まだまだ一人前にもほど遠い未熟な学生ですが、このエピソードを通してお伝えしたいことがあります。
それは情熱を持って自分のやりたいことを貫くことで、それが社会の共感を得られたら資金をはじめとした協力を得られるということ。
学生は時間はあるけど、お金は無い。大抵の学生はやりたいことをお金という問題で諦めてしまうと思います。僕もそのうちの一人でした。
しかし、この経験を通してどんなに遠くてもコツコツ積み重ねていけば必ず実現すると確信することが出来ました。
『世界一志友おふくろの味巡りの旅』を応援していただいてる皆様へ、拙い文章ですが感謝の気持ちを込めて、ありのままのストーリーを書いていこうと思います。

メインスポンサー服部学園校長 服部幸應先生との記念撮影
旅立つ前日、海外にいる自分が全く想像出来なかった。

ロンドンのおふくろの味
2014年5月20日、この日、数ヶ月前の予定では、既に卒業して新卒一年目で働いているはずだった。しかし、僕はこのときまだ大学4年生。単位が足りなくて留年したんじゃない。休学中だ。N○Kのディレクターさんが、カメラをこっちに向けながらパッキングしているところを取材している。僕の旅プロジェクトに興味を持っていただき、わざわざ東京から埼玉の草加市まで来ていた。
ディレクターさん「斎藤さん、明日出発なのに準備終わってないんですか?」
ユースケ「はい・・。いつも前日になって慌てちゃうんですよね。明日出発なのに、全然実感が湧きません。」
そう、明日世界一周に旅立つのだ。
まだ海外にいる自分が全く想像出来ていない。気分はサークル合宿の前日のようだ。というのも僕は、今までパスポートすら作ったことが無い。勿論、日本から出たことが無かった。一番遠くに行ったのは、中学の修学旅行のときに沖縄に行ったときだ。そんな海外旅行はもちろんのことましてや世界一周に一番遠いであろう自分が、なぜ明日世界一周に出ることになったのか。それは約一年前に遡る。
先輩に誘われて勢いで世界一周に行くことを決意。

メキシコのおふくろの味
世界一周に旅立つ約一年前。僕が通っている獨協大学には大学非公認だが、世界一志友(しゆう)プロジェクトがある。3個上の先輩から続いているプロジェクトだが、簡単に説明すると毎年大学の4年生の有志が世界一周に行って世界の大学を訪問し、各地で学生に夢を聞いて回り、友達を作っていくプロジェクトだ。先輩はそのプロジェクトの2期で世界一周をした人だ。
ある日、先輩に言われた。
先輩「世界一周に行ってみない?」
世界一周。それは当時の僕にとってあまりにも壮大な未知の言葉だった。facebookやTwitterのタイムラインに流れてくる世界一周経験者の投稿を通して、いつもそれに憧れを持っていたし、同時に未知な国へ足を踏み込むことへの恐怖感すら覚えていた。
学生生活を送る上で、重要な一つのテーマがある。それは、『学生のうちにやっておきたいと思ったことは全て実行する』だ。世界一周もそれに当てはまると考えていた。もちろん、社会人になって旅に出る人はたくさんいる。でも、社会人になる前に世界をこの目で見るという行為はとても魅力的だった。しかしながら、誰もがしたいと思ってもなかなか出来ないものである。お金も時間も勇気もいる。僕は貯金も無いし、卒業するまできっちり単位を取らなければいけないのと、当時学生だけで居酒屋を経営していたので時間も無かった。また、先述した通り海外にも行ったことが無いし、TOEIC350点で英語も全く話せないのでかなりの勇気も必要だった。だから、僕にとって旅というものは、憧れがあったもののなかなか手をつけづらいものだった。
このまま、苦手なものから逃げていていいのか?と自問自答する。世界一周をするにあたって自分が足りないものをどうやって備えるかなんて全く考えず、また、『恐怖』という感情を一度取り除き、反射的に答えてしまった。
ユースケ「行きます!」
僕はこの一言だけで、世界一周に行くことが決まった。普通の人と違うかもしれない点は、自ら行きたいと思ったんじゃなく先輩に誘われたという外発的なきっかけで旅に行くことを決断した点である。
また、先述した世界の大学を訪問して夢を聞いて友達を作るという活動以外に、もう一つ自分だけのオリジナルなテーマを設けようと思った。なぜなら世界一周にどうせ行くなら、その経験によって新しいキャリアを形成したいと思ったからだ。自分だけの旅のテーマを持ち、多くの人々に情報を発信して誰にも負けない自分の強みを作る。そして、それを基に仕事をしたいと思った。
まずは世界一周に必要なものを箇条書きにしてみた。

