~退院までの道のり~
・午前中に泣いて、午後笑う人々。
・なぜ入院しているのかわからない人多数。
・帰ることのできる家がある事が、退院の第一条件。
・品行方正の入院生活
・熱い男、「サカツメ」くん。
・マシンガントーク「オシミ」さん。
・バカな考えは捨てろ「ヒラハラ」さん。
・ジェネレーションギャップを捨てなさい。「お姉さま」方。
・一家に一台「タカミアミ」
・ヒサコおばあちゃんのジェラシー
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・午前中に泣いて、午後笑う人々。
若い女の子が泣いている。日常茶飯事すぎて、もしくは、あえて、愛情を持って理由を聞かない姿勢もある。
しかし、ある時が我慢ならず聞いてみた。
くわばら「「どうして泣いてるの?」」
患者さん。「「えっ?どうしてかわかんないから、泣いてるの。」」
しかし、そんな女の子も、午後には笑っている。ここでは、情緒不安定なのが、安定の証拠なのだ。その子も含め、なぜ入院しているのかわからない人多数いる。
一般的に、精神病棟と言うものは、誰かれ構わず奇声をあげ、暴れまわる病棟だと思われるかもしれない。そういった科もあることにはある。しかし、家に帰る事が出来ない事情があり、仕方なく入院している人も、多数いることを知っておいてもらいたい。
・帰ることのできる家がある事が、退院の第一条件。
自分の中で、「天丼君」と名付けて言う男の子がいる。その彼が、自分より早く退院する事になった。
原因は、引き取り手のお姉さんが見つかったとのことだった。
そうか。帰る事が出来る家、環境があれば、あとは、自分の体調次第なんだと気付かされた。
ちなみに、「天丼君」の名前の由来は、昼ごはんのメニューで天丼が出たときに、誰かれ構わず、「天丼!!天丼!!」と叫んでいたからだ。
「今日、天丼ですね!!」
と、どんだけ、天丼楽しみにしてんだよ!と、突っ込みたくなる、忘れ得ぬ人だった。
そういった、忘れ得ぬ人々が、たくさん居た4カ月と10日の入院生活だった。
・品行方正の入院生活
帰る家、帰る環境、あとは、自分次第。暴れない。それが一番大事だと気付いた自分は、品行方正の入院生活を送る事になる。ヘルパーさん(看護士さんではなく、看護士のサポートをする人)が困っていれば、手を差し伸べていたし、風呂に入る時は、いの一番で風呂から出て、ゆっくりと、しかし着実に病院の服(その当時は、「唐衣・からころも」と言うのが流行っていた)を着こなし、颯爽とドライヤーで髪を乾かし、母親からもらったジュースを一本飲む事が、慣習となって行った。
しかし、そんな自分でも、一度、ブチギレてしまった事がある。入院中にもかかわらず。
それは、朝の情報番組で、「突然死」を扱った時間、隣で座っていた50代ぐらいの女性が、
50代女性「「私も、5年後、突然死をして、心筋梗塞で、ぽっくり逝きたいな」」
と、口走った。
自分は、怒り狂った。
くわばら「「自分の親父は、心筋梗塞で亡くなったんだよ!!!そんな悲しい事、二度と言わないでください!自分の生を軽んじる人を、僕は許すことができません!!」」
多分、子どもが生まれても、同じことを言うと思う。
「自分で自分を殺める行為」
ほど、自分は激怒する事はないと思う。
その後、赤羽先生にもなだめられ、逝きたいと口走った人も、「申し訳なかった」と、詫びを入れてもらった。
・熱い男、「サカツメ」くん。
部屋が隣通しだった、サカツメくんは、一人でぶつぶつ言う事が多かった。しかし、芸能に詳しく、ダウンタウンのごっつええ感じが終わった理由から、「VISUALBUM」が、全て即興劇であることを知っていて、とても博識なんだと思った。
ある時、看護士の男の人と会話をしていると、
「自分も、そろそろ年だし、お母さんやお父さんを安心させたい」
と言っていて、胸が熱くなった。
退院間際の五月、話す機会があった。
サカツメくんは、頑張ってるよ。自分も、負けないぐらい、頑張らないと、と言うと、励ましてくれた。自分はなぜか、涙を流していた。
心が洗われていくようだった。
・マシンガントーク「オシミ」さん。
