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15/1/2

挫折した映画青年と、社会から疎外された少女の、再生の物語

Image by Olia Gozha

10年前の大学生の当時、僕は何をやってもダメだった。


僕は自分自身に絶望していた。




何をやってもうまくいっていた高校時代。「自分は凡人ではない」と証明する高校の日々から、大学は「自分は凡人に過ぎない」と確認する作業の連続だった。


何をしてもうまくいかない。そのたびに自分の無能さを痛感しなくてはならない。


僕は行動するのが怖くなった。人と話すのが怖くなった。


大学の授業にもロクに出ず、毎日家とバイト先であるコンビニをただひたすら往復していた。


マニュアルで決められた言葉しか喋らなくてよかったコンビニのバイトは心地よかった。




あの頃、僕は間違いなく人生のどん底にいた。








僕は映画好きの両親の影響もあって、物心ついた時から将来映画監督になろうと決めていた。決めていたというよりも、僕には他の選択肢が思い浮かばなかった。小学生の頃からビデオカメラを手に取り、家族で旅行に行けばそれを撮って編集したりしていたし、中学生の頃はデジカメのムービー機能を使って友達と1分程度のショートムービーをいくつも制作していた。高校では自ら映画研究部を設立し、部員ゼロの状態から瞬く間に10人以上の仲間を集め、一般の人間に混じって映画祭に作品を出品。高校生ながら出品すれば必ず賞を受賞していた。


高校では僕のことを知らない人間はおらず、周りも「あぁ、あの結城って人、将来映画監督になるんでしょ」という認識だった。僕も当然そうなるものだと思っていた。日本でトップの映画監督になることは当たり前すぎて考えにも及ばず、「どの段階でハリウッドに渡ろうか」。そんなことを考えていた。


高校での勉強はというと、大学は日本大学藝術学部の映画学科に進学するつもりでいたため、入試科目である英語と国語は偏差値60オーバーであった。勉強時間は進学に必要最低限しか割きたくなかったため、他は赤点ギリギリという状態。ただ日藝に合格するのはほぼ間違いなかったので問題はなく、万が一落ちたとしてもバイトをしながら浪人するつもりだった。








日藝の入試は僕なりには完璧だった。


・・・だが結果として落ちた。


日藝の不合格通知が来たところで両親からこう告げられた。


「今うちでやってる事業がこの先どうなるか分からない。すまないがどの大学でもいいから現役で入って、家から通ってくれないか?」


うちの父親は自営業をやっており、それまではかなり裕福な生活をしていた。当時僕は関西に住んでいたのだけれども、予定では日藝に行って一人暮らしをするはずだった。だがここにきて父親の事業の雲行きが怪しくなってきたのだ。


高校時代はロクに勉強もせず、ずっと映画に熱中してワガママ三昧した身だ。これ以上親に迷惑はかけられない。親の言葉に従った。


だが僕は日藝に向けて2教科しか勉強しておらず、2教科だけで受験できる大学など限られていた。その上に日藝の不合格通知が来たあとからでも出願できるような大学など本当にごく一部。


結果として僕は家から片道2時間もかかるFランク大学の文学部に通うことになった。




意外なことに僕は落ち込んではいなかった。確かに当初の志望校に通うことは叶わなかったが、別に映画を作るのはどの大学でもできる。僕には一度ゼロから映画研究部を作り上げたノウハウがある。それに片道2時間かかる通学の時間も、映画に関係する本を読めばいい。


大学の映画研究サークルに鳴り物入りで入会すると、1年生ながらすぐに僕が監督で短い作品を一本作ることになった。


高校の時と同じようにスタッフに指示を出し、役者に演技をつけていく。高校の時と同じやり方だ。何も問題はない。


初めてのメンバーで撮るということもあり、僕はワンカットごと仕上がりを細かく確認していった。だがやはり初めて組むスタッフということもあり微妙に求める画とは違うものが上がってきた。「これが高校の時の撮影担当の岸本だったら、『あそこから撮っといて』って言うだけで完璧な画が上がってくるんだけどな・・・」などと考えながらも、粘り強く演出をしていった。


だが初日はついに1つもOKカットが出ることなく終わってしまった。


当初の予定であればこの作品は一週間程度で撮影が終わるはずだったが結局一ヶ月近くかかってしまった。編集をしてみれば出来上がりの作品はガタガタそのもの。とても人に見せられるレベルのものにはならなかった。


