
自分が見ている世界、聞いている世界が、みんなと違うなんて・・・。
なんとなく、それが違うんだってわかった時、
私は、この世界にいる自分を
どうしていいのかわからななくなった。
私はなぜ、ここにいるんだろう・・・と、いつも思っていたように思う。
ひとりぼっちで、さみしかった。
目を閉じて、耳を塞ぎたかった。
実際、小さいころの私は、モノモライと中耳炎のオンパレードだった。
やがて私は、自分からは話さなくなっていった。貝のように閉じてしまった。
私は、聞く人になった。そして、聞いたことを、ひたすらつなぎあわせていた。
わからないことだらけだったけど・・・。
始まりも終わりもない物語のように、ただただつなぎあわせていた。
そうすることで、この世界に自分をつなぎとめていようとしていたのかもしれない・・・。
ふたつの世界を同時に生きて苦しかった幼少期
小さいころから、見えない誰かとおしゃべりしたり、
人や物の周りにゆれている光や色を見たり、
風の中の光の粒子を追いかけたり、
植物と話をしたり・・・
そんな不思議ちゃんだった私は、
ある時、自分の生きている世界が、みんなと違うことを知る。
たぶん、小学校の1年生ごろだったと思う。
れな「お花のひかり きれいだね。」
れな「あの先生のひかり おおきいね。」
とか言っても 友だちには、全然通じない。
「また、ウソばっかり言って!」
「バ〜カ。」
通学途中に、人と話はできなくても
木々や草花と友だちのように話す。
「何いってんの?」
「きもちわる〜い」
友だちのことで思い出すのは、この言葉だけ。
毎日、呪文のように言われていた。
友だちや学校の先生が話すことと、自分の目の前の世界が
咬み合わないことは、山ほどあった。
朝起きてから夜寝るまで、言葉の通じない、文化も違う、異国の国に
ひとりぼっちで 生きているような感じだった。
怖いくらい ひとりぼっちだった。
思い出せば、あんなに孤独で、よく生きていたと思う。
子どもなので、死ぬすべなどわかるはずがない。
生きるしかなかったのだと思う。
そして
毎日孤独で、悲しい思いをしても、それを帳消しにしてくれるものがあった。
それがあったから、壊れないで、生きていられたのかもしれない。
それは
自分を取り巻く、美しい世界。
木々や草花など、自然の植物は透き通っていて、とても綺麗だった。
川や、時折家族でいく、海の水も、キラキラキラキラしていて、本当に美しかった。
その自然が、いつも私を、癒してくれた。

だから、学校帰りには、河原にいくのが好きだった。
家に帰ると、まず庭に出て遊び、遊び疲れると、樹の根元で寝て
パワーを充電していた。
あの自然との関わりがあったから、
自然のパワーが、
人々のエネルギーの、何百倍、何千倍もすごかったから、
救われていたんだと思う。
光や、音や、匂いにとても敏感だった。
家の中の蛍光灯の光がとても気持ち悪かった。
夕暮れ時、暗くなっても、暗いままの部屋にいた。
冷蔵庫の音や、洗濯機の音も苦手だった
何かが、自分に迫ってくるような感じがして怖かった。
そして、香水や、シャンプーの匂いがダメだった。
吐きそうになった。
なので、髪を洗うのは、拷問だった。
それでも、家の中にいれば、両親と一緒にいれば
なにか、守られているような気がした。
テレビさえ、ついていなければ・・・。

家の中での、一番の恐怖は、テレビだった。
テレビがとても怖かった。
私が見れたのは、アニメか、人形劇のようなものだった。
聞こえてくる声と、テレビにうつる画像の口の動きがずれていることが
自分には、ありえないことだった。
アニメや人形劇は、ずれていても納得できたのだろう。
人がでてくるものは、すべて音と口の動きがずれていて、
私には、泣きたいくらい、気持ち悪いし、こわかった。
我が家では、夕食の時に、ニュースを見ながらの食事が定番だったので
私は毎日、どうしようもない思いで、怖くて、ポロポロ泣いていた。
そして、食欲は失せ、長い時間をかけなければ、食べ終わらなかった。
母親は、今日も嫌いなおかずがあるのかしらと思っていたらしい。
まったく脳天気な母親だ・・・。
いや、手に負えない私のことを、どうしていいのかわからなかったのかもしれない。
それでも、毎日の私の状態は、ちょっと変だと気づいて欲しかった・・・!

普通の人からすると、こんな私、爆笑ものかもしれないけれど
本人は、至って真剣だった。懸命に生きていた。
私が生きる世界は、美しい世界と苦しい世界・・・。
私は、試練と至福のふたつの世界に生きていた。
そして、その頃の、ひとつひとつの感覚を、
今でも鮮明に覚えている。
人のことは、名前も顔も、ほとんど忘れているけれど
自分が感じた感覚は、とてもはっきりと覚えている。
とここまで書いてみると、私は、自閉症だったような気がする(笑)
今でも、人との感覚が違いすぎていて、社会の中ではとても苦しくなる時がある。
特徴をあげれば、アスペルガーとか ADHDという部類に入るのだろうけれど
私にとっては、これが私の感覚なんだ。
ただ、人と違うだけ。
不思議だ。。。
こうやって、幼いころに感じていた感覚を思い出すと
明晰夢のように、とても鮮明で、
まるでそこに生きているかのように感じている。
あの苦しい感覚を、思い出す必要があったのだろうか?
今、私の目の前には、
自分のいろんな感覚が人と違いすぎて、
生きることが苦しいと言っている人がいる。
朝起きてから夜寝るまで、ずっと頭のなかでぐるぐる回っている
消せない、いろんな思いをかかえながら。
そういえば、私も、幼い時から、どうやって生きていったらいいんだと思っていた。
今、自分の目の前にいる人は、あのころの私と同じなのかもしれない。
そのことを思いだすために、この話を書き始めたのかもと思う。
すべてのことは、偶然ではない。
いつも、そう思っているけれど、ちゃんとわかるのは
こうやって、何かを思い出して、それが今と繋がった時だ
周りのことが、見えていない。感じられない。
人とコミュニケーションを取るのが難しい。
光や音や匂いに敏感。
ひとつのことしかできない。
とりかかるのに時間がかかり、なかなかやめられない。
気になったら、ずっとそのことを考えたり、やりつづけてしまう。
興味のないことは、長続きしない。
それらのことも、少なくとも私にとっては 意味がある。理由もある。
ただ、この感性で、この世界を生きていく意味が、ときどきわからなくなるときがあった。
試練といえば、それまでだけど、何のための試練なのかと考える時がある。
もう少し、楽に生きれたら・・・
似たような感覚を持つ人は、みんなそう感じているのかもしれない。
そして、小学校3年生の時
苦しかった幼少期の、私を支えてくれていた美しい自然の世界が
もやに包まれてしまうような瞬間がやってくる。
本当に、その瞬間から、すべてが一気に変わってしまった。
例えるなら、
透明絵の具で描いた絵が、
突然、
不透明絵の具で描いた絵になってしまったような、とても残念な瞬間だ。
そして、その瞬間は、
本当に突然やってきた!