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12/12/14

棒高跳

Image by Olia Gozha

学生の頃の私は、生粋のスポーツ少女でした。小学生の間は水泳、ミニバス、長距離走。中学生から高校生の間は陸上競技。そして大学生ではラクロス。

その中で一番大好きだった競技、それが棒高跳びでした。

出会い

中学2年生の頃、ある先生が私の中学校に転任してきました。彼は体育教師で、いつも長髪を後ろに束ね、外ではサングラス。そんな一見変わっている彼が、陸上部のもう一人の顧問になったのです。とても厳しく、しかし芯がブレる事のない、思いやりのある人でした。顧問になってまもないある日、長い棒をたくさん担いでグラウンドにやってきました。そして、グラウンドにピットを作り始め、全員に棒高跳を教えるというのです。

まずは、フォームをほうきを使って私達に覚えさせ、低いバーとマット、ボックス(棒をたてるところ)を使って徐々に実践へ移っていきました。私はそれまで長距離の専門で、何かを使って競技するなど考えてもみませんでしたが、始めてすぐに気に入り、棒高跳を専門にすることに決めました。

そして、すっかり棒高跳の魅力に取り憑かれた私は、高校は絶対に棒高跳が出来る環境のある学校と決めていました。

高校時代

私が入学した高校の陸上部には、私が中学生の頃に憧れていた選手がおり、また、棒高跳びをする環境もしっかり整っていました。高校の顧問は、陸上競技にとても情熱を持っていた人で、日々のトレーニングメニューに加え、食生活や生活の習慣、徹底したウォーミングアップ、クーリングダウン、マッサージなどの様々な面から私達に自己管理方法を教えてくれました。

しかし、高校1年生の頃の私は、全く記録が伸びず、顧問や他のチームメイトについていく事で精一杯でした。

 

走り込みやウエイト、鉄棒でのフォーム練習、毎日の精神状態や練習メニューを書き込んだノート、それらがしっかりと習慣になるまでは時間がかかりました。そして、高校2年生でやっと自分の管理が出来るようになり、自己最高記録を出す事が出来たのです。

棒高跳とは…

棒高跳という競技は、精神面、肉体面で自分いかにコントロールできるかが勝負です。助走、踏切、スイング、全てのタイミングが合わなければ、バーを超える事はできないのです。また、ストレッチを一緒にしたり、フォームの確認をし合ったり、何度も改善すべき所をビデオで指摘し合った仲間の存在もなくてはならないものでした。

女子高生ならぬ真っ黒に焼けた肌、手に出来たマメ、何度もマメが潰れてテープでぐるぐる巻きにしていた手…。

自分をマネージメントする大切さ、仲間と助け合う大切さ。

本当に大切な事をたくさん学び、かけがえのない仲間に出会えたと思っています。

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