アメリカのおふくろの味
世界一周に行くことを決め、いよいよ本格的に準備を始めた。実際に旅立ったのは当初の出発予定日よりも半年ほど遅れている。それくらい準備はスムーズにいかなかった。現時点で僕にとって足りないものは下記になる。
1,お金
何と言ってもこれが一番の問題。総費用は150万に設定した。
2,時間
4年生になっても単位を取らなければいけなかったので、仕方なく休学という道を選んだ。また、当時経営していた居酒屋は大学の後輩に任せることにした。
3,語学力
世界一周経験者の方々は英語出来なくても問題無いよと言っていたので、これはとりあえず後回しにした。
4,パスポートや保険、旅に持っていくものなどの諸々の準備
パスポートを人生で初めて作り、必要なものを旅の先輩方に色々聞いて勉強した。
どう考えても一番の問題はお金である。アルバイトでお金を貯める以外にもっと早く資金を集める方法は無いか考えた。
スポンサーを募り、150万円集めてタダで世界一周するという選択肢。

ポルトガルの親父の味
休学をして世界一周するということは、周りの同世代より社会に出るのが遅れるということ。それなら『自分のやりたい旅』と『社会に共感してもらう旅』の共通項を探して旅を企画して、社会と接点を持った旅をしたいと思っていた。ここで重要なのは旅のテーマ決め。コンセプトは僕はもちろんのこと、応援してくれる皆さんが楽しくなるような旅をすること。そして、少しでもいいから社会に何か貢献出来るような旅をすること。
まずはじめに、どんな旅をするかを決めるところから世界一周の準備が始まった。
21歳のときに大学を盛り上げたいという気持ちから、学生だけで経営する居酒屋を立ち上げた。なぜ、立ち上げたかというと、大学生が居心地の良い空間を作り、学生生活を更に豊かにしていきたいと思ったからだ。コミュニティを作るには場所が必要だった。テナントを借りるとお金が発生してしまうので、ビジネスで成り立たせる必要があったので飲食店を開業することにした。これを作るのにも大変だったが、色々とご縁もありなんとか開業にこぎつけることが出来たのである。そういった経緯から『食』への関心が深まった。だから旅も『食』をテーマにすることに決めた。
旅のテーマを考えるときに気をつけた3つのこと

ドイツのおふくろの味
スポンサーをつけるためには人の心を動かさないといけない。協賛活動中に気づいた人の心を動かすために必要なことは以下の3つである。
1,共感性
これが最も重要だと思う。人の心を動かすときはいつも論理ではなく、共感だ。人々が大切にしている感性に響かせなければいけない。
2,独自性
未だかつて誰もやってきたことがないようなものを作る。自分が今まで送ってきた人生はオンリーワンであり、今までに経験してきた原体験から導きだされるビジョンは誰にも真似出来ないオリジナルなものになる。
3,クオリティ
やるからには中途半端ではダメだ。より強い情報発信が必要になるため、思いついたことは出来るだけ高いクオリティでやっていかなければ、人々には想いは届かない。
まず1つ目の共感性についてだが、現時点で決まっているのは『食』であることだけで、これだけではざっくりしすぎていて上手く伝わらない。『食』をどの切り口で表現していけば人々の共感を得られるか考えた結果、テーマは『おふくろの味』に決めた。理由は4つある。1つ目は、『おふくろの味』は誰もが幼少の頃から持っている原体験であること。2つ目は、居酒屋の経営で悩み、お金が無くてご飯があまり食べられなくなったとき実家に帰ると何もしなくても普通に食卓に並ぶ数々の料理を見て、感激したという自信の原体験から。3つ目は、家庭料理はその国の気候や風土、その土地の食材を使っているものだから、食文化を一番表しているものだと思ったから。そして、4つ目は、日本では色んな国の料理をレストランで食べることが出来るが、おふくろの味は現地の家庭にお邪魔しないと食べられないものなので、希少価値が高いと思ったからだ。
2つ目の独自性について。学生だけで居酒屋を経営していた経験を活かして、世界一周後に世界の料理が味わえる飲食店をオープンさせるというゴールを作った。旅中にwebで発信するだけでなく、帰国後にリアルな空間で、『飲食店』という箱を通して旅の成果を発信するのだ。これをまた、学生だけの力で作りたいという想いもあった。僕の世界一周は帰国までではなく、この新しい飲食店を作るまでが世界一周だ。
3つ目のクオリティについて。想いを伝えたり、プロジェクトの説明をするときには色んな手段があるが、僕は動画にこだわった。あとで詳しく書くが、クラウドファンディングで残り一週間を切っても目標金額の半分も到達していなかったピンチのとき、動画をリリースすることで想いがみなさんに伝わり、無事にサクセスすることが出来た。
世界一周が怖くて、朝起きるのも憂鬱だった。

