大学を卒業して、2年。色々ありました。
激動すぎる2013年をお送りいたしましょう。
目次
・やっとつかんだ、「市役所勤務」
・祖父の死
・ガールフレンドに言われた、夏目漱石の一節
・「もう一度働かないか?」コンビニ先での打診
・Please! 10thイベントを見て、突き動かされた。
・やっぱり限界だった、コンビニバイト
・頭は冷静。身体はダンシング。
・通帳残高〇円の恐怖
・パニックパニックパニック!!
・スタバ大好き青年に昇格
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・やっとつかんだ、「市役所勤務」
職業訓練校修了後、三回ほど、面接で落とされたが、「緊急若年雇用対策」的な名称で、既卒者三年以内で、正社員になった事が無い人を市役所で働かせて、そこから、働きながら、就職活動をするという制度があった。
そこでなんとか拾ってもらい、市役所勤務となった。臨時職員だったが。
この事を祖父に話すと、
「かずや、よくやったな!!」
と、喜んでくれた。
「でも、半年しか勤務できないんだよ。」
と言うと、少し、さびしい顔と理解出来ない。という顔をしながら、
「でも、よかったな!!」
と、言ってくれた。
仕事ももちろん、プライベートも頑張った。人間調子がいい時は、どんどん加速していく。
彼女が出来たのだ。
8時半から、17時15分まで勤務し、その後デート。家に帰ってから、泥のように眠る。という生活をしていた。
しかし、そんな生活も、一か月も続かなかった。
・祖父の死
祖父が轢き殺された。
自宅の前で、お見送りの車に近づいてしまい、車に巻き込まれ、そのまま死んで行ってしまった。
あまりに唐突のことで、涙が出なかった。葬式でも、お通夜でも、火葬場でも泣かなかった。10年前の父親の時と、明らかに違うのだ。
母親たちは、
「あとで、爆発するから、気をつけな。」
と、注意するぐらい、素っ頓狂な顔をしていた。
仕事はより一層辛くなる。
情報誌や書類を分類してくれと言う仕事だったが、自分には、キャパシティオーバーで、ゲームオーバーだった。
次第に、通常の勤務でも、眠気が止まらず、その場で倒れこんでしまった。
ここでも気づきがあった。
上司にミスや怠惰を注意された時、自分は、
「おい!自分!!何やってんだよ!!」
と、上司と一緒に自分をいじめてはいけないという事だ。
上司の命令に従うだけの人生だったら、奴隷にでもなればいい。刃向えと言っているのではない。自分自身を大切にしなさいということだ。自分自身を守れない人は、上司や周りの人を守れない。自分はそう思う。
・ガールフレンドに言われた、夏目漱石の一節
人間調子が悪い時もどんどん加速して行く。
彼女から、
元ガールフレンド「「精神的向上心が無いな~!」」
と、メールで言われた。
これには、深く傷つき、着信拒否、SNSの全てのブロック、迷惑メール設定をした。
それだけ、触れられたくないデリケートな部分だった。精神的向上心しか、自分には持ち合わせてないのだから。
長野県に「おねがい*ティーチャー」の舞台になった長野県に行く途中、道を間違えて、3時間ほど予定より遅くなったとき、一人で3時間ほど、元カノの悪口を言っていた。
ある時は、彼女の働く喫茶店に行き、彼女がレジ打ちをしている時もあった。そこには三年以上通っていて、毎回、「ごちそうさん!」と言って、帰るのだが、元カノがいるとき、それをしなかった。
その当時、今は振られてしまったが、本命の女の子の店員さんがいた。
元カノ、狙っている女の子、自分。と、板ばさみになっていた。これを打破するためには、何をすればいいのか。暗中模索していた。
2013年の12月30日、メルマガが送られてきた。「ビジネスブックマラソン」というメルマガに、このような本が紹介されていた。
ダライ・ラマ14世・「ゆるす言葉」である。中でも印象的だったのは、
「「“ゆるす”という行為は、相手を無罪放免にするわけではなく、自分自身を自由にする行為。」
