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14/12/20

21歳で金もない。家もない。そんな私にあるのは、、、

Image by Olia Gozha


『もうダメだ。高校も野球もやめる。』







これがそれまでなんでもある程度はできて親に迷惑をかけたことなどほぼなかった私が、


親に迷惑、心配をかけ続ける人生になる始まりだった。



遡ること8年前、


田舎の県内では優秀な進学校の高校に


中高一貫制度が出来た一期生として入学した中学。




勉強はそこそこに先輩がいないことをいいことに自分ら中心で野球に没頭した。


朝も昼も夜もやり続けた。


ふとした時から途中から本気でプロを目指そう!と決意した。



そしてその優秀って言われてる高校にエスカレーター式に上がるのを蹴って


県外のスカウトを頂いた高校に進学を決めた。


学校の先生からは「バカみたいに夢を持つのは小学生までにして、現実を見なさい。」


部員からは「一緒に高校で甲子園目指そう。」


と言われたが全て無視した。


どうしてももっと上の世界に行きたかったんです。



本気で甲子園に出てプロになると興奮気味に高校へ進学したが


たった3ヶ月で最初の結末に。。。笑




色んなことが重なったといえ情けなかった。

俺の本気って、、、と思った。


そんな私に親はただ一言







「ご苦労様。いつでも帰っておいで。」






泣いた



泣いたんですよね。。。


その時初めて親の偉大さを実感した。


ずっと私の野球を応援してくれた。


高校選びも一緒に毎日考えてくれた。


止めようとした先生に一緒に話に行ってくれた。


誰よりも私の野球を応援して、期待してくれてたのに、、、



その期待を裏切った息子にそんな一言が言えるなんて。


それまで自分だけの人生だと思ってたけど、違うんだと実感した。


どうにか必ず恩返しをしよう。


胸張って自慢できる息子になろう。



そう。大人になったら。。。なんて考えた。




入学からたった3ヶ月で実家に戻り、


親への恩返しも大人になってからと甘えて、


電車で一時間以上かかる高校に転校してからの高校時代はくずだった。


単車に乗って毎晩田舎の街を走り回ったり、


意味もなく夜通しコンビニの前や駅に溜まったり、


毎日毎日寝る間も惜しんで遊びまくった。


何度か逮捕の危機もあった。笑



本当にくずだった。。。


恩返しどころか心配と迷惑ばかりかけた。


そんなこんなでなんにも考えず高校を卒業して、


東京の大学へと進学した。



そう私の人生、考えを変えていく東京に、


大学を


『人生最後の遊び場、就職するための通過点』


とだけ考えて。



ただ最初大学に入ってからの私は燃える物がなにもなかった。


講義も遊びも刺激がない。友人とも話が合わない。


バイトがそこそこ楽しかった程度だ。





そんな私に燃える物を与えてくれたある男がいた。




当時学生最大となるイベントを主催していた男だ。


年は私より2つ上でイケメン。


タワーマンションに住んでて会社も経営してると言う。


当時の私からしたら化け物かと思った。




そんな男との出会いは、、、




その例のイベントを大学内で知って、


バイト先の人とかと居酒屋で飲んでる時


「こんなイベントがあるって、


東京って凄いですね〜」的な話しをして帰った。



その夜何気なくTwitter見てたら


そのある男の



”今日、居酒屋で飲んでたら、


俺らのやるイベントの話してる人たちいて、テンション上がったわ〜”