すべてが終わったあと、スタッフの一人である先輩から言われた。「お前の指示は、分かるようで分からん。」


「(僕の指示がわからないだって? 分かってないのはそっちだろ)」


僕はこのサークルに見切りをつけた。レベルの高すぎる僕の指示は、彼らにとっては難解過ぎたのだ。


僕は別の大学の映画研究サークルに入ることにした。




別のサークルで同じような演出方法用いるものの、ここでもやはりどうにも出来のいいものが仕上がってこない。そして撮影が全て終わる頃にこう言われた。


「お前の指示は結局具体的にどうすればいいのかというのが分からないんだよ」。


「(・・・だからどうすればいいか分かってないのはお前らだろ)」


僕はまた別のチームで映画を撮ろうとした。


だがやはり結果は同じだった。


「なんで俺の言ってることが分かんないんだよ! 俺の言ってるとおりに撮ればいいだけじゃねぇか!」


「だったらお前がカメラやってみろよ!」


僕は怒りながら撮影担当からカメラを奪いとった。


そして構えた。


その時に気づいた。




撮れない。


なにをどう撮っていいか、分からない。


漠然としたイメージはあるはずなのに、カメラをどこに向けていいか分からない。


いや、ここに向ければ思い通りの画が撮れるはずなのに、そこに向けても空虚な画しか映らないのだ。






その時気づいた。


僕は空っぽだ。


僕は、自分で映画を作ったことがない。


人に指示を出すだけで、結局自分は何も作り出してなかった。


僕には技術もなにもない。


才能や技術があるのは僕の周りに集まってくれたメンバー達なのだ。


彼らが僕の意見を巧みにすくい取り、具現化していただけだ。












その時から急に僕の人生はなにをやってもうまくいかなくなった。


僕は元から決して何でもできる人間ではなかった。


だが僕には映画があった。映画があったからこそ何かに失敗しても人から悪口を言われても平気でいろんなことに自分からチャレンジできた。最初は不器用でも大胆に挑戦していけば大抵はなんとかなってしまうものだ。


だが今は違う。ほんの些細な失敗ですら、僕の胸に鋭く刺さる。


傍から見たらなんでもないような本当に小さな小さな失敗でも、それは僕にとって無能であることの証明なのだ。


僕はいわゆるマーケティングというのがうまかったのだろう。


高校時代は一般に混じって様々な映画祭で賞を受賞したが、僕が作った作品がクオリティが高かったかと問われれば甚だ疑問だ。映画祭というのは映画祭ごと出品される作品に傾向があって、僕は今までの傾向を分析してはそれと真逆の作品をぶつけてきた。映画祭というのは一日に何十本と映画を観ることになるので、審査員は大変だ。そこで僕はなるべく尺は短くし、最初と最後に多少前後のつながりが悪くなってもインパクトのある映像を差し込むことで審査員の印象に残る工夫を施し、そして賞を勝ち取ってきた。


校内で上映するときもそうだ。


僕はまず観客ありきだった。


校内で映画を上映するとなると観客は高校生になるのだが、そうなると彼らが求めてる映画といえばホラーでもサスペンスでもラブストーリーでもなく、コメディだ。昼の休み時間にフラッと友達と上映会に来て、大勢で一緒に観ていて、しかも出演者が同級生となるとどれだけシリアスに話を作ろうと思ってもまず笑いが起きるし、そもそも彼らはそんな作品を求めていない。


自主制作映画をやる人間は往々にして「夢と現実が交錯する」「老人と子供の奇妙な交流」「ひょんなことから出会った若い男女が旅をする」などといった、「それは一体誰をターゲットにしているか?」というような作品を作りたがる。技術力も大してないうちから、プロの映画作家でも苦心するテーマを描こうとする。


そういった作品を作ること自体は構わないが、それを明らかに求めていない相手に対しても堂々と見せる姿は僕には理解できなかった。


自分のやりたいこととやれること、そして伝えたい相手が一直線上に並ぶことは非常に稀だ。まずは自分のできることを確実にこなし、それを求める相手に的確に提供する。


校内ではコメディを中心に作り、映画祭ではシリアスな作品を出品していくことで僕はうまいことバランスをとっていた。


だが、そうやってマーケティング重視な映画を作り続け、当時はそれなりに評価をされたかもしれないが、少し離れた位置から自分の作品を冷静に見ると、一本の映画としてはどれもクオリティが低いと言わざるをえなかった。


