数年のことでした。中学校に入り、同じように振舞っていると、今度は煙たがられるようになりました。私自身も、自己主張がエスカレートしていたのだと思います。オブラートに包むということを知りませんでした。
また、私は教室の中で孤立しました。猛省をしました。「私の性格が悪いから、こうなった」。そして、孤独な自分がみじめで、恥ずかしくなりました。だから。
「優等生でいよう。一人でも平気だし、先生も褒めてくれる。仲の良い友達がいなくても、優等生はそういうものだから、大丈夫。」
そうやって、閉じこもったのです。「ありのまま」な自分を、自分で封じ込めました。
スレた青春時代に、また私を支えてくれていたもの
自分が悪いと毎日言い聞かせていた私は、ずる休みを繰り返し、保健室へ行き、早退し。出来るだけ家に閉じこもり…。結果、今度は相当にスレた青春時代を送りました。きゃっきゃと楽しそうに笑いながら生きている同年代の人間にたいして、いつも「胸糞悪い」という感情を抱いて生きていました。
何故かグループを作りたがり、人を見た目で判断し、集団でないと悪口を言えない。その割に、グループ内でも隠れていがみあっている。生意気にも、まるで日本の縮図みたいだと思っていました。私は違う。だから、早く学校を卒業して戦おうと、ひねたことを考えていたのです。
でも、どこかで羨ましいという気持ちも、ずっとありました。そこには、絵に描いたような「青春時代」というものがあったからです。
そんな時に私を支えてくれたのもまた、あのキラキラした時間でした。
小学生の頃のように家にこもって、フィギュアスケートのビデオを擦り切れる程見ました。そして、泣いていました。私はロシアのある選手が当時も今もずっと大好きなのですが、数分という演技の中で、一人の人間としての生き様にいつも勇気づけられてきました。なんで生きているのかもよくわからないけど、生きよう、と。
好きなものがあるということは、大きなパワーになります。「好きこそものの上手なれ」とはよく言いますが、私はフィギュアスケートの情報が欲しくて、パソコンをいじっているうちに、いろいろなことを自然に覚えました。そして、当時は海外のサイトくらいしか充分な情報はありませんでしたから、辞書を片手に英語の記事を読んだものです。(今は翻訳機能がありますが…)
両親にイギリスにホームステイさせてもらい、ずっと勉強してきた英語が実際に使えた時の喜びも、自分にとってはかけがえのないものでした。
更に、好きなアイドルのコンサートや舞台を見に行くようにもなりました。あのキラキラした世界の虜になったのです。地元だけではなくて、東京にも見に行きたい!という想いから、学校外に友達やコミュニティが出来たり…。一人でもフットワーク軽く、いろいろな場所を動き回れるようになりました。
私の人生にとって、「好きなこと」というのは、非常に重要なパワーを持っているものです。
ダメダメな社会人
スレた高校生の私は、「青春時代を楽しんでいる同世代の若者」を敵視するあまり、受験を戦いの場所に設定しました。何と戦っていたのか、今となってはわかりません。とりあえず、自分にないものを持っている人たちに、自分の得意なことで勝ちたかったんだと思います。
そして、「親にお金をかけることなく、良い大学に受かる」という目標を掲げ、自分のプライドをかけた戦いに挑みます。そして、必死の想いで滑り込むように国立の外国語大学に合格。私は報われたと思いました。勝ったんだ、と。
しかし、私は愕然とします。
見渡すと、大学はあくまでも通過点とし、その先の世界を見据えて入学してきた人ばかりだったのです。しかも、みんな私と違って、表情も心もとても穏やかでした。
「私は、何をしていたんだろう?」そんな疑問はいつまでたっても解消されず。私が出来たのは、目の前の勉強に真面目に取り組むだけ。今までそれしかやったことがなかったから、他にすることがわからなかったのです。これしか、自分のアイデンティティーを確立する方法を知りませんでした。
就職活動の時期がやってきて。私は、「自分で仕事したい」「好きなことを仕事をしたい」と言いながらも、卒業後は企業へ就職。適当な理由をつけて、自分のプライドを保ちました。
しかし、1ヶ月で退社。その後も責任を背負いたくなくてアルバイトになったり、悔しくて正社員になったり、楽だからという理由で事務職を惰性で続けていたり、刺激が欲しくてブラックな会社に入社して心身ともにボロボロになったり…。本当にダメダメな社会人でした。
「自己啓発」難民
学生時代の友人たちを見渡せば、自分のやりたいことをやって、グローバルに活躍して。そして、幸せそうにしている。でも、私は同じ学校を出たはずなのに、何も目に見えた結果を残せていない。自分を変えたくて、こんなに普通な自分が嫌で。あるビジネスに手を出したこともあります。
頭がおかしいんじゃないかってくらい、一生懸命でした。数字を取れなくて、自分をとことん責めました。行動しなきゃダメだと自分を急かし、ぶっとんだことをやって、友達や家族に心配と迷惑をかけたこともあります。朝から深夜までクレイジー。ランナーズハイのようになっていたのかもしれません。
自己啓発にのめり込んだのも、この頃です。すべてを頭で考えて、自分が出来ない理由を、一瞬で自分で割り出していました。だって、本に書いてあるから。成功者はこう言うから。そんな知識だけは、悲しいかな豊富にありました。そして、また出来ない自分を責めるのです。
そして、「こんなに頑張っているんだから、自分を認めて」という気持ちも、無意識にあったと思います。そう、私はこの方法しか知りません。とにかく、必死だったのです。
自己投資だと言い聞かせて、自分のお給料以上のお金もかけていました。マイナスになっても、これはきっと自分に返ってくるんだと信じて。
自分に鞭打って。いつも、笑っているつもりだったけど。ずっと、口角が痛かったです。
春は、やってくる
この時、ひとつの別れがありました。ぽっかりと空いたところには、新しい出会いもやってくるものです。
暇さえあれば、いろいろな交流会に顔を出していた時期がありました。人脈さえ広がれば、何かチャンスやヒントがあるのではないかと思っていたのです。そこで出会ったのが、自分の仕事や好きなことにプライドを持って、名刺を渡してくれる人たちでした。
私には語れるものが何もなくて、恥ずかしくて…。『私は○○をしている人です』と言えないことは、本当に屈辱的でした。だけど、精一杯を伝えたくて、今までの人生がこんな感じでしたというのをグラフにして、似顔絵を描いてもらって、名刺を配っていたのです。これはかなり赤裸々で勇気がいりました。
多くの場合、経営者陣にとっては、「へぇ…(もっとビジネスチャンスのある方と繋がろう。これ以上話すことはない)」であったと思います。もしくは消費者として、商品の売り込みターゲットになるか、どちらかです。これは仕方のないことです。
ただ、その名刺を受け取ってくれていた方々が覚えてくださっていて、春、新たなチャンスを頂けるようになりました。一介のOLで特技もない私が、とてもスペシャルな個性を持つ方々の中で、イベントのスタッフなど、たくさんの貴重な経験をさせて頂いたのです。
その中のひとつが、インターネットでのラジオパーソナリティです。何も経験はなく、まさしく青天の霹靂でした。ラジオパーソナリティをはじめることで、私の知らないところで、私のことをどんどん知って頂いたり、信頼してもらえるようになりました。
感性が鋭い方々との出会いも増えました。頭でばかり考えていた私が、自分の声を聴くということにフォーカスしはじめたのもまた、この頃です。
「100人企画」
少しずつ人に認めてもらえることで、自分にも何か出来るんじゃないかと思いはじめた私は、30歳を迎える3ヶ月前あるひとつの計画をします。
それが、『100人企画』。Facebook上でいろいろな方をご紹介頂き、お一人お一人の話を聴かせて頂くというものです。これを30歳の誕生日までに、100人達成しよう、と。
私は今まで、物事を一人で完結させようとしてきました。だから、人に頼むということが出来ませんでした。「紹介してください」とお願いしないと、この企画は成立しません。
更に、私は今まで人の話にきちんと耳を傾けず、相手をコントロールして動かそうとしてきました。そして勝手に一人で、罪悪感で傷ついていたのです。そんな自分をこの企画で乗り越えることが出来るのではないかと、ひらめきました。