という記事がリツイートで流れて来てるのを見つけて、居酒屋の場所も一緒だったし


絶対これは俺らのことだ!!と思い、東京こわいなって思いながらも


速攻でメッセージを送って、


次の日会うことになったんです。笑




そして会って速攻、


「ここまで行動とかできるんだし、


刺激なくて、暇なら


起業とかイベント団体とか自分で立ち上げちゃいなよ!」


って言われ、そんなこと考えたこともなかった私は仰天と同時に


この男に魅了された。


それから、彼と一時期だけだが行動を共にした。



その期間、色んなイベントに連れてってもらい、


彼の凄さ、周囲からの信頼、尊敬を感じ、


なによりも成功、成り上がりへの貪欲さを感じた。



そして、先ほどの最大のイベントに関しては、


なぜか準備とかなにも携わってないのに


前日の夜中、急に


「スタッフ枠とってるから明日朝から来てね〜」


と電話が来て、まさかの初スタッフで大きいイベントに携われた。



そのイベントには衝撃を受けた。


人の多さ、芸能人、光景、楽しさ、感動。


なにより同年代の人たちでここまでのイベントが企画できるのに刺激をうけた。



イベントが終わった数日後、またその男の元に会いに行くと


「さぁ、あとは

もう自分で団体立ち上げてやってみな。」


と言われ、迷いはなかった。


速攻で動いた。


東京にはほとんど知り合いすらいなかったので


大学の友達や色んなイベントに遊びに行ってこの人!と思った人に声をかけまくり、


1、2ヶ月で約20人の人が集まってくれた。


やればできるもんだな〜とか思って


1stイベントを300人規模くらいでやろうと思い、挑戦。


あえなく100人という、惨敗。


しかし、来てくれた人を楽しませる。これだけは徹底した。


赤字関係なく、シャンパン、テキーラを出し続け、


DJ、スタッフにも頑張ってもらったおかげで


お客様には楽しかった。と言ってもらえた。


けど私は本気で悔しかった。


メンバーと解散した後、涙は止まらなかった。


絶対次こそは。。。





その後スタッフとMTGなどを重ねたり、


集客を手伝ってくれる人がいたり、


別の団体と協力してイベントやったりと、


本当に周りの人に支えられイベントは小さいながらも徐々に、

成功と呼べるような状態になっていった!


そして1年半のイベント人生、1年間の代表人生、最後のイベントでは


集客や声かけはほとんどなく250人のお客様が来てくれて、


色んな人達が私たちのラストを祝ってくれた。


最高の時間を過ごせた。幸せだった。





ある男との出会い



イベントを通しての


経験は私の人生に大きな影響を与えた。






そしてイベントを引退した後、


私は友人と3人で起業することになった。


完全にノリだ。


面白くなるだろうし、良い経験になるだろう。


程度の考えだった。


結果、、






経営の難しさと自分の甘さを実感した。




飲食店と自社ブランドの会社だったが、


お店は?


お酒って?


売り上げの作り方は?


お客様の楽しませ方は?


事業計画は?


売り上げ推移は?


まず会社立ち上げるのに必要な定款、約款って?


ブランドの製品のお金はどこから?


なんにもわからない。。



問題と常に戦っていた。


そして、その問題を抱えながら、色んな人と会うようにした。



なにも出来ない、わからない自分が嫌だった。


もっともっと自分を高めたい。成長したいという欲が強くなった。


最低でも月に100人と会うと決めて、実際に会い続けた。


そのおかげで色んな人と考え、価値観、経験を共有できた。


そして、、、




会社をやめて次のステップへと進む決断をした。笑


たった1年弱の会社経営。


しかし甘さ、実力のなさ、知識の乏しさ、覚悟のなさを実感するには十分だった。






そして次のステップに進もうと思ってる私に残ってるのは


中々の借金とちょっと家賃が高い家。笑


ただそんなことより、自分がもっともっと成長したいと強く思った。




そして多くの人会う中で、魅力的な人、凄いと思う人ってどんな人?


ということを考えてた。




自分の中では、


人として素晴らしい。


人としてかっこいい。


覚悟を決めてる人。

夢がある人。

まっすぐな人。


熱く本音で話せる人。

人を怒れる人。

自分に厳しい人。

だと思った。


そして、絶対にそのような人には信頼できる仲間、パートナーがいるということを知った。


自分の仲間?パートナー?って考えた時にこの人!って人は出てこなかった。



そして気付いたんだ。




俺って心から本気で人と接してない。


周りの目を気にしてる。


人に優しさのあるきついことが言えない。


覚悟が足りない。


熱くなれる夢がない。


なにより。。。






自分に甘いんだ。。。



そんな自分が悔しかった。なにやってんだと思った。


親にもずっと心配かけてる。


恩返しなんてなにもしてやれてない。





その後私は東京で運にも恵まれ、


業界No. 1の方、


上場企業で営業トップをとった方などに教わりながら


同年代で自己成長、成功を本気で追いかけてる方々と共に


厳しい環境の中で新しいことに取り組み、学び、経験した。


そして、それを活かし、


つい2ヶ月ほど前から


地元九州に戻りビジネス展開することを

決めて即行動した。








そして今の私は、、、




家もなく、金もなく、


あるのは、夢と希望と


人一倍の自信と


本気で人生を

よくしようとしている仲間たちだけで


一つの物事に取り組んでいる。


プライド、過去、全て捨てて取り組むと決断した。


親への恩返しも親が若いうちにする。


情報を取りに行くためにヒッチハイクで東京までも行った。


そしてメンバーが本気でやるならその誰よりも本気で取り組む。


それこそ私が坂本康平という一人の男としての生き方にしよう。



私はこれからも、

まだ見ぬ人、仲間、パートナーとの出会いを求め続ける。


そして、

明るい未来へと歩みを止めない。


今日も明日もこれからもずっと。。。

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