こうして高校時代の自分を俯瞰すると、自分がいかに空っぽであったかが分かってくる。


絶対的な自信としてあった映画は、一転して負の遺産へと形を変えた。


負の遺産は、僕のありとあらゆる行動にブレーキをかけた。


何をやってもうまくいっていた高校時代。「自分は凡人ではない」と証明する高校の日々から、大学は「自分は凡人に過ぎない」と確認する作業の連続だった。


何をしてもうまくいかない。そのたびに自分の無能さを痛感しないといけない。


僕は行動するのが怖くなった。人と話すのが怖くなった。


行動すれば失敗するかもしれない。人と話せば幻滅されるかもしれない。


でも行動も、人との会話もしなければ、誰も傷つくことはない。




大学にも行かずただひたすら家に引きこもり、一日中天井を眺めていた。


心の奥底では「このままではいけない」という思いがあるものの、失敗することが怖くて踏み出せない。


半年近く家にひきこもった後、さすがにこのままではいけないと思い、とりあえずバイトを始めることにした。


そこでも僕はダメな使えない人間だった。


居酒屋、ファミレス、本屋。いろんなバイトを転々とした。世間的には簡単な作業とみなされるバイトであったが、全く仕事ができなかった。


単純な作業が覚えられない、人の指示が瞬時に理解できない、お客さんからちょっと難しいことを言われるとテンパってしまう。




ピンボールのように弾かれに弾かれてバイトを転々とし、最後はコンビニのバイトに辿り着いた。


コンビニはいい。決められたことを喋り、行動すればいい。それにコンビニには色んな層のお客さんが来る。僕は高校の時からの癖で、日常でなにか面白いことがあればどんな些細な事でもノートに残す癖があるのだ。色んな人種が集まるコンビニはネタの宝庫で、すぐにノートを使いきってしまう。店に来た変な客、そこで起きた出来事、僕や他の店員とお客さんとの何気ない会話など、後々どこかで映画の脚本を書くときに使えるかと思い、なんとなくアイデアを貯めていった。


だがそれらのアイデアは一回も脚本というちゃんとした形で活かされることはなかった。








進級ができるギリギリの単位で3年生になった。


バイトも1年半が過ぎた。


この頃の僕は心が荒みきっていた。


ほとんど意味もなくアイデアを書き留めたノートも20冊近くなった。ノートが増えるにつれて「俺はこんな面白いアイデアをいっぱい抱えてるんだ! 日々何も考えず生きている他の連中とは違う!」という無駄なプライドだけが肥大化していった。だが、そんなにも面白いアイデアがあるにもかかわらず、ロクに一本もちゃんとした脚本が書けなかった。大きく膨れ上がったプライドに反比例するかのように仕事はできず、自分が馬鹿にしている連中よりも何一つとして有益なものを生み出せていなかった。その現実に僕の心はボロボロになっていた。


そんな頃だ。バイト先のコンビニに、僕の運命を大きく変える女が入ってきたのは。


僕が3年生になった年の初夏、高校1年生の女の子が入ってきた。


名前はエミちゃんといった。


エミちゃんの最初の印象は最悪だった。


エミちゃんは典型的なギャルで、髪の毛は頭皮の中に埋まってる毛根すら金に染まってるんじゃないかというほどの鮮やかな金。マッチ棒が3本ぐらいは乗りそうな、極限にまでカールしたまつ毛。アイシャドウは塗りすぎで目がパンダになってるし、これまたファンデーションか何かを塗りすぎているのか肌の質感がおかしいことになっていた。常に気だるそうな雰囲気を醸し出し、目を合わそうとしないのはおろか、こっちが何か言っても返事をしない。


小学生でもできるような単純な計算もできず、しょっちゅうお釣りを間違えて渡していた。学校も本当に毎日ちゃんと行っているのかどうか怪しかったし、家庭環境も色々と複雑らしく、バイトが終わってからまっすぐ家に帰っているような感じではなかった。


ただ格好やメイクこそギャルなものの、エミちゃんは身長が150センチ程度な上、相当な童顔で態度は最悪なもののどこか可愛げがあった。おじさんたちが思わず「こら君! そんな格好は今すぐやめてまじめに学校で勉強しなさい!」と説教してしまいたくなるタイプとでも言ったら分かりやすいだろうか。


エミちゃんは僕と同じく夕勤で、それゆえ僕はエミちゃんの教育係を命じられた。


「橋本(エミ)さん、それじゃあ今日は初日ということでまずは袋詰の補助からやってもらうので- (ここから僕が1分程度説明をする)」


「結城君、ごめん、説明よく分かんなかったわ。今言ってたことってマニュアルにないの? あるならそれ読んどくからさ。これからも他の仕事のこととかいちいち説明してもらわなくていいから」


「・・・」


このような感じでスタートした僕とエミちゃんの関係。




初対面のことを考えると意外に思えるが、僕とエミちゃんは本当にウマが合った。


というのも実は僕は中学に上がるときに神奈川から関西に引っ越してきていて、エミちゃんは去年千葉からこっちに引っ越してきたのだ。僕が周りで唯一の標準語話者というのと、関東から関西に越してきた者としての苦労など、それ以外でも何かと共通の話題が多かった。エミちゃんの周りに対する愛想の悪さはなかなかのものだったが、そういう事情もあって僕だけにはなついてきたのであった。