イタリアのおふくろの味
実はテーマを決めてからあまり進展が無かった。というのも、勢いで世界一周に行くことを決断して、テーマを決めたものの僕にとって世界一周は『恐怖』であることに変わりはなかった。今まで困ったときは誰かが助けてくれた。でも、海外に行ったら助けてくれる人もいないし、もしかしたら事件に巻き込まれて死ぬかもしれないとまで思った。だから、刻一刻と迫る出国予定日を恐れ、朝起きるのまで憂鬱だった。しかし、過ぎていくのは時間だけで、何も進展は無い。
そして、ついに先輩から言われた。
先輩「お前いつ世界一周行くの?一度決めたことは最後までやれよ。」
世界一周に行くと大風呂敷を広げたのに、準備を進めようとしない自分を深く反省した。
有言実行出来ないのは多くの人たちに迷惑をかけることになる。自分に対する多くの周りの信頼を失うことを考えたら、海外に対する恐怖心なんてどうでもよくなった。崖っぷちに立たされた僕は本気で協賛活動に取り組むことにした。
出国前にいきなりホームレスになる。

フランスのおふくろの味
さらに追い討ちをかけるように、自分のアパートの契約が切れてしまい、3日後に家を出なければいけなくなってしまった。なぜなら、2014年の3月には大学を卒業して就職して新生活を始めている予定だったからだ。仕方なく家にあった荷物の9割をゴミに捨て、本当に必要なものだけを持って家を出た。家が無くなってしまったのだが、一つ当てがあった。すぐに携帯を取り出して、後輩に電話する。
ユースケ「今からお前んちに遊びにいくわ!」
「久しぶりですね!いいですよ!」
そう言って、自分の全所有物を持って、びっくりする後輩の表情を思い浮かべながら、後輩の家に向かった。
ユースケ「おっす!今日からお前んち住むことにしたわ!」
そう言って荷物を後輩の部屋のど真ん中にどかーんと置く。
後輩「マジすか!?!?そんなのありえないっすよー!!」
予想通りのリアクション。この理不尽な僕の振る舞いを受けてもなんだか嬉しそうだ。よっぽど僕のことが好きらしいw
そして、出国日までの残り2ヶ月間をこの小さくて汚い後輩の家で共同生活をすることになった。
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ブラジルのおふくろの味
崖っぷちに立たされた僕は、本格的に協賛活動を始める。リミットは2ヶ月。
協賛企業の条件は、以下の2つ。
1,食に関する企業
2,企業に対するリターンが自分のやりたいことと重なること。
いくらお金をいただくにしても、全く自分のやりたいことと反したことをリターンとして約束してしまえば、それは自分の旅ではなくなる。自分が旅を通して残せる成果を買ってくれる企業を探した。そして、どうせなら誰もが知っている有名な会社に協賛していただきたいと思った。
一つは、大手飲食チェーン店を経営する企業、もう一つは国内最大手の家庭料理レシピサイトを運営する会社、そして最後は食育の第一人者である服部幸應先生が校長を務める服部学園である。
また、提案書の資料作りも苦手ながら奮闘した。今までPower Pointしか使ったことが無かったが、今回初めてMacのKeynoteを使ってみた。そしたらめちゃくちゃ見栄えが良くなったのである。資料作りが苦手な人は、とにかく色んな資料を参考にして、Keynoteを活用してなるべくシンプルに分かりやすく作成することを勧める。
大手飲食チェーン店はとあるイベントで役員の方と知り合いになり、トップダウンで担当の方に繋いでもらって提案はしたが、色々と理由があり途中で断念した。残りの二つは、コネが無かったので仕方なくお問い合わせフォームからアプローチすることにした。営業手法は様々だが、こういった場合は意外と効果がある『お問い合わせフォーム営業』。なぜならお問い合わせフォームは顧客と企業を繋ぐ窓口なので、必ず見てくれるからだ。僕は、そこに送る一通に全ての想いを込めた。
すると、なんとどちらも返信があったのだ!興味を持ってもらえていることと自分の運の強さに声を上げて喜んだ。しかし、肝心なのはこれからだ。アポを取って後日提案に伺った。
学生であることがアドバンテージ。

