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14/12/2

赤線の想い

Image by Olia Gozha

H24.10.01〜

過去1年3ヶ月にわたり東日本大震災の被災地である岩手県大槌町で仮設住宅・在宅被災世帯において、ボランティアにより継続された各戸訪問をして得たケース記録。訪問回数は延べ1万8000回。膨大で大変貴重なデータを現在分析しているのですが、その作業もいよいよ大詰め。


そのなかで、"過ぎたコト"に目を向け、思い返す時間がある。震災が発生し、わずか1年7ヶ月という期間。過ぎた時間には数えきれないほどの物語その多くが、忘れ去られないようにしたくそして、今も生きてほしい。


震災当初というのは記録するモノが無ければ、その余裕も無かったために官製ハガキを利用してニーズを記録していました。処理が済めば、官製ハガキ上部に"赤線"を引いて終了。そうやってひとつひとつ、消化していきます



このハガキは、80代女性とボランティアのたった2ヶ月の記録。被災し、仮設住宅にて独居生活。周囲に知人はおらず、隣接している仮設団地に親族はいるものの、不和となり気にかけてくれるかたはありませんでした。震災から6ヶ月が経過した、H23.09月15日。ボランティアによる訪問時、体調不良であると訴え直ちに救急搬送され、入院。その2日後の、H23.09月17日に永眠されました。救急搬送の3日前、ダイニングテーブルを買いに行く、希望日時を伺うために訪問しました。

80代女性 ダイニングテーブルが欲しいの、一緒に買いに行ってくれないかな。腰の高さのテーブルがあれば室内で歩くときに支えになるから楽になると思うんだよね。


真新しい仮設住宅に置かれるテーブルを思い描き、内面から自然に湧き出た笑み。被災地支援のなかで、彼女が亡くなったあの日以来、涙したことはありません


よく、被災地において活動する支援団体のなかでは「視野が狭くなっているのでは」という会話を耳にします。私もそれを恐れているため、現場での活動から離れる時間を作ります。しかし、時としてそれを恐れるが故に本質を忘失し、視野を広げているはずが他のものに捉われ、気づかぬ間に閑却している、そのようなことが起こり得るのでは。 むしろすでに起こっているのではないか。そう感じることがあります。本質、原点がそこであると分かっていても何を見いだし、感得したのか、みなが素人で人間。それでも官製ハガキに"赤線"を引いたその想いを忘れたくないものです。

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