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14/12/10

僕の人生と蒙古タンメン中本

Image by Olia Gozha

あれは僕が中学1年になった頃だったと思う。当時は練馬区に住んでいたのだが、家の近所の人気の無い場所に、突如真っ赤な外見のラーメン屋が出来た。しかも出来たばかりにも関わらず凄い行列が出来ていて、一体どんなラーメン屋なのか当然興味が湧いた。


ついにある日家族でそのラーメン屋に入ってみる事にした。行列の末、店内に入り、現れたメニューにあるのはどれも聞いた事の無い名前のラーメンばかり。蒙古?樺太?全く味が想像つかない。とにかく看板メニューの蒙古タンメンを食べてみる事にした。


しばらく待って現れたラーメンを見て仰天した。今まで見た事もないくらい真っ赤だったからだ。


恐る恐る一口食べてみる。

かなり辛いがなんとか行けそうだ。

しかししばらくすると我慢できなくなってきた。


大量の汗をかきながら、なんとか間食。胃がとても熱くなってしまったので、なんとか落ち着かせられないかと隣のファミリーマートに駆け込み、アイスクリームを購入。

アイスクリームを食べながら、あんな辛いラーメンはもう二度と食べられないとその時は思った。


それが蒙古タンメン中本との出会いだった。


その時はそう思ったにも関わらず、しばらく経ったらなぜだかまた食べたくなってしまった。そしてそれを繰り返すうちにいつの間にか定期的に通うようになっていた。コレが中毒というやつだと学んだ。


友達がうちに遊びに来たら、必ず皆で中本を食べに行った。滝のように汗を流すやつ、平然な顔でうまいうまいと食べるやつ、反応が人それぞれで面白かった。


しかし高校に入学したときに引っ越す事になり、今までの様な頻度で行けなくなってしまった。なにせ板橋の店舗は本当に周りに何も無いし駅からも遠いので非常に行きづらいのだ。


それでも何かあるときにはたまに行っていたが、しばらくすると池袋に店舗が出来た。この時は本当に嬉しかった。


池袋に店舗が出来てからは、休みの日に行ったり、部活の試合で遠征した帰りに皆を連れて食べに行ったりもした。


この池袋の店舗で、高校生の時に友達と初めて冷やし味噌(一番辛いメニュー)を食べた。しかしその後二人とも二日間腹が痛く、どうなってしまうのかと若干心配した。


このとき初めて冷やし味噌を食べたが、まだ北極ラーメンには挑戦していなかった。自分の中では北極ラーメンこそが中本の頂点であり、神聖な存在であったので、中途半端な実力では挑戦できないと思っていた。


その当時、中本に通う事はRPGでレベル上げをする感覚に近かった。中本のメニューにはそれぞれのレベルが設定されており、それぞれの美味しさがある。普通の激辛メニューだったら、辛さのレベルが違うだけだろうが、中本だとメニューが違うから味そのものが違うのだ。自分が食べれる辛さの限界値が上がると、見える世界が広がり、それが楽しかった。


その後新宿にも店舗ができ、さらに行きやすくなったが、目黒、さらに自分の学校がある吉祥寺にもできた。吉祥寺店が出来たのは高校卒業か大学に入学した頃だったと思う。


そして大学1年の時に、満を持して吉祥寺店で北極ラーメンに挑戦し間食した。中本との出会いから実に5、6年経過していただろうか、ついに頂に上り詰めた実感があった。


それからも通い続け、社会人になってからは「中本部」なるものを結成し通い詰めたりもした。一日二食中本だったり、週に3、4回行く事も多かった。


今は無き高円寺店が開店した時は、僕が限定メニューを食べている姿がTV放映されたこともあった。また自分の作ったプログラムをArctic(北極ラーメンの意)と名付けたりもした。


とにかく自分の人生の半分以上は中本と共にあった。エピソードを語りだすときりがないくらいだ。しかし今年の4月にシンガポールに移住して、もう8ヶ月程お店では食べていない。(カップラーメンは食べた)


お店に行く事が出来ない状態で、これからどう中本と関わって行くのかまだ分からないが、もしかしたら自作の道を極めて行く事になるのかもしれない。(何度か作ってる)

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