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14/12/23

【Part 7】「とりあえず、統合失調症患者になった自分が語る、26歳の人生。」~祖父の死~

Image by Olia Gozha

大学を卒業して、2年。色々ありました。


激動すぎる2013年をお送りいたしましょう。


目次

・やっとつかんだ、「市役所勤務」


・祖父の死


・ガールフレンドに言われた、夏目漱石の一節


・「もう一度働かないか?」コンビニ先での打診


・Please! 10thイベントを見て、突き動かされた。


・やっぱり限界だった、コンビニバイト


・頭は冷静。身体はダンシング。


・通帳残高〇円の恐怖


・パニックパニックパニック!!


・スタバ大好き青年に昇格


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



・やっとつかんだ、「市役所勤務」


 職業訓練校修了後、三回ほど、面接で落とされたが、「緊急若年雇用対策」的な名称で、既卒者三年以内で、正社員になった事が無い人を市役所で働かせて、そこから、働きながら、就職活動をするという制度があった。


 そこでなんとか拾ってもらい、市役所勤務となった。臨時職員だったが。


 この事を祖父に話すと、


 「かずや、よくやったな!!」


 と、喜んでくれた。


 「でも、半年しか勤務できないんだよ。」


 と言うと、少し、さびしい顔と理解出来ない。という顔をしながら、


 「でも、よかったな!!」


 と、言ってくれた。


 仕事ももちろん、プライベートも頑張った。人間調子がいい時は、どんどん加速していく。


彼女が出来たのだ。


 8時半から、17時15分まで勤務し、その後デート。家に帰ってから、泥のように眠る。という生活をしていた。


 しかし、そんな生活も、一か月も続かなかった。






・祖父の死


 祖父が轢き殺された。


 自宅の前で、お見送りの車に近づいてしまい、車に巻き込まれ、そのまま死んで行ってしまった。


 あまりに唐突のことで、涙が出なかった。葬式でも、お通夜でも、火葬場でも泣かなかった。10年前の父親の時と、明らかに違うのだ。


 母親たちは、


 「あとで、爆発するから、気をつけな。」


 と、注意するぐらい、素っ頓狂な顔をしていた。


 仕事はより一層辛くなる。


 情報誌や書類を分類してくれと言う仕事だったが、自分には、キャパシティオーバーで、ゲームオーバーだった。


 次第に、通常の勤務でも、眠気が止まらず、その場で倒れこんでしまった。


 ここでも気づきがあった。


 上司にミスや怠惰を注意された時、自分は、


 「おい!自分!!何やってんだよ!!」


 と、上司と一緒に自分をいじめてはいけないという事だ。


 上司の命令に従うだけの人生だったら、奴隷にでもなればいい。刃向えと言っているのではない。自分自身を大切にしなさいということだ。自分自身を守れない人は、上司や周りの人を守れない。自分はそう思う。






・ガールフレンドに言われた、夏目漱石の一節


 人間調子が悪い時もどんどん加速して行く。


彼女から、


 

元ガールフレンド「「精神的向上心が無いな~!」」



 と、メールで言われた。


 これには、深く傷つき、着信拒否、SNSの全てのブロック、迷惑メール設定をした。


それだけ、触れられたくないデリケートな部分だった。精神的向上心しか、自分には持ち合わせてないのだから。


 長野県に「おねがい*ティーチャー」の舞台になった長野県に行く途中、道を間違えて、3時間ほど予定より遅くなったとき、一人で3時間ほど、元カノの悪口を言っていた。


 ある時は、彼女の働く喫茶店に行き、彼女がレジ打ちをしている時もあった。そこには三年以上通っていて、毎回、「ごちそうさん!」と言って、帰るのだが、元カノがいるとき、それをしなかった。


 その当時、今は振られてしまったが、本命の女の子の店員さんがいた。


 元カノ、狙っている女の子、自分。と、板ばさみになっていた。これを打破するためには、何をすればいいのか。暗中模索していた。


 2013年の12月30日、メルマガが送られてきた。「ビジネスブックマラソン」というメルマガに、このような本が紹介されていた。


 ダライ・ラマ14世・「ゆるす言葉」である。中でも印象的だったのは、


 「「“ゆるす”という行為は、相手を無罪放免にするわけではなく、自分自身を自由にする行為。」


 そうか。許せなかったんだ。元カノの事を。すぐにミクシィのメッセージで謝罪の文章を入れた。


 そうすると返信が来た。


 

