「26歳、職ナシ、彼女ナシ、実家暮らし男子が、とりあえず、統合失調症になってみた。」
から、
「とりあえず、統合失調症患者になった自分が語る、26歳の人生。」
に、変化してみました!
大学3年生・大学4年生の時のお話し(パチパチパチ~)
目次
大学三年生
・新入生歓迎公演
・忍び寄る「シューショクカツドウ」
・インターンシップDIE(ダイ)エット
・大学生活の「LAST SHOW」
大学三年生
・新入生歓迎公演
鴻上尚史(こうかみ・しょうじ)作の、「恋愛戯曲」という戯曲を、新入生歓迎会で行う事になった。
自分の大学の演劇研究会は、特定の演出家がいるわけではなく、「演劇の主宰をやりたい!」と手をあげて、人を集める、プロデュース公演の形を取っている。
新入生歓迎公演の主宰者は、ハッキリ言って、リーダーシップが無かった。遅刻はするし、演出で何を言われているのかわからないし、何より、演劇研究会内外からも煙たがられていた。
本来、去年、新入生歓迎会の主宰をしたいと言った彼女だったのだが、先輩の重圧に押され、その夢が叶わなかった。そして、今年度になり、自らが重圧となり、周囲の白い目を気にすることなく、主宰者・演出の座に居座った。
しかし、もう一度言う。
彼女に、リーダーシップのかけらもない。
遅刻をしても謝らない彼女に、自分はブチギレた。
騒ぐといけないと思い、実家の軽トラックに乗り、電話をした。
自分は相当強く当たった。
「そんなことなら、舞台降りるよ!!」
「なんで、遅刻しても謝らないわけ?トップに立つ人間として、考えられないよ!」
彼女は泣きながら、申し訳ないと言い、それでも、
「「くわばらを劇に出したい」」
と、熱く語ってくれた。
ミラッキさんにこの事を話すと、
ミラッキさん「「一度、こっちに電話相談してから、彼女に電話した方がよかったね」」
と、言われた。
実家から、東京の部屋に戻り、いよいよ稽古場。
最近、仕事先で出会った言葉だが、
「PNP」、ポジティブ(P)、ネガティブ(N)、ポジティブ(P)。と、演出をしなければいけない。
演出家が必要な要素だと、勝手に思っているのだが、役者が演技をしたら、「ポジティブ」。良い点をあげて、「ネガティブ」、でも、こうしたらいいかもね。「ポジティブ」、でも、大きな声が出てよかったよ。
と、言う風に演劇は作り上げられるのではないか。と、演出を中学生以来やっていないので、分からないが、何となく、そう感じている。
一方彼女は、そんな事は、言わない。言わないのでない。言えないのである。言わないと言う遠慮というのが嫌だった。
記憶にないが、その場にいたたまれなくなって、部室に戻った。たぶん、ブチギレたんだと思う。
部室に戻ると、バーベキューをしていた。
「どうした?」
と言うと、
「いや………。」
と言い返すと、
「ま、いろいろあるよな。肉食え!」
演劇研究会は、厳しくも優しい部室である。
結果的に、役者の先輩が、役者兼演出をすることになり、無事に舞台は成功した。
本番二日前に、自分の最後のセリフが、どの台本(恋愛戯曲が入れ子構造になっており、誰が書いた台本なのか、ふっちゃかめっちゃかになっている)なのか分かったり、自分がミラッキさんのネットラジオに出演した回を、音響で流したりと、いろいろ楽しかった。
ミラッキさんも、ひまわりを届けてくれたり、舞台は大成功した。
しかし、本当の舞台の成功と言うのは、「打ち上げ」まで、気を抜いてはいけない。
千秋楽の日、自分が主演の女優に自分の思いを告げるシーンで、照明の女の子に提案され、
照明の女の子「「あの部分、くわばらさんだけのピンスポットにしましょうよ!」」
と言われた。
自分は快諾し、自分にピンスポットが浴びた、千秋楽だった。
それにブチギレたのが、主演の女の子だった。
「私にとっては、最後の舞台なの!何勝手にやってるの!」
「殴りたいなら、殴れば?その勇気もないくせに。」
高校時代のトラウマがよみがえる。
