top of page

15/1/2

【Part 10】「とりあえず、統合失調症患者になった自分が語る、26歳の人生。」~僕は、統合失調症のイメージを覆したい~【完結】

Image by Olia Gozha

ついに長かったこの文章も、このパートで終了です。

Part1は、1000PVも頂けて、感無量です。

これが終わっても、ちょくちょく書こうと思います。

ではでは、宜しくお願いします!!

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

・健常者と区別が付かない自分の症状

・障害基礎年金のもらい方

・「あの角を曲がれば…。」~障がい者理解講座にて

・働く事へのドクターストップ~「劇作家・エッセイスト・パフォーマー」を名乗ってから、人生明るくなった~

・頑張らないでください

・やりたいことを、やりたいように   

 ・健常者と区別が付かない自分の症状


 赤羽先生と母親と自分の三者面談をしたときに、こう言われた。


赤羽先生「「くわばらさんは、統合失調症です。躁うつと、パニック障害も内在しています。しかし、どこからどこまでが、パニック障害で、どこからどこまでが躁うつ病かは、我々にとっても分からない世界なので、トータルして、統合失調症という名称にさせていただきました。」」

くわばら「「障害基礎年金って、貰えますか?」」

赤羽先生「「貰えますよ。もう、今から準備に入っているので、心配なく。」」

くわばら「「障害者福祉手帳ももらえますか?」」

赤羽先生「「ええ、貰えますよ」」



 よし!バスの代金が半額になるぞ!!と、心の中で、ガッツポーズを取った。


 しかし、そこから、障害基礎年金と我々家族との死闘が始まる。






・障害基礎年金のもらい方


 まず、自分は、20歳の前にこの病気を発症しているので、初診を受けた心療内科に、

「受診状況等証明書」が必要になってくる。

 そして、20歳前後の診断書が必要になってくる。やっかいなのが、20歳前後は、大学に通っており、東京の鶴川駅のほど近い心療内科に空白の診断書を送り、書いてもらわなければならない。料金は、8、640円。そして、今通っている、病院の診断書が必要になってくる。


 説明している自分でもこんがらがるのに、さらに、「病歴・就労状況等申立書」と言う用紙を手書きで書かなくてはいけない。


 自分が一番最初に受診した診療所から、点々としてきた病院一つずつ、全ての病状を書かなくてはいけないのだ。


 なんとか、全てそろえて、年金事務局へ行った。


 しかし、初診の心療内科の「受診状況等証明書」に、「紹介状の有無」を問われている欄に、「有」に丸が付いていたため、


 「もっと遡れますよね」


 と、超スーパーめんどくさい。めんどSKY!な一言を言われた。


 この一言で、どれだけの大人が動いたか。


 まず、訂正印を押してない。最後に受診した日が書いてない。紹介状のコピーが添付されていない等、めった打ちにされた。


 次に、「病歴・就労状況等申立書」と言う用紙に、欄に収まらないほどの病院を転々としている自分は、Wordで打った文章を持って行ったが、それも駄目で、「続紙」といった、続きの紙に書いてこいと言われた。


 ちょっと待てよ!始めに続紙渡しておいてくれないかな!!


 極めつけは、「初診日」が変わると言うことで、東京の心療内科に、診断書を送り返し、「備考」の欄に、初診診療所、「○○」と、書かなくてはいけないところまできた。(これは後日、しなくてもよい事になったが)


 なぜ、こんなにもややこしい事をしているかと言うと、過去支払っていた年金の5年分が「遡及分」として、振り込まれるからだ。 


 それを申請しなければ、20歳前後の診断書なしで、そのまま需給が出来るのだが、現行の「過去5年分の遡及額」と言うのは、約390万円になる。


 あと、母親が支払ってくれていた5年分の年金、約100万円が、還付金として戻ってくる。


 血眼になって、こっちも必死になってやるのも、みなさん、おわかりでしょう?おかわりがほしいんです。






・「あの角を曲がれば…。」~障がい者理解講座にて


 地域自立支援センターにて行われた、「障がい者理解講座」に、参加した。


 おいしいバウムクーヘンを食べたり、女の子といちゃいちゃ出来たり、とてもHAPPY。

ハッピーな時間だった。


 中でも、印象的だったのは、こういった、障害を持つ人の親たちのネットワークだった。

 そのネットワークでは、料理教室をしたり、週に一度集まって、井戸端会議をしたりするのだ。そのネットワークのリーダーのおばあさんが、こんなことを言っていた。


 