結果、100人は達成出来ませんでしたが、素敵な方に大事な方をご紹介して頂くことで、50数人の方とのお時間を頂きました。1人1人に素晴らしいストーリーがあって、どの時間も本当に宝物みたいな時間でした。そして、こんなに人生を深く生きている人たちがいたんだということに、感激しきりでした。
嬉しい誤算だったのは、「話を聴かせて頂く」ということが逆に、人に喜んでもらえることだったのかということです。時間をくださった方々が、笑顔で「ありがとう」と言ってくれて別れるその瞬間、「こちらがありがとうだよ…」と思いながら、泣きそうになっていました。
更に、お聴きした内容を伝えたくて、Facebookにストーリー形式で記事を書くと、長文になってしまうのですが、周りの方にとても喜んで、楽しみにして頂けたことです。(全員分書き終えれず、とても申し訳なかったですが…)
また、私の知らない方が反応や感想をくれたり、「自分も書いて欲しい」という方が連絡をくれたのも、大きな喜びでした。
人生で一番の「おめでとう」を貰った誕生日
30歳の誕生日は、本当に感動的でした。この3ヶ月、たくさんの方のお話を聴く中で、自分の中にも「そうだったのか」が多く見つかり、乗り越え、自分と一番向き合えた3ヶ月でもあったからです。
そして、人に喜んでもらえることが出来れば(私の場合結果的にですが)、こんなに信用を頂けるのかと。人との繋がりを感じて…。私でもこんなことを感じることが出来るんだと思って、感謝と感動で胸がいっぱいになりました。
そして、誕生日を前にひとつ決断していたことがあります。それが『私をソチにつれてって』企画を実行すること。
きっかけは、100人企画を通して紹介してもらった2人に、『私、来年のソチオリンピックに行きたかったんだよねぇ。でもお金もないし、チケット取れるようなコネもないし。』と、ぽろっともらしたこと。そう、私の大好きな選手が出身のロシアへ、オリンピックを見に行くのは私の夢でした。必死で頑張って生きている時も、ずっと。
2人はそれに「出来るんじゃない!?おもしろそう!なんかアイディアとか方法があるんじゃないかな?」と言ってくれました。それは今まで私の周りにいた人の反応と、明らかに違うものでした。現実を見て、否定とかしないんだって。それが私は嬉しくて仕方がなかったです。
ちょうど彼がヒッチハイクに成功した感動的な話をしてくれた後だったので、私の気持ちはとても盛り上がりました。これはまるで壮大なヒッチハイクのようだと!
ただ、100人企画の中で、私にはもっともっと出来ることがあるんじゃないかと、自信が湧いてきたものの、これは非常に勇気のいることでした。そしてその後もずっと自分の中で、葛藤をしていたのです。でも、考えれば考えるほど、何か見えない力が「やれ」「やれ」と急かしてきます。
そんな毎日を送る中で、あるきっかけが訪れます。
2013年8月下旬、自分とパートナーのラジオ番組の収録に訪れた私は、前の番組を収録していた2人に呼ばれました。どうやら、彼らの番組に来るはずのゲストが来れなくなったとのこと。
「舞さん急ですけど、こっちの番組にゲストに出てもらえませんか?」
「放送日、舞さんの誕生日ですよね?」
何か運命に背中を押された気がしました。30歳を迎える最初の日。自分の決意を声にだして、電波に乗せよう。言ってしまえば、きっと引き下がれないはずだと。

そして、2013年9月4日。私の決意は音になったのです。
『私をソチにつれてって』企画、始動!
この企画は、資金がなくてもコネがなくても、どんな方法でもいいから、2014年2月『ソチオリンピックでフィギュアスケートの試合を見る』というものです。しかも、1人でやるのではなくて、みなさんのパワーをお借りしながらやる、ということをしたかったわけです。私は100人企画で、その素晴らしさを知ってしまったから。
最初は何から手をつけていいのかわからなくて、思いつく方法もなくて、Facebookで自分の周りの皆さんにお願いする時に、こんなことを書いていました。
『ロシアやオリンピックに関わりがある人を知ってるから、紹介してやるよ。
現地に知り合いがいる。
ロシアで頼みごとがあるから、そのための手間賃ならやるよ。
フィギュアスケートの会場に入れる手段を知っている。
仕事やボランティアがある。
渡航費節約できる。
日本らしいこと教えてやるので、ウケを狙って来い。
この話広めてやるよ。
…などなどなどなど。なんでも、おっけーです><訳わからんから、とりあえず直接しゃべりにこいという方も、もちろん出向きます!!』
この時点ではどうやったらオリンピックに行けるのかも、全然わかっていませんでした。わかっていたのは、チケットがとんでもなく高額らしいということ。そして、ソチはロシアの中心地からはかなり離れていて、行きにくい場所だということだけ。
だけど、私はそんな無茶をしたかったのです。理由は、この通りでした。

私はずっと逃げるような社会人生活を送ってきました。学生生活のうちは「優等生」であれば、自分のアイデンティティーを保てたかもしれませんが、もちろん社会に出れば、それは通用しません。
でも、何かを残して、結果を出して、自分という存在に価値を感じたかったのです。だけど、私は私に価値を見出すことは出来ませんでした。平々凡々なOL会社員であることに嫌気がさし、自分だけの何かを探しながら、もがいていました。
だけど、100人企画を通じて、本当にいろいろな職種でいろいろな経験をされてきた方に、たくさん出会いました。「自分はこういうキャラ」ということや、「○○の仕事」「こういう風にするのが普通」ということを、型にはめなくてもいいんだと思えたのです。
私は大人になってからだけど、こんなに素敵な大人たちに出会えたから。
私も自分らしく、自由に、型にはまらない生き方をすることで、誰かの勇気になれるかもしれない!
それが私の背中を大きく強く、押してくれました。
とにかく、やってみよう
こんなわけのわからないままはじまった企画にも関わらず、「なんかわからないけど、おもしろそう!」「応援するよ!」と反応をくださった方が、自分の予想以上にいてほっとしました。
が、それも束の間。私は1人で大いに混乱していました。結局何から手をつければ、この企画は前進するのだろうか?と。
すると、自分の友人たちや100人企画で繋がってくださった方たちが、私よりも先にアクションを起こしてくれたのです!早速怖気づいている中、「自分に出来ることを」と手を差し出してくれたことは、本当に嬉しくて仕方のないことでした。
記事をシェアしてくれた方もいました。ボランティアの募集は終わっていましたが、こういう入口はないか探してみたら?というご自身の経験を踏まえた情報をくださった方もいました。
シェアした記事を見て連絡を下さった、アート作品を作られている女性は、ご自身の経験から全く発想にないアイディアを下さいました。見ず知らずの私に、体調も悪くされている中、一生懸命に話してくれました。
たくさんの方が来られている交流会で、この企画の宣伝をさせて下さった方もいます。
私をラジオパーソナリティに誘ってくれた、番組のパートナーも、番組として出来ることを考えてくれました。少しでもこの企画が広まるように、毎週コーナーを設けてくれたのです。
『私をソチにつれてって』のロゴを作ってくれた男の子も、「この企画に協賛して、無償でやります」と言ってくれました。友人が、企画のことを彼に話してくれて、繋いでくれたのです。自分の好きなフィギュアスケート、そしてロシアカラーが全面に押し出されたこのロゴ。大のお気に入りです!