エミちゃんが入ってから3ヶ月近く。季節は秋になろうとしていた。


この時期になるとコンビニ各社は一斉におでんの販売を始める。


うちの店も例によっておでんをやることになった。


うちはおでんの売上には全く興味がなく、店全体としても積極的なセールスは展開していなかった。おでんは利益率がかなりよい商品ではあるものの、一人あたりの接客時間が長くなる傾向ありトータルで見るとそこまでオイシイ商品ではないのだ。だがあまりにもセールスをしない上に売上も悪いため本部から指導が入り、今年は売上の大幅アップを命じられた。


本部から指導された売上げアップの方法というのが「積極的なセールストークの展開」というもので、30秒に1回は店内で「ただいまおでんのセールスを実施いたしております。おひとついかがでしょうか」と言えとのことだった。


ただ僕は「セールストーク」というのが本当に嫌いで、この行為に意味を全く感じれなかった。だいたい店員が「おでんいかがですか?」と聞いてきたところで、「おっ! 薦めてくるのなら買おう!」となるお客さんが一体どれだけいるというのか? 10分に1回程度ならわかるが、30秒に1回もセールストークをされたら逆に購買意欲がなくなってしまうものではないだろうか。


本部から覆面調査員が送られてくるので仕方なく指導通りのセールストークをするものの、心では「こんなことやっててなんの意味があるんだろう・・・」と思っていた。








大学の長い夏休みも終わり、授業も後期に入った。


僕が受講していたとある授業で新たに原稿用紙60枚分の短編小説を書く課題が与えられた。


そこで僕は短編を書くためのネタ探しとして今まで書きためてたノートをなんとなく読み返した。


「(あぁ、こんなようなSF映画のアイデアあったな)」


「(そういえば入学式の時、藤田のやつこんなことも言ってたっけ)」


「(居酒屋のバイト、店長の山崎さん、本当に絵に描いたような嫌な店長だったな)


僕のノートは半ば日記のような側面もあったので、読み返すと色々な感情が蘇える。


「○月□日 70歳近いおばあさんが酒を買う。間違えて『女性・10代』のボタンを押してしまい、エラー発生。事情を話し、もう一度バーコードを読み取る。事情を話すと『私が女子高生か何かだと思ったってこと?(笑)』と、おばあさん上機嫌」


バイトを始めてからのノートだ。


「50歳ぐらいのおばさん、酒を買う。ノリが良さそうだったので『未成年の方にお酒はお売りできません』と言ってみる。ウケた」


「おばあさん、また酒を買いに来た。ので、また未成年にはお売りできませんネタをやった。ウケた」


「60ぐらいのおばさんに話しかけられた。また『孫に似てる』と言われた。俺は色んな人から孫に似てると言われるな・・・」


自分自身しょうもないことをやっていたんだなと思いながらノートをめくっていった。


ノートを読んでいると、自分は比較的高齢な女性と勤務中にやりとりしていることが分かった。感覚的には高齢女性からのウケはいいような気はしていたが、こうして記録としてみるとハッキリと分かる。


・・・その瞬間僕はなんだか違和感を感じた。


違和感と言っても別に悪いものでもない。


今度はエミちゃんについて書かれているページになった。


「○月×日 エミちゃん、またおっさんに絡まれる。指輪してる既婚のいい年したおっさんが、自分の娘とも変わらない女の子に絡んでみっともない」


「□月△日 おじさんがエミちゃんの年齢聞いてた。『うちの娘と同じぐらいか』とかいって延々よくわからない話を続ける」


「A月B日 エミちゃん、上機嫌。おっさんに絡まれるも珍しくノリよく返し、おでんを2000円分も買わせることに成功。あの女、悪女」


エミちゃんが男性客から人気があるのは明らかであったが、自分の感覚としてはもっと若い年齢層から人気があるものと思っていた。いや、実際には若い年齢層から人気があるんだろう。しかし絡んでくるのは圧倒的に年齢層高めのおじさんだ。年齢層高め、40代後半から60代前半ぐらいの、娘がそれなりに大きくなっていそうな既婚のおじさん。勝手な妄想だが、恐らくは家庭内で娘に嫌われて口を聞いてもらえないんだろう。


この時期になるとさすがに普段は愛想の悪いエミちゃんもお客さんに対してはそれなりに接客できるようになっていた。普段愛想が悪いくせに笑い上戸、その上笑った顔に屈託がなく猛烈に子供っぽいため、そこら辺のギャップがおじさんたちの心をくすぐってしまうのだと思う。だからおじさんたちは隙あらば絡もうとしてくる。