元ガールフレンド「「夏目漱石のこころの一節を、人生の指針にしていた時があったんです。それを知ってほしかっただけです。」」



 自分は許せなかった相手を許すことが出来た。相手も、許せなかった相手を許すことが出来た(と思いたい)。 


 その後、彼女の働く喫茶店に行き、「お疲れさまでした!」と、言う事が出来た。


 これで、彼氏彼女の関係から、店員といち客の関係に戻ったのだった。






・「もう一度働かないか?」コンビニ先での打診


 4月に始めた市役所勤務だったが、祖父の死と過労により、ろれつが回らなくなり、辞職を余儀なくされた。


 そんな中、3月まで働いていた、アルバイト先のコンビニから、「もう一度、働かないか?」という打診があった。


 しかし、体調の面。ガミガミ言うおばさんの件もあり、いったん保留にしてもらった。


 お金はほしいが、働ける自信が自分にはなかったのだ。しかし、またここで、自分の中に、大きな転機が訪れる。






・Please! 10thイベントを見て、突き動かされた。


 「Please!」と言うのは、前述の「おねがい*ティーチャー」、と、その続編の「おねがい*ツインズ」というアニメの制作集団である。


 2002年に、「おねティ」、2003年に「おねツイ」が発表され、10年以上たった今でも、根強いファンがいる人気作品だ。


 その作品のイベントが、2013年8月に、パシフィコ横浜で行われると言う事で、足を運んだ。


 サクラ大戦のDVDを、泣く泣くほとんど売り飛ばし、旅費を稼ぎ、いざ横浜へ。


 横浜へ行く途中の副都心線で、


 「テンションの高い、くわばらかずやは、この世に存在してはいけないのではないか。」と、相当、うつの気が出ていた。


 しかし、5,000人を埋め尽くす会場。司会者の金田朋子さんの傍若無人っぷり、井上喜久子さんの優しさ、岩田光央さんの激しいツッコミ、何より、井出監督の、「朋ちゃん、ありがとう」という、一言には、会場のボルテージもMAXになった。


