わらしべ長者とは...
現在大学4年生の高塚大揮と申します。
これはわらしべ長者で家を目指すストーリーです。
わらしべ長者とは、貧しい農民が一握りの”わら”を手にしたことから始まる日本昔話。相手のためにとモノを差し出すことで、お礼にモノをもらっていき、物々交換によって貧しい農民が最初に握った”わら”から一国の長の後継者となる物語りです。
この話を元に、私が「家」を目指しながら物々交換を行っていく様子を記すストーリーです。
私はゴールとしている「家」には未だたどり着いていないので、このストーリーは完結されているものではありません。
むしろ、このストーリーを読んでいただいている人たちの協力を得ながら、
ストーリーを紡いでいきたいと思っています。
このストーリーを読んでるあなたがこのストーリーを創っていくことができますし、
私自身、みなさんといっしょにストーリーを創っていきたいです!!
もし、これからお話しする「わらしべ長者で家を目指す!」想いに共感していただけたらなら、
ぜびわたしと物々交換をしてストーリーを紡ぐ一員となってください!^^

わらしべ長者で家を目指す理由
それは、人と人とがつながれる場を創りたいからです。
人と人との繋がりで巡ってきた家に、色んな人をただ泊めしてさらなる繋がりができる場にしていきたい。
そして、人と人の出逢いで自他共に新たな価値観、可能性を拓いていく!
わたしは、
今は、人の出逢いにとてもわくわくした人間ですが、高校生までは極度の人見知りでした。
そんな過去の自分の話からなぜ今このように思っているのかをお話します。
運動神経の良さが唯一の存在証明
小学生の時までは、何も面白いことを言えなくとも集団の輪の中心にいるタイプの人間でした。
なぜなら、運動神経が良かったからです。
保育園の時から、マラソン大会なるものがあったのですが、毎年上位2,3位に入る成績でした。
ぼくは、2月生まれで早生まれで、1位の子が4月生まれの子だったので、発育の関係上1位になることが難しかったのですが、小さい頃から運動神経はよかったです。
それは、小学生になっても健在であり、
スポーツテストの成績は、毎年Aランク
50m走を計れば、学年の誰よりも早く、
マラソン大会でも毎年ベスト3の常連でした。
何も面白いことをしなくとも、運動で目立つ存在だったので、多くの友達から慕われる存在でありました。
ぼくのことを崇めて、何でも雑用をやってくれるような執事みたいな子もいました。笑
クラスの中心からクラスの片隅へ
そんな順風満帆な小学生時代でしたが、
中学生になるとだんだんと輪の中心からはずれていくようになります。
今まで、目立つことができた運動で目立つことができなくなってきたのです。
陸上部に入り、練習を真面目にこなしていましたが、みんな部活で体ができあがってくる速度に対応することができませんでした。
それでも、中学校は小学校からの同級生が大半だったので、面白いことを言えなくとも小学生の頃のなごりでクラスの中心的なグループにいることはできました。
高校生になってからは、クラスの片隅の存在となります。
自分自身、どうしていいのかわからなかった「自分はどこにいるんだ?!」というような時期です。

