小さなお山の大将
そんな表現がぴったりな小学校最終学年。
いつしか周りからこんな声が聞こえるようになる。
「中学校はどうするんや?」
「どこのチーム行くんや?」
僕の記憶が正しければ、その頃はもう
かつて憧れた「縦縞一択」だったように思う。
地元では一番厳しくて強いチーム。
このチームへ行かずしてどこへ行くんだ、と。
そんな気持ちだった。
厳しい練習?強いチーム?
そんなとこで負けてたら先が思いやられる。
そもそも負けるなんて考えもしなかった。
しかし、不安はあった。
チームでは4番を打つようになった。
どこに行ってもやれる自信はある。
でも周りはどうなんだろう?
小さな小さな子供会のチームだっただけに
他に上手い奴なんかいっぱいいるんじゃないか?
冷静にそんな考えを持ちつつ
現実は周りに敵なし状態。
だから当時の敵は、常にまだ見ぬライバル達。
それでも負けるわけが無い!
そう自ら言い切れるまでひたすら練習をした。
そしてソフトボール引退の時・・・
本来なら大会がいくつか残ってたのですが
当時の監督の強い勧めで、
「一日でも早く硬式の練習へ行ってこい!」
という有難い配慮を頂けた。
それもこれも、自身のソフトボールチームが弱かった事も幸いし僕だけ勝手が許された。
「お前はもっと上を目指せ」
そんなありがたい事情も重なり、他の有力な同学年のライバルに比べ
優位な形で進む事が出来た。
たいていの引退は年明け。
だから、本来なら早くても中学部の練習生扱い。
しかし、僕だけは年末入部。
ギリギリ小学部に滑り込めた。
そして、小学部に滑り込みで入部し過ごしたたった3ヶ月。
他の子から少しだけ早いスタートを切れた、このたった3ヶ月。
これがなかったら先の野球人生は変わってたかも知れない。
それほどまでに大きかった3ヶ月。
正直、当時の僕にとって、3ヶ月のアピールの場には充分過ぎた。
硬式野球スタート
そうして入部した硬式野球チーム。
周りとの実力差がどれほどまでか?
不安より期待の方が正直大きかった。
「俺が同世代で負けるわけない」
そんな自信すらすでに備わってたからだ。
さらにこんな野望まで胸に秘めていた。
ソフトボールの頃は打つだけだったけど
投げて打てばもっと楽しそうだ・・・
「硬式では、ピッチャーをやりたいな」
しかし・・・
そんな願いは脆くも崩れ去る事になる。
偶然にも、当時のチームには
関西ナンバーワン投手が存在した・・・
生まれて初めて、ボールを受けるのが怖かった。
「は、速っ・・・」
「手ぇ痛っ!!」
投手をやりたい気持ちとは裏腹に
与えられたポジションはキャッチャー。
その理由は中学部では”キャッチャーとして育たい”という中学部の監督の意向が最大の理由だった。
自分をアピールするには充分だった3ヶ月で
僕は硬式に慣れるだけでなく
中学部の監督へのアピールも出来ていたわけである。
投手としての野望もあえなく終わり
「4番・キャッチャー」
これが硬式に入り定着した僕の役割だった。
とにかく打ちまくり
最後の大会では当時の最高成績でもある「準優勝」にも輝いた。
※以下、当時の新聞
実はソフトボールでも準優勝した。
「また準優勝か・・・優勝は中学部で!」
そう胸に秘め、つかの間の小学部を引退することになった。
中学に進学
相変わらず胸の内には「ピッチャー」という野望はあったが
打つ事も大好きだったし
1年秋からは5番キャッチャーとして試合にも出ていた。
しかし当時の僕は野球の知識など乏しく
俗にいう「野球センス」など全くなかった。
人よりパワーはあったが、頭脳はまるでない。
一言で言うと「力だけのただのバカ」
なので、ほどなくしてキャッチャーよりも打撃に専念出来るように
「ファースト」にコンバート。
そこでも守備は下手くそで、なんせ「打つ事」しか出来なかった。
それでも小学校でのアピールのおかげか
期待値込みで不動のレギュラーとして1年からクリーンナップを打ち
一時期はスランプなどもありながらも、最高学年を迎えた。
エースで4番
これが2年秋の僕の定位置。
実はこの頃、鳴り物入りだった複数の投手の駒が足りなくなり
肩も強く過去に希望していた事もあり、投手としてやっと僕に白羽の矢がたった。
なので最高学年、僕に与えられた役割は
「4番・ピッチャー」
この頃から少しづつ、間に合わせではあったものの、念願のピッチャーとして一歩を踏み出せていた。
そしてそこそこ球速も出ていた事もあり
投手としてもそれなりに名の知れた存在になった。
なにぶん、経験がまだまだ浅い部分もあったが
特別大きなケガなどもなく
確かな手応えを感じながら新年を迎え
生まれて初めて「球春」を待ちわびた。
「春がほんま楽しみ、早よ来い春・・・」
当時僕は、今までの野球の集大成になるだろう。
そんな予感がしていた。
しかし、そんな時に落とし穴ってあるもんです・・・
まさかの骨折
心から待ち遠しかった「球春到来」
今思い出してもワクワクする。
しかし、それは生まれて初めての「骨折」によって崩れ去った。
大会直前の練習試合で、牽制球を右手の甲に受けた為だ。
中学での最大目標だった春の全国大会。
この参加資格が失われた。
実はこの大会に出場しなければ
その夏行われる「世界大会」に選抜されない。
当時の僕は、世界大会に最大の関心を持っていて
有力選手はみな選ばれてたこともあり
(実際一つ上の学年のエースと4番はのちにプロへ進んだ)
俺も世界大会に出たい!