 楽曲のコーナーもあり、10年前、中学生でイベントに参加できなかった自分を思い出し、泣きそうになった。もちろん、うれし泣きで。


 このイベントを見て、自分は、コンビニのアルバイトを再開しようと決意した。






・やっぱり限界だった、コンビニバイト


 しかし、病魔はそんなに甘くはない。


 ガミガミ言うおばさんに、ガミガミ言われた。


 ちょうど、シフトが変わる、10時前後の事だ。アイスコーヒーの氷の入ったカップを、後ろの冷蔵庫に入れていると、


 「3段目と4段目に、敷き詰めちゃだめでしょ!!入れ直して!!」


 と、激昂された。


 自分は、卒倒した。


 その日も体調が悪く、バイトを始めて3時間ほど経った辺りから、立っているのも限界で、やっと帰れると思った時、その罵倒。


 後日、店長から、


 「とりあえず、頭を支えてくれなかったら、頭ぶつけてるし、何より、支えてくれた人、くわばらくんの頭で口が切れているから、謝ったら?」


 と、言われた。


 謝る気持ちが無くても、謝れと言われれば、謝る。それが自分のポリシー。


 「あの時は、すいませんでした。」


 と言うと、腫れものを触るような眼で、避けていった。


 その後、自分に注意する時も、


 「あ、この人、俺に気を遣ってるな」


 と、分かりやすい態度の変化に、辟易としていた。


 その間も、絶好調で体調は不調になっていった。






・頭は冷静。身体はダンシング。


 ある時、臨界点を超えた。


 コンビニのバイトと言うのは、見かけ以上に、精神を使う。


 それが、統合失調症の自分にとってみれば、なおさら追い打ちをかける行為だ。自分は、ノックアウト寸前だった。


 薬を服用しながら、バイトのレジに立ち、意識が朦朧としながら、シフトを上がった。その後もぐったりとしたまま、体が動かなくなった。


 それを見た、店長とオーナーが、大丈夫か?と、心配をしてくれていたが、自分は、


「大丈夫れす。大丈夫れすから。」


 と、全然大丈夫ではない状況だったが、帰ろうとした。


 喉が異常に乾いたので、オレンジジュースを買い、駐車場に出ると、体が突然、暴れだした。


 しかし、いつもと違うのは、


 「あ~、暴れているな~。」


 と、頭では冷静であった。


 メガネがぶっ飛び、持っていた荷物もぶっとび、声を一切出さずに、その場でダンシングをしていた。


 車に乗って、帰らなくてはいけない。と思い、車に乗った瞬間に、体が暴れだし、もう限界だなと、そこで改めて気付かされた。


 朦朧とする、しかし、体が暴れまわる。頭と体のバランスが、ふっちゃかめっちゃかになっていった。


 ろれつが回らないなか、救急車を呼び、自宅に、救急隊員が連絡し、母親が迎えに来た。


 自分は、間もなく、コンビニのアルバイトの道も閉ざされてしまった。






・通帳残高〇円の恐怖


 通帳残高を〇円にしよう。それから、考えていこう。と思った。今思うと、無謀な出来事だが、それぐらい、追い詰められていた。新婦側(新郎側からではなく)からの結婚式の招待があり、必ず、スピーチを任されると思いこみ必死に練習するようになったり、就職活動を必死にやるようになったり、MOSの資格を取ろうと、電話をかけまくったり、慣れないカメラマンのアルバイトをしたりと、ただですら、キャパシティオーバーなのにもかかわらず、動き回っていた。這いずり回っていた。


 無論、身体はゲームオーバーとなっていった。




・パニックパニックパニック!!


 「母親と銀座の博品館劇場に行きたい」と、突拍子もない事を言ったり、「『手芸部』っていうのがあるから、行ってみたら?」と、支離滅裂なことを言ったりだとか、とにかく、パニックになっていった。なかでも、一番パニックに陥ったのが、自分が言った内容が、ミクシィニュースになっていたことだ。


 2009年のモデルのガラケーをお店に持っていき、


 「これを、英語バージョンにしてください。」


 と言った。


 すると、一通り操作を教えてもらった後、店員さんが、


 「どうして今になって、英語バージョンにしようと思われたのですか?」


 、と聞かれた。


 自分は、


 「10年間で、一番長い時間触っている携帯が、英語バージョンになったら、英語の勉強になるのではないかと思って…。自分には夢があって、将来は筑波大学の院に入って、英語で授業を受けるから、今の内にやっておきたい。人生を100年としたら、25歳の自分は、もう、4分の1も過ごしてしまった。これからは、一分一秒が大事なんです。」


 と、答えると、


 「くわばらさん、4分の3も!あるんですよ!」


 と言われて、ほっと胸をなでおろした内容が、そのまま翌日のダ・ヴィンチニュースに掲載されていた。


 自分はそのころから、「世界中に監視されている」という妄想にとらわれるようになった。






・スタバ大好き青年に昇格


 2014年1月26日、自分は、「You Tube」で、エレ片のコント太郎を聴いていた。放送を聞こうと思った5分前に、携帯が鳴り、起こされ、何となく、パソコンの電源を入れ、You Tubeで聞くことにした。そうすると、また信じられない、放送内容が流れてきた。


やついいちろう「「絶対にやってはいけない行為が、発覚したんですよ!とある人のツイッターを、私たち、監視しておりました。そうしたところ、『これ、ほしいな~』と、パソコンの画面に載っている、我々のグッズのTシャツを無断転載したんですよ!言語道断です!!」」



 そのTシャツを無断転載したのは、紛れもない自分だった。


 「やってはいけない事をやってしまった」と、罪悪感でさいなまれていると、パソコンのメール欄に、驚くべきメールが届いていた。 


 自分が、携帯電話にメモをしていたネタ帳、ネタメールが、すべて自分のパソコンに転送されていたのだ。自分は、ますますわけがわからなくなっていった。


 そこの一文に、


 「これからは、君は、『スタバ大好き青年』と、名乗ってください。」


と書いてあった。


 パニックを通り越して、わけがわからなくなっていった。



そして、僕は、入院生活を始めることになる。




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