でも実際、エミちゃんと絡んだ後のおじさんたちはみな幸せそうだし、エミちゃんが「今○○のキャンペーンやってるんで、一つ買ってもらえませんか?」と勧めると、ホクホク顔で買っていった。普段はあまり認識していなかったが、日記でデータとして見ると改めてそういうことが分かった。






次の日、バイトに行った。


その日はエミちゃんが休みで、僕と代わりのスタッフが夕方のシフトに入っていた。


するととあるお客さんからおでんを指さしながら「うどんひとつ」と言われた。


知らない人も多いと思うが、コンビニはおでんのメニューの1つとしてうどんやラーメンをやっている。冷蔵庫で保管している麺を電子レンジで温め、それをおでんのつゆに入れて食べるのだ。


うどんの担当はエミちゃんだったのだが、その日は休みということで初めて僕が作ることとなった。


お客さんにうどんを提供した後、


「(そういえば、うどんって食べたことなかったな)」


僕は試しに1つ食べてみることにした。




・・・その瞬間、僕の全身に衝撃が走った。


うどんが美味しかったのはもちろんだが、衝撃が走ったのはうどんがおいしいということ自体ではない。うどんを使ったおでんの新しいセールスの戦略を思いついたのだ。


僕はずっとおでんの売上を上げる方法を考えていた。だが、うどんを食べて思ったのが、おでんの売上自体を上げようとするのは無理だということだ。


僕の働いていたコンビニは、大通り沿いに面したところでありながら近所に団地もあったことから客層は新規が50%、近隣に住むお客さんが50%であった。大通りに面しているだけあって新規のお客さんはトラック運転手やタクシー運転手がメイン。近隣のお客さんはファミリーで来ることが多い。おでんのメインターゲットは一人暮らしをしている男性なので、おでんを売り込もうと思っても需要と供給が合致しない。そんな条件の下でおでんを売り込もうというのはどだい無理な話だし、割にあわないのだ。


だからこそ別の角度から売り込みに行かなくてはいけない。


そこで僕が思いついたのは、まずはうどんをメインに売り込みをかけるということだ。


コンビニでおでんの販売が開始されてからもう数年が経過している。そんな状況で「おでんいかがですか?」とセールスをかけたところで誰も見向きもしない。だがいきなり「おでんの具の1つとして、うどんを始めました。おひとついかがですか?」と言われたらどうだろう。買う買わないは別として「えっ? おでんの具で『うどん』ってどういうこと?」と思うだろう。うどんの知名度の低さを逆手に取るのだ。


この戦略は僕が映画祭で賞を勝ち取ってきたのと全く同じノウハウだ。みんなと同じようなことをしたって意味が無い。他の人と違うことをすれば、少ない労力で最大の効果を発揮する。


またターゲットを絞るというのも今回僕が考えた戦略の主軸だ。


日々の出来事を記録したノートを振り返ると、僕は高齢女性を得意とし、エミちゃんは既婚男性を得意としていることが分かった。だからこそ、これからは自分が得意な客層にしか売り込みをかけないのだ。自分が不得意な客層に売り込みをかけても売上につながらず、ただ自信を喪失するだけだ。だが自分の得意な客層だけに売り込みをかければよくモノが売れるし自信につながる。なによりもターゲットを絞ることで「どういうセールスをすれば買ってもらえるのか」というのが分かりやすくなる。これがもし色んな客層にセールスをかけていると、何が原因でモノが売れないのか容易には判断できず、どうしていいか分からなくなる。


このターゲットを絞り込むという戦略にはもうひとつ狙いがあって、僕には「人が一番モノを欲しくなるのは、他人がそのモノで楽しそうにしている姿を見た時である」という持論があって、これを僕はカップヌードル理論と呼んでいる。カップヌードルを食べたくなるのは人が食べてる姿を見た時や、その匂いを嗅いだ時ではないだろうか。それをこのうどんのセールスに応用するのである。まずは買ってくれそうなところに確実に買ってもらって、その姿を周りに見せることにより「あっ、あの人おでんの具の1つのうどん食べてる。・・・私も食べてみようかな」と思わせるのだ。


これも映画で学んだ戦略だ。自分のやりたいこととやれること、そして受け手が一直線上に並ぶことは非常に稀だ。まずは自分のできることを確実にこなし、それを求める相手に的確に提供する。