自分は奇声をあげながら、グラウンドを200メートル走りぬけた。
涙を流しながら、
「ごめんなさい~ごめんなさい~。」
と、ティッシュ箱一箱全て使い切るほど泣いていた。泣き叫んでいた。
自分のせいで、打ち上げがめちゃくちゃになってしまった。
繰り返して言うが、「統合失調症」と言うのは、「良い人」がなってしまう病気だ。言い変えてしまえば、「都合が」良い人がなってしまう。自分で抱え込んでしまう病気なのだ。
自分にブチギレた主演の女の子は、悠長にお酒を飲んでいたらしい。
自分は、部屋に帰って行った。
でも、その打ち上げも、悪い事ばかりではない。自分は、あるメールを一通送っていた。
「主催者様へ。
最初は、この舞台、降りようかと思った。
でも、あきらめなくてよかったよ。
最高の舞台、ありがとう。
貴重な経験が出来た。
またな。」
このメールを見た主宰の女の子が、酔っ払いながら、
「くわばらありがと~。」
と、腰を抱き締めだした。
自分は素直になれなくて、
くわばら「「酒臭ぇ!飲みすぎだわ!!離れろ離れろ!」」
本当は、離れてほしくなかった。
自分は、「劇作家・エッセイスト・パフォーマー」という肩書きを名乗っている。
演劇ボランティア部でも同様、演劇と言うのは、舞台を降りてからが、スタートなのである。
自分がどのような劇作家、パフォーマー(役者)になるのか、本当に楽しみである。とりあえず、一番最初に稽古場に来る、遅刻をしない演出家になろうと思った。それが、夢実現の第一歩だと思った。酒臭い人のにおいをかぐと、彼女の事を思い出す。
ちょっと、言いすぎてごめんな。俺、あんた以上の演出目指すわ。
・忍び寄る「シューショクカツドウ」
今になってみると、なぜ、シューショクカツドウを大学三年生から始めなくてはいけないのか、甚だ疑問がある。
時期が早いとか遅いとかの問題ではない。
「シューショクカツドウ」と言うもの自体、やる意義があるのか。今の自分にはわからないからだ。
当時の自分からは、考えられないような発言をしている。
そこを自覚しながら、当時の自分を振り返ってみる事にする。
大学二年生までに、必要な単位を取っておいて、大学三年生と四年生は、卒論とシューカツに充てなければならない。それ以外のルートを考えることが出来なかった。
東京に住みたかったために、東京で就職しなければ、生きる意味、生きる道が無いという極端なところまで、意識は向いていた。
藍はなみさんという、知り合いがいる。彼女の書いた「シュークリームとカツ丼」という短いエッセイを、ネット上で見たことがある。
今のシューカツは、自分が体験しあシューカツよりも、さらに、より一層激化しているんだと思う。
千田琢哉の言葉を借りると、「シューカツ」としなくてはいけない。という、光の当て方を、99%の人はする。残り1%の、違う光の当て方をする人が、成功、幸せを勝ち取る。と、述べている。
これは、自分なりの解釈だが、
「人と逸脱して、ナンボ」
なのだと思う。
自分がもし、統合失調症に罹っていなかったら?そう思う。罹っていなくても、同じ結論に至ると思う。
「人と逸脱したコースを歩く道が、成功コース」
だから、この本は、シューカツ本ではないが、シューカツに失敗して、自殺を図ろうとする人に、読んでもらいたい。
死なないよ。七次面接で落ちても。人間失格・太宰治じゃないんです。あなたは。精一杯生きているんです。だから、シューカツなんて、カタカナ表記にしてやってます。それぐらい軽く考えてください。
それよりも、シューカツがしんどくてしんどくて、逃げ出したいんです。いいじゃないですか。逃げてください。山田かまちの詩のように、逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて、逃げた先に見えるものが、絶対見えてきます。
自分が思うのは、嫌なことから逃げると言うのは、ネガティブな印象を受けますが、「A地点」から、「B地点」に移動しているだけである。振り子のように、行ったり来たりしているだけである。と言う事を知って頂きたい。