ベルギーのおふくろの味
まず、レシピサイトを運営している企業に訪問した。オフィスはとても綺麗で、昼時は自社のキッチンで社員が料理をしているので、とても良いにおいがした。最近のIT企業はやはりオフィス環境に凄くこだわっているなと感じた。入り口にある電話で担当していただく部署に電話をかけると、物腰の良い女性の方がいらっしゃった。奥の部屋に行き、いよいよ提案スタートだ。
ユースケ「本日はお忙しいところお時間を割いていただきどうもありがとうございます。獨協大学4年の斎藤です。・・・。」
まずは、自己紹介を通して自分が今まで取り組んで来たこと、その背景を話して自分の人となりをPRする。
担当者様「実は、最近海外の家庭料理がトレンドで・・・」
ユースケ「それでは私が海外の家庭にお邪魔して、おふくろの味の取材をしてそれをお送りするのはどうでしょうか?」
担当者様「本来学生にこのような形で関わった事例はありませんが、ぜひよろしくお願いします。」
自分の取り組みがタイミング良く相手のニーズを押さえることが出来た。おかげで、多くの人が見るような大きいメディアに紹介してもらえることになった。
この調子でどんどんいきたいと思った僕は、次に代々木にある服部学園に向かった。担当者の方へのご挨拶を済ませ、会議室で待機していると担当者の方から思わぬ言葉が・・・。
担当者様「おそらく一度に大きな額を協賛することをするのはあまり事例がないので、厳しいかと思いますが、記事を書くごとに小額を原稿費という形でお送りすることは可能かもしれません。どちらにせよ、これから上の者を呼びますので、斎藤さんの人となりを見させてもらいます。少々お待ちください。」
ユースケ「承知致しました。(えー!!いきなり人となりとか言われるとめっちゃ緊張するな・・・。)」
しばらくすると、かなり厳格そうな方がいらっしゃり、名刺交換をすると肩書きが役員だった。
ユースケ「(いきなり決裁権持ってる人に提案出来るとかめちゃくちゃ運いいな。)」
なぜ、私のような若者のいきなりの提案にここまでして下さるのかが疑問だった。先日の提案とは打って変わって、しーんとした会議室で厳かな空気が漂う中提案がスタートした。
僕は、先日同様今までの取り組み、自己紹介を通して自分の人となりを説明して、この旅を通して、どのようなことをしたいのかをプレゼンする。その間、先方は厳しい顔でただ頷くだけだった。
ユースケ「(これ失敗しちゃったかな・・・。)」
自分の伝えたいことを言い終えたあと、さすがにこれはダメだと思った。しかし、次に相手が発せられた言葉に耳を疑った。
役員「お金いくら必要なの?」
ユースケ「え?」
一瞬何をおっしゃっているのか理解出来なかった。あまりの突然の言葉に口ごもってしまったが、とりあえずとっさに質問にお答えする。
ユースケ「現時点で○○円集まっておりまして、あと○○円集めれば目標とする予算に到達します・・・。」
役員「それでは。○○円こちらから資金援助を致しますので、あとは担当に任せます。」
担当者様「あ、はい。」
担当の方も少しびっくりされているようだった。しかし、なによりもびっくりしたのは勿論僕自身で、協賛を取れたこと自体予想外だった。さらに目標より倍の金額をいただけることになったのは、まさに夢のようだった。
「このたびはご協賛いただけることになり、誠にありがとうございます。厚かましいお願いと存じますが、服部先生とお会いさせていただくことは可能でしょうか?」
ここまで来たらせっかくだ。大御所の服部先生のアポが取れるとは思ってなかったが、ダメ元でお願いしてみた。
担当者様「勿論です。予定を調整致しますので、少々お時間をいただきます。」
ユースケ「本当ですか!?ありがとうございます!!」
もう天にも昇るような気持ちだった。憧れの服部先生とお会い出来るなんて。服部学園を後にして自宅に帰るときは、終始テンションが上がりっ放し。早くこの喜びを応援してくれる皆様にお伝えしたかったが、服部先生とお会いするまで我慢することにした。
そして、後日いよいよ待ちに待った服部先生との面会日。めちゃくちゃ緊張しながら待っていると、テレビでよく見る黒いコック姿でお見えになられ食育についてお話をお伺いした。
服部先生「世界の食育事情を自分の目でしっかり見てきて下さいね。」
ユースケ「おふくろの味というテーマを通して、世界の食文化の理解や日本の食育の向上に少しでも繋がる成果を出してきます。」
30分ほどお話をさせていただき、最後に先生の著書【食育のすすめ】を頂戴し、記念撮影。時間が過ぎると次の面会の方が来ていた。本当に夢のような時間を過ごせた。
このように熱意さえあれば学生なら会いたい人に会うことが出来る。なぜなら社会人になるとどうしても会社の肩書きがあるので、ビジネスライクな関係になりがちだからだ。社会人も何の肩書きもない学生なら会いやすいと思ってる人も少なくないと思う。また、上記の理由で学生のうちに培った人脈は社会人になっても友好的に続くことが多いらしい。大御所の方とか有名な方とかに臆せず、勇気と熱意を持って社会人になる前に会いたい人に会ってみるのも良いと思う。
故郷への自分の大切な想いをこの旅に込めた。