一番仲が良かった入院患者さんと言えば、この人、マシンガントークの「オシミ」さんだ。
何がすごいって、
ヘルパーさん「「二人が病室のホールに居ないと、すんごい静か!」」
と、何十回も多数言われたからだ。
二人で会っちゃ、バカな話もしたし、自分のメガネが、ウルトラマンみたいだねと言う話になって、「ジュワッチ!」と言われた事に、気分を害しました。と、ちゃんと言える仲だった。
そんなオシミさんは、自分より早く退院した。どうやら、自分で働いて、障害基礎年金を貰わないようにしたいようだが、貰えるものは、もらったほうがいいという、個人的見解がある。
中でも、一番印象的だったのは、自分が、見よう見まねで、「英語だけでスターバックスの注文をする」という、エチュードをしたとき、それを見たオシミさんは、
オシミさん「「くわばらくんって、英語できるんだね!」」
と、言ってくれた。
自分の中で、後光が差したような気がした。そうか。俺、英語喋れないんじゃいん。喋らないんだけなんだ。
そう思うと、英語を使いたくて仕方ない状況になってくる。
2泊3日の外泊の時に、スターバックスに行き、英語だけで注文することを実践したり、退院後、英語塾の体験入学をしたりと、自分の英語観を変えてくれた恩人でもある。
・バカな考えは捨てろ「ヒラハラ」さん。
作業療法室で一緒になった、ちょっと強面なおじさんが、ヒラハラさんだ。自分の名字、「くわばら」の由来をずばり言い当てたり、
「光合成の三要素。水。光。あと一つは?」
というクイズ番組の問題に、皆が悩んでいるとき、ふらっとやってきて、
「二酸化炭素。」
と、カッコよく決める渋いダンディな男の人だった。
その人は、なぜ入院をしているかは聞かなかったが、フリーランスのライターをやっていて、パソコンを使わない、アナログなライターだという。
「今の時代、逆に手書きの方が重宝がられるんだぞ」
という言葉と、千田琢哉の言葉オーバーラップして、「この人、やるな!」と思った。
この人なら、何でも話せそうだなと思い、
「自分、好きでもない人とまぐわっちゃったんで、おじいちゃん死んだんですかね」
と言ったら、
「誰だ!そんなバカみたいな考え持ってるやつは!そんな考え、捨てちまえ!!」
と、一喝された。
自分は、喝を入れられ、一瞬ビビったが、自分のために、こんなに叱ってくれる人がいるんだと、温かい気持ちになった。
そんなヒラハラさんと、トイレで一緒になった時、
ヒラハラさん「「大きな風呂にはいれるようになったんだってね」」
くわばら「良くご存じで!」
ヒラハラさん「「今度一緒に入ろうか!(笑)」」
くわばら「「ああ、もう、是非!!」」
その会話の翌日、ヒラハラさんは、退院された。その会話が、自分とヒラハラさんが交わした、最後の言葉だった。
・ジェネレーションギャップを捨てなさい。「お姉さま」方。
年上のお姉さまが、喫煙ルームにたむろしている。最初は、
「煙草を吸う人は、素行が悪い」
と、勝手に決め付けていて、入れなかったが、徐々に慣れていき、入る事に躊躇が無くなって行った。
さすがに、三人同時に座って吸われると、肺が痛くなる感覚もあるので、そこら辺の塩梅を見ながら、お姉さま方と会話をしていった。
スタバで「ごちそうさん!」と言った話や、これ、図書室(3階にある本棚)に戻しておいてと頼まれたり、情緒不安定だった時、慰めたり慰めてもらったりした。
・一家に一台「タカミアミ」
『一家に一台高城れに』のリズムを、その女性にプレゼントしたら、とても喜んでくれた。
れにちゃんに負けないぐらいテンションが高いその女性は、いつも笑顔だった。でも、天真爛漫さが逆に出て、傍若無人っぷりも発揮されていた。
自分が話したくない気分でも、病室の前で、
「く~わばらく~ん!」
と、話しかけられて、ブチギレそうになった。
中でも、「どうして、そんなに私の事嫌うの?私のどこが嫌い?」と言う問いに対して、自分は、
「そういうところが嫌いです。」
と言ってしまった事がある。
一時、仲が険悪だった時があった。
洗濯物を乾燥室に持っていかなくてはいけない時に、
「ちょっとこっちに来なさい!」
と言われたのを、無視して行ってしまった事があった。
チャンスはピンチ。ピンチはチャンス。