絶対に、シューカツで死なないでください。
そして、シューカツを頑張っている人たち。死なないでください。自分で自分を殺さないでください。お願いします。過去の自分にも、そう、問いかけています。
・インターンシップDIE(ダイ)エット
インターンシップと言うものを経験した。自分は、「営業」には向いていない事が、痛いほどよくわかった。
そこは、IT系の会社で、美容院にクーポンサイトを売り込むというインターンシップだ。
自分は、一ヶ月間のインターンシップで、四日目で行くことを放棄した。
断られると、人格を否定されている。そう思い込んでしまう性格で、なにより、ただ、
「なんとなく」
仕事に打ち込む人は、幸せにはなれない。なにより、自分がそうだったからだ。
今の仕事(仕事はドクターストップされているので、同人と言っておいた方がいいか)は、「なんとなく」、やらされている感覚はない。自分の幸せは、与えられるものではなく、与えるものなのだ。
自分は、インターンシップを行い、四日間で、体重が四キロ痩せた。
ほほがこけていき、自分は、そのインターンシップを去っていった。
・大学生活の「LAST SHOW」
演研の先輩「「この役、くわばらにしか出来ないんだ。」」
強く勧められた、舞台出演。舞台のタイトルが、「LAST SHOW」なので、有終の美を飾ろうと考えた。
主宰者は、自分と同じ誕生日で、自分よりまるまる一年後輩で、しかし、演劇研究会に入ったのが、一年先輩。というややこしい人だった。ちなみに、恋愛戯曲のときに、自分を慰めてくれたのが、この先輩(後輩?)だった。
「くわばら、敬語辞めてよ~」
と、何度も言われたが、卒業するまで、敬語が抜けなかった。
その人が、「新人だけで、演劇を行いたい」と言う意思の元、先輩、四年生を頼らずに、演劇製作を進めていた。
それを気に食わない先輩もいた。
嫌な先輩「「お前なんて、この演劇、不完全燃焼だろ」」
と、打ち上げの席でクドクドと言い始め、自分はキレて部屋に帰った。
何事も、有終の美を飾る、最後の最後。これが一番大事なのである。
役者の中でも、いがみ合いがあった。
「家族と食事に行くので、稽古に出れません」
と、平気で言う、主役級の役者。
「自分、この役をやりたくてやったんじゃないんですよね~」
と、口走る、主役級の役者。
自分は、
「やりたくても、やれない人がいるのに、そのような発言は許せない」
と、口走り、走り、絶叫した。
主宰者の男の人が、なだめてくれた。二度目だ。
主役の後輩「「僕を、殴ってください!」」
くわばら「「そういうことじゃねえんだよ!!!」」
怒りのボルテージが、MAXになっていった。
なんとか、冷静さを取り戻し、部屋に帰った。
ピンスポットが原因でいざこざがあった、恋愛戯曲の主演女優に電話をした。
「本当に、あの時、勝手なことやってごめんな。」
人は、自分にやられた経験が無いと、実感がわかないものだ。と、同時に、人は、いざこざが無い限り、「ただの人」になってしまう。当たり障りのない人間関係なんて、自分には興味が無い。
その分、傷つくし、情緒不安定になる。でも、千田琢哉が述べているように、こう言った、人と人との繋がり合いのアナログ化のために、デジタル化が進んでいる。と。
ぶつかり合う事に、おびえないでほしい。本当の意味での、「ぶつかり稽古」を重ねてきた自分が言う。折衝は仕方が無い。殺生まで行ってはいけないが。
・追記 その「やりたくてやったんじゃない」と発言した役者と、小田急の町田駅で偶然に出会った。卒業する前の出来事だった。自分は即座に、「あの時は、言い過ぎてごめんな。」と、わびの言葉を入れた。その男子生徒も困った顔をしていたが、これで、お互いいがみ合いなしと信じたい。何度も書き記すが、人生は、「謝ったもん」勝ちの、「キレたもん」負けのしくみになっている。