大曲納豆汁旨めもの研究会HPから
この旅は僕だけのものじゃない。僕自身が大切だと思ってる人たちに喜んでもらえる旅にしたいと思ってる。この考えは、おそらく『原点を大切にしていきたい』というところから来ているのかもしれない。そういったことから、人生を生きる上で一生大切にしたいと思っているものに『故郷』がある。
僕は、秋田県の大曲というところで生まれた。大学に進学するときに秋田を離れ、いつか力をつけてこの街に恩返ししたいという想いを胸に上京することを決意する。そんな経緯もあって、この世界一周に地元も巻き込んでいきたいと思っていた。
ユースケ「そういえば地元の人たちって何か町おこしみたいなことやってるの?」
母さん「私たちの世代がかなり力を入れてやってるよ。」
ユースケ「母さんの知り合いの町おこしやってる人紹介して!」
コネは親でもなんでも使うことにした。後日、町おこしに取り組んでいる商工会青年部の方にお会いした。
ユースケ「町おこしの取り組みについてお話を聞かせていただけないでしょうか。」
商工会の方「実は納豆は秋田が発祥の地で、俺たちは納豆汁を大曲の郷土料理として全国に売り込んでいるところだよ。」
故郷のために必死になって、大人が団結して盛り上げている姿を見て胸が熱くなった。僕もこの方達とともに故郷に貢献したい。そんな想いが込み上げてきた。
商工会の方のお話を聞いて、埼玉に帰りしばらく自分がどのような形で貢献出来るか一生懸命考えて、一つの企画食を作った。それをメールでお送りした。
ユースケ「お世話になっております。斎藤です。先日はお忙しいところ商工会青年部の取り組みについてお話をしていただき、誠に有難う御座いました。あれから自分なりにどう貢献出来るか考えて、企画書にまとめました。お時間のあるときにお読みいただけると幸いです。」
そうすると返信が来た。
商工会の方「面白い!斎藤君の旅を大曲商工会青年部として応援していきたいと思う。納豆汁海外調査特派員に任命する!」
そのメールを見た瞬間、感激した。地元に少しでも貢献するという夢が一つ叶った瞬間だった。企画書の内容は、世界一周中に納豆汁を各国で振る舞い、外国人が納豆汁を食べたときのリアクションを動画や写真で撮って、それをメディアで発信するというもの。納豆といえば、日本人でも好き嫌いが分かれる。そんなものが外国人に受けるのか。答えはノーかもしれない。例え受け入れられなくても、とにかく納豆汁を食べたときのリアクションを撮って、それをコンテンツにすることに価値があると考えていた。
世界一周前にもう一度地元に帰り、商工会青年部の会議に出席させていただいた。改めて、この度このプロジェクトにご協力いただくことへの感謝の気持ちを述べさせていただいた。商工会青年部の皆さんは温かく迎えて下さり、打ち上げでは決起会まで開いて下さった。
商工会の皆さん「今晩は世界一周に旅立つ斎藤君を送り出す会だ!乾杯!」
目の前には、地元の郷土料理がずらりと並び、もちろん納豆汁もあった。思わずよだれを垂らしてしまうほどのごちそうを前に、テンションが上がった。美味い日本酒と美味いつまみと共に自分の親の世代の方々と杯を交わす時間はとても有意義だった。
そんなとき、一枚のざるがテーブルにやってきた。
商工会の方「斎藤君の予算が足りないらしい。みんなの気持ちをこのざるの中に!」
なんと、時計回りでざるがテーブルを一周するとそのざるの中にはお札がたくさん乗っていた。
商工会の方「斎藤ってもしかして○○ちゃんの息子か!?」
「はい、そうですが、母さんのこと知ってるんですか?」
商工会の方「知ってるも何も、小さい頃一緒に遊んでたよ!!そうか、そうか。それじゃあもう一万!」
そう言って次々とお金がざるの上に乗っていく。
地元の方々がここまで僕にしてくれるのはなぜだろう。応援して下さる皆さんの表情はとても楽しそうだった。故郷への想いを伝え、それが届いたことが本当に嬉しかった。人生を持って恩返ししたい。大曲を日本一、世界一の街にしたいと思った。そんな温かい故郷の温もりを感じた素敵な夜を過ごして、地元の方々の多くの期待を胸に夜行バスで埼玉に帰った。
40万円のクラウドファンディングをサクセス!