高校で昼休みに映画の学内上映をしたときもそうであったが、僕の映画は評判を得ていたものの次にある授業の兼ね合いなどで人が入ったり入らなかったりする。これが面白いもので、観客があまり入っていないと、あとから来る観客も「うわっ、観客少な・・・ 映画つまんないのかな・・・ やっぱ観るのやめよう」と帰ってしまうのだ。だが観客がある程度入っていると「えっ、これだけ人が入っているということは映画面白いのかな。よし、入ってみよう!」といって連鎖的に客が入ってくるのだ。


ただこのターゲット絞り込み戦略、最大のネックであり、要であるのがエミちゃんであった。僕のメイン層である高齢女性は、たとえ僕がどれだけうまくセールストークを展開したところで1回買ってもらうのが限界だ。次につながらない。だが、エミちゃんのメイン層である既婚男性はうまいことやれば無限のように次に繋げることができる。


そこでどうするか。


初めてうどんを食べ、その戦略を思いついた日。その日はシフトを上がると一目散に家に帰り、自分の部屋に着くなり慌ててパソコンを起動させると、その傍らでペンを手に取り紙に自分の思いつくままありったけのアイデアを書きなぐっていった。


アイデアを書きなぐると今度はパソコンで再構成し、自分のやりたいことを企画書にした。






次の日、バイト先に着くなり、ちょうど制服に袖を通そうとしていたエミちゃんに詰め寄った。


「エミちゃん!! 今日話したいことがあるから、バイト上がったらファミレス行こう!!」


興奮のあまり一睡もできず、目が完全に血走った上に、会うなり猛烈な勢いで詰め寄ってくる僕にエミちゃんは完全に怯えきっていた。ただガクガクと首を縦に振っていた。


その日バイトを上がるとまだ怯えているエミちゃんをファミレスまで連れて行き、席に着くか着かないかないかのタイミングで僕は猛烈な勢いで例の戦略について語り始めた。


「エミちゃん、俺、おでんの売上をあげるためにこういうことを考えてて-」


ファミレスに着くなりマシンガンのようにおでんのセールスについて語りだす僕にエミちゃんは初め全く状況がつかめていなかった。だが次第に僕の考えが分かってくると興奮の面持ちで僕の話を聞くようになった。


「このターゲット絞り込み戦略なんだけど、正直言って俺の方の高齢女性メインっていうのはセールスに限界がある。勝算があるとすればエミちゃんの担当する既婚男性なんだよ」


「どういうこと?」


「結婚してる男、特にオッサンってのは若い子と喋りたくてしょうがないんだよ。だからそこら辺をうまく狙うんだよ。男、特にオッサンってのは若い子が一度自分に気のある態度を見せるともう夢中になっちゃうわけ。そこのギリギリのラインを狙いつつ、うどんのセールスをするの。うどんを買えばエミちゃんとちょっと喋ることができる、みたいな感じでさ」


「えー」


「エミちゃんってオッサンをうまく転がすポテンシャルをめっちゃ持ってるのね。だけど普段愛想がクッソ悪いせいでその機会を潰してるわけ。でもたまに機嫌が良くて愛想良くするとホイホイおでんとか買わせてるじゃん。そこをもっとつき詰めていくんだよ」


「おいこら! たまに機嫌が良くて愛想良くなると、ってどういうことじゃ」


「ほらまたそういうヤンキー口調になる! そういうところを直せば絶対うまくいくんだって。だからこれから俺がエミちゃんに『男にウケる接客』を教えこむから、エミちゃんはその通りに動いて欲しいんだ」


「男にウケる接客」というフレーズに多少難色を示していたものの、エミちゃんは僕のアイデアに対してワクワクを隠しきれていなかった。僕の楽しげに語る口調や実際に作った企画書を見て「今までとは違う何か」を感じ取ったのだろう。


・・・思い返せばこうやって企画書を作ってプレゼンして、というのをやるのはずいぶん久しぶりだ。高校で自ら映画研究部を立ち上げた時はこうやって企画書を作って友人に見せ、一人ひとり熱心に口説いてチームに加わってもらっていた。


こういうことをしなくなったのはいつからだろうか・・・


それから一ヶ月、僕とエミちゃんはシフトを上がるごとに近所のファミレスに行き打ち合わせをした。僕が映画の脚本形式で想定される接客パターンをすべて書き起こし、それに沿ってウケる接客を教えこんでいく。教えこんでいくと言っても僕が作った脚本はエミちゃんには見せず、噺家のようにパターンを覚えさせた。


