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14/12/13

アメリカの大学を辞め、20歳の青年がたった4万円で東京にやって来て、どん底から這い上がっていく話

Image by Olia Gozha

氣が付くと、目の前のドアの板が壊れてる。


胸が不安と悲しみで押し潰されそうだ。




やっぱりそうだったか。。。


その言葉と同時に我に返っていく自分がいる。





心の声が言う。



「後悔のない生き方は?」





人なんてのは、本当にいつ死ぬか分からない生き物だ。




自分の心には嘘をつけない。





「大学辞めて東京に行こう」





ものすごい早い決断だった。



正直、


勇気はいった。




本当は、


不安で押し潰されそうだった。




けど、


全く迷いはなかった。




それよりも大事なものが自分の目の前にはあったから。



人は守るべきものがある時、強くなれる。





アメリカに来て3年。



人生の運命というか、流れというか、決断というか、


すべてがそこに集約されていた。




そう、


まるでシンクロのように。





やるべきことは分かっていた。



だから、不思議と違和感はなかった。




状況がそういうふうに作用してたし、


直感で少し前から分かっていたのかもしれない。





しかし、


この決断と同時に、


これは新しい出発と別れを意味していた。







なぜこういうふうになったのかというと、


それは2012年8月まで遡らないといけない。





その頃、俺は初めての起業を詐欺というもので潰され、


日本に1度帰国しようと決めた時だった。




小学校3年生から始めたバスケ。


バスケの本場、アメリカ。




バスケ馬鹿だった俺は夢を追う為にアメリカへ。



そこに行くまでにも色んなストーリーはあったが、今回は長くなるので控えておこう。




19歳の冬、


ついに11年間追い続けたバスケの夢を諦めた。




と同時に、


生きてる意味が分からなくなってしまった。



なぜ、今ここにいるのかも。




目的がないと生きていけない自分にとって、


これは本当に辛かった。




そこに追い打ちをかけるように、


お金が全くない。




ひまわりの種が主食になってた。



極貧時代。




19歳の時はお金もないし、夢もないし、なんで生きてるかも分からないしで、


色んな意味で、1番どん底。






なんでこんな辛い想いをしてまで、こんなところにいないといけないんだろう?


と何度思ったことか。





かなり、キツかった。





そして、俺は日本へ逃げ出してきた。



そう、逃げ出してきたんだ。




休暇をとって、日本に一時帰国。



それが2012年の9月。





日本に帰ってきてからは、



なんとなく生きてた。




けど、


生きてる心地はしなかった。




今まで、あれだけ燃えてきた夢がなくなったのだ。


自分の想いをどこにぶつけて良いのか分からない。


何をやりたいのかも分からない。




自分の人生がわからなくなった時だった。




「何しよっかな」








とりあえず、俳優目指してみよっかな、面白そうだし。






「とりあえず」







それでオーディションで東京行くことになった。





初東京。


オーディションを受け、何人か知り合いがいたから、Facebookで連絡をとって、その人達に久しぶりに会うことになった。




その内の1人に、カズさんがいた。



池袋で待ち合わせ。



池袋、、、よくわかんねえな。






カズさん「おー!りょうま!!」




あ、カズさんだ!




「お久しぶりです!」

カズさん「久しぶり!」






と言っても、まともに話すのは初めて。




ランチに行った。




若鶏のドンブリを食べながら、語り合う。


というか、ずっと質問されてた氣がする。




「アメリカの生活はどんな感じ?」


「バスケは?」


「仕事はしてるの?」


「これからのヴィジョンは?」




何一つとして、自信を持って答えれない。


俺は常に自分を守る為の言い訳を考えては答えていた。




そして、それらの答えをすべて聞き終わった後、


カズさんが言った。





カズさん「良磨は、いまできないことに目が向いている。じゃなくて、できることに目を向けないといけないんだよ!」






まさしくその通りだった。


その当時の自分は氣づいてなかったけど、まったくそんな感じだった。






その後に、カズさんは孫正義さんの話をしてくださった。




孫さんもアメリカに留学してたこと。


孫さんの場合は、俺よりもずっと大変な状態で留学したこと。


父が倒れ、泣いて止める母を後ろにアメリカに向かった。


学費も、生活費も、家賃も、すべて自分で払わなければならない。




バイトじゃムリだ。。。




だから、






発明し始めた。








1日必ず何かと何かを合わせて、新しいものを創るということを必ずやった。



投資家にもガンガン逢いに行き、自分が成功した暁にはこれだけの報酬を与えるから、自分に投資してほしいと情熱を伝えた。








そして、その中の1つが当たった。。。






それが、電子辞書なのだ。








カズさんは続けた。




カズさん「これはね、良磨と年齢が変わらない頃にやったんだよ。」

(俺は当時20歳)


「へえ〜、そうなんだ。。。!」





しかし、カズさんはこの後、


俺の生涯、一生残ってあるであろう、


人生を変える言葉をスラッと、、、





言った。








「孫さんにもできたんだ。。。」









「良磨にもできるよ!!!」










「。。。。。。。!!!!!!!!!」







ドカーンッと、


頭から稲妻が落ちてきたような衝撃。









孫さんにもできたから、俺にもできる?



孫さんだからできたわけじゃなくて?







しかし、


カズさんのその言葉からは嘘を感じなかった。




どうやら本気で言ってくれてるようだ。









まあ、嘘か本当かなんてどちらでもいい。








1番重要なのは




その稲妻と共に、


自分の心に何か、忘れていた何かが灯ったこと。







心臓がバクバク鳴っている。



俺、そんな生き方していいんだ。

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