クラウドファンディングというサービスをご存知だろうか?
クラウドファンディングとは、自分のやり遂げたいアイデアをネット上で不特定多数の人たちに発信して、それに共感した人々から資金調達をする仕組みだ。このサービスを少し前からよく耳にするようになっていたが、いざ自分が使うとなるとかなり抵抗があった。もし、全然お金が集まらなかったらどうしよう・・。失敗したときは逆に、出国前にネガティブなイメージを発信することになると思った。お金を集められて、より多くの人々にPR出来る手段なら何でもやろうというスタンスだったが、上記の理由で開始することに躊躇ってしまい、出国ギリギリになってやっと利用することを始めた。募集期間はなんとたったの3週間。それでもクラウドファンディングは最初と最後の一週間が重要だということを聞いたので、その期間でも充分いけると考えた。
ドキドキしながらいよいよ募集開始!公開開始から3日以内に25%を達成するプロジェクトは成功率がぐっと上がると聞いたので、当プロジェクトの場合40万円のうちの10万円を3日以内に集めることが条件だった。スタート同時に初日から支援してくれた方もいて、本当に嬉しかった。誰も支援してくれなかったら、本当にどうしようと不安だったから、少し安心。しかしながら、10万円に到達することが出来ず、8万円ほどで勢いが止まってしまった。そのあとも1週間が経過しても10万円ちょっと、2週間が経過した時点で半分の20万円もいかなかった。残り1週間で20万円ちょっと集めなければいけない現状にかなり焦りを感じた。どうやらweb上だけで呼びかけるだけではきついらしい。ほとんどの候補者はリアルな場でイベント等を開催して、支援してもらえるようにお願いする。ラスト1週間でイベントを開催するのは不可能だ。
そんなとき、一つのアイデアが浮かぶ。動画だ!!自分の想いやプロジェクトの内容が5分で分かる映像を作って、みなさんに発信したい。そう考えたとき、映像を作るのが好きな後輩にすぐさま連絡して、すぐに集まってどんな映像を作るか話し合った。なるべくシンプルに伝えやすく。そして、撮影を始めて編集をした。やろうと思いついてからその間たったの3日間。後輩に心の底から感謝した。
facebookなどでその作った動画をリリースすると予想以上の反響があり、感動したという声を多くいただいた。その日から急に流れが変わり、追い風になった。ラスト3日間ということもあって、普段からお世話になっている社会人の皆さん、獨協大学のOBOGの皆さん、地元秋田の皆さん、大学の先輩、友人、後輩など社会人から学生まで身の回りの実に幅広い方々から支援をいただいた。中には学生なのに3万円支援してくれる友人がいたり、後輩が家に帰って家族全員でカンパします!と言って1万円支援してくれたりした。おかげさまで、締め切りの3時間前に無事に目標金額を達成して、最終的には50人の方々の支援をいただいた。サクセスした瞬間は、後輩達と居酒屋で乾杯をして密かに打ち上げをした。
本当に嬉しく嬉しくたまらなかった。この23年間の人生は間違いなかったと、僕は周りにこんなに恵まれているということを肌で感じることが出来た。みなさんの声援と激励で、自分の心が震えているのが分かった。
協賛活動期間中の大きな失敗。

