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14/10/20

おかん、テキトーすぎる。

Image by Olia Gozha

あれは中学2年も終わろうとしている3月の中旬かな。

春休み全部潰れたんだから。3月の2週目くらいの金曜日の出来事ですね。


その日、授業が終わって部活がなかったので友人の家にみんなで遊びに行ってゲームやったり、ダベったりして帰ってきたわけですよ。いつもの日常です。

ところが夜になって異変が。


風邪をひいてるわけでもないのに夜になるにつれ徐々に寒く感じるようになり悪寒が走る。体温を測ってみると37度超えてる。あれ?熱出てきたなーと。もともと体温が35度の前半なので37度でも結構しんどい。


当時、親の帰りはいつも21時くらいだったかな。

兄もバイトで弟と2人だったような気がする。

とてもじゃないが普通に座ってるのもしんどくなり、寝る(あれ?金曜って塾の日だったはずだけど、もうほとんど記憶がない・・・そんだけ大変だったんだろうか・・・?)。


咳もくしゃみもしないんだけど、風邪→発熱ぐらいしか思いつかないから厚着して薬飲んで寝ていた。母親が帰ってきたので状況を伝え、体温を測りなおす。すると38度を超えていた。ぐんぐん体温が上がっている。


このあたりからなんとなく「これ、風邪じゃないぞ」と思うようになる。

あまりに寝苦しく、何度も寝返りをうつ。ゴソゴソうごく。するとなにか肩のあたりで服に触るものがある。手で触れてみると水ぶくれができていた。


えーとこれって水疱瘡ってやつ???


小さい頃にかかっておかないとキツイ病気ってありますよね?

水疱瘡、はしか、おたふく。

これ、ひとつもやってなかったんですよね、僕。当時14歳でまだまだガキとはいえ、身長179cmでガタイはもう大人クラス。高熱が続くだの、精子が死ぬだのいろんな聞きかじった情報が頭を駆け巡る。


それでも金曜の夜で、もう夜中。あと僅かな時間、明日の朝になれば半日だけど病院やってるし、親も明日、病院連れてったるから我慢しー、というので我慢することに。寝苦しい、暑い、そして水ぶくれはどんどん増えていき、掻いたり、寝返りの際に潰れて汁が出てきたりだったけど、明日になって病院いけば・・・これを希望として耐えた。


翌朝、体温を測ると40度を超えている。39度でも未知の世界なのに40度って。

着替える体力もないので、親が準備終わるまで布団のなかで待ってた。時間は8時半。9時からだからそろそろ病院に連れてってくれるだろう。当然、親が僕を運ぶわけにはいかない(団地の5階だし、このときで既に親よりもデカイんで)から車までは自分の足で歩かないといけない。気力で動くしかない、と思っていた。


そんなときだった。家の電話が鳴ったのだ。相手は叔母(オカンの妹)。

いや~な予感が走った。なぜならオカンの姉妹はみんな長電話なのだ。


こっちとしては連れてってもらうわけだし、体力消耗したくないから黙って寝てるしかない。時間は刻々と過ぎていく。たまに親のほうをチラチラと見るわけだが全く切る気配がない。息子が横で息も絶え絶えになってるんですけど・・・。


電話が終わった。そのとき時計の針は12時半を過ぎていた。

病院は既に終了。僕の気力も潰えた・・・。これで病院行かずして土日乗り切るのが決定したわけだ。おかんは明るくこういった。


「ごっめーん、病院終わってまったわぁーwww!!」


おい、そこ笑うところか?

文句いう気力もない。とにかく耐えるしかない。家にある解熱剤飲んで熱を下げるしかない。家族総出(親父もまだ水疱瘡やってなかったってことで親父は隔離された)で看病にあたってくれたのは嬉しいし、迷惑かけてるなぁと思ったが、そもそも病院連れてってくれりゃ・・・。


そこから月曜の朝までは本当にキツかった。なんせ体温計が42度を指してる。

水銀タイプのものしかなかったため、MAXで42度までしか測れない。意識が朦朧としてるし、メシも食えないし、水ぶくれは顔含め全身にできてしまい、シャツやらシーツには黄色い汁のあとが付いてるしかさぶたにもなってる。


昼間寝てるから夜になって目が覚めるともう眠れない。

幻聴もするし、寝ぼけてるのか熱による幻覚なのか何がなんやらわからない。汗や汁で体はベタベタ。自分でも臭いのがわかる。そんな状態で土日を過ごして、月曜の朝になって熱がひきはじめ、動けるようになった。それでも38度後半。


さすがに今回は電話もなく、病院に行ったら「水疱瘡ですね」と言われた。

知ってるよ、って感じだった。治りかけてきてるっちゅーねん!!


そこから4日ほど熱がひかず、結局1週間は寝たきりだった。

終業式は出られず、春休みの部活はすべて休んだ。ちなみに学校ではクラスメイト、部活では同期、後輩全員が「今頃水疱瘡かよ」と爆笑だったらしい。


後日談:

その後僕が治りかけていくのと同時に弟が発症。体質もあるのか弟はそれほど水ぶくれができることもなく、また僕の件で「水疱瘡」と分かってるので早めに病院へ行って結構すぐ治った。


悲惨だったのは兄で、オカンから「あんたは小さい頃に水疱瘡をやってるから伝染らない」と言われ、僕の看病をしてたのだが、どうやら“水疱瘡だけをやってなかった”ようで、僕と弟の面倒を見た結果、しっかり発症。18歳で水疱瘡になってしまった(それでも症状は僕より軽かったけどね)。


おかん、テキトーすぎる。

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