今まで、運動がデキる。ただこれだけで友達ができたのに、高校生になるとなかなかそうはいきません。
面白いことを言える奴がクラスの中心になり、小学校の頃のクラスの中心人物からクラスの地味な隅っこの人となっていったのです。
中心にいた時代のことを味わっていたので、中心にいる人のことがとてもうらやましかったですし、
そこにいない自分に悔しさを覚えました。
しかし、その状況を打開することはできず、ぼくの人見知り度はあがり、自己肯定感は下がっていきました。
通学中に前をクラスの顔見知りがいるだけで、そいつに会わないように進路を変更してなるべく人と関わらないようにしていました。
高校生のタカツカ「「だって、顔見知りなだけだから声かけても何話していいかわからないし、それで会話はずまなかったら気まずいし...」」
というのが、当時のぼくの常日頃思っていたことです。
ストリートチルドレンの話で新たな世界が拓ける
そんなわたしにある日、転機が訪れます。
それは、当時なんとなく大学に行こうとしていて、
なんとなく通っていた予備校でのことです。
予備校でバイトしている大学生の方がインドネシアにスタディーツアーに行ってきたお話しをしてました。
親はいない、家もない、その日食べていくのがやっと、過去にそんなバックグランドを抱えた子どもたちが孤児院に引き取られ、
そこで「将来は、社長になりたい」「弁護士になりたい」と言って楽しそうに一生懸命勉強しているという話を聞きました。
その話が、自分にとってはとても衝撃的だったんです。
インドネシアの子どもたちの当たり前と今の自分の当たり前の基準に大きな違いがあることに驚かされたとともに、予備校に通って当たり前のように大学にいこうとしていることは世界的にみたらとてつもなく恵まれているということに気づかされたのです。
この時から、残り受験まで3カ月しかないけれど悔いの残らないように勉強しよう!と気合が入ったともに、自分には知らない世界がたくさんある!
そして、それをもっともっと知りたいという好奇心に駆られました。
マレーシアへのスタディーツアーで第2の人生スタート
今の大学は第一志望ではありませんが、
大学生になって、海外へ行って貧困の現状についてもっと知りたいという意欲があったので、
「どこにいくか」ではなく、「なにをするか」が大切だという予備校の先生の説得のもと
偏差値も50そこそこの普通大学の経済学部へ入学します。
とにかく、自分の視野を広げたいと思ったので、今までずっとスポーツをやっていましたが、スポーツ関係の部活やサークルには入らず、ESS(英語会)に入りました。
と、同時に予備校で聞いたストリートチルドレンの話が忘れられなかったので、途上国へ行くようなスタディーツアーはないかと探していました。
思っていると不思議なもので、NPO論という講義が始まる3分前の時間に壇上に学生が出てきて、
「この夏、フィリピン・マレーシアへワークキャンプ、スタディーツアーにいきませんか!?」
という、宣伝をしていたのです。
スタディーツアーという言葉を聞いた瞬間にこれしかない!と思い、説明パンフをもらいなんの躊躇もなく9日間のマレーシアスタディーツアーに申し込みをしたのでした。
このスタディーツアーを主催する団体は、、フィリピンとマレーシアで社会的に弱い立場に立たされた子どもたちの支援する孤児院を運営しているNPO法人です。
また、毎年春と夏に日本からスタディーツアーとワークキャンプへの参加者を募り、ツアーキャンプを通した青少年育成を行っている団体です。
スタディーツアーには公募で集まった全国の大学生20名とマレーシアの現状を視察して共に自分自身のあり方と社会課題の現状への理解を深めるツアーです。
出発前に、参加者それぞれ初めまして同士になるので、事前研修が開催されます。
その時になって初めて人見知りであることを後悔しました笑
集まる直前はどんな人と一緒にいくのだろうととてもドキドキ。
でも、その団体の雰囲気はとても心地よくこれなら安心して参加できると決心がつきました。
そして、マレーシアへ
マレーシアは、今でこそ「貧困」というイメージは薄いかもしれません。
しかし、現地を訪れてみると急激な経済成長のせいで、大きな格差が広がっている。
というのが現状でした。
特にそれを色濃く感じたのが、
住むところがなく、不法滞在している人たちの集落に訪れた時です。その地で空を見上げた時に数百メートル先にリッチな高層マンションが建っているのを見た瞬間でした。
このような形でマレーシアでの9日間は昼間に社会課題の現場を訪れ、
夜は参加者同士でその日現場で感じたことをざっくばらんに意見を共有する
話し合いの場かワークショップの時間となりました。