キレイは汚い。汚いはキレイ。
ちょうど、マクベスを熟読していたので、そう思った。謝るチャンスだと思ったのだ。
自分は、喫煙ルームに来たれにちゃん改め、あみちゃんに、謝った。
くわばら「「あの時は、洗濯物があって、そっち側に行けなかったんだ。無視してたわけじゃないんだ。ごめん。」」
と。
そうすると、
タカミアミ「「くわばらくんに嫌われたかと思った~。私、くわばらくんに嫌われたら、泣いちゃう~。」」
と言っていた。
こんなにまっすぐな愛情表現を味わったことが無かったので、面喰ったが、事なきを得た。
退院する時も、ハグをしてくださり、
タカミアミ「「もう、頑張るんじゃねえぞ」」
と、言ってくれた。
それが、今の生活の大きなベースとなっている。
・トシヤさん
大部屋に移った時、トシヤさんという新しい入院患者さんがいらっしゃった。その人には、娘さんが二人いて、下の女の子が、テケテケテケ~と、お父さんと自分の居る大部屋に入ってきた。
自分は、何かをしなくては。と思い、手元にあった、「ビッグ・ファット・キャットの世界一簡単な英語の本」を、手渡した。
ちなみに、その本は、自分の親父の遺品である。
すると、その女の子は、
トシヤさんの娘さん。「「ありがとうございます!お父さんを、よろしくお願いします!」」
と、元気いっぱいで返してきた。
朗らかな気持ちになっていると、お父さんが、
トシヤさん「「いいかい。読み終わった本は、こうやって、人に渡したり、ブックオフに売ったりして、次に読みたい人につなげるんだぞ。」」
と、言った。
一瞬、「ん?ブックオフ?」と、思ったが、雰囲気、流れ、文脈から、悪い事を言われているわけではないので、そのままスルーしていた
退院する時、どうしても気になったので、
「あの本、売らないでくださいね~」
と、冗談交じりで言ったら、
「売りませんよ!」
と、真剣な表情で言われた。
よかった~。って思った。
・ヒサコおばあちゃんのジェラシー
このパートで、一番書きたかった人かもしれない。
ヒサコおばあちゃんは、自分の祖父が一周忌を迎えたとき、両手を合わせて、祈りをささげてくれた。
自分の年齢の話になり、
「私は…46!」
と答えたので、自分も乗って、
「46に見えないですよ!」
と、返すと、
「間違えた!64だ!」
と、答えるお茶目な人だった。
退院が決まったある日、ヒサコおばあちゃんの、自分に対する目つきが、異常に怖くなっていた。
挨拶をしても、無視をされているので、自分はそっとしておこうと思った。
いよいよ翌日、退院する。と言う日に、病室のドアから、ヒサコさんの声で、
「くわばらさん、居ますか!!」
と、悲しみと怒りが混じった声が発せられた。
これは、何かある。やばい何かが。と思い、すぐに、ドアを開け、話をすることにした。
「くわばらさんは、どうして、私を無視するんですか!!私、ずっと待っていたのに!くわばらさん、全然、私に話しかけてくれないじゃないですか!私は、悲しくて悲しくて、夜も眠れません!!」
へ~、女性って、一生ジェラシーを持ち続けるんだ~。と冷静に思いつつ、一人では、なだめられないと思い、看護士さんの所へ行った。その間に、午前中泣いて午後笑っていた女の子がやってきて、仲介に入ってきてくれた。
なんとか、ヒサコさんをなだめることができ、事なきを得た。
退院の日、自分はあみちゃんと、たまみちゃんと、ヒサコさんのほっぺたにキスをして、病院を後にした。
自分が、この4カ月で学んだ事は、人は、接触を起こさない限り、一段階深い仲良しにはなれないと言う事。そして、2人以上いたら、誰かが誰かを恨んだり、妬んだりしているという事を学んだ。
退院の日。母親は、なぜか30分遅刻して、病院にやってきた。
「くわばらくんが退院する。」と言う事で、自分の周りには、沢山の人が集まってくれた。
母親と看護士さんと自分で薬の説明などをして、それが終わり、ドアを開けた瞬間、母親は思わず涙をした。これだけの人が、かずやの退院を祝ってくれている。そう思い、胸が熱くなったらしい。
今まで、通い詰めていたお見舞いも終わる。しかし、これからが、重要だ。
Part 10では、退院後から、今の生活を書いていく。