そして、何よりも心強かったのは、私が「ソチに行きたかったな」とぼやいた時に、「今からでも出来るよ」と言ってくれた男の子と女の子。2人がいたことでした。すべての起こった出来事、私が考えていること、不安に思っていること。全部話を聞いてくれて、相談に乗ってくれて、一緒に悩んで励ましてくれました。ずっと心の支えになってくれました。
ロシアで、やりたいことがある
そんな中、私はロシアに行って「楽しかった!皆さんありがとうございました!」をしたいわけではないという想いが、むくむくとたちあがってきました。せっかくだから、何かロシアと日本の繋がりに貢献できることを…と、思いながらも具体的な案が浮かばず。
そんな時、2011年の震災で被害にあったサッカーチームを支援している、という方とお話する機会がありました。詳しいこともいろいろと聴かせて頂き、感嘆し。その中で、私は口からポロっと「フィギュアスケートでも震災の時にこういうことがあって…」と話しはじめていました。
そう。2011年3月。東京ではフィギュアスケートの世界選手権が行われる予定でした。この選手が今きっと決めてくれる、積み重ねてきたものがきっと今度こそ実る…!そんな期待がたくさんある大会でした。多くのファンも楽しみにし、選手もすべてをそのために準備してきていたでしょう。1年の集大成で、一番大きな大会です。
しかし、東北での震災が起こり…。私は当時、大阪市内のビルで仕事をしていました。東京に電話をしながらやりとりをしていると、受話器のむこうからガタガタという音と「きゃぁ!」という声が聴こえ。「すみません、あとでかけなおします…!!」と言うやいなや、がちゃと受話器を置かれました。
丁寧な方なのにおかしいな?と首をかしげていると、大阪でも揺れがはじまり。阪神大震災を現地で経験している同僚が、動揺しているのを落ち着けて、情報を調べると何かがおかしい。テレビを見ると、日本は想像も出来ないほどのことになっていました。
毎日、地震速報。CMは自粛。離れた場所に住む皆さんはそうだと思いますが、自分は何ができるんだろうと考え、ちっちゃなことをしては無力を感じ。どうしようもないことなのに、一番辛い人の気持ちは絶対にわからないということに、気持ちが落ちる毎日。
そんな中、「フィギュアスケートの世界選手権も中止に追い込まれている」という報道を耳にしました。さびしい、さびしいけれど、仕方ない。こんな時だからこそ見たいけれど、選手が積み重ねてきたものはきっと誰かを少しでも明るくしてくれると思ったけれど、今の状況ではどうしようもない。
諦めの中、生きていると「ロシアで4月に代替開催」というニュースが入ってきました。これは本当に嬉しいことでした。きっと被害にあった方の中には、スケート好きな人もいるはず。私が苦しかった時のことなんて比べ物にはならないけど、絶対ちょっとでも一瞬でも心を明るくしてくれるはずだと、思えました。
そして、1ヶ月という短期間で会場を準備し、スタッフを用意し、開催までこじつけてくれたロシアに対して、感謝でいっぱいでした。本当にいろいろな苦労があったはずです。
その期待を日本の選手たちは裏切らず、最高のものを見せてくれ、大活躍をしてくれました。きっと、多くの人の勇気や希望になったはずです。
しかし。
真実というのは、もうひとつありました。それが当時、メディアで報道されなかっただけのことです。
ロシアは短期間での開催準備だけでなく、日本にあたたかいメッセージを用意してくれていたのです。開会のセレモニーの中ではそのメッセージが読みあげられ、それを表現するようなスケートでのパフォーマンスが繰り広げられました。きっとすぐにこれをやると決めて、練習をしてくれていたのでしょう。
また閉会のセレモニーでは、日本人選手たちを日の丸のように真ん中に集め、それを他の選手たちがあたたかく取り囲むというような演出もされました。とても感動的なシーンです。
そこで現地で見たファンたちが、この事実がテレビ放送されなかったことに声をあげました。その事実はこういう声がないと、わからなかったことです。他のファンたちも声をあげ、結果後日にBSで放送されました。
「ロシアに感謝を伝えたい。ありがとう!スパシーバ!」
「フィギュアファンじゃない限り、知らない人が多いと思う。」
「感謝を伝えたいけど、どうすればいいんだろう?」
私もそう思いました。どうすればいいんだろう?と思いながら、風化しかけていたこの想い。これを伝える時がきたんだと思いました。
ロシアに感謝を伝える横断幕を、オリンピックで掲げよう!!
そう決めたら、俄然やる気が沸いてきました。
そうか、旅程をきめなきゃ
いろんなアイディアや情報を頂くも、具体的にどうしていこうか見えない中1ヶ月が過ぎ、10月。一生懸命、交流会に参加していた頃に出会った、とっても活発でアクティブな女の子から連絡を貰いました。「旅行会社を経営されている、素敵な方がいるので、ご紹介しますよ」と。
「そんな方に私の無謀な計画を話して、呆れられないだろうか…」とかなりの不安を抱えながら、「頂いたチャンスなんだから、活かさなきゃ!」「何かヒントもあるかもしれない!」と自分を奮い立たせ、会いに行きました。
経営者さんだ…バカだと思われないかな…と怖気付きながら、この企画のことをお話すると、きちんとすべて耳を傾けて頂き。「アイディアはもちろんなんだけど、まずどういう日程で、どの便を使って行きたいの?」というところから話はスタート。
そうだ、私はそんなことも決めていなかった…!!
普通の旅行であればきっと、一番最初にやることなのかもしれません。しかし、今回に至っては、私はこの時点で資金がないわけです。そんなことを決めても、航空券が買えるわけでもありません。だから、航空券の値段すら把握していませんでした。
いえ、把握するのが怖かったのです。
オリンピックの観戦ツアーがとんでもなく高額だということは、知っていました。3試合を見て120万以上のツアー。しかも超人気商品で、そのツアーさえ抽選に外れた人がたくさんいるのです。
私の年収の半分近くの値段を出してでも、幸運でないと手に入らないもの。
それに資金なしで立ち向かおうとしている自分を、早速絶望してしまいそうになったからです。
しかし、ここから逃げるわけにはいきません。しかもこれは、企画に協力してくれている目の前の2人の好意なのです。
安くおさめることはもちろん、しかもロシア語が話せないのであれば、はじめてでも安全にいけるような時間帯に到着するものを、いくつか提案して頂きました。ソチには直行便がないので、国内での移動もあり、少し複雑です。
そして、おおよその値段も把握。約17万円です。ただし、これは2013年10月前半時点での話。2014年2月のオリンピックが近づいていくにつれて、価格が上昇していくことが予想されました。行くのを決めているのであれば、予約しておさえておく方がいいに決まっている。でも、事前におさめるお金もなかったのです。
これが現実。私は現実を直視せずに、ふわふわしていたのだと思います。
ただ、私が行けるとすれば、こういう飛行機に乗って…とイメージをすることが出来たのは、本当にワクワクしました。そして、お2人は旅程以外にも「ああしてはどうか、こうしてはどうか」と一緒に考えてくれて、本当に感謝でいっぱいでした。
お金からは、逃げられない
航空券の問題もある。そして、問題は観戦チケットです。女子のメダルが決まる、フリー演技の観戦チケットは約10万円。もちろん一番良い席なのですが、日本人はこの席しか買うルートがありません。他の席を買おうと思ったら、ロシア国内のVISAカードが必要です。これを何らかの方法で手に入れることが出来たとしても、オリンピックのチケットはすべてID登録が必要になります。つまり、行っても観戦出来ないリスクを背負うことになるのです。
チケットの一次抽選は、春先にすでに終わっていました。しかし、二次抽選があるということで、私の友人がシェアした記事を見て、応援してくれていた女の子が、この情報をくれました。
申し込むべきか、否か。正直迷いました。何か他のルートが見つかるかもれない。当たったら、10万円払わないといけないけど、私はこれを捻出出来るの?と。
ドキドキしながら、結局申込みました。