(訪れた孤児院にて、子どもたちと遊ぶ)
この話し合いの場が今の超社交的になり、何事にも挑戦心をもって取り組む自分を形成したといっても過言ではありません!
この話し合いの場で大切にされていたことが、
「ありのままのその人を認める」ということでした。
具体的にどういうことかというと、
・意見共有の場では、常に傾聴する
・相手の意見を否定しない
でした。
これは、ぼくにとってはとても自信をつけさせてくれるもので、
今まで、面白いことも良いことも言えないと思い込んで他人に自分の意見がどう思われるか心配で何も言えなかった自分にとって、それを克服する絶好の機会でした。
9日間、毎日この意見交換の場がありましたが、日に日にその日感じた自分の想いをはっきりと語るようになったのです。
自分の意見をこんなにも真摯に受け止めてくれる仲間がいる!
これが当時のぼくにとってとてつもなく自信となったのです。
そして、このふつふつと内から湧きおこるアツい気は7日目の夜に爆発します!
その日の夜は、「信じるられるもの、信じられるもの」というテーマのワークショップでした。
参加者、個人で「信じるられるもの、信じられるもの」をそれぞれ思いつく限り書き出し、これはどうしても信じられない!信じられる!ものを3つ残し4人のひと組のグループでシェアするワークでした。
わたしは、この時、これまでこのツアーを真摯に支えてくれた
学生リーダー(Sさん)と同じグループになります。
いよいよ、Sさんが感じたことをシェアする時でした。
Sさん「わたし、自分自身がどうしても信じられない...」
タカツカ「心の中の声(おれに、こんな自信をつけさせてくれるサポートをしてくれたのになんで...!?)」
Sさんが自分を信じることができない理由は、人の死にまつわる原体験からでした。
話を聞いていて、確かにそれはSさんの心に深く刻みこまれているものであって、ぼくがどうこう言ったとしても変わることは難しいものでした。
でも、わたしは、少しでもここに参加したおかげで自分がとてつもなく変わることができていることをSさんに伝えたかったので、その話を聞いて感じた想いをそのままSさんにぶつけたのです。
タカツカ「Sさんが自分に自信を持てないと言っているのを聞いて、悲しい。おれは、このツアーに参加してとても自分に自信を持てるきっかけをSさんからもらっているのに。他の誰かに自信を持たせることができるんだから、もっと自分にも自信を持ってほしい!今すぐには、難しいかもしれないけど徐々に少しずつ。おれは、Sを信じている!」
他人に自分のありのままの意見をぶつけたのは、家族以外初めてのだったかもしれません。
それほどに、このマレーシアスタディーツアーを通して今までの自分を変えることができたのです。
そして、マレーシアスタディーツアーに参加してから他人の目を気にすることなくさまざまなことに挑戦し始めるのでした。
とにかく色んな事をした!
・受験の時にお世話になった予備校でバイトして、マレーシアに行ったことを受験生の前でプレゼン
・大きな変化のきっかけとなったNPO法人の団体で運営側としてマレーシアに再び行って、キャンプリーダーをしたこと
・貧困の課題を現場視点だけでなく、世界経済からマクロな視点で知ろうと開発経済のゼミで勉強
・経済だけでなく、政策のことも知ろうと議員インターン
・度胸試しで、埼玉~京都まで自転車で8日間かけて旅

(自転車旅、出発の日)
・マレーシアだけでなく、世界のことをもっと知りたいと思い、10ヶ国100人の海外青年と20日間、船の中で文化交流や地球規模の課題についてディスカッションする内閣府のプログラムに参加