そうか。許せなかったんだ。元カノの事を。すぐにミクシィのメッセージで謝罪の文章を入れた。
そうすると返信が来た。
元ガールフレンド「「夏目漱石のこころの一節を、人生の指針にしていた時があったんです。それを知ってほしかっただけです。」」
自分は許せなかった相手を許すことが出来た。相手も、許せなかった相手を許すことが出来た(と思いたい)。
その後、彼女の働く喫茶店に行き、「お疲れさまでした!」と、言う事が出来た。
これで、彼氏彼女の関係から、店員といち客の関係に戻ったのだった。
・「もう一度働かないか?」コンビニ先での打診
4月に始めた市役所勤務だったが、祖父の死と過労により、ろれつが回らなくなり、辞職を余儀なくされた。
そんな中、3月まで働いていた、アルバイト先のコンビニから、「もう一度、働かないか?」という打診があった。
しかし、体調の面。ガミガミ言うおばさんの件もあり、いったん保留にしてもらった。
お金はほしいが、働ける自信が自分にはなかったのだ。しかし、またここで、自分の中に、大きな転機が訪れる。
・Please! 10thイベントを見て、突き動かされた。
「Please!」と言うのは、前述の「おねがい*ティーチャー」、と、その続編の「おねがい*ツインズ」というアニメの制作集団である。
2002年に、「おねティ」、2003年に「おねツイ」が発表され、10年以上たった今でも、根強いファンがいる人気作品だ。
その作品のイベントが、2013年8月に、パシフィコ横浜で行われると言う事で、足を運んだ。
サクラ大戦のDVDを、泣く泣くほとんど売り飛ばし、旅費を稼ぎ、いざ横浜へ。
横浜へ行く途中の副都心線で、
「テンションの高い、くわばらかずやは、この世に存在してはいけないのではないか。」と、相当、うつの気が出ていた。
しかし、5,000人を埋め尽くす会場。司会者の金田朋子さんの傍若無人っぷり、井上喜久子さんの優しさ、岩田光央さんの激しいツッコミ、何より、井出監督の、「朋ちゃん、ありがとう」という、一言には、会場のボルテージもMAXになった。
楽曲のコーナーもあり、10年前、中学生でイベントに参加できなかった自分を思い出し、泣きそうになった。もちろん、うれし泣きで。
このイベントを見て、自分は、コンビニのアルバイトを再開しようと決意した。
・やっぱり限界だった、コンビニバイト
しかし、病魔はそんなに甘くはない。
ガミガミ言うおばさんに、ガミガミ言われた。
ちょうど、シフトが変わる、10時前後の事だ。アイスコーヒーの氷の入ったカップを、後ろの冷蔵庫に入れていると、
「3段目と4段目に、敷き詰めちゃだめでしょ!!入れ直して!!」
と、激昂された。
自分は、卒倒した。
その日も体調が悪く、バイトを始めて3時間ほど経った辺りから、立っているのも限界で、やっと帰れると思った時、その罵倒。
後日、店長から、
「とりあえず、頭を支えてくれなかったら、頭ぶつけてるし、何より、支えてくれた人、くわばらくんの頭で口が切れているから、謝ったら?」
と、言われた。
謝る気持ちが無くても、謝れと言われれば、謝る。それが自分のポリシー。
「あの時は、すいませんでした。」
と言うと、腫れものを触るような眼で、避けていった。
その後、自分に注意する時も、
「あ、この人、俺に気を遣ってるな」
と、分かりやすい態度の変化に、辟易としていた。
その間も、絶好調で体調は不調になっていった。
・頭は冷静。身体はダンシング。
ある時、臨界点を超えた。
コンビニのバイトと言うのは、見かけ以上に、精神を使う。
それが、統合失調症の自分にとってみれば、なおさら追い打ちをかける行為だ。自分は、ノックアウト寸前だった。
薬を服用しながら、バイトのレジに立ち、意識が朦朧としながら、シフトを上がった。その後もぐったりとしたまま、体が動かなくなった。
それを見た、店長とオーナーが、大丈夫か?と、心配をしてくれていたが、自分は、
「大丈夫れす。大丈夫れすから。」
