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14/10/27

雑誌を作っていたころ(32)

Image by Olia Gozha

「起業塾」


 新雑誌「起業塾」は、当初「ドリブ」の臨時増刊としてスタートした。「雑誌」というのは、勝手に出していいものではなく、取次に雑誌口座を開設してもらうことで発刊が可能となる。月刊誌、週刊誌、旬刊誌、季刊誌、日刊誌、年刊誌などさまざまな発刊形態がある。


 旬刊誌とは聞き慣れない言葉だが、いわゆる10デイズマガジンである。一時期の「an・an」が旬刊誌だった。現存している旬刊誌の例としては、旬刊「経理情報」(中央経済社)、旬刊「商事法務」(商事法務研究会)などがある。


 日刊誌の代表例は「日刊ゲンダイ」だ。「夕刊フジ」は新聞だが、ライバルとされている「日刊ゲンダイ」は雑誌。これは同誌が講談社系列の発行であるため、日本新聞協会への加盟を拒否されたことによる。


 新しい雑誌をいきなり定期刊行物として発刊できるのは、信用と資金力のある出版社だけで、その他の出版社は既存の雑誌の「臨時増刊」としてテストを積み重ねなければならない。そうしないと、取次から注文がもらえないのだ。なぜそうなっているかというと、資金力のない出版社は新雑誌が売れないとすぐ休刊する羽目になるため、雑誌コード設定などの手間が無駄になるからだ。


 基本的に、臨時増刊としてテストする雑誌は、親雑誌と内容的に似通っている必要はなく、まるで関係なさそうな雑誌の臨時増刊が存在するのは、そういう理由からだ。ムックコードを持っている出版社は、臨時増刊でなく単発のムックとして新雑誌をテストすることがある。


「起業塾」を出すことは決まったが、部数については取次との折衝が難航した。とにかく「類誌がない」ために部数が読めないというのだ。

 似ているとすれば老舗の「オール生活」があったが、あちらはバブル期に株式投資にシフトして失敗、かなり部数を落としていた。近いといえば「ドリブ」臨増の「お金ドリブ」くらいだが、これもどちらかといえば投資雑誌である。


 部数が読めなければ、少なく絞るのが取次の性格だ。とにかく、二言目には「返品を減らせ!」が合言葉なのだから、ギャンブル的にたくさん仕入れてみようと思う取次の仕入れ担当者はまずいない。こうして、新世代の独立開業情報誌は困難な船出を強いられた。


 しかし朗報もあった。広告営業の調子が抜群だったのだ。このジャンルで最大手の広告代理店である日興企画と良好な関係を築き、たちまち号あたり1000万円ほどの広告が集まった。スモールビジネスの販売代理店募集広告や、個人相手のフランチャイズ加盟店募集広告が、ざくざく入ってきた。これらは、「オール生活」の内容変更で掲載誌を失っていたのである。


 臨時増刊の場合、事実上は創刊でも規則によって「創刊」という文字は使えない。インチキして使うと、取次に怒られてしまう。そこで「新発刊」なる言葉をひねり出して表紙に入れた。苦肉の策である。表紙は、インパクトのあるフィギュアにした。

 ふつう、この手の雑誌は成功社長の写真を使うのが定番なのだろうが、それだと何となく臭くなる。この雑誌は金儲けにギラギラしたおっさんたちに向けたものではなく、若い読者向けの「独立のススメ」なのだから、新しいビジュアルがいいのではないかと思われた。これは成功したと思う。


 ぼくは深く考えて「起業塾」を企画したわけではなかった。しかし蓋を開けてみると、まるでこの世界がぼくを呼んでいたようでもあった。「ドリブ」時代はこの世界では著名な評論家である白水胖氏に何度もサイドビジネスの入門記事を執筆してもらい、脱サラ独立には自分自身としてもかなり興味があった。

 その後の人生を眺めてみても、やがて青人社から独立して「開業マガジン」を作り、独立開業に関する講演をするようになり、専門誌での取材執筆を通じてネットショップに深く関わるようになる。「起業塾」はその端緒として、いつまでも忘れることのできない一里塚だ。


 ちなみに、青人社が発刊した雑誌で成功したのは、この「起業塾」が最後だった。しかも残念なことに、青人社の末期には「売れる雑誌」として利権化し、商標と営業権が闇の世界でやりとりされた挙げ句、「起業塾」は青人社の手を離れることとなる。




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