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14/12/28

ニューヨークから強制送還され、全財産3万円から年収1億円以上に成り上がった男の起業物語(前半)

Image by Olia Gozha

井口です、

こんなメールが来ました。

-----Original Message------

「井口さん、

 私は37歳の平凡なサラリーマンの男です。

 年収は500万円くらい、

 仕事は営業で、嫌でもなく、

かといって大好きではありません。


同い年の奥さんと小学生の娘が2人います、 

 家も東京の郊外に30年ローンで買ったので

 今すぐ会社を辞めるわけにもいきません。


 ただ、

 ボーナスもカットされる中、

 親が入院したり、

 子供が中学校進学などで

 給料だけでは十分ではなく、

  何かとお金が必要です。


  私も副業を始めてお金を稼いだり、

  いずれはうまくいけば

  起業したいと考えています。


 ただ、その度胸は今はありませんし、

 何から手をつけていいかもわかりません。

 井口さんは私より若くして成功しているようですが、

起業してすぐにうまくいったのですか?


 起業した当時の話を

 詳しく聞かせてください。

 その話に説得力があれば

  井口さんのセミナーに行くことも考えます。」

-----End of Message------



かなり正直な思いをメールでもらい、

こちらも色々考えることがあった。


僕の起業当時の話を知っている人は

そんなにいないので、

今日から何日かにわけて

僕の起業物語を話していこうと思う。

興味があれば続きを書くのでいいね、

感想を書いてください。



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全てはあの日から始まった・・・

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2007年1月22日。

この日は僕にとって、一生忘れられない日だ。

25歳までアメリカで3年と5ヶ月大学生をしていた僕は、

日本の常識や世の中のことをよく知らないまま、

夢と希望を持って生活していた

アメリカのニューヨークから

大阪の実家に強制送還された。


アメリカで起業して成功できたらいいなという

若者の浅はかな希望はガラガラと音を立て崩れた。

まるで真っ暗闇の中に一人ぼっちで取り残されたようだった。

ただ、実家にいるには高額の教育資金のかかった

大学中退者&ニートには

両親の目があまりに痛すぎた。


貯金3万円だけを持って、

東京の東久留米の友人の家に

居候するために逃げるように引っ越してきた。

それが実は全てのストーリーの始まりだったとは

その時の自分は知る由もなかったのだが・・・


それから、8年後の2014年12月、33歳の年を迎えた私は、

壮大であり、無謀だった日本での目標を一旦達成し、

そのステージをアメリカに移すことにした。


そして、現在は本格的にアメリカのLAに本拠地を移し

ビジネスをスタートさせることになった。

今は、起業当初とは人生が180度違って見える。


仕事やプライベート、この長いようであっという間だった

旅の途中で出逢った多くの同志に、

今はただ感謝しかない。


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運命の始まり・・・

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25歳で起業した頃は、はっきり言えばそこらにいる

自己啓発セミナーに行って盛り上がっているが

その盛り上がりが過ぎ、

3日もすると元の生活に戻る単なる若造だった。


今振り返ると全く世間知らずで、

リスクしかなく、

自分の会員でそんな奴がいれば

間違いないく必死に起業を止めるだろう。


知識もセミナーや本でかじっただけ、社会経験は全くナシ。

留学時代は、セミナーに行ったり、

社会勉強しかしてなかったので、

常識もなければ、社交性もない。


起業家として成功する確率は

限りなくゼロに近かった。


セミナーで会った人に

「お前は名刺のまともな渡し方も知らないのか?

社会人失格だ! 」

と、初対面で怒らせたこともあるくらいだ。


しかし、ビジョンを描き、

それに向かう行動力だけには自信があった。

どうやって現在のように、


・累計15万部で5冊ベストセラーを書き、

・年商5億円で粗利8割の会社を一人の社員とでだけで経営し、

・自分の情熱を持った仕事をし、

・1年の半分は海外で旅をしたりビジネスをする


という人生が送れるようになったのか?

