動揺
私は電話に出た。受話器の向こうには,明るい声の女性がいた。
「森内先生,今日はぜひ,具体的な話をさせていただきたいと思いまして。」
「え〜っと。私はまだ,お受けするとは言っていないはずですが…」
「承知しております。でもみんな,すごく乗り気なんですよ。読み聞かせを日々実践されている方の話を伺うことができるなんて…」
「ちょっと待って下さい!たしかに私は,毎日絵本の読み聞かせをしています。でもそこには,系統だったものなんて,なんにもないんですよ。ただ単に,子どもが喜んで…」
「先生,それが大事なんですよ! 子どもが喜んでいる。そのことが,どれくらい子どもの心を育むか,それをお聞かせいただきたいんです。系統とか,理論とか,それはあったほうがいいんでしょうけど,私たちは読み聞かせの実際と,子どもの笑顔の様子が聞きたいんです!」
そこに妻が割って入る。
「いいんじゃない,話してあげれば。あなた,人前で話すの,嫌いじゃないでしょ」
受話器越しに妻の声が聞こえたのだろう,電話の主は語気を強めた。
「奥様もそう仰っておられますし。先生,お願いしますよ!」
「んん…しかし…」
「私たちの研修会が,網走市内で開かれることになったんですよ。その時にぜひ!」
「いや〜…」
「やってあげればいいでしょ」
という妻の言葉に,思わず
「ちょっとまってくれ!」
と,私は動揺して叫んでしまった。私の剣幕に驚いたのか,電話の主は,
「また改めてお電話させてください。失礼します。」
と,そそくさと話を終えてしまった。今日は無理強いはできないと判断したようだった。
静まり返った室内。私ははっとして妻のほうを見た。彼女は表情を固めたままで,微動だにしなかった。
「ごめん,大きな声出しちゃった…」
という私の声を聞いて,ようやく我に返った妻。私をまじまじと見つめて,
「どうしたの。なにかあるの?」
と,ゆっくり尋ねてきた。私は胸につかえているものを,ようやく吐き出すことができる時が来たことを感じた。
(つづく)