「『いらっしゃいませ』って言って」


「いらっしゃいませ」


「語尾を少し伸ばして」


「いらっしゃいませー」


「いや違う。もう少し短く」


「いらっしゃいませぇ」


「そう、だけど全体的にもう少し声を高く」


「いらっしゃいませぇっ」


「もっと語尾をだらしない感じにできない?」


こんな感じだ。


接客に関してもルールや動きを決めた。まずレジに居るときは僕らは一切会話をしないことにした。夜に仕事に疲れて、何か夜食でも買おうと思ってコンビニに入ってそこで若い兄ちゃんと姉ちゃんが楽しげにレジでイチャコラ会話してたら腹が立つだろう。だからそういうことは止めようと決めた。むしろ仲が悪いぐらいの感じを出そうと決めた。


他にもいやらしく唇をペロッと舐めさせたり、普段は袖に手を入れる今で言う「萌え袖」をやるように指示したり、本当に1つはなんとでもない動作だが、小さな小さなディティールに徹底的にこだわった。


サインも決め、僕が自分の肩を触ったら「この客には普通の接客」、腕を触ったら「ちょっと甘える感じで」、手を触ったら「ガンガン行け!」だ。


演技をするにあたって女の子には2つのパターンがある。


1つは設定と流れだけ教えて、あとは本番で好きなように演技してもらう方がいい子。もう1つはセリフから動きから何から何まで教えて、リハーサルを延々繰り返した後で本番に臨む方がいい子。僕は直感的にエミちゃんは後者の人間だと思った。特に今回はある意味で男をたぶらかそうとしているわけだ。だからこそ僕が何から何まで教えこむことでエミちゃんは「私はあくまで結城の言うことを聞いているだけ」という言い訳ができる。僕は僕でエミちゃんを完全にコントロールできるので自分のアイデアを余すことなく実行できる。僕らは非常にいい関係が築けていた。


こうして毎晩ファミレスで打ち合わせをしている間、僕はエミちゃんに教え込んだ接客を一切やらせなかった。中途半端な状態でやらせても、間違いなく失敗するし、自信もなくなって悪い循環に入ってしまう。


一ヶ月みっちりと接客を教えこんだ後、僕はエミちゃんをいよいよ実戦に送り込むことにした。だがここでも僕はここでも1つ戦略があった。それは仕込みを用意するということだ。僕は近所に住む知り合いのオジサンに事情を話し店まで来てもらい、「そこで女子高生のスタッフの子が色々と話しかけてきたりしますけど、全部にこやかに答えてあげてもらえますか?」とお願いした。


男ウケする接客を解禁した当日、普段はあまり緊張しないエミちゃんが珍しく緊張していた。どことなく声が上ずっている。


そこに例のオジサンがやってくる。練習通り僕が教えた通りの口調で「いらっしゃいませぇっ」と言う。


オジサンがレジにやってくる。僕はそこでエミちゃんに今まで教えこんだ接客術をすべて実行させた。バーコードを読み取っている間に自然と雑談につなげる。さすがに初めてだからかぎこちない。だがオジサンがいい笑顔でにこやかに答える。


それを見たエミちゃんの顔がほぐれていく。


一通り接客を終えた後、エミちゃんが僕の方を見た。その顔つきは数分前とは別人のようだった。その顔は自信に満ち溢れていた。


僕らの運命が大きく変わった瞬間だった。


それからというもの、エミちゃんの快進撃というか男の手玉の取り方は凄まじいものがあった。もともとかわいいというのもあって、エミちゃんから話しかけていくとお客さんたちがどんどん商品を買っていく。ターゲットを狭めて、同じようなフレーズで接客をしていくと、最初に「いらっしゃいませ」と言った時の反応の仕方で、このお客さんはイケる人なのかイケない人なのか判断がつくようになった。僕も自分の接客をする傍らでエミちゃんの接客を見て、ノートに記録を取っていく。毎晩ファミレスに行っては反省会を開き、「今日のあの話の持って行き方はうまかったね」とか「あそこはあえて突き放したほうがよかったんじゃなかったのかな」「あれだけ後ろにお客さんが待ってる時は雑談を早々に切り上げないと効率が悪くなる」と、接客術をどんどんブラッシュアップしていった。中には本当に堅物で、エミちゃんがどれだけ愛想をふりまいてみても全く反応しないお客さんもいて、どうやったら攻略できるのかと2人で延々とアイデアを出し合った。そして遂におでんを大量に買わせた時には思わず2人で小さくガッツポーズをした。今までうどんなんか1日に2個しか売れなかった。それが僕らが例の接客を始めてから売上がグングンと伸びた。一番売上が良かった時は、僕達がシフトに入っている5時間で30個もの売上があった。


ここで嬉しい誤算が1つあって、うどんの売上に連動しておでんの売上も爆発的に伸びたのだ。初めはとりあえず売れそうなうどんから売ろうということで、うどんだけをプッシュして売っていたのが、そこにおでんをもう3品も足せば1食分の食事になるということで、おでんも買ってくれる人が多かった。