しかし、私はそれをやるのが怖かったのです。当時の私の感覚では、お金というのは「嫌なことをして苦しんだ結果得るもの」。それを私なんかに渡してくれるのだろうか、と引いていました。
でも、「お金というのは愛であり、応援の形の一種である」という考え方も、知識では知っていました。私は好きなものになら、気持ちよく、ハッピーにお金を使えるのです。例えば、好きな商品があって、それを買うことは、その会社を応援しますよということ。その会社はそのお金を、もっと良いものにするための開発費にする。これが素晴らしい循環。
だけど、自分のこととなるとそう言ってもらえる自信がなくて、本当にダメでした。人から評価されるような気持ちになったのです。それを受け止める自信がなかった。
だけど、ここから逃げるわけにはいきません。だって、私はこれだけの人に応援してもらっているし、どれだけ悩んでもこの企画をやめようとは思えませんでした。目的があるからです。
よし、資金を募ろう!!
なぜ勇気を出せたのか。
これも本当に人のおかげです。ソチ企画のロゴをかいてくれた男の子が、私がスタッフをやっていたイベントに参加してくれた時、自分のブーズにロゴを置いて宣伝してくれたのです。そして、その近くには赤いストライプの貯金箱。
「これで募金、集めましょう!」
そう言って、周りの方に声をかけてくれました。入れてくださった方にも、感謝でいっぱいです。
そして、私のことをたくさんの人に広めて、いちばん応援のメッセージを書いて一生懸命になってくれた女性。自分のブースの売上を募金してくれただけでなく、すっかりはりつめていた私を癒してくれて。
更に他のブースの方にも、私のやっていることや趣旨を、私以上に一生懸命説明してくれて、募金をしてもらったのです。そして、彼女たちは心強すぎる応援団になってくれました。
私はビックリして、どれだけ自分に自信がなかろうと、凹もうと、これだけやってくれる人のために、裏切るわけにはいかないと決意を新たにしました。
そして、ずっと無意識に後回しにしていた、期限がわずかのパスポート更新に行ったのです。
すべての人がYESというわけはない。でも。
夢を叶えようとする人の前には、それに反対する「ドリームキラー」が現れるというのは、よく言われることです。ステージを1つ上がる人の前には、それを引き止める人間がいるものだと。だから、大丈夫だと頭では思っていました。
そんなことよりも以前に、人の考えや価値観なんて、違うんです。いくら友達だからといって、仲が良いからといって、すべての人が賛成して応援してくれるかといったら、これはYESではありません。それはもちろんわかっていました。
しかし、いざ本当にそれに対峙するとなると、結構苦しいものです。
資金を募ろうと決め、Facebookのタイムラインやイベントページにそれを投稿しました。すると『人のお金で行くというのが理解出来ない』『まだ夜のバイトを続けて達成したほうが、感動する』『難病の人とかならわかるけど…』『人間は自分でなんとか出来るけど、動物は出来ないので、私は殺処分される動物保護に募金します』という声がありました。もちろん、これは個人の意見や感想として、です。
どの意見もなんにも間違っていません。誰もなんにも悪くないわけです。「ドリームキラー」は人ではない。自分自身です。それでも自分の気持ちを貫き通せるか、自分自身やその想いを信じられるか。周りのせいに出来る人生なんて、ありません。
私はこう答えていました。
『何に愛を注ぐかは、人によって違うと思うよ^^アーティストとかでもそうやと思う。CDにお金を払うっていうのは、自分を喜ばせてくれるからということと同時に、その人がすきっていう、愛や応援の形だと思うんよね。でも、そのアーティストにはお金を払わない人もいる。そのアーティストに勇気を貰えるという人もいれば、そうじゃない人もいる。ほかの人がいいっていう人もいる。
だから、友達だからって合わないのも、仕方の無いことだと思うよ^^みんながみんなにYESと言って貰えるとも思ってないし。けど、届く人もいるかもしれないから、発信し続ける。
ちなみに、難病のひとを救いたいひとは、募金をするだろうし。私も自分がYESって思う場合は募金する。自分がどういう世界にしたいかっていうのは決まってるから、そこに沿って。』
自分でこれを書いたあと、何も反応がない人よりも、反対意見でもこういうことを言ってくれる人のほうが、よっぽど愛があるし有難いことかもと思いました。
愛の反対は無関心というけれど。私は反対よりも、反応がないことの方が怖かったのかもしれません。この企画をすることで人にどう思われているのか、ビクビクしていたあの頃の私は、この企画に何の反応も示さない人に会う方がずっと辛かったのです。
それに、もっと嬉しいことがありました。
私を応援してくれる人たちが、自分の言葉たらずをサポートするように、コメントをつけてくれたことです。そして、個別に「負けないで」と連絡をくれた人もいました。自分が一人でやっているのではなく、本当に応援してくれている人たちみんなでやっているんだと実感できた出来事でした。
見てくれている人は、いる
ちなみにこの時掲げていた目標は、かなり航空券の高騰や燃油サーチャージ分など、大きく見積もって50万円。私にはとても途方のない数字でした。
けれど、勇気を出した結果、支援をしてくれる人が現れはじめます。冒頭でお話させて頂いた、100人企画でお話を聴かせてくださった方たちです。
ある時、おみやげを渡したいからと、その方に事務所へ呼んで頂きました。別のお話をいろいろする中で、「ソチ企画のことを聴かせて」と自分から言ってくださったのです。目的やこれまでの経緯をお話すると、「どうやったら応援出来る?」と聴いてくださいました。
勇気を出して、「資金を援助頂くという形で、応援して頂いています」とお伝えしたのです。すると、快く1万円を渡してくださいました。この時の感動は忘れられません。私のことを、私がやりたいことを信用して託してくれるというのは、どんなに嬉しいことでしょうか。
更に知り合って数ヶ月という、同じ年の男の子にバッタリあった時も、「ソチの企画ってどういうことなん?」と聴いてくれて、ものの1~2分の説明で、1万円を手渡してくれたのです。本当にビックリしました。
後ほどなんで支援をしてくれたか聴くと、『別に達成出来ても出来なくても、関係なかった。理由は、行動してたから。』と言ってくれました。夢を語る人、やりたいと簡単に口に出していう人はいるけど、行動するまでいかない人が多いから、応援したいと思ったと。
また、「ソチ企画を応援してる人が購入してくれたら、自分の商品の売上の一部を資金にまわすよ」と言ってくれた、コーヒー屋さんの男の子。更に、レイキという手当て療法のヒーリングをされていて、私が辛い時にいつも絶妙なタイミングで応援の声をくれる女性も、同様に協賛してくださいました。
こうして、目に見える形でソチが少しずつ近づき、周りの方にも進捗報告が出来て、それを喜んでもらえることが、とても嬉しかったです。
Facebookに必ず「いいね!」をしてくれる方々のことも、実は全部把握していました。私はいつも、1人1人のお名前を見ながら、心の中で毎日感謝していました。あとで、見過ごした投稿はないか全部遡ってチェックしてたんだよと伝えてくれる人もいて、本当に本当に感動しました。
プレッシャーに、負ける
自分で決めたことなのに、お金を頂く行為にブロックがとれなくて。人からお金を頂いてるくせに、企画以外にお金を使うなんてと、何かの支払いの度に自分を責めて。周りの人がいろんなアイディアを出してくれているのに、それに全部応えられなくて。こんなに応援してもらっているのに、ゴールが見えなくて。もっと努力しなきゃいけないのに、楽しそうな場所にいる自分に罪悪感を感じて。達成するため時間がないのに、関係のない頼まれごとに答える自分に嫌気がさして。
私は、そんないろんなもので押しつぶされそうになりました。凹みながらも、はりつめていたものがすべて切れてしまったのが、11月にはいった頃。進捗報告の更新が、明らかに出来なくなっていました。元気で明るい発信が出来る自信がなかったのです。
もともと、11月には『私をソチにつれてって』トークイベントを開催する予定でした。これは、最初に私の背中を押してくれた2人が協力するから、一緒にやろうと当初言ってくれていたことで、このイベントの収益が資金になればいいねと言ってくれていたのです。
ただ、この時の私はいろんなプレッシャーで疲弊してしまい…。2人はこの時の私の正直な気持ちを、真摯に聴いてくれました。
そして結果、『この企画を知ってもらうことも大事だけど、まず来てくれた人が楽しんでくれることを優先しよう!』『舞ちゃんも楽しめることをやろう!』と提案してくれました。そして、イベントの内容は変更となったのです。
一度宣言したことを変更するのは、頑固でつまらないプライドばかりの私にとって、勇気のいるチャレンジでもありました。そして、トークイベントを応援してくれている人もいたのに申し訳ない…という、人の目ばっかり気にした私にとっても。でも、こんな時でも寄り添ってくれる人がいるというのは、本当に嬉しいことでした。
私の状態に気づいて、連絡してくれる人もいました。私が「自分のこういうところが悪」と思っているところ全部、受け止めてそれでいいと言ってくれました。
その時に、私が書いた投稿は下記のとおりです。
『愛と承認のひとになろうと決めましたが。ひとから承認をもらって気づきました。
私が、私をいちばん承認出来てないのね(。-_-。)そりゃ、ひとにするのは無理だな。
無意識に、自分を叱咤しておる。
怠けるなとか。
モチベーションが下がるのは悪いこととか。
ブレるのは決まってないからとか。
楽しまなきゃとか。
趣味の時間は、目標のために捧げなきゃとか。
だから、娯楽は悪だとか。
ひとを悲しませないとか。
そのためには我慢するとか。
ひとに何かを与えれるひとにならなければとか。
いつも笑ってなきゃとか。
ひとの期待に応えなきゃとか。
ためらわずYESと言わなきゃとか。
やってもらった分をかえさなきゃとか。
いいひとにならなきゃとか。
がんばってる自分じゃなきゃダメだとか。
そうでない自分は、求められないし応援されないとか。
自分で自分をこんだけおさえつけて暴言はいといて、ひとにはOKなんて言えないよねー(;^_^A
なんか、納得。』
自分自身を「何かをやっていないと価値がない人」と思っていたのです。「人が期待してくれたこと、応援してくれたとおりにやらないと、価値がない人」「この企画を必死でがんばらないと、価値がない人」と。
私は何より、自分に対して、愛がなかったのです。それは大きな発見でした。
「目の前の人に喜んでもらう」から、流れが変わり出す
『人に喜んでもらえることをしよう』
イベント開催の趣旨を変更し、ロシア料理を振舞うイベントに変更することに決めました。そして、その中でロシアのことを知ったり、参加者の方々がゲームをしたり、楽しめる時間を作ろう、と。
何を作るかは、当時お料理の事業もしていた女の子が一緒に考えてくれ、ビーフストロガノフを工夫して作ってみようということになりました。また、パティシエでもある男の子がロシアのデザートを作ってくれるとのこと。2人共仕事で忙しい中、時間を割いてくれて、感謝でいっぱいでした。
イベント開催までは、ドキドキ。どれくらいの人が来てくれるのだろうか?お部屋に入る人数最大まで定員を定めたものの、こんなに来てくれるんだろうか?せっかく手伝ってもらったのに、集まらなかったらどうしよう。
しかし、少しずつ参加人数は増えていき。そうすると、なぜか心の余裕が生まれてきたのかもしれません。あと数日というところでひとつ、気持ちが切り替わる瞬間が来たのです。
『人数とか、もういいや。来てくれた、目の前の人に楽しんでもらえればいい。そのことだけ考えよう。』
そう。私はこの企画に関してずっとそうでした。達成させたいという気持ちのあまり、「より多くの人に知ってもらわなければ。」「人数が多ければ多いほど、その中に応援や支援をくれる人がいるかもしれない。」と必死になっていたのです。それが応援してくれている人たちに対する、恩返しだと思っていました。
でも、大事なのは「今、近くで応援してくれている人たち」自身でした。もっと彼らに感謝をすることに集中しようとも、思えたのです。
すると、不思議なことにどんどん参加人数が増え。前日に友人の呼びかけで参加してくれる方がいたり、当日キャンセルが出たものの、すぐあとに参加者の方が「1人行きたいって言ってるんだけど」と言ってくださり。結果定員いっぱい14名もの方が参加してくださいました。
普段から目に見える形で応援してくれている方は、もちろん。この企画を知らないお友達を呼んでくれたり。「ずっと気持ちは応援してたんだけど、どうやって協力していいかわからなくて…」と言って、参加してくれた方もいました。時間がないのにちょっとだけでも…と言って、参加してくれた方。遠くから足を運んでくれた方もいました。本当に本当に感激しました。
更に、一度しかきちんとお会いしてお話したことがない方も、参加してくださいました。それだけでも嬉しくて仕方がなかったのですが、途中で抜けなければいけないという時に、Facebookの投稿を見ていて「熱意を感じたので応援しようと思った」と支援金を渡していった下さったのです!
何がいちばん嬉しかったって、こんな短期間なのに、私のことを信用してくれるんだということ。言葉足らずの私の、気持ちを感じ取ってくださったことです。
言葉でも、時間でもなく、気持ちで繋がれたということ。勝手ながら私はそれを実感して、なんて幸せなことだろうと思えました。
更にイベントのお片づけが終了したあと、一緒に開催してくれた2人からも、支援を頂きました。手伝ってくれた上に、ここまでと思うと本当に泣けてきました。味のある字の封筒、私の宝物です。
流れに乗り、加速する!!
その後、感謝や感激や感動がスパイラルアップするような気持ちになった私。ずっと沈んでいた身辺が軽やかになりました。その時、私に『時のマヤ暦』という知識が加わり、目標や結果を必死に手繰り寄せようとせずに、今を大事にして時に身を任せれば上手くいくという感覚を、感じれるようになっていました。
流れに、任せよう。私のやっていることが正しければ、絶対結果はついてくる。世界に求められていることであれば、実現する。しなければ、そうじゃなかったってこと。でも、私は正しいと信じてる。
そんな時、あるメールが届きます。
「ソチオリンピックチケット抽選結果・落選のお知らせ」です。