順風満帆に進んだ協賛活動の中で、唯一悔いの残る失敗がある。それはインターン先とも関わりがある一人の社会人の方に失礼なメッセージを送ってしまい、二度と連絡を送ってくるな。二度と顔も見たくないと言われてしまったことだ。その方からデジカメを譲っていただくというご連絡をいただいたときに、舞い上がってしまいその方の気持ちをおざなりにするような態度を取ったことが原因だった。自分なりに丁寧にメッセージを送ったつもりだったが、全然甘かった。一人の社会人の方からの信頼を完全に無くしてしまい、僕はかなり反省して、二度とこのような過ちを繰り返さぬようこの甘ったれた性格を直そうと思った。このことから目上の人のこだわりに気を付けること。メールの文章から相手の意図を察することの大切さを学んだ。
ある日、いつものようにインターン先に出社するとテーブルの上に一つの紙袋があった。その中にはなんとデジカメとその社会人の方の手紙が入っていた。最初どういうことか理解出来なかったが、インターン先の上司の説明を聞くとどうやら、その社会人の方が先日デジカメを入れた紙袋を僕に渡すよう置いていったのであった。気が動転しながらその紙袋の手紙を読んだ。
「斎藤さんの甘ったれた性格がすっかり嫌いになってしまった私ですが・・・」という冒頭から始まり、カメラについてほとんど無知の私のために長文で説明書きと「どうせ美味い飯の写真くらいしか撮れないだろうから・・・・。」という少し挑発的な文章から感じるその方なりの激励の言葉があった。手紙を全て読んだとき、あまりの器の大きさに頭が上がらない気持ちになった。今の未熟な自分ではその社会人の方に謝罪と感謝の気持ちを述べることは出来ないでいる。僕はこの旅で自分の甘ったれた性格を直し、小さくても良いから一つの成果を残して、その方に自分の想いを伝えることがこの旅の目標になっている。
様々な方々の想いが詰まった150万円を集めて、いよいよ出国。

企業協賛、地元からの援助、クラウドファンディングの他にも、出国前にお世話になっている方に、最後にご飯に連れていってもらい、帰り際に餞別として1万円を20人近くの方々からいただいたし、金銭以外にも物品をいただいたりした。そして、気がつけば目標金額の150万円が集まっていた。
正月に先輩から叱咤されてから徐々に本気で協賛活動を始めて5月までの、この5ヶ月間実に色々なことがあり、僕自身人生で一番多くのことを学ばせてもらった期間でもある。この150万円という金額はただのお金ではなく、様々な方々の想いが詰まっているものだ。この協賛活動を始める前から決意したことがある。それは、自分だけのための人生を送らないこと。まずは親や兄弟や友人、地元や母校の人々、身の回りの応援して下さっている社会人の方々にとっても楽しいと思える人生。そして、僕が生まれることで自分が生まれた1991年5月5日の世界から、自分が死んだ日の世界を引いて、社会がより良くなる人生を送りたいと思っている。この多大なるご恩をお返しするにはもちろん、その方々からに対しての感謝の気持ちを忘れないこと、直接的な何らかのお返しをすることが最低限必要だが、僕が将来社会に対して貢献することが最大の恩返しだと考えている。
僕にとってこの「世界のおふくろの味を巡る旅」は、今までの生きてきた人生で得たことを最大限にアウトプットする旅であることと同時に、自分が今まで見たことの無い世界を見て、新しい人生が始まる旅でもある。失敗は許されない。そして、人々の期待に応えるだけの旅ではなくて、期待以上の成果を残してくるのが僕の使命だ。
2014年5月21日の昼過ぎ、僕は居候させてもらった後輩と成田空港にいる。まだ、自分が数時間後日本以外の国に立っていること、地球を一周することが全くイメージ出来なかった。多くの不安に胸が張り裂けそうだ。しかし、今はその感情の他に、なんとしてでも応援して下さっている方の期待以上の成果を残してやろうという気概に満ちあふれている。この旅で自分の新しい人生を切り拓いていくんだ。そう思いながら、僕はロサンゼルス行きのフライトに乗った。
