それは、忘れもしない小学校3年生の夏の日だった。
学校の教室の、黒板の前にいる先生が、竹刀のようなもので
バーン!と教卓を叩いた。
ものすごい音だった。 私には、そう聞こえた。
そして、その瞬間、私の視界は、すっかり変わってしまった。
その瞬間のことを、私は、今でも鮮明に覚えている。
物たちは、くっきりと見えるようになった。
だけどそれは、不透明絵の具で描かれた絵のようにとまっていた。
クレヨンで描かれた絵のように、固まっていた。

その時から私は、先生や友だちたちの声がはっきりと聞こえるようになった。
まるで、耳栓を取った時のように、声が耳の中へ流れ込んできた。
だけど、私を包んでくれていた光の世界は、私のそばからいなくなった。
それは、服をきていても、何も着ていないような感覚だった。
私を包んでくれていた世界が、どこか遠くにいってしまった感覚だ。
ひとりぼっちだった。
私は、いままでとはちがったものを見ることができるようになって、
いままでとはちがったものを聞けるようになったけれど、
たくさんの、大切なものを失ったように感じていた。

私は、泣いた。
誰かが亡くなった時のように、深い悲しみの涙をこぼし、たぶん何時間も泣いていたと思う。
その日は、母が学校へ迎えにきた。
私は、何を言われても、泣き止むことがなかったらしい。
私は、私の中に生きていたと思う。
あまりにも、辛い世界の中にいて、そうするしかなかったんだと思う。
時折、草花や木々の精と交信して、エネルギーをもらっていたのに・・・
その美しい世界に、いきなりベールがかかってしまった。
大人の言葉でいえば、私は失望のどん底にいた。
今考えれば、両親や森羅万象のエナジーの保護から出て
やっと自分という人間として、外の世界を、歩き出したのかもしれない。
もしかしたら、私はこの時、ルビコン川を渡ったのかもしれない。
突然すぎたかもしれないけれど、何かの大きな力が働いて、渡らされたのかもしれない。
このことがなかったら、たぶん私は、
ずっと自分の中だけをみて、自分の中の世界にだけ生きていたように思う。
目の前の景色は、変わってしまったけれど
いろんなことが、重なりあって、何かがいつも、私を守ってくれていたように思う。
このころ私は、音楽という世界の中で、
今まで感じたことのない、心からの喜びを感じることができるようになっていた。
喜びに対する、初めての経験だったと思う。

ピアノを習っていた私は、ピアノを弾くことがとても好きだった。
練習をするのではなく、自分で好きな音をひろって、
いつまでも、いつまでも、好きなように弾きつづけた。
その時間だけが、私が私でいられるような気がしていた。
幸せな時間だった。
そして、その時だけは、
あの植物たちからもらっていた、
キラキラの光や癒やしのエナジーと同じエナジーが、
私を優しく、豊かに包んでいた。
この頃の、私の恐怖は、人の気持を感じてしまうことだった。
というより、その人がどんなことを思っているのかが伝わってきて辛かった。
母の友だちが何人か、家に集まってお茶をしている時
言葉とは裏腹なことを考えている、母の友だちの本心を
みんなの前で暴露してしまって、
空気が一瞬、氷のように冷たくなって、固まってしまったのを覚えてる。
そして、その後、母の友だちは、何も言わず帰っていった。
母から、もう一緒にお茶はできないわっ・・て言われて
ものすごく悲しかった。
でも、母も辛かっただろうと、今なら思う。
それは、それは、大変だったと思う。
だって、ウソつきおばさんとか言って、誰にも知られたくない自分の本心を、
みんなの前で、ズバリ当てられるのだから、たまったものじゃない(笑)。
今ならわかるよ、ごめんね、お母さん。
そんな私は、本音と建前で生きているタイプの大人たちは、ほとんど信用できなかった。
ウソつきだと言われ続けていた自分より、もっとウソつきだと思っていた。
そして、感じなくてもいいことを、わからなくてもいいことを
感じたり、わかってしまう自分が、とてもとても辛かった。
だけど、辛くても、私にはどうにもできなかった。
何も、うまくいかなかった。
悲しいことや、辛いことばかりだった。
どうしたらいいのか、どうやって生きていったらいいのかわからない。
心が小さくなって、縮こまっていたと思う。
どうしたらいいのか、誰かに聞きたかった。
まだ、小学生なのに、大きな悩みを抱えて生きていた。
でも、そのためには、自分が感じたり、思ったり、考えたりしていることを
誰かに話さないといけなくなる・・・。
いつも、いつも、ウソつきだと言われているのに、
いったい、誰にどうやって話したらいいんだろう?と
小さな心を痛めていた。

頭のなかで、どうしたらいい?と 何度も何度も、つぶやくうちに
あるとき、それに答えてくれる、「声」が聞こえるようになった!
そして、それは、一人ではなく、何人かいた。
ちゃんと、名前もあった(笑)
この時から、私は、私の中の何人かの存在と一緒に、
ますます大変な世界を、生きていくことになる。
その「声」の主を、私は、私の中にいる友だちだと思っていた。
やっと、一人じゃなくなった。
私は、ますます、私の中の世界から、出てこれなくなっていった。
そして、その内なる世界に生きる没頭ぶりが、
限りなく沢山の、大変な事件を生み出すことになっていったのだ・・・