素晴らしい流れの中、ある日ずっと私が辛い時にも寄り添ってくれていた女性が、声をかけてくれました。支援金を頂いただけではなく、レイキや自分の心のブロックをとるセラピーで、私の心身を癒す時間をプレゼントしてくれたのです。
レイキは身体の中の流れをよくする働きがありますが、自分の身辺の環境もそれに従って、流れていきます。「うちのお客さんは予約を取ってから、ここに来るまでに良い流れの兆候がではじめるの」とおっしゃっていましたが、これはまさしくその通りでした。
ほら、やっぱりドラマが起こった!!
そう。すべてが流れにのって、上手くいきはじめていました。しかし、目下の問題はチケットです。
嬉しいことに周りの友達が協力してくれて、ロシア人の知り合いを探してくださいました。ただ、ロシア国内用のチケット情報を得ることは出来ず。
チケットがないといえども、ここまで来たら私は、単身ソチに行くしかありません。むこうでなんとかなるかもしれないという希望もあります。
ただ、誰か一緒に行ってはくれないものかな。チケットがなくてもソチに行くという強者は、いないんだろうか?
そんな軽い気持ちで、通勤途中に海外旅行の同行者募集サイトを眺めていました。すると。
【ソチオリンピック 女子SP 同行者募集】の記事。2枚で申し込み当選したが、同行者を探しているとのこと…!私が探していたのは、メダルの決まる女子フリーでした。しかし、私にはオリンピックでロシアに感謝の横断幕を掲げるという目的があります。
チケット代は8万5000円。この時、頂いた資金の合計はチケット代を少し上回っていました。これさえあれば、倍率の高いオリンピック人気種目の会場に、つまり目的を達成する場所に入れる!
ちょうど、早朝に掲載されたような投稿でした。覚悟を決めて、この投稿をした方に連絡しました。
すると、すぐに連絡が返ってきて、実際にお会いすることになったのです。
お会いしてみると本当に素敵な方で、話していても初めて会ったような気がしませんでした。私がこんな企画をしていて、チケットを探していたということも、すんなりと受け入れてくださり、いろいろと配慮してくださいました。
そして、実際にソチへどうやって行くか。泊まる場所の候補がピックアップされ、どんどん具体化していきました。当初の目標金額50万円も、宿泊場所をソチから離れた場所にしたりすることで、かなり安く抑えることが出来て、30万円弱でおさめることが出来そうになりました。

その時の私の投稿です。
『「中に入れる」と決まったことで、これから行動出来ることが増えたと思います。
やると決めたら、きっとなんとかなる。
起こる、引き寄せる(^◇^)
勇気はいるけど、やりたいことをやりたいと言うと、何かが動く。
皆さんが応援して押してくれる背中。
それで前に進めています。
心から、ありがとうございます(T_T)』
10万円が降ってきた
チケットが手に入り、希望が見えてきてワクワク。