昔から僕を知っている人からすると、

僕が宝クジに当ったとしか思えないだろう。

でも結果には必ず原因がある。

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最近、

多くの起業家に相談されることも多くなってきたので、

アメリカで一度ゼロから始める機会に

自分の起業物語を話していくことにする。


これから起業を目指す人にとっても、

経営者で売上を上げたいと悩む人にも、

勇気を与える内容になるだろう。

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金ナシ。コネなし。経験ナシ。の三重苦の中でスタート

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そのころの僕(2007年)は、

その当時、アメリカ留学から中退という形で帰国した、

社会経験も全くなく、これといった定収入もない25歳の若造だった。

英語の学習法のセミナーをたまに開催し、

何とか毎月食いつなぐというギリギリの状態だった。


一緒に大学に入っていた同期は

一流商社で出世し始めたり、

外資系金融会社などで

高給をとって人生を謳歌していた。


彼らに会うと自分の

負けを認めるようだったので、

できるだけ大学の同窓会などには

行かないようにしていた。


自分はとにかく何かやらなきゃという

不安と焦燥感から

次々と自己啓発セミナーや

ビジネス教材を買い漁っていた。


毎月のローン返済も数万円だったが

生活が苦しい自分の肩に

それが重くのしかかっていた。


東京に来た時の貯金残高はわずか3万円

返すあてのない借金の残高は100万円近くあった。


起業を決めたのは、2007年、

日本に帰国し、

家でネットサーフィンをするか

ご飯を食べると言った自堕落な生活をしていた時に

母親から、


「あんた、英語ができるくらいしか能がないんだから、

英語を使う会社にでも就職しなさい!」


ということを3週間くらい言われ続け、

散々学費を出してもらった身としては

後ろめたさを感じながらも、

やっぱり自分で起業したいという

淡い希望を抱いていた。

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両親との決別・・・そして、東京へ。

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両親と3時間にわたる話し合いの結果、

「アンタはいくら言っても人の言うこと

聞かないんだから。もう自分が好きなようにしなさい!」

と言われ、

思い切りがつき、


その日に、

東京に唯一いた過去に

セミナーで出逢った友人に電話して、

「井口ですけど、前話していた居候の件、マジでお願いできませんか?」

友人「いいけど、いつから?」

「明日です」

友人「は!?何言っているの?」

「まあ、そこを何とか」

友人「わかったよ、しょうがねえな…」



その翌日には夜行バスに乗って上京していた。

その夜行バスの中で、


「今に見てろよ。絶対に成功してやる。

そうすれば親も友達にも俺のことを

認めてもらえるようになるはずだ。

そうだ、きっと女の子にもモテるようになるはず・・・」


とかなり居心地の悪い

バスの中でそう固く決意していた。

自分自身が何者かを世の中に示し、

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本当に自分らしく生きるには起業しかない。

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それまでは、

アメリカで学生をしていた事もあり、

まあいつかは起業するんだろうなあと漠然と考えていたが

特に本格的にビジネスを始めてはいなかった。


正直に言えば、

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格好つけて起業しても、

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失敗するのが物凄く怖かったから,

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なんとなくダラダラ生きていたというのが本音だ。

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ただ、何とかしなきゃという

思いばかりが先行し焦ってばかりだった。

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1/1000の成功法則

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決心を決め、翌日の朝、

東京に着いた私は、早速その日から起業の準備を始めた。


まず、居候させてもらう友人に東京駅で会い、

一緒に彼の家に帰る途中で話していた

友人「ところで、なんで東京きたの?」

「いや、前から言っていたセミナーを本格的に日本でやるんだよ。」


という、起業するということを話すと、

友人「俺も実は個人事業主で起業しているけど、実際そんなに起業って甘くないよ。俺も色々セミナー行ってるけどさ。起業しても成功するのなんて100人に1人くらいじゃないかな。しかも、俺らが通っているような有名なセミナー講師になったり、本出して売れるのなんか、1000人に1人くらいじゃない?まあボチボチ頑張ればいいよ。」


そう言われた時、


僕は絶対に1/1000の確率で成功するだろうと確信した。


なぜならそんな過去1000人以上セミナーで

僕のような参加者に出会ってきたが、

一人も僕のように教える側に

真剣になりたいという人には会ったことがなかったからだ。


だったら、俺がその一人になれるはず。

今考えると全く根拠のない恐ろしいまだのプラス思考である。


今まで数万人の人を教えてきて思うことは、

もし、起業して成功したいという100人の人がいるとしたら、

そのうちの90人は成功しないだろう。


なぜならその90人は、

本を読むだけ、セミナーに参加するだけ、

ネットで調べるだけでゲームに参加しないからだ。

ゲームに参加しなければ、勝つことは不可能だ。

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成功するかはその後の話だ。

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つまりゲームに参加した時点であなたはトップ10%に入れるわけだ。

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しかし、そのプラス思考が返って

仇になるなど全くこの時は考えていなかった。

起業立ち上げ編に続く・・・・

井口 晃




追伸:続きが読みたい!という場合はFacebookにいいね!を押してください。

   また感想をぜひコメント欄にもらえると有難いです。

追伸2:写真は起業する直前の2006年12月末のものです。

   まだ本当に世間しらずな若造だった。

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