・環境における持続可能システムのヒントを見つけたくて、香川県へ1ヵ月住み込みで農業しにいく
・とにかく、自分に力をつけたくて、6カ月間ソーラーパネルの訪問販売
・営業スキルは日常でも生かせると思い街中でナンパ。女性の口説き方を特訓(笑)
・就活生へのシェアハウスビジネスを考えて起業しようとしたり
とにかく、色んなことに挑戦してました。
これらの挑戦は中には辛いと思ったものもありますし、不完全燃焼だーなんてこともありましたが、
どれも刺激的で楽しいものでした。
しかし、どの挑戦も自分の中でやりきった感がありません。
視野を広げられたのは収穫ですが、その場で自分が何を成せたのかの収穫は実はあまりないと思っています。
どの挑戦もそれをやっている自分に満足していた気持ちが心のどこかにあったからだと思います。
一方で、たくさんの挑戦をしたからこそ今気づいていることがあります。
それは、
「やろう」と信じて行動し続ければ、人は何でもやれるということ
わたしは、わらしべ長者で家を手に入れる!という一見フィクションに思えるようなことを、
目指し続けて、行動し続けて、絶対に達成する気でいます!
唯一、ソーラーパネルの訪問販売で500万円近い売り上げに貢献したことが、
「人間何でもやればできる」という自信を大きく鼓舞する要因となっています。
高校生まで極度の人見知りだった自分でも、何かを成し遂げることができる
ということを多くの人にその行動で伝えたいのです。
「やろう」と信じて行動し続ければ、人は何でもやれるということ
このことにすでに気づいて、実行している方もいれば、
わかってはいるけど、信じ続けることができなかったり、行動できなかったりする人もいます。
はたまた、高校生の時のわたしのように、このことすら気づかずに自分自身をあきらめている人もいるかと思います。
わたしは、
このようなさまざまな人生の局面にいる人たちを「家」という空間に一緒くたにして、
お互いの価値観に触れあい
新たな自分の可能性に気づきあい
そこから、社会に発信されていくような何かが生まれる。
そんなきっかけを生む空間を創っていきたいです。
「家」はただのツールにしかすぎません。
が、同じ屋根の下で、互いを認め合い、互いの人生観のキャッチボールをした
あのマレーシアでの夜が忘れないのです。
人と人とが交差して何かが生まれる場を創りたい!!
わらしべ長者で家を目指すプロジェクトは、この想い一筋で行っています!
家を手に入れた後は、
・家にたどり着くまでに物々交換した人を家に呼んで、ありがとうパーティーをします。
・それから、色んな人を複数人、ただ泊めしまくって価値観の交換、新たな可能性が発見がある場創りをしていきます。
・そして、わらしべ長者を社会現象にして、モノをきっかけとしたFace to Faceのコミュニケーションを街中で起こしていきます。

以上が、わたしがわらしべ長者で家を目指している理由になります。
このストーリーは冒頭でも申し上げた通り、完結されたものではありません。
これから、みなさんといっしょにストーリーを紡いでいきたいと思っています。
storys.jpに投稿したのは、ちょうど今の交換物があのstorys.jp発祥のお話の本だからです!


31交換目
四葉のストラップ→学年ビリのギャルが1年で偏差値を40あげて慶應大学に現役合格した話
「信じ続けて行動し続けること」
このお話でもとても大切な考えの一つです!
まだモノは家とは程遠いものかもしれませんが、2015年3月までに家まで必ずたどり着くと信じて、
これからも行動し続けます。
そして、交換する人はほかでもない、みなさんです!
このストーリーを読んでいただいたみなさんで創っていく、全員参加型のストーリーです!
これからの物々交換で家までたどり着くまでの珍道中をこのstorys.jpでも発信していきます!
また、ツイッターでは物々交換を都度更新していますので、よろしければフォローしていただいて、
ほしいモノが巡ってきた時にメッセージ下さい!99%ファロバしてます!(モノの予約受け付けてます。)
ツイッターアカウント @T_children or 「わらしべ長者」で検索
さらに、ブログではわらしべ長者を通して感じていること気づきを綴っているので、
気になってしまった方はこちらも確認していただけると嬉しいです。
はてなブログ:物々交換で家を目指す!わらしべ長者のキセキ
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございます!
そして、これからいっしょにわらしべ長者のストーリーを創っていきましょう!
まだ見ぬ色んな人との出逢いにワクワクです!
よろしくお願いします!!!