しかし一方で、新たな問題がまた浮上します。
それは、航空券の支払い。
なんとか安く抑えれるプランにはしたものの、近いうちに支払いはしなくてはいけません。いろいろな想定をしながらも、借金などの手段も考慮にいれ、腹を括りはじめていました。
私は毎日、口にシュッシュとスプレーをしていました。「飲む金運のお守り」だそう。私が資金を集めると聴いて、友人がくれたものです。彼女はバッチフラワーというイギリスの民間療法を使ったセラピーをしていて、彼女が扱っている商品だそうなのです。
すると、事件は友人の故郷である奈良で起こりました。
用事からの帰り、ぶらぶらと奈良の町を歩いていると、ある言葉が目に入ります。
「クーリングオフを過ぎたものでも、戻ってくるかもしれません」
奈良の消費者センターの看板でした。私は昔、あるサービスの解約を申し出たものの、理由を説明されて諦めざるをえなかったということがありました。これも、もしかして適用されるのではないかと、期待が高まりました。
結果。
10万円が降ってきたのです…!!これでまずは、現金分の支払いが出来る!!
そして目標金額まで、あと10万円。2013年12月も暮れのことです。ソチオリンピックまで、あと2ヶ月というところまでせまっていました。
イベント出展をしてみた
100人企画の時にお話を聴かせて頂いた方の中の、お一人。ちょうどソチ企画をやってみたいな…と思い始めていたころに、少しご相談させて頂いていました。その方にお誘い頂き、イベント出展をしてみることになりました。
ずっと「応援してあげたい」と思ってくださっていたそう。そして私が成長できるような形で、みんなが喜ぶような方法がないか、ずっと考えてくださっていたそうです。
本当にいろいろなことをされている方で、個人コンサル以外にも数々の特技をお持ちです。その中のひとつで、イベント主催の方に出展してくれないかと誘われていたとのこと。その売上を支援金に出来れば自分も嬉しいし、お客さんも嬉しいし、私も支援金に繋がって嬉しいし、主催の方にも喜んでもらえる…と。そして、私は一介の会社員でしたので、イベントに出てお客さんからお金を頂くという行為は、勉強になるはずだと考えてくださいました。
私は自分のためを思って考えてくださったことに、感激し感謝でいっぱいになりました。
そうは言っても、私には特技もないし何が出来るんだろう…と考えました。そこで思いついたのが、その時勉強しはじめていた『時のマヤ暦』です。これのおかげで少しずつ、無理をせずに生きれるようになっていた私。まだ人を見るのは不安だけど、チャレンジする良いきっかけだと思えました。
イベント主催のスペースのオーナーも、企画の応援ということで、出展料を支援金ということにしてくださいました。
そして、緊張してむかえた当日。Facebookで告知はしていましたが…。
結果、ひっきりなしにお客さんが来てくださいました!!時には前のお客さんが終わるのを、待って頂いたりしました。
時間がないのに、ちょっとだけでもと差し入れを持ってきてくれたり、遠い中足を運んでくれたり…。そんな大事な方々に感謝しながら、大好きなことをお伝えする時間は、本当に幸せな時間でした。
ちなみに、このアイディアを提案してくださった方は、冠婚葬祭の行事で来れなくなってしまったのですが、後日支援金を渡してくださいました。大事な経験も含めて、心から感謝です。
想いのこもった、横断幕を
どんな横断幕を作るのかも、懸案事項でした。この企画をはじめた時に、ぽろっと「横断幕を作るなら、みんなで作っても良いかもね」と言ってくださった方がいて、私はこのアイディアをとても気に入っていました。
しかしどんなものを作るのかは、イメージがまったく湧いてこず。どうしようかと思っている時に、いつもエールをくださっていた方の会に参加させて頂きました。そして、企画の話をするチャンスを頂いたのです。すると、あるものを譲ってくださるという、嬉しい申し出がありました。
それが文字マンダラです。もともと芸術作品として、文字で構成されたマンダラを描かれる素晴らしい方です。私に託して頂いたのは、たくさんの人が円状に東北へのメッセージを綴り、完成した大きなマンダラでした。老若男女、1人1人の想いがこもったメッセージ。そんな大事で尊いものを、受け取りました。
赤いペンで円状に書かれたメッセージはまるで、日の丸のようでした。
このマンダラで、ロシアに感謝のメッセージが伝わるような方法を。
『横断幕を一緒に作ってくれませんか?』
時間も迫っている中で、まずは場所をどうしよう…と思っていたところ、コミュニティスペースを運営されている方が、一角を貸してくださいました。
そして、ギリギリの呼びかけにも関わらず、心強い方たちが集まってくださいました。
まずは最初にこのアイディアをくださった方。そして、いつも応援してくれていた、イラストも大得意なデザイナーの友人。
そして、100人企画にも来ていただいた書家の男性。Facebookの投稿にずっと「いいね」をしてくれていて、ありがたいなと思っていました。「何か応援したいなと思っていたんだけど、これなら手伝える」と言ってくれて、感激でした。大事な商売道具の詰まった荷物を持って、来てくださったのです。
更に、ブログを見て来てくださった方もいらっしゃいました。
『ミミガロル』というキャラクター売り出されている若いご夫婦で、彼らもソチオリンピックに絡めた企画をブログでされていたのです。その名も『ミミガロルinソチ』ソチ在住の女性の協力で、ミミガロルというクマの小さなぬいぐるみと一緒に、写真でソチの街やロシアの文化を紹介するというものでした。
最初、メッセージをいただいてブログを拝見した時に、私はワクワクして「自分もソチに行けるなら、ミミガロルを連れていきたいです!」と返信しました。すると、すぐにミミガロルを送ってくれて、出来ることがあれば協力しますねと言ってくれていたのです。
そんな力強いみなさんの力を借りて、横断幕作りがスタート。しかし、こんな出来事があって云々と伝えるには、きっと遠くから見てもわからないだろうという結論になりました。そこで、横断幕自体はシンプルな形にして、ストーリーはインターネットで拡散するなどして、「後で見た人が何のことかわかる」「何のことか調べたり聴いてくれる」形にしようということに。
上部にロシア語で「ありがとう」を意味する『Спасибо(スパシーバ)』の文字。ミミガロルと妹のミミロンも顔を出し、友人のオリジナルキャラクター「ありが父さん」も描かれました。
最後に、幻想的な音楽の中、入魂の『感謝』の文字が筆で書き込まれていきます。文字が完成したあと、自然と拍手が沸き起こっていました。

あと、1ヶ月…!!

資金はどうなったかというと…
イベント終了後、2人と一緒に一度全部計算してみようということになりました。流れに任せると決めてから、もう計算しないようにしていたのです。
実はこのイベントに参加してくださった方の中にも、支援をくださった方がいました。なかなか会えず、この日なら予定が合うから…とわざわざ持ってきてくださったのです。(その他にもプレゼントを持ってきてくださった方もいて、感謝でいっぱいでした。)
更に、その前にも年下の友人が「少しでも協力したい」と言って、振り込んでくれたり。また、こちらも100人企画でお話を聴かせてくださった方なのですが、人づてに預けてくださったようで、それもイベントの日にサプライズで受け取らせて頂きました。
そんな感激と感謝と興奮の中、一度冷静に数えてみました。
この企画に必要としていたのは…
航空券 約15万円
ビザ 7800円
ソチホテル4泊 約3万円
女子SPチケット 8万3000円
《合計》27万2000円
※ルーブルを多めに読み、「約」としていました。
そして、実際は…
航空券 13万5959円
ビザ 8500円
ソチホテル4泊 29547円
女子SPチケット 8万5000円
《合計》25万8806円
結果、27万4110円で達成…!!!!!!!!!
「資金なし・コネなしで目的を果たす」ということをお約束した限りは、これを達成するということにこだわってきました。皆さんのパワーをお借りすること、そして一見無茶でも「本当にやりたくて必要なことなら出来る」ということを、証明したかったからです。
頭がぼーっとしました。そして、今までのことや、助けてくれた人たちの顔がぐるぐるとまわりました。ついに、やったのです。
出発まで、あと1週間が迫った日のことでした。
そして、出発3日前。最後の奇跡が、キラキラとその予兆を見せていました。
いざ、ソチへ!!!
なんとか会社の方のご協力を得て、1週間の休暇を取得。ご迷惑をおかけしないように準備をし、初めてのロシアの寒さ対策を考慮した荷造りも済ませて、いよいよ旅立ちの時となりました。
最後のサプライズは、この企画をはじめることに背中を押してくれて、イベントに協力してくれたり、ずっと支えてくれていた女の子が、いろんな方から「いってらっしゃい」メッセージを集めてくれて、前日にそれを見せてくれたことです。そのひとつひとつに、涙が溢れました。
その他にも、メッセージをくれた方々…。今まで応援してくれた方々は私のことをよーくわかっているようで、使命感でカチコチになるのではなく、素直に楽しんでくれば良いという言葉に救われました。
…だというのに、まさかのトラブルやバタバタではじまった、ソチへの出発劇。私はどれだけドラマを起こすんだとヒヤヒヤしながら、無事に予定の飛行機に搭乗。最初にご紹介いただいた、旅行会社の方にお願いしてよかったと胸を撫で下ろしました(笑)。
トルコ・イスタンブールを経由して、モスクワへ。そこで、私が小学生の頃から大好きだったロシア人選手(すでに引退されています)の写真が載った広告を見つけ、ここまで来たんだと感慨深くなりました。モスクワでは、チケットを譲ってくださり旅をご一緒させて頂いている方が、インターネットでお友達になったというロシア人女性に本当にお世話になりました。
そして、モスクワから国内便のLCCで移動です。日本からソチへ、直行便はありません。が、ここでは私がチケットを紛失するという大失態を犯し、状況を説明してもなかなか英語が通じず(ロシアの方はわからない方が多いようです。例え空港でも…)、名前がコールされる中空港を大疾走するという、今となっては笑えるような出来事もありました(苦笑)。
そんな中、本当のようで嘘みたいなやりとりを、ずっとしていました。ミミガロルチームからです。彼らの『ミミガロルinソチ』企画を応援してくれているソチ在住の女性に、連絡をとってくださったのです。彼女はご夫婦の奥様の方のお友達で、横断幕をシェアした際に興味を持ってくれていたので、是非お会いしたいと思っていました。
ただ、彼女は当時妊娠中だったので、体調次第ですよねと話しておりました。が、彼女は想像以上にパワフルな女性だったのです…!!!!
「明日は取材よ」
ソチの中心地やオリンピック会場からは少し離れた場所に、ホテルを予約した私たち。周辺は金額も金額な上に、人気も高かったのです。なので、重い荷物を抱え、電車で移動。電車を間違え、降りる場所を間違え、仏頂面と思われたロシアの方の親切に何度も救われ、なんとかたどりついた頃にはあたりは真っ暗でした。
しかし、私たちには明日がありました。
「あなたのやっていることに感動したから、テレビ局3社にメールしたら、2社から返事が返ってきたわ!取材をしたいらしいんだけど、空いている?」
そんなメールがソチ在住の女性から、届いていたのです。
私たちが滞在していた「Loo(ロオ)」という駅付近には、彼女のお友達が住んでいるらしく、その方が迎えに来てくれました。かわいらしい娘ちゃんも一緒に。
そして中心部の駅では、ミミガロルブログでおなじみのあの女性が、オリンピックジャージに身を包んで待っていてくれたのです。
積もる話もほどほどに、まずは国営放送の取材がオリンピック公園であるとのことで、向かいました。ロシア語で彼女が取材の流れをフォローしてくれて、質問には英語で答えるという形。ドキドキしながら、これまでの経過や横断幕についてのお話をさせて頂きました。
そして、ソビエト時代から続いているという、ケーキ屋さんで一休み。2人とキュートな娘ちゃんが私たちをおもてなししてくれました。更にプレゼントまで頂戴し、お世話になっているのはこちら側だというのに、その心遣いに感動…!
次の取材はソチのテレビ局だそうで、「日ソ友好の庭園」と書かれた日本風の庭園にて行われました。質問に答えるだけではなく、庭を歩く様子などのカットを撮影したり、おもしろい体験もさせて頂いています。こちらはYou tubeの公式アカウントに映像もアップされているので、ぜひご覧になってみてください。⇒https://www.youtube.com/watch?v=XOupeAaXAsw&feature=youtu.be&app=desktop
あれもこれも話さなきゃ、みなさんに助けて頂いたことも伝えなきゃ…と必死になっていると、思ったよりもぐったり。この取材後も休憩しましょうと気を使ってくれて、ティータイム。
私たちもむこうも英語が母語なわけではないので、時には話が通じなくてどうしよう?と首を傾けた結果、パソコンやiPhoneの翻訳機能を使ったり。また変な翻訳結果が出てきて、思わず笑いが起こったり。ロシア料理が本当においしくて、感激したり。娘ちゃんと一緒に遊んだり…。本当に楽しい時間を過ごしました。
見ず知らずの私たちのために、1日を割いて親切にしてくれたソチの3人には、感謝してもしきれません。まるで宝物のような時間でした。
そして夕方。このニュースはソチのテレビで早速、放送されたのです。

