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14/11/7

人生の主役に

Image by Olia Gozha

人生で主役になるということは?


 誰しも、自分が主役になりたいと思うものだろう。もちろん、主役になれば人目に付くし責任も付きまとう。それが嫌で、主役なんてなりたくない、とおっしゃるのもよくわかる。しかしである、責任などの煩わしさがなければ、人生の主役というのは、非常に美酒、そうなのである。

 しかし、そんな都合のいいことがあるのだろうか?


 それがあるのである。

 釣りだ。


 意味が分からない? そうかもしれない。釣りをやらない人にとっては、ぜんぜん、ぜんぜん、どうでもいいことである。それを承知で、僕は書きたくてしょうがないから、釣りのことを書く。

 釣りが好きな人というのは、とにかく、釣りに行く前は、

「今日は、今までで一番でかいのが釣れる気がする」

「なにがなんでも100尾は釣れるだろう」

 などと、これまでの実績はともかくとして、非常に前向きであり、それを雄弁に友に語る。聴かされる仲間はいい迷惑だが、あまり罪のない話なので、適当に聞き流してくれる。

 もう、この時点で、釣り人は主役になっている。戦い前夜なの、すでに勝ち戦の武将なのである。

 いいではないか、語らせてやろう、そして彼は家族や友人、ご近所に美味い魚を持って帰って来る気まんまんなのである。

 ところが、同じ会話が釣り人同士であると、ちょっと話が変わってくる。それぞれの武勇伝が始まり、釣り理論が展開され、今日こそは俺様が一番になるのだと、心の中に誓う。相手がどんなにすごい武勇伝や釣法を披露しようとも、俺様の釣り方が一番なのである。たとえ相手が自分の釣りの師匠であろうともだ。


釣り当日


 そして釣りの当日となるのである。もう、移動中から勝ち戦である。釣り場の見るまでは、釣り人の強気は高まるばかりで、晴天なら神が味方したと思い、雲が出れば日が当たりすぎぬ方が釣りやすいと思い、雨模様でもこんな日は釣れるんだと思うのだ。そう、どうでも釣れるのだ。


 いざ、勝負!


 一人で釣っても、仲間と一緒でも、釣りは、いざ勝負、なのである。周りにだれ一人居なければ、この場所の魚は全部俺が釣ってやると意気込むし、周りに人がいれば、誰よりも釣ってやる、と思う。いや、周りに人がいる方が気合いが入る。

 そして、誰かの竿がしなり、魚を寄せるような音がしようものなら、皆、そちらをちらりと見る。先を越された、くそ、と思いつつ、それは小さな雑魚であってくれ、この場の一番の魚は俺様のものなのだ、と心で叫んでしまう。

 ところが、自分の竿に魚がくれば、おりゃ! ヒット、フィッシュ! とりゃぁ、とばかり、いやいや、実際に声まで出てしまう。大きかろうが小さかろうが、隠しても笑みが漏れてしまう。それがちょっとでも大きければ、おい、みんな俺を見てくれ! すごいぞ、俺は巧いんだ! と心で叫びながら釣るのである。


 すなわち、これ、人生の主役である。


 釣れている限り、誰がなんと言おうとも、その釣り人は主役なのだ。しかも、何の責任も取ることも必要のない、完全無欠の人生の主役だ。

 普通の人が主役になれるなんていうのは、子どもの頃の誕生会と結婚式くらいのものだ。誕生会はいいにしても、結婚式などというのは、これから大いに責任をとりますよ宣言なのであって、なんとも切ないではないか。

 それに比べて釣りはどうだ? 魚が針に掛かっている限りは誰にも負けない主役だ。そして、魚が大きければ大きいほどに、注目度、満足感、優越感、などなど主役主役の主役なのである。

 大物を釣れば、そりゃ主役でいいだろう。私事で申し訳ないが、栃木は塩原の箒川、川縁の露天風呂の真ん前、真上には吊り橋というところで、巨大なニジマスをかけた。魚が大きいのと、大雨で増水、水流が激しく、魚は水面をドカンドカンと跳ねるも、なかなか寄っても来ない。5分が過ぎ、10分が過ぎ、やっとのことで浅瀬へ持ってきて、いや、実は吊り橋の真下で自分の足下へ引き寄せたのだが、吊り橋にはギャラリー、その人たちに見えないのは申し訳ないと思い、さらに魚を引きずるように橋から見える場所まで移動、そうしてやっと手網に納めると、吊り橋から露天風呂から拍手喝采! 私はそんな人たちに何度も頭を下げて、喜びを表現した。

 だが、そんないい日は年に1回あればいい。たいていは、そんな大物は釣れない。そこで釣り人は思う。大きさでなければ、数である。今日はニジマスを1束(いっそく=100尾)釣ったぞ、と喜びの基準が変化する。いや、主役の座の置き場所が変わる。それでもいいのだ。主役は主役だ。誰かが大物を釣ろうとも、俺様は1束だ。

 それで主役になれなければ、傷一つない美しい魚を釣ったのだぞ、これほどきれいな魚は滅多に釣れまい、いい魚を釣った主役なのだぞ。

 それでもダメなら、時速勝負。二時台の俺様は、たった15分で20尾も上げたぞ、この手返し(釣り道具の取り回し)のすばらしさは、誰にも負けていない。などと主役になるのだ。

 まだまだ!

 その釣り場で一番でなくてもいい。知らない釣り人はどうでもいい。一緒に来た仲間の中で、あいつより1尾でも多ければ満足、あいつより1ミリでも大きければ、1gでも重ければ、ちょっとでも美しければ!

 いやいや、仲間じゃなくてもいい、その釣り場にいる人で、俺より釣れない奴がいれば、そいつより1尾でも多ければ、それを認めた瞬間に、(小さいが)主役の座が手に入るのである。

 それでダメなら、俺が釣った魚が一番おいしいとか、珍しいとか、あの端っこの一番条件が悪い場所で釣れたのは俺だからだ、などなど、釣りには様々な主役の座がある。


それでも釣れないこともある


 そして、釣り人がもっともイライラし、ストレスを感じること、それは「ボウズ」。つまり、一尾も釣れない日のことだ。このボウズの恐怖が、釣りに行く前の日や、もっと前の日や、移動中や、仕事中や、いろいろな場面で釣り人に襲いかかる。しかし、だからこそ、釣り人は努力するのだ。努力しているとき、釣り人は、またまた主役だと感じる。こんなすごい仕掛けを造れるようになったとか、こんな工夫をするのは俺だけだ、新しい釣り方を見つけてしまったかも知れない、などなど、なんでもいいのだ主役なら。


そして、また釣りに行く


 長年、釣りから逃げられない。なぜかと思っていると、それは、やはり人生の主役になれるのは、釣りしかないと思うからだ。仕事で主役になることもあるが、あれはダメだ。お金や責任や、もう、面倒でダメ。でも、釣りはいい、誰を騙すわけでなく、相手は大自然だ、勝とうということ事態が大それた事であり、負けて十分。ちょっとでも釣らせてもらえれば、それで大勝利。釣り人は、最終的にそう思うのである。

 さて、釣具屋へ行くか、主役になるために(いや、主役扱いしてもらうために)。

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