当時はその為に練習をしていたし、少しは自信もあった。
それでも諦め切れず、骨折したまま治ったと嘘を付き試合に投げた。
結果はコールド負け。
さらにバットを振った影響でさらに右手の状態が悪化した。
初めて味わった「挫折」
執着した目標。
失った目標。
この気持ちを切り替えるには、当時の僕では少しばかり幼かった。
自信が大きかったからこそ
目標への思い入れが大きかったからこそ
折れた心。
薄れる野球への意欲。
「どーでもええわ。」
「もう野球辞めよかな・・・」
二言目には頭をよぎり、口に出しそうになっては必死にとどめる。
そんな最中、静かに中学3年の春を終えた。
残酷なくらい時間は誰にでも平等に進む。
一方その頃、これは学校生活の話である。
野球ができなくなっても困らないよう最低限の勉強はするように。
これが親との約束。
勉強は意外にも人並み以上にできた方だった。
各年度、初めて僕の担任を持った先生は僕の事を日常生活のテキトーさから
「こいつはただの野球バカ」だと思い込んでたらしく
テストの点を見るなり
「いや、なんかごめんやで」
と謎の謝罪を受けた事もあった笑
当時流行りだした「文武両道」を体現した野球少年でもあった。
そんな「ただのバカ→文武両道」と良い意味で裏切る期待がほんの少しだけ心地よかった。
それもあってか
「野球バカ→勉強もできる」
このコントラストが非常に受けが良くて
異常なくらい優等生扱いされた時期もあった。
それからというもの、悪さをしても、僕だけはなぜか許される。
何をやっても「ホンマはわかってるやろ?特に怒らへんから次からやめときや」
犯罪以外は何をやっても許された。笑
その頃の野球はというと
長期骨折のケガが癒えても
ブランクと落ちたテンションのせいなのか
以前のようなボールも投げられず
骨折の恐怖心からバッティングも思い切り振る事すら出来なかった。
野球を初めて嫌いにもなった。
「もう野球ええわ。」
そんな状態。
当初は野球推薦で強豪校からスカウトを受け
スポーツ推薦で高校進学が当然だと考えていたけど
「このままやと、勉強で進学せなあかんなぁ・・・」
いざという時の為にしていた勉強も
いざとなるとなんか寂しいものがあった。
勉強しててよかったなんか本心からは全く思えなかった。
「あー、早よ引退したいわ」
それが当時の気持ちだった。
短い春を終え、下がる気持ちとは裏腹に
少しずつ気温も上がり迎える初夏、ほんの少しづつ気持ちに変化が訪れた。
このまま終われるか!
以前まで切磋琢磨していた他チームの友人達から
「森田、高校どうすんの?」
「俺◯◯行くねん!」
「あいつ◯◯高校らしいで」
そんな話に、「俺まだわからんねん」と、なんとなくはぐらかす事しか出来ない自分に腹が立った。
「このまま終われるか!!!」
その頃のチームのエースは一つ歳下の後輩だった。
後輩にすらマウンドを譲り
不甲斐ない気持ち。
と同時に申し訳ない気持ち。
「最後の悪あがき、したろうやないか!」
そんな気持ちで最後の夏を迎えた。
するとバッティングは変わらず不調だったけど
なんとかピッチングは良くなってきた。
そんな中久々の好感触。
強豪相手に完封勝利をした。
これは、のちに知る事になるのだが
実はその試合をたまたま見ていたのが履正社高校の監督。
そしてその場で中学の監督にスカウトした程だった。
後にそれがきっかけで高校の推薦をもらい
履正社へと進学する事となる。
そしてその次の大会では
小学部でやり残した優勝も経験
※以下当時の新聞
小学生の頃思い描いた形ではなかったにしろ
なんとかいい形で中学校の野球を締めくくる事が出来た。
何度も辞めようとした野球。
しかし元を辿れば
運動すら出来なかった少年でした。
当然センスなんてなかった
並み以下の選手。
ほぼ底辺と言ってもイイくらい。
頑張ればなんとかなると思い
自信を得た小学生時代。
自信を無くして、それでも諦めなければなんとかなると
心底感じた中学野球。
やっぱり気持ちが大事なんだな。
思いは叶う。
そう感じ、再び高い理想を掲げて
"高校野球”という舞台に意気揚々と進む事になりました。
最後に 〜運動出来ない少年の話〜
以上が運動の出来ない少年の
並み以上に運動が出来るようになった話でした。
この話は基本的にノンフィクションですが
部分的に記憶が断片的であるため
事実と相違している点があった場合についてはご容赦ください。
意図的ではありません。
ともあれ、最後までお読み頂いてありがとうございました。
続く・・・のかなこれ?笑
おまけ 〜すべて幻想だった〜
気持ちが大事だ。
思いは叶う。
俺は出来るんだ。
履正社高校で、そんなことが”全て幻想だった”と思い知らされることに。
甘すぎた考え。
今までと全く違う環境。
感じた自分の限界。
周りの期待・・・
言われたことをやるだけの日々への違和感。
日々変わる基本や常識・・・
信じるものを失い
そこから掴んだ新たな手応え。
しかし、周りの評価とは裏腹に
人生で一番不甲斐ない3年間を過ごすことになりました。
おわり