患者さん「「○○さんや~。おら、この病院に行くときの曲がり角曲がるの嫌だ!」」

リーダーの女性「「な~して?」」

患者さん「「だって、こいつ、病院(精神病院)に行くんだと思われるから、嫌だ」」

リーダーの女性「「だったら、おめさんが、あの角を曲がる人を区別・差別して、『あ、あいつ病院に行ってら!』と、思うんだったら、自分も同じことを思われても、仕方ないっぺよ。」」

患者さん「「そうか。そうだよな~」」


 本当に、そうだよな~と思った。


 自分は幸いにも、周囲で白い目で見られたりと言う事はない。そもそも、白い目って何だろう?と、思ってしまうぐらい、恵まれている環境にいる。


 自分が、白い目で見られていない。と言う事に感謝しつつ、自分も、自分こそが、周囲を白い目で見るのをやめようと思った。


 障害を持った人も、同じ命を生きている。同じ24時間を生きている。


 このことを、忘れないでほしい。






・働く事へのドクターストップ~「劇作家・エッセイスト・パフォーマー」を名乗ってから、人生明るくなった~


 2014年6月27日。ちょうど入院してから、5ヶ月後、自分は、自身のフェイスブックで、「劇作家・エッセイスト・パフォーマー」という、世界で誰もやっていそうで、やっていない、要は、「物書きと俳優」で、今の段階では、過ごそうと考えている。もちろん、これで、一生飯を食っていけるほど、世間は甘くないので、肩の力を抜きつつ、徐々に、障がい者向けの「職業訓練」に通い、障がい者向けの求人に照準を合わせている。


 医者からは、無理はしないでください。頑張らないでください。と、再三三度言われ続けているので、無理をしない生活をしている。


 毎月、1日と15日に、一万円ずつもらい、それを趣味として、使っている。その生活は、障害基礎年金がもらえるまで続けようと言う約束にこぎつけた。


 あと、8月1日まであと一週間あるのにもかかわらず、残り30円しか残らなくなってしまって、やることが無くなってしまったので、この文章を書く時間が、有り余るほど出来ている。感謝。でも、来月からは、ペース配分を考えて、お金を使う事にしようと思う。






 おわりに~・やりたいことを、やりたいように~




 自分がやっているブログ、「空の宝箱」に、「臨時職員 辞めたい」のキーワードで、自分のブログを訪れた方がいらっしゃる。


 ちゃんと蓄えを整えて、辞めた方がいいですよ。自分のように焦っていろんな事をやると、最悪な場合、病気になってしまいますからね。


 と、思おう反面。


 どうして、辞めないんだろう?辞めたいなら、辞めればいいのに。と思う自分もいる。


 自分は、千田琢哉に憧れて、この物書きになっている。この文章が完成したとき、次もいいものを書けるネタを探すことに、全神経を集中させたい。と言うか、次回作も書きためておきたい。


 この本の執筆も、わずか17日で全文を書いた第一稿を完成させている。


 それこそ、


 「無理してんじゃねえか?」


 と、心配される方もいるかもしれない。でも、大丈夫だ。これが、やりたいことなのだから。


 やりたいことは、人にダメ!と言われてもこっそりとやってしまう行為である。そう、千田琢哉は言っていた。


 ならば、自分はこの「物書き」、「エッセイスト」が、やりたくてやりたくて、仕方が無いのだ。


 執筆中も、苦痛に感じたところは、「締め切りに間に合うかな~」ぐらいだった。多少、過去の事をほじくり返すのが、苦痛だったが、それも話のネタになるので、楽しかった。まずは恩師・天野みどり先生、上野俊哉先生に、多大なる謝意を。そして、お世話になっている赤羽先生、ケアワーカーの鈴木一由さん、叔父に、感謝。なにより、ここまで育ててくれ、病床に伏していた時、何度も励ましてくれた母親に、最大級の感謝を。






 あとがき


 とりあえず、第一稿が完成してしまった。


 こうやって、文章の量、紙幅の事を気にする事が、至福の時である。明日はどんな私服を着ていこうかしら。


 そんな、たわいもないことを思いつく、日常こそが、なんてことのない、「統合失調症になってみた」唯一の感想である。


 どうってことのない。どこにでもいる。普通の青年の話である。


 この感覚が、広く伝わるように、雌伏して時の至るを待つ。



←前の物語
つづきの物語→

PODCAST

​あなたも物語を
話してみませんか?

Image by Jukka Aalho

フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」

情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般...

大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。

今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ...

受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1

僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で...

あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。

「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と...

あのとき、伝えられなかったけど。

受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分...

ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話

爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと...

bottom of page