と、全然大丈夫ではない状況だったが、帰ろうとした。
喉が異常に乾いたので、オレンジジュースを買い、駐車場に出ると、体が突然、暴れだした。
しかし、いつもと違うのは、
「あ~、暴れているな~。」
と、頭では冷静であった。
メガネがぶっ飛び、持っていた荷物もぶっとび、声を一切出さずに、その場でダンシングをしていた。
車に乗って、帰らなくてはいけない。と思い、車に乗った瞬間に、体が暴れだし、もう限界だなと、そこで改めて気付かされた。
朦朧とする、しかし、体が暴れまわる。頭と体のバランスが、ふっちゃかめっちゃかになっていった。
ろれつが回らないなか、救急車を呼び、自宅に、救急隊員が連絡し、母親が迎えに来た。
自分は、間もなく、コンビニのアルバイトの道も閉ざされてしまった。
・通帳残高〇円の恐怖
通帳残高を〇円にしよう。それから、考えていこう。と思った。今思うと、無謀な出来事だが、それぐらい、追い詰められていた。新婦側(新郎側からではなく)からの結婚式の招待があり、必ず、スピーチを任されると思いこみ必死に練習するようになったり、就職活動を必死にやるようになったり、MOSの資格を取ろうと、電話をかけまくったり、慣れないカメラマンのアルバイトをしたりと、ただですら、キャパシティオーバーなのにもかかわらず、動き回っていた。這いずり回っていた。
無論、身体はゲームオーバーとなっていった。
・パニックパニックパニック!!
「母親と銀座の博品館劇場に行きたい」と、突拍子もない事を言ったり、「『手芸部』っていうのがあるから、行ってみたら?」と、支離滅裂なことを言ったりだとか、とにかく、パニックになっていった。なかでも、一番パニックに陥ったのが、自分が言った内容が、ミクシィニュースになっていたことだ。
2009年のモデルのガラケーをお店に持っていき、
「これを、英語バージョンにしてください。」
と言った。
すると、一通り操作を教えてもらった後、店員さんが、
「どうして今になって、英語バージョンにしようと思われたのですか?」
、と聞かれた。
自分は、
「10年間で、一番長い時間触っている携帯が、英語バージョンになったら、英語の勉強になるのではないかと思って…。自分には夢があって、将来は筑波大学の院に入って、英語で授業を受けるから、今の内にやっておきたい。人生を100年としたら、25歳の自分は、もう、4分の1も過ごしてしまった。これからは、一分一秒が大事なんです。」
と、答えると、
「くわばらさん、4分の3も!あるんですよ!」
と言われて、ほっと胸をなでおろした内容が、そのまま翌日のダ・ヴィンチニュースに掲載されていた。
自分はそのころから、「世界中に監視されている」という妄想にとらわれるようになった。
・スタバ大好き青年に昇格
2014年1月26日、自分は、「You Tube」で、エレ片のコント太郎を聴いていた。放送を聞こうと思った5分前に、携帯が鳴り、起こされ、何となく、パソコンの電源を入れ、You Tubeで聞くことにした。そうすると、また信じられない、放送内容が流れてきた。
やついいちろう「「絶対にやってはいけない行為が、発覚したんですよ!とある人のツイッターを、私たち、監視しておりました。そうしたところ、『これ、ほしいな~』と、パソコンの画面に載っている、我々のグッズのTシャツを無断転載したんですよ!言語道断です!!」」
そのTシャツを無断転載したのは、紛れもない自分だった。
「やってはいけない事をやってしまった」と、罪悪感でさいなまれていると、パソコンのメール欄に、驚くべきメールが届いていた。
自分が、携帯電話にメモをしていたネタ帳、ネタメールが、すべて自分のパソコンに転送されていたのだ。自分は、ますますわけがわからなくなっていった。
そこの一文に、
「これからは、君は、『スタバ大好き青年』と、名乗ってください。」
と書いてあった。
パニックを通り越して、わけがわからなくなっていった。
そして、僕は、入院生活を始めることになる。