気づいた時には僕らは夕方のシフトとしておでんの売上がエリアで1番になっていた。さすがに1日の売上としてみると大したことはないが、僕らがシフトで入っている時間帯だけ異常な売上の増加を見せるのだ。最近までまったくおでんが売れなかったのに、突如として爆発的な売上を見せただけに、本部から視察が入ったほどだった。


あの時僕らは最高に楽しかった。映画に挫折した何をやってもダメな青年と、社会から疎外されているギャルが、なんとか周りを見返してやろうと夜な夜なファミレスでああでもないこうでもないとアイデアを出し合って作戦を練って、それを実行してまたファミレスで作戦を練ってと、そういうプロセスがたまらなくワクワクした。


おでんの売上に多大な貢献をした僕らは本部から非常に少額ではあるものの金一封をもらうことが出来た。僕はあまりの額の少なさに愕然としていたが、エミちゃんは「初めて人からほめられた気がする」と、とても喜んでいた。その姿が非常に印象的だった。


その晩僕らはいつものファミレスに行き、もらった金一封でその店で一番高いものを注文した。あの時食べたステーキの味は今でも忘れられない、最高の味だった。




その後僕らはどうなったか。


結果として僕らは表彰された直後バイトを辞めることにした。


おでんの一件で自分に自信がついた僕は、もう一度映画を撮ってみることにした。今度はちゃんと自分で企画書を作り、また1から仲間を集め、周りと連携をとって製作を進めていった。そのおかげか、小さいながら学生の映画祭で賞を受賞することが出来た。


賞を受賞できると僕はそこで映画には見切りをつけた。僕は自分の力が映画のフィールド以外でどこまで通用するのか知りたくなった。映画で培ったノウハウで、おでんの売上を爆発的に伸ばすことが出来た。僕ならどんなところでもやっていける。


時はもう就活シーズンだった。僕は今まで自分とは全くの無関係なフィールドであったITの営業の職を選ぶことにした。ITは今でこそだいぶ市場が成熟してきつつあるが、当時はまだそんなこともなく、1つの会社が昨日までバスの運行システムを作っていたかと思えば明日からパンの生産管理システムを作ったりするということが平然とあった。ITの営業であれば色んな業種や世界を見ることができる。いろんな世界を見たい。そう思った僕はITを選んだ。


一方エミちゃんは店であまりにも人気が出過ぎて業務に支障が出るレベルだったのと、僕がバイトをやめてしまうこと、そしてお客さんのうちの1人である料亭の店主から破格の報酬で引き抜かれたことからコンビニは辞めてしまった。


料亭では唯一の女子高生ということで最初は色々と苦労があったみたいだが、すぐに店の中心メンバーになったようだ。


だがその料亭も1年近く働いた後、「受験に専念したいから」ということで周りから惜しまれつつ退職。そこからのエミちゃんの偏差値の上がりっぷりは凄まじく、結果として学年で唯一の国立大学合格者となった。


その時に言っていた「今まで私は勉強とか全然出来なかったけど、おでん売るのも料亭で働くのも勉強するのも全部同じなんだなぁって分かった。私の中では全部ファミレスで2人でやってたことの延長線なんだもん」という言葉はとても印象的だった。


大学を出た後のエミちゃんは大手化粧品メーカーに就職。最初はエミちゃんの元気が良すぎるためか周りとよく衝突していたみたいだが、今ではその実力が認められ、着実に昇進しつつあるみたいだ。


僕の方はというと、この流れなら社会人になっても例の映画のノウハウを活かして大成功を収めてるように思えるかもしれないが、社会はなかなか厳しいもので、そう簡単にはうまくいかない。ただまぁ、同世代よりはちょっと多めに稼げている程度だろうか。金銭面はともかく仕事ではいい上司、いい部下に恵まれて毎日が本当に楽しい。何よりも営業という職で、どうやったらお客さんに自分の会社と解約を結んでもらえるかと考え、実行するそのプロセスが最高にワクワクする!




10年前の大学生の当時、僕は何をやってもダメだった。


僕は自分自身に絶望していた。


だが、そんな中1人のギャルと出会い、僕は変わった。


何をしてもうまくいかなかった。そのたびに自分の無能さを痛感しなくてはならなかった。


でも、そこから「じゃあどうやったらうまくいくだろう?」「どうすれば自分は無能じゃないと証明できるだろう?」と考えるようになった。戦略を練るようになった。実行するようになった。


僕は行動するのが楽しくなった。人と話すのが楽しくなった。


僕は今、間違いなく自分の人生が好きだといえる。

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