更にインターネットの記事も掲載。

いよいよ、オリンピックパークへ
私たちが持っていたチケットは、女子SP(ショートプログラム)。2日間あるフィギュアスケートのうち、1日目の試合です。2日目のフリーとの合計で順位が決まります。

横断幕を設置、そしてオリンピック観戦

日本で見てくれている方のためにも、ちらっとでも良いから、テレビに映るといいなぁと期待しつつ、試合開始と同時に応援に集中しました。オリンピック観戦は20年越しの私の夢です。お金持ちしか出来ないことだと決めつけていました。空想したあの光景の中に、私がいさせてもらっていることを感謝し、味わおう、と。
結果、日本の選手たちにとっては、この日はとても物悲しいものでした。夜の聖火は、少し切ない色。会場の外ではインタビューのカメラが待っていて、「明日は悔いのない演技を」としか答えようがなく…。
選手1人1人の人生を生きてほしいと思いながら、会場をあとに…。日付はすでに翌日、フリーの試合当日へ変わっていました。
最後のミラクルをお知らせします
一方、日本ではたくさんの方が横断幕を探してくれていたようです!Facebookには、試合前から「探すね」「楽しみにしてるね」「起きて準備してる」と、たくさんコメントを頂いていました。テレビに映るかどうかはわからないことだけど、大きなパワーになってくれているような気がしていました。

実際に見つけてくれた方から、報告もたくさん頂きました!すごく嬉しかったです!私がどういう想いを込めて、何を伝えたくて横断幕を作ったかということをわかってくれている方々だということですから…。
そして、SPの日。私のもうひとつの夢が、別の場所で叶おうとしていました。
出国3日前のことです。
100人企画にも参加してくれた同い年の友人。彼女が記事をシェアしたことで、この企画を知って、応援してくれているフィギュアスケートファンの女性がいました。タイミングが合わず、出発前には会うことは出来ていなかったのですが、チケットをずっと探してくれていたのです。
そして。
『フリーのチケット譲るって、Twitterに書いている人見つけたよ!!!連絡してみて!!!』
そう、フリーはメダルのかかった試合。ここで全てが決まるのです。しかもフィギュアスケート、特に女子は大人気競技。冬季オリンピックの中でも、いちばんではないでしょうか?
実は、私はずっと諦めていました。この企画のミッションさえ達成出来れば良いと。
でも、本当に本当に「個人的な夢」。それがメダルが決まる瞬間に、そこにいることでした。
会社の休憩時間を使って、即座に連絡をとりました。旅をご一緒する方も、本当はフリーも行きたいとおっしゃっていたし、ちょうど2枚あると書いてあるのです。すると、電話してくださいというお返事。2枚で約20万円という大きな金額なので、慎重に取引したいとのこと。
必要なことは、すべて上手くいくと信じていました。1万5千円多く頂いた資金をこちらにまわさせて頂き、あとは節約生活で残した分、その他お給料や支払いのタイミングも上手くいって、お金もなんとか用意が出来ました。本当に綱渡りでヒヤヒヤしましたが…。
出国直前までこまかなやりとりは続き、SPの日、私は現地でフリーのチケットを受け取りました。感謝をひたすら伝える私に、譲ってくれた方はこう言いました。

まるで、神様からのプレゼントのようでした。
何よりも、こんな個人的な夢が叶ったことも、一緒に喜んでくれた方々がいたこと。本当に幸せでした。
ここに生きた
ドキドキしながら、翌日も横断幕を持ってオリンピックパークへ向かいました。どうやらロシア国内用のチケットで、中に入れるまで実は不安だったのです(笑)。
今回は1階席。横断幕をかける場所を定め、2人で悪戦苦闘していると、他の国の方が手伝ってくれました。その様子を日本人のおじさまが見て声をかけてくれ、写真を撮ってくれました。どうやら一人で来られているようです。
「浅田選手、今日だけでもパーフェクトな演技が見たいですね。」
そう言って別れました。
この競技や選手に、想いがないとこの場所までは来ていないと思います。きっと観戦されている方にも、それぞれいろんな人生のドラマがあるはずです。私が、この国の選手のスケートにいつも励まされて、ここまで来たように…。
第2グループ。早すぎる浅田選手の登場でした。最終グループで滑る姿しか、誰しも想像していなかったでしょう。
会場は異様な空気でした。「なんとか、少しでも浅田選手にホームを感じて欲しい」みんなそんな気持ちだったと思います。頑張ってよりも、彼女自身が納得出来る演技を。私も、名前を叫び続けました。すでに涙腺が緩んでいました。
最初のトリプルアクセルを降りた瞬間の、悲鳴に近い歓声。そして、次のトリプルルッツからトリプルループのコンビネーション。ずっと回転不足をとられて試合に組み込むことさえしなくなっていた、高難度の技です。「これで本当に最後だ。」そう感じたファンは少なくないでしょう。
どんな状態でも、すべてを振り絞って、ここに出し切る。
まるで、彼女の人生がそこにあるようでした。
そして、会場はスタンディングオベーションへ…!!
泣いていました。文字通り声をあげて、泣きました。お恥ずかしながら、隣のロシア人女性に慰められたくらいです。点数が出た後も、そして浅田選手が裏へ消えていくまで、背中が見えなくなるまで、彼女の名前を呼ぶ声は止まりませんでした。
ビックリしたのは、昨日私たちを案内してくれた、オリンピックパークで働いている女の子が、歓喜に沸く私たちを見つけ出してくれたことです。ボランティアスタッフには、彼ら用にチケットが用意されているそうなのですが、フィギュアスケートはなかなか人気で手に入らなかったそう。しかし、当日の開始時間に見つけて会場に入って、「横断幕の場所でわかった」というのです。
彼女もその時、泣いていました。韓国の選手も、ロシアの選手も、金メダル候補です。フィギュアスケートを愛する彼女が、こうして国境を越えて、一緒に喜んでくれたことに心から感動しました。
一度、会場の外に出ると、先ほどのおじさまも発見…!!名前も知らないもの同士、抱き合って喜びました。
その後も最後まで、素晴らしい試合を見させてもらいました。この場所を構成する1人であることに、心からの感謝を。
選手たちがいちばんですが、きっと誰1人かけても、この場所は存在しなかったと思うのです。もしくは誰か1人が違えば、違う結果になっていたこともあるのかもしれない。誰かの声援が誰かの勇気になるように、誰かにかかるプレッシャーになっていたかも。1人が叫び出さないと、あのコールは起こらなかったかも。
実際に会場にいてわかったことですが、きっと地元のファンの方にとっても、かなり高価なチケットだったと思います。なので、実際フィギュアスケートのことやメダル候補の選手もわからずに入っている方も多いようでした。だからこそ、こけて喜ぶということや、あまり良くないタイミングでの自国コールもありました。
ロシア国内のニュースも、ある選手へすべての注目が集中していました。これはロシアだけではなく、日本も他の国もそうだったかもしれません。
こんな事情、ひとつひとつでも変わったのかもしれない。ただそれに善し悪しはありません。何かが原因なのではなく、ひとつひとつが繋がっている今。それがすべてでした。
『これが、オリンピック。普通の試合ではない。
フィギュアスケートの試合とは別物。
国と国の戦いであり。
国という観念も、国や個人によって違う。
このスポーツを愛している人だけが見ているわけでもない。
会場にいるわけでもない。
そして、4年に1回しかなく、まさかが起こる。
誰が注目されるかもわからない。
選手だけではなく、見ている人もそう。
誰が何を感じ、どう表現するか。
そして、誰がどんな影響を与え、誰がどんな影響を受けるか。
一人一人の人生がそこにある。
それだけ、であり。
だからこそ、でもある。
良いも悪いも、何もない。
私の人生も、そこにありました。
それを感じることが出来て、幸せでした。
経験し難い時間を、ありがとう。
生きた。
そこに生きた。』

そして、帰国
たくさんの思い出を胸に、私は帰国の途につきました。今までお世話になった方々に、あんなことを伝えたい、こんなことを伝えたい…と、ワクワクしながら。少しの寂しさと共に。
そして、皆さんからのコメントを見ながら、本当にやって良かったなと思いました。「勇気や感動をありがとう」「自分もチャレンジしてみようと思った」「子供に見せたら、『やりたいことをやるって言うだけじゃなく行動するのが大事やねんな』って言っていた」という声、「おかげでいつも以上にオリンピックが楽しめたよ!」という声も…。
どれも私がこうなったらいいなって思っていたこと、それ以上のことを皆さんが伝えてくれました。感謝、感激、感動、幸せ、喜び…すべての言葉を使っても伝えきれないほどの感情です。この感情は誰しもが体験出来るものではないと思っています。そして、1人では絶対に無理です。私にとっての大事な宝物です。
自宅に帰り、落ち着いた時にこんなメッセージを書きました。最高に想いをこめて、書いたつもりです。
『戻ってきました、日本。
たくさんの方に、私の夢を叶えてもらいました。
言葉にすると安っぽくなるかもしれませんが、私に渡してくださった気持ち、そのどれ一つが欠けても、今はありません。一緒に素敵な形に作ってくださって、本当にありがとうございました!!
ロシアでも、たくさんの人に助けてもらって。
最高のチャンスをもらったり、最高の経験をさせてもらって。
ロシアとロシアの人が、更に大好きになりました。
これは、普通の旅行で経験出来たことでしょうか??
そして、普通の旅行より、楽ちんだったと思いますか??
結果が全て、と言われました。
それは、本当にこの企画を初めて最初の頃です。
それがYesともNoとも思いません。
でも、結果が全てというなら、今の状態は最高の結果です。
私は、自分のためにやりました。
正直、無茶だと思います。
無茶だから、やりたかったんです。
私はこれを成し遂げることが出来たら、やりたいことをやりたいって言える人が増えて、人生を楽しんでるおもしろい大人が増えて、それを見て子供たちの可能性が拡がる世界になれば最高だなって思いました。
この企画が盛り上がって、たくさんの方が周りでワクワクして楽しんでくれて、エネルギッシュになって、オリンピックも更に楽しんでもらえたら、最高だなって思いました。
そして、こんな大事なことを知らないなんて悲しすぎるよと思っていた2011年の世界選手権にまつわるストーリーも。
私だけじゃなくて、たくさんの方の想いが乗れば、すごいパワーになるって。
それを感じることが出来たら、「私が」幸せだなと。
だから、やったんです。
何故か、そのイメージが頭に浮かぶ時、幸せだったから。
不思議だけど、私の中の神様が、やれって言ってると感じました。
大丈夫だから、それで合ってるから、やれって。
応援してくれてる人が現れる時もまた、神様のようで、大丈夫だからやりなさいって言ってくれてるみたいでした。
「私の夢が叶う」だけでは、出来なかったと思います。
それだったら、もっととっくに出来てる。
そして、今。
私はまさしくイメージ以上のものを得て、イメージ以上に幸せです。
最初から最後まで、私のイメージは変わりません。
けど、伝えれていたか、伝わっていたかはわかりません。
我ながら不器用な部分も多々あったと思います。
それでも、話を聞こう・理解しようとしてくれて、信用して応援してくださった皆さん、心から感謝でいっぱいです。
そして、私がやってきたことに対して、感じたことを渡してくださった皆さん。
本当にありがとうございます。
それがなければ、私の幸せもないのです。
というか、何ひとつ欠けても、私の幸せはありませんでした。
まだまだFacebookで伝えきれてないことがあるので、改めて形を変えて、お伝えしていきたいと思います。
お一人お一人に感謝を伝えにいくつもりですが、まずはこちらにて。
そして、これからの生き方。
実はなんとなく予兆を見つけてから、日本を出発しました。
ワクワクして、楽しみで、仕方ありません(((o(*゚▽゚*)o)))
以前、つぶやいたことがありますが。
人生とは、まさしく、自己表現です!!』

これからやっていきたいこと
あれから、1年が経ち。しばらくの紆余曲折を経て、会社を辞めました。
私が勇気を持って、心からやりたいことに対して行動するだけで、喜んでくれる人がいるということがわかったから。そういう生き方をしていきたいと思ったのです。
私はずっと凡人である自分が嫌いでした。何者でもない「ただの事務職OL」な自分に、自信がありませんでした。何かをくっつければ変われるんじゃないかと思って、いろんな知識や、時には資格をくっつけようとしました。すると、今度はそれにとらわれすぎて、自分を裁き始めたのです。
本当は全部、自分の中にあったというのに。ゴシゴシ必要以上の力で「自分磨き」をして傷をつけ、外へ外へ「自分探し」をし、中にいる「自分を無視」し「自分を悪者にする」という「自分いじめ」です。
かなりひどい、いじめです。
だけど、自分の中の声に耳を傾けはじめた時から、すべてが変わりました。
まずは100人企画。そして、この『私をソチにつれてって』企画でした。最初は勇気がなくて怖気づいたけれど、何度も何度も「やれ」という声が聴こえました。これを無視するのをやめたことで、もっともっと、次の声が聴こえてくるのです。
人間も同じ。誰かがあなたに好かれと思って言ってくれていることを、ずっと無視し続けたら、その人はきっと何も言わなくなってしまうと思います。自分の声もきっと同じです。
自分がこうしなさいと教えてくれることは、ちょっとキツイなと思うこともあるかもしれません。「え、そんなこと?」というような突拍子のないこともあるでしょう。だけど、それはきっと幸せに繋がること。私は、自分を不幸にしたい自分なんて、いないと思っています。
気のせいにして、なかったことにしたり。行動しないことの言い訳にしたり。それはもったいないことだと感じます。
自分の声に素直になって、生きていくこと。それが長い目で見ると、幸せに生きていく近道だと、思うから。そして、それが「自分らしさ」に繋がるのではないかと考えています。
自分の声に従う人生こそ、「自分らしい」生き方。そして「自分らしさ」とは、あなただけが持つ才能だと思います。誰も持っていません。わかりやすく名前の付けられるものでないときもありますが、不安にならないでください。生きている限り、確かにあるものですから。
自然に喜びと共に出来ること、それこそが才能。才能を発揮して生きていく。そして才能と才能を交換することで、成り立つ世界。それこそが私の理想です。
だから、私は今自分が持っている才能も、誰かのために使いたいと思っています。
私はこの企画を最初はじめた時に、「世の中におもしろい大人がもっと増えれば」と書きました。しかし、実際これは少し違うのかもしれません。
みんな違って、本来はみんなおもしろい。それを大いに表現出来るような人生を、送れていないだけなのかもしれない。もっともっとおもしろいものを、みんな自分の中に隠し持っている。
私は大事にしまった宝物を、見つけ出すお手伝いがしたいのです。
いろんな冒険があるでしょう。こんなふうに文章におこして書いてしまえば、私の冒険は派手に見えるかもしれません。でも、派手に見えるかどうかは関係ないのです。
あなたの中での、冒険を起こしましょう。私はそれが見たいのです。そして、あなたの才能と私の才能を交換したり、組み合わせたり…。すると、きっともっと大きなパワーになるはずです。
あなたとそんなご縁があれば、嬉しく思います。
※その後のストーリーは、こちらのブログにて。
⇒http://